「おかえりなさい、先輩。……と言った方がいいですか?」
「どうだろう。本当に行っていたのかもしれないし、ただ僕がリアルな夢を見ていただけかもしれない」 池袋のとある高層ビルの一室で、閉じていた両目を開けると共に青年はそう答えた。 青年が身を預けていたのは値が張りそうな黒い革のソファ。応接室らしい部屋の奥は大きな一枚ガラスを使って街を一望できるようになっている。その風景の一角には老朽化によりつい先日建て替えが始まった来良総合病院もある。 彼が纏う黒いコートは、かつて―――今より十二年前に紀田正臣と言う高校生が来良総合病院で出会った人間が着ていたのと全く同じ物だ。 いや、コートだけではない。十二年前に一度現れたはずの人間が当時と完全に同じ姿でそこに存在していた。 (ただし『今』の僕が存在する時間軸に“黒いコートの青年”が紀田正臣に願いを告げたっていう過去は無いんだろうけどさ) もしそれが本当にあった事なら、『今』の時点に青年は存在していないだろう。 (パラレルワールド、か。全ての“かもしれない”が、まるで大樹の枝葉のように存在し、けれど決して交じり合う事は無い。可能性の数だけ平行に並んで存在する世界。……そんな物が本当にあるなら僕も少しは救われるのかな) 「先輩……、帝人先輩」 「ああ、ごめんね青葉君」 まるで思考を読んだかのように――いや、読まなくても察してくれたのだろう――顔に不安を浮かべてこちらを窺う高校時代の後輩、そして今は自分の秘書として働いてくれる相手にミカド―――二十八歳を目前に控えた竜ヶ峰帝人はうっすらと微笑みかける。 「別に『今』が嫌な訳じゃないんだ。君を嫌ってる訳でもないしね。ただあの時ああなっていれば『今』とは全く違う道ができていたんだろうなって。そう思ったら……」 そこまで言って帝人はかぶりを振った。 「いや、もうこの話はおしまいにしよう。実がない。あそこで僕が何をやったのか、言ったのか、『今』には何の影響もないんだしね。そもそもあれが現実なのか僕が見た幻覚だったのかすら判らないんだ」 ソファから立ち上がり、窓へと近付く。青葉の視線が追ってくるのを感じながら、帝人はガラスに手を付いて足元に広がる街並みを見下ろした。 かつての高校生だった帝人は失踪した幼馴染の行方もその理由も、他の人間が何を思ってどう行動していたのかも全く知らなかった。けれど今は違う。知るだけの力を手に入れ、それを行使した後だ。 目を閉じて過去の紀田正臣に告げた事を思い出す。自分は会社の社長で、人の労力と情報を主な商品にしていると言った。けれどその会社の名前や成り立ちなどは一言も教えていない。 「『DOLLARS』か……。そりゃあ言えないよ。あの時はまだただのカラーギャングでしかなかったんだから」 それを整備し、統率し、竜ヶ峰帝人は金と人と情報が動く巨大な組織を作り上げた。今の形になってからまだ十年も経っていないのに、世界の“オモテ”でも“ウラ”でも有名になってしまった元カラーギャング。その長が、自分。 (誰に影響されてこうなったとは言わないけど……僕も随分変わったよねえ) 黒いコートの裾を翻し、帝人は青葉を振り返った。 「さあ、僕もそろそろ仕事しないとね。青葉君、今日の予定は?」 * * * ―――同日、夜。 チャットルーム 竜ヶ峰帝人、復活! 竜ヶ峰帝人『九十九屋さん、こんばんは』 九十九屋真一『お。来たか。待ってたぜー社長』 竜ヶ峰帝人『社長はやめてくださいよ。九十九屋さんは僕の会社の社員じゃないんですしw』 九十九屋真一『そういやそうか』 九十九屋真一『じゃあ帝人、今日は俺から訊きたい事があるんだが、いいか?』 竜ヶ峰帝人『いいですよ? まあ、どこから料金が発生するかは話の内容に寄りますけど』 九十九屋真一『解ってるって』 九十九屋真一『そんじゃさっそく。“過去に行ける薬”の効果はどうだった?』 竜ヶ峰帝人『えーもうそれの事知ってたんですか』 九十九屋真一『当たり前だろ。俺を誰だと思ってる』 竜ヶ峰帝人『九十九屋真一さんです。まあいいや』 竜ヶ峰帝人『薬の事ですね。ええ、あれは僕もよく判りません』 竜ヶ峰帝人『だって、たとえ“変わった”としても『今』の僕には知りようが無いんですから』 九十九屋真一『それもそうか』 九十九屋真一『でもあの“悪魔”が作ったって代物なんだろ?』 竜ヶ峰帝人『らしいですね』 竜ヶ峰帝人『半信半疑ではありますけど、』 竜ヶ峰帝人『実際に昔その悪魔が不老不死の酒を人間に与えたという話は本物でしたし』 九十九屋真一『不老不死かー。ひょっとしたら、あの男なら欲しがったかもな』 竜ヶ峰帝人『あの人じゃなくても不老不死を望む人間なんてウザイくらいに存在してますよ、きっと』 竜ヶ峰帝人『あー』 竜ヶ峰帝人『でも今はどうなんでしょうね、あの人』 竜ヶ峰帝人『昔は死後の保険としてデュラハンの首を所持していたような人ですし』 九十九屋真一『それならお前の方がよく知ってるんじゃないか?』 九十九屋真一『なあ? 人喰い鮫』 竜ヶ峰帝人『“鮫”は僕の秘書の渾名……じゃないけど、そういう物ですよ?』 九十九屋真一『だがあの男を、折原臨也を“喰った”のはお前だろ?』 竜ヶ峰帝人『喰っただなんて人聞きの悪い』 竜ヶ峰帝人『僕はただあの人にこの業界からご退場頂いただけですよ』 竜ヶ峰帝人『それは九十九屋さんもご存知でしょうに』 九十九屋真一『まあな(笑)』 九十九屋真一『そして今や“新宿のオリハラ”じゃなく“池袋のリュウガミネ”がメジャーになっちまった』 九十九屋真一『うん。やっぱりお前は折原臨也を“喰った”よ』 竜ヶ峰帝人『九十九屋さんがそう言うならそれでいいです』 九十九屋真一『いえーい。九十九屋真一の勝利!』 竜ヶ峰帝人『はいはい』 竜ヶ峰帝人『そう言えば九十九屋さんって僕がどうやって臨也さんにご退場頂いたか訊きませんよね?』 九十九屋真一『おいおい。そんな恐ろしい事、俺が聞きたがると思ったか?』 竜ヶ峰帝人『恐ろしいってww 僕、そんなに酷い人間じゃないですよ?』 九十九屋真一『だと良いがな』 九十九屋真一『ところで折原臨也が退場する直前、両手に包帯が巻かれてたって話があるんだが』 竜ヶ峰帝人『九十九屋さん……本当は全部知ってるんじゃないですか?』 竜ヶ峰帝人『ちなみにこれ以上は料金が発生します』 九十九屋真一『ならやめとく』 竜ヶ峰帝人『そうですかw』 竜ヶ峰帝人『あ、なんだか秘書に呼ばれてるんで、これで失礼します』 九十九屋真一『おう。じゃあまたな』 竜ヶ峰帝人『さようなら』 竜ヶ峰帝人、死亡確認! 九十九屋真一『あと折原臨也にもよろしくな。帝人』 九十九屋真一『って、見てるはずないか(笑)』 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! 九十九屋真一のターン! ・ ・ ・ 過去の可変性は 未来に反映されない
(だから僕は『僕』のまま) 各人が今どこで何をしているかは、どうぞご自由に想像なさってくださいませ。 |