「まさか貴方ともあろう人でも、ミイラ取りがミイラになるとは驚きです」
 ふいに掛けられたその声に、赤林はコツコツと床を叩いていた杖の動きを止めた。そして椅子に座った体勢のまま上半身だけで背後を振り返り、新たに入室した同じ粟楠会の幹部・四木の姿を視界に映す。
 右の義眼と左の眼の両方に鋭い目つきの男の姿を反射させて赤林はヘラリと笑った。
「おや、四木の旦那。それは一体どういう事ですかい?」
「本気で言っているなら少々早いですが隠居した方がいいでしょう。そして解っていながら言ったのなら、あまりにも誤魔化しきれていませんよ」
「これは手厳しいねぇ」
 向かいに座る同僚を視線で追いかけながら赤林は声に苦笑を滲ませる。その右手には飾り杖。左手は何気なくテーブルの上に置かれているが、四木が入室して声をかけるまで赤林はその左手を顔の高さにまで持ち上げて眺めていた。随分じっくり見ており、四木にもそこに何があるのか確認する事ができた程だ。
 席に着いた四木は足を組み、「それ」と赤林の左手を指差す。正確には赤林が見つめていた箇所―――左手人差し指にくっきりと付けられた噛み痕を。
「青崎さん達にはまだ言ってませんが……。随分と可愛がっているようですね」
「何か厄介な事態を引き起こされる前に、トップをこっちに取り込んでおくのは良い案だと思うんですがねぇ」
「それに関しては否定しませんよ。ただ赤林さんの場合は少々私情が入っているのでは?」
「ははっ、そこまで調べているなんて四木の旦那も人が悪い」
 ダラーズの事は私に任せてもらってるんですけどねぇ、と赤林が苦笑する。ただその笑みには一般人である初恋の女性の娘との関係が目の前の男にバレたという微かな不快感も含まれていた。
 赤林にとって年の離れた妹のようなその少女と現在粟楠会が警戒しているカラーギャング『ダラーズ』のリーダーは友人以上恋人未満という関係であり、そうなると今の赤林の行動は公私が入り乱れていると言われても仕方ないし、事実、入り乱れている部分は多々ある。大切な少女が裏側に浸る少年の毒牙にかからないよう、赤林自らが少年に毒の牙を突き刺したのもその所為だ。
 と、赤林本人は思っていたのだが。
「ああ、まだお気付きでなかったんですか?」
 読心術に長けた男はこの場でも赤林の思考を上手く読み取ったらしく、少々驚いたように鋭い目を僅かに見開いた。
「私は初めに“ミイラ取りが”と言いましたよね。ミイラ取りがミイラになって、しかもなったという事実に気付いていない。これは相当じゃないですか」
「四木の旦那……遠回しに言うのはやめてくれませんかねぇ。それとも何ですかい。私、旦那を怒らせるような事しましたか?」
「そりゃまあ、気付いたら大事な子が他の男のお手つきになってましたと知ったら、ねえ?」
「はい?」
 ぞわり、と四木から漂ってきた機嫌の悪さに赤林は色つき眼鏡の下で目を瞬かせる。だが何故そこまで四木が怒っているのか、自分が一体何をどうしたのかまでは解っていない。そんな赤林を前にして、四木は「はあ」と溜息を吐いた。「本当にお解かりでないんですね」と。
「赤林さん……。そのダラーズのトップに―――竜ヶ峰帝人君に噛み付かれた痕を嬉しそうに眺めている貴方は、どこからどう見てもその相手に惚れちまってる男の顔ですよ」
「な……!?」
「今更そんなに驚く事はないでしょう。なんなら今度、貴方がその指を眺めて悦に入ってる顔でも撮影しておきましょうか?」
「四木の旦那! いくら旦那でも冗談が過ぎるんじゃないですかい」
「冗談じゃありません。と言うか、貴方の顔だけではないんですよ、そう判断したのは」
 不機嫌さを隠そうともせず、四木は赤林に向かって言った。
「あれだけ丁寧に扱われている身体を見れば、誰だってその相手があの子を大切に想っている事くらい想像に容易いです」
「……ッ!?」
 今度の赤林は言葉も無かった。
 色眼鏡の奥ではこれでもかと双眸を見開き、四木の顔を凝視している。
「まさか、四木の旦那……」
 額に嫌な汗を浮かべながら赤林は口元を引き攣らせた。
 正面では四木が不機嫌なのに完璧な笑みを浮かべている。それ程、彼の怒りは深いという事だ。
「手を出すならまず最初にもっときちんとあの子の周りを洗っておくべきでしたね。あの子は私が最初に食べようとしていたのに……」
 ―――気付けば貴方の腹の中。そこから私の色に染め直すのはちょっと大変なんですよ。
 笑い声すら上げそうな表情のまま言い捨てて四木は席を立つ。
「旦那?」
「赤林さん」
 扉の前で足を止め、四木が赤林の名を呼ぶ。鋭い双眸が赤林を振り返り、その口元にはゆるりと笑みが浮かんだ。
「貴方がご自身の感情を認めないというなら結構。また認めても結構。どちらにせよ、私は今から本気で動くつもりですから。―――竜ヶ峰帝人を手に入れるのは私です」
 それだけ言って、四木は扉の向こうに姿を消す。
 残された赤林は閉じた扉と己の指についた小さな噛み痕を眺めて暫らく沈黙していたが、
「私も、負ける気はしませんねぇ」
 やがて、自覚した想いと共にうっそりとそう呟いた。






宣 戦 布 告
BATTLE START







赤林さん:杏里や粟楠のためだと自分に言い聞かせて帝人に手を出している。無自覚(でした)。
四木さん:まだ帝人には手を出していなかった(未遂が一回)。お茶と会話くらい。でもこれから本気で攻める予定。
帝人くん:たぶん(現状では)四木さんの方が好き。ただしnot恋愛感情。