―――ガタンッ!!
急に椅子から立ち上がったメイン俳優に、周囲が驚きの視線を向ける。 ドラマの撮影中、その休憩時間に携帯電話のメールをチェックしていた青年が普段の彼とは全く正反対の荒々しい動きをした事で、彼のマネージャーたる男が慌てて駆け寄って来た。 「どうしたんですか、幽平さん」 「卯月さん……すみません。今日はなるべく早く……できれば今すぐにでも帰りたいんですけど」 「……はい?」 卯月と呼ばれたマネージャーは自社のドル箱である羽島幽平こと本名・平和島幽のいきなりすぎる要望にあんぐりと大口を開ける。 「え、あの。いきなりどうして」 「親戚が、何年も会ってなかった親戚がこちらに来たもので」 すごく会いに行きたいんです、と口角一つ持ち上げる事なく、つまりは感情が表面に現れない状態で幽平が淡々と告げた。しかし長年彼のマネージャーを勤めてきた卯月には――なんとなくではなるが――解る。これは本気だ、と。 卯月は幽平に向かって笑みを浮かべた。 「解りました。これからちょっと交渉に行って来ますので、幽平さんはもう暫らく待っていてください」 自社のドル箱の機嫌を損ねたくないからだけではない。滅多に我侭を言わない幽平が珍しく願った事を、まるで兄や親のような気分で叶えてやりたくなったのだ。 卯月のその言葉に幽平はやはり無表情のまま頷き、「お願いします」と頭を下げる。それをくすぐったく思いながら卯月は責任者の元へと走った。 □■□ 弟に従兄弟の竜ヶ峰帝人が池袋に来た事をメールしてから一時間後。インターフォンが鳴って己のアパートの扉を開けた平和島静雄は、珍しく、本当に珍しく息を切らして立っていた平和島幽の状態を目にして呟いた。 「……お前ほんとに帝人が好きだよな」 「帝人君、どこ。ここに来てるんだろ」 「シズ兄ーどうしたの……? ってユウ兄!?」 静雄の背後――正確には部屋の奥――から顔を出した帝人がこれまた懐かしい呼称を口にする。 その瞬間、静雄が止める間も無く幽は素早く靴を脱いで部屋に上がりこみ、すらりと伸びた両腕で小柄な体躯を抱きしめた。 「ゆ、ユウ兄!? えっと、久しぶり?」 「帝人君だ……。どうしたの? 池袋へは遊びに来た? だったら俺の所に直接連絡してくれれば良かったのに」 「いやいや、俳優業で忙しいユウ兄に連絡って、そんな畏れ多い。あと僕は遊びに来たんじゃなくて、こっちの高校に入学したんだ。だから最低三年間は池袋在住って事になるよ」 「じゃあこれから三年間は帝人君を補給し放題……」 「意味が解らないよ、ユウ兄」 「おい幽。そろそろ離れろ」 暫らく弟と従兄弟の会話を眺めていた静雄だったが、自身の怒りメーターが溜まり始めているのを察してベリッと二人を引き剥がした。そのまま弟は放置、従兄弟を腕の中に抱え込んで部屋の奥に戻る。 「兄さんずるい」 「ずるくない。お前もさっさとこっち来て座れ」 静雄はそう答えながら帝人をクッションの上に下ろし、冷蔵庫を開けて2リットルと1.5リットルのペットボトルを取り出した。片方は中身が半分ほど減ったミネラルウォーター、もう片方がまだ口を開けたばかりだと判るオレンジジュース。そしてクッションに座っている帝人の前には僅かにオレンジ色の液体が残ったコップが置かれている。 「兄さんだって、ほんとに帝人君が好きだよね」 自分は飲まない物を、ほんの一時だけ家に来ている人間のために買ってくる。それが当たり前にできるというのは、つまりそういう事なのだろう。 弟の指摘に静雄は一瞬口篭り、帝人を一瞥してから「まあな」と答えた。 ついでにガラスコップを一つ手に取りミネラルウォーターを注ぐ。形式的にどちらがいいか問いかけるのもアリだったが、幽ならこっちだろうと判断して。それを終えたら次は帝人の前に置かれたコップにオレンジジュースのペットボトルを傾ける。 すると、二人の会話や静雄の動作を眺めていた帝人が唐突に口を開いた。 「僕も好きだよ。シズ兄とユウ兄の事」 ごく自然に、その言葉は静雄と幽の中に浸透する。 ジュースを注ぎ終えた静雄はペットボトルの蓋を閉め、ぐしゃぐしゃと黒髪を撫で回した。目元も口元もばっちり緩んでいるのを自覚していたが、今更引き締められるとは思えない。 ちらりと弟を一瞥すると、普段から無表情が張り付いている整った顔に今は静雄のを控えめにしたような笑みが浮かんでいる。 帝人もそれに気付いたのだろう。嬉しそうに両目を細めて二人に告げた。 「これからはいっぱい会おうね」 「ああ。会ってなかった分、しっかり取り戻せるくらいにな」 「俺も、たくさんたくさん帝人君に会いに来るよ」
ハロー、マイディア
「って言うか、もういっそ兄さんと帝人君が一緒に住んじゃえばいいと思う。本当は俺のマンションに住んで欲しいけど、俺、帰って来られない事がかなりあるし。あとマスコミの張り込みとかもあるから」だったら少々不規則とは言えきちんと帰宅してる静雄の部屋に二人で住めば、自分は会いに行きやすいし、兄は精神的に満たされるだろうし、従兄弟は一人暮らしよりもぐっと安全になるだろう。 そう提案してきた弟を静雄はじっと見つめ、 「それ採用」 「え、ちょ。シズ兄!?」 「という事で、帝人君。早速これから荷物取りに行こうか」 「ユウ兄!?」 「帝人、住所何処だ?」 キョロキョロと二人を交互に見て戸惑う帝人を静雄は半ば強制的に立ち上がらせる。 帝人は本当に嫌ならはっきり嫌と言える人間だから、これは彼の許容範囲に入っているのだろう。完全な否定が帰ってこなかった事に胸の裡でこっそり安堵しながら、静雄は二人を伴って部屋を出た。 その後、池袋駅に近いとあるボロボロなアパートにて。 帝人の四畳半の新居を目にした平和島兄弟は、片方は頬を引き攣らせながら、もう片方は無表情のまま同じ事を口にした。 「「俺(兄さん)の部屋に住みなさい」」 「……は、はい」 うっかり同棲スタート。 あと卯月さんは捏造100%です。 |