その日、竜ヶ峰帝人は他人の気配で目を覚ました。
(折角の休日なのに……) 時計を見れば午前7時30分をいくらか回ったところ。ゴールデンウィークも終盤を迎えた今日はゆっくりと昼前まで眠るつもりだったのだが、敢え無くその予定は崩れ去った。 「……ったく」 悪態を吐きつつ、昨夜(と言うか既に本日未明)まで行っていたチャットの所為で眠い目を擦りながら寝室を出る。 どう考えてもファミリー用であろう広さのマンションは、本来一人暮らしの苦学生たる帝人には全く縁の無いものだ。しかし先月の事件がキッカケで帝人は実の兄からここに住むよう強制されたというか願われたというか。 あの四畳半で充分だった帝人にしてみれば、この無駄に広い空間は掃除が大変じゃないかと思う程度の物でしかない。特に客間なぞ全く意味が無いだろうに。それと最新のシステムキッチンも。僕に何を作れって言うんだ、と最初にそれを見た時は思わず声に出してしまった程である。 しかし。 「おはよう、帝人君」 「……おはようございます」 その無駄としか思えないシステムキッチンにここ最近ですっかり見慣れてしまった人影が一つ。右手にフライ返し、左手にフライパン、勿論エプロン装着済みで振り返ったのは、艶やかな黒髪を持つ美青年にして帝人と半分だけ血が繋がった兄・折原臨也だった。 「なにしてるんですか」 「何って勿論、君の朝御飯を作ってるんだよ」 ここの本当の借主である臨也はちゃっかりマンションの鍵を自分用にもう一つ用意し、それを使ってちょくちょくこの部屋に侵入してくるのだ。 どうやら今朝は新宿からここへ来るまでに24時間営業のスーパーか何かに寄って来たらしく、これまた無駄に大きなダイニングテーブルの上には色々な物が入ったビニール袋が置かれている。帝人が視線で「何ですか、これ」と訴えかければ、「そろそろ君んちの冷蔵庫が空っぽになると思ってね」と笑顔が返ってきた。実にその通りだが、ちゃっかり冷蔵庫事情まで把握されているのが空恐ろしい。 (まぁ六割……いや七割方、冷蔵庫の補充をしてるのはこの人だけど) 勝手にやって来て勝手に朝御飯を作っている兄を視界から外し、帝人は内心で溜息を吐いた。 池袋へ来る前に調べていた折原臨也という人物は決してこんな事をする人間ではなかったはず。相手(ここでは帝人)に尽くして絆して最終的に己の駒とする気かと思った事もあったが、これまでの行動を見る限りどうやらそうでもないらしい。帝人のために朝食を作る青年はどこからどう見ても多少お節介が過ぎる兄だった。 (調子狂うなぁ) もう一度内心で溜息を吐いてから帝人はとりあえず顔を洗うために洗面所へ向かう。朝食準備中の兄を無視して部屋に戻り二度寝をしても良かったのだが、 (うん、まあ、なんだ) あの青年の料理の腕前はそれを思いとどまるぐらいには良かったのである。 「って言うか貴方もチャットしてたのに、なんでそんなに元気なんですか」 「何が『って言うか』なのかは解らないけど、俺は仕事の関係で生活も不規則になるからね。慣れと言えば慣れかな」 「流石非日常」 「それ褒められてる?」 「褒めてますよ、僕的には」 砂糖を大量投入したカフェオレを啜って帝人は答える。 テーブルを挟んだ正面には折原臨也の整った顔。甘楽と言うハンドルネームで帝人と同じ時間帯までチャットに参加していたはずなのだが、その彼の顔には疲れなど全く見えない。帝人の前に並んだ朝食と同じメニューを優雅に口へ運んでいる。 最初、帝人が甘楽=臨也であると知っていると教えた時、臨也はほんの少しだけ表情に驚きを混ぜ、それからすぐ面白がるような顔で笑った。こちらから手を明かしたのは、その方が今後臨也からの情報提供量が多くなると踏んだからである。果たして帝人の予想は的中し、臨也が管理するチャットルームの機能『内緒モード』を使って甘楽と田中太郎ではなく臨也と帝人としてちょっとした情報のやり取りが行われるようになった。昨夜もその関係で長話となり、現在の帝人の寝不足に繋がっている。 (作ってもらえるのは正直ありがたいけど、もうちょっと時間も考えてくれないかなぁ。僕がチャットして寝るのが遅かったってのは知ってるんだし) 中までしっかり牛乳が染み込んだフレンチトーストを口に入れ、帝人は胸中でそう独りごちた。 (それとも―――) 「今日は何か特別な事でもあるんですか?」 「え?」 「だって昨日の事があってこんな時間帯に来るなんて」 面白い企みでもあるなら聞きますけど、と帝人が付け加えると、臨也は僅かに逡巡してクルリとフォークを一回転させる。 「今日は何月何日でしょーか」 「5月4日ですけど。あ、こどもの日は明日ですよ?」 「俺を一体何だと思ってるのか、帝人君には一度しっかり訊いておいた方がいいのかなあ」 「冗談です。まさか誰も貴方の事を厨二病を患った二十三歳児だとは思っていませんから」 「本気でみっちり話し合いたくなってきたよ、俺は」 「僕は遠慮しますね」 にこりと笑顔を浮かべてそう返す。 臨也はあからさまな溜息を一つ吐き出して「知らないならいいや」と肩を竦めた。 「どうせ君の好む非日常的な意味は無いからね」 「そうですか」 「うん」 「…………」 何でも無いかのように食事を再開させた臨也を眺め、帝人も口を噤む。 (本当に知らないとでも思ってるのかな) 5月4日。言われるまで意識していなかったのは本当だが、“当人”の姿を見てここまで言われてしまっては気付かずにいる方が難しいだろう。なにせ帝人はずっと会った事のなかった実兄の年齢も仕事も把握しているのだから、勿論、彼が生まれた日も知らないはずがない。 (いやでも、まさかわざわざこの人がここに来るとは思ってなかったけど。結構寂しがり屋なのかな。新しく入ったっていう秘書のアルバイトさんは祝ってくれるような人じゃないしね) 例の一件で敵対関係にあった女性の姿を思い返し、こっそり苦笑を浮かべる。それに気付いた臨也が食事の手を止めて視線でどうかしたのかと訴えかけてくるが、帝人はなんでもないと首を横に振った。 「……あのさ。帝人君、今日暇だよね」 「何を根拠に断定形で話すんですかって訊くのは無粋なんでしょうか。貴方の職業を考えると」 「まあね。それで、返答は?」 「お察しの通り暇ですよ」 「じゃあ今日は一日俺に付き合ってくれる?」 「臨也兄さん……」 (この人は、ああもう) 帝人の心情など知らず、臨也はニコリと笑みを浮かべて提案する。 「俺といればそこそこ非日常を味わえるんじゃないかな。あ、勿論俺も君を一日観察できるっていう特典があるんだけどね」 「下手に池袋を散策すると平和島静雄に見つかりますよ」 「本当ならそれは避けたいんだけど……帝人君が生で見たいって言うなら吝かではないよ」 「……僕を甘やかしてどうするんですか。そりゃ見たいと言えば見たいですけどね。正直なところ」 「じゃあ朝御飯を食べ終わったら早速……」 「兄さん」 少し強い口調で帝人が呼ぶと、臨也の口の動きがぴたりと止まった。 なんだこの人、腹の中は真っ黒な喰えない人間じゃなかったのか。と思いながら、帝人は『折原臨也』らしからぬ青年をひたと見据える。 「帝人君?」 「だから言ったでしょう? 僕を甘やかしてどうするんですかって」 こちらの言っている意味が解らないらしく、ややキョトンとしている臨也に、 (ほんと、貴方がそんなんじゃ調子が狂っちゃいますよ) 帝人は苦笑を浮かべてみせた。 「さっきは意地悪してすみませんでした。プレゼントの代わりと言ってはなんですが、今日は一日、貴方にお付き合いしますよ」 「え……? 帝人君、それって」 「お誕生日おめでとうございます、兄さん」 「へ、あ、うん。ありがとう?」 「なに疑問形で答えてるんですか」 「いや、だって帝人君が知ってるとは思ってなくて」 「さっきは年齢まで言い当てたのに? 今日で二十四歳ですけどね。とにかく、こうして会話してる実の兄の誕生日くらいちゃんと知ってますよ」 未だ気の抜けたままの兄の様子に帝人は苦笑を深める。 「あーそう言えば、そうか。二十三歳児って。って言うか“児”は無いんじゃない?」 「すみません」 くすくすと笑いながら答えると、臨也も「ま、いいや」と言って笑みを浮かべる。 「誕生日プレゼントまで貰っちゃったし」 「受け取ってもらえて幸いです。それじゃあ、ご飯食べたら出掛けましょうか」 「そうだね。あは、楽しみだなあ」 「それは何より」
Intelligent Idiot
(まぁこれも非日常の一つ、かな) 絆されてる……? あと臨也さんは完全にブラコンへ移行。 そして時々帝人様のマンションの客間に泊まっていきます。 |