露西亜寿司の前をいくらか通り過ぎた所で紀田正臣と竜ヶ峰帝人の姿を見つけ、折原臨也はその背中に声を掛けた。
「やあ」
 たった一声。それだけでまるで悪魔にでも会ったかのように身を硬くする正臣を内心で笑いながら、臨也は何にも気付いていないフリをして言葉を続ける。
「久しぶりだね、紀田正臣君」
「あ……ああ……どうも」
 そう答える正臣の隣では臨也と初対面の帝人が、一瞬前までとは正反対の緊張感に支配された友人を不安そうな顔で眺めている。
 彼こそ、臨也が自身の天敵に遭遇する可能性を無視してでも昼間からこの場に来ていた理由だ。臨也は正臣と二言三言交わした後、自然な流れで帝人に視線を向け、「そっちの子は?」と訊ねた。
「あ、こいつはただの友達です」
 臨也を警戒する正臣は容易く帝人を紹介してくれない。だがそんな防壁はあって無きが如しである。
 正臣が紹介しないのならば、こちらが直接帝人に名乗らせるようにすればいい。
「俺は―――」
 臨也が名乗れば帝人も返さざるを得ないだろう。そう思って口を開く。
 しかし。
「折原臨也さん?」
(おや?)
 声は、目の前に立つ帝人のものだった。
 名乗る前に名前を知られていたのは少々驚いたが、かと言って折原臨也にとってそれは然程疑問に思うべき事ではない。きっと自分と会う前に友人である紀田正臣から聞いたのだろう。「うん。よく知ってるね」と微笑めば済む事だった。
「お噂はかねがね伺ってます」
「帝人!?」
 臨也を以前から知っている――もっと言えば、かつて臨也の掌の上で踊ってくれた――正臣は、平然と話を続けようとする友人に叱責交じりの声を上げる。だが本人である臨也を前にしてこれ以上自分がどんな目に合わされたか説明できない正臣に、帝人はどうかしたのかと首を傾げるだけだ。
 ゆえに臨也も今は正臣を無視して帝人だけに答えを返す。
「そうなんだ。俺って有名人なのかな」
「らしいですね。……あ、申し遅れました。僕は竜ヶ峰帝人と言います」
 小柄な体躯が玩具のようにペコリと御辞儀をする。
 これがかのダラーズの創始者かと、実情を知らない人間が抱くイメージとの落差に臨也はひっそりと苦笑した。
 ただしこちらにしてみれば今はまだ相手を知ったばかりという設定なので、まずはそれらしい態度を続ける事が先決である。臨也は帝人の名前を初めて耳にしたかのような雰囲気でその名を軽く揶揄した。
 だがそんな臨也を見て、帝人は―――
「あれ? 僕の名前、ご存知じゃなかったんですね」
 赤味を帯びる臨也とは対照的に、僅かに青を溶かし込んだ黒瞳をパチパチと瞬かせて先刻の正臣に対する時よりも更に不思議がってみせた。
 そして彼は臨也を真っ直ぐ見つめたまま、
「僕の事は四郎さんからお聞きになっているとばかり思っていたので」
 その一言に正臣は何がなんだか解らないという顔をする。だが臨也の反応は更に顕著かつ異常だった。
 臨也が表面に出した態度は、まさに“絶句”。どうして帝人がその名前を知っているのかと、臨也は童顔の少年をまじまじと見つめる。混乱が頭の中を支配していた。
 しかし残念ながら、臨也の思考が停止しても時間そのものは止まらない。
「なぁ帝人、四郎さんって誰なんだ?」
 とりあえず手近な疑問を晴らそうと、正臣が友人に問いかける。臨也が絶句するなど珍しい事なのだが、だからこそそちらを注視するより疑問の解決を求めたのだろう。
 そして問われた方の帝人は一片も躊躇う事なく、臨也の混乱など置き去りにして“それ”を告げた。
「四郎さんは僕の遺伝上の父親で、臨也さんの実父。僕と臨也さんは腹違いの兄弟らしいんだ」
「…………はぁ!?」
 その大声に周囲を歩いていた人間達が何事かと視線を向けてくる。だが、彼らに意識を割ける余裕も無く。
 正臣の叫び声を耳にしながら、それを言いたいのは自分の方だと折原臨也は強く思った。







Black Breaker







「はじめまして、臨也兄さん。これからどうぞよろしく」
 童顔の少年がにこりと笑う。
 全ての事象に対して好奇心を剥き出しにしているような、全ての事象に対して一欠片の関心も持っていないような、そんな眼で。
 その奇妙な双眸は、確かに折原臨也の血を感じさせた。






ここの帝人様、実は相当黒いです……。

(2010.08.04 折原父の名前を「○○」表記から「四郎」に修正)