「ねえ、帝人君。俺の物になっちゃってよ」
「臨也さんがその両目をくれるって言うなら考えます」
 突発的な要望に答えた声は普段となんら変わらない音程を保っていた。いや、あえて正確に言うならば多少冷静すぎる感はあったが。
 来良の校門前で帝人を(無断で)待ち伏せ、今は彼のアパートまでの道を一緒に歩いていた折原臨也は、淡々とした返答を耳にして僅かに歩調を遅らせる。
「臨也さん?」
 どうかしました? と足を止めて振り返る帝人。その顔に先程彼自身が告げた言葉の猟奇性は微塵も浮かんでいない。
 しかし。
「……ああ、両目だと生活が不便になってしまいますね。だったらこうしましょう」
 振り返ったままニコリと笑い、帝人は唖然とする臨也の片方の眼を指差した。
「片目なら、ずっと傍にいてあげます。傍にいるだけですけどね。でもただ突っ立ってるっていうのもアレですから、臨也さんのお仕事を手伝うのも面白いかもしれません。そして両目なら、僕の事を好きにしてくださって構いませんよ。でも殺すのだけは勘弁してくださいね。折角両目を手に入れても観賞出来なくなってしまいますから」
 一体何なのだろう、この少年は。
 『普通』、『平凡』、『日常』、エトセトラエトセトラ。彼を表現する単語は数あれど、そのどれもに今の彼は当て嵌まらない。確かに彼はダラーズという巨大な組織の創始者であるけれど、無名の創始者は己の創造物を上手く扱う事が出来ないでいた。単純な司令を出す事しか出来ず、だから臨也のような人間に利用されてしまう。ただそれだけの存在だったのに。
 臨也が戯れで言った言葉にこの少年は何と返してきた?
 日常の中に紛れ込んだこの異常性は臨也の予想し得ない物だ。嫌な汗がじっとりと背中を濡らす。
「帝人君、俺と会わない間に何かあった…?」
「何かって何ですか。変な臨也さん」
 くすくすと笑いながら帝人はこれが己の通常通りだと答える。
「それで、どうします? 僕はあなたの眼球をいただけるんでしょうか。それとも」
 カツ、と足音を立てて帝人が臨也に一歩近付いた。
 間近でその瞳を凝視して臨也は今更ながらに帝人の纏う空気が自身の記憶の中にあるそれとは全く異なっている事に気付く。だが気付いたところでもう遅い。彼は変わってしまい、自分はそれに気付けず、今こうして不可思議な問い掛けを突きつけられているのだから。
 それとも、と言葉を切っていた帝人はまるで臨也のぐるぐる回る思考を察知したかのように、口の端を持ち上げて笑みを深める。そして、
「臨也さん、あなたは僕を諦めるんですか?」



□■□



 ある情報屋がある高校生にある誘いを持ち掛けてから一月ほど後の事。
 池袋の自動喧嘩人形こと平和島静雄は「最近あの童顔の後輩を見かけなくなったなぁ」と思いながら雑踏の中を歩いていた。無意識に煙草のフィルターを噛んでしまっているのは、頼りない印象の少年を心配しているから、なのかもしれない。
 とそんな時。彼がおそらく世界で一番気に入らないであろう人間が視界の端を掠め、静雄は反射的に近くのガードレールをまるで紙のように素手で切り取った。それを大きく振りかぶって、
「いーざーやーくぅぅぅううん!!」
 ガゴンッ! と投擲した元ガードレールが離れた地面に突き刺さる。が、静雄の攻撃目標にされた人影は飄々とした雰囲気を纏いながら少し離れた所に立っていた。
 黒のコートを翻し、折原臨也は「うわぁ」とわざとらしく苦笑いを浮かべる。
「シズちゃんってば本当に野蛮なんだから。敵意を表すにしてももうちょっと言語能力を発達させてからにしてくれないかなぁ」
「テメェその呼び方はすんなって言ってるだろうが! 俺には平和島静雄って名前がちゃんと……」
 今日こそ殺してやるという勢いで臨也の方に近付いて行った静雄は、はっきりと視認出来るようになった相手の姿を―――正確にはその右目を覆う物に気付いて言葉を切った。
「はっ、いい気味だな。手前を恨む奴にでもやられたか?」
 久々に見た折原臨也の右目を覆っていたのは真っ白な眼帯。情報屋という職業と臨也の性格は他人から恨みを買いやすく、それが積もり積もってとうとう奴に一矢報いた者が出たのか、と静雄は思った。その一矢報いた架空の人物に賞賛を送りながら次の攻撃のため道路標識を適当な長さで捩じ切る。
 と、眼帯の存在に気付いてから臨也を嘲り次いで標識を構えるまでの時間、あのお喋りな折原臨也が一言も発しない事に違和感を覚えて静雄は首を傾げた。そして、相手を注視して―――
「……ッ」
 ぞっとした。
「なに、笑ってやがる……」
 折原臨也は笑っていた。それはそれは嬉しそうに。
 静雄をからかう時とは違う、“うっとり”でも表現すべき笑みだ。口と頬と一つだけの瞳を最大限に使い、これ以上無い幸福の中に身を浸しているのだと全身で語っていた。
「いいでしょ、これ」
 己の右目を指差し、臨也は微笑む。
「とても素晴らしいものと交換したんだ。いやあね、最初は俺自身もどうしてそんな交換条件を飲んじゃったのか解らなかったんだけどさ。実際に交換してみて解ったよ。わらしべ長者の短縮版とでも言うの? とにかくこの片方の眼だけじゃ釣り合わないくらい素晴らしいものを手に入れたんだ」
 臨也は欠けた己の片目を誇るように両手を広げて大仰なポーズをとる。
 そんな相手を正面に据えて静雄は腹を立てるのではなく、ただひたすら嫌悪感を覚えた。怒りに任せて今右手に握っている標識を相手にぶつけるよりも、今すぐこの場から消えて欲しい、でなければ自分がこの場から去りたいと。そして本能的に悟る。元から他人より大事な線が一本も二本も切れた行動をする人間だったが、相手は最早それで収まりがつかない境地に達してしまったのだと。
 静雄が沈黙したのをこれ幸いとばかりに、臨也は更に『自慢』を続けた。
「片方の眼をあげる代わりにずっと一緒に居てくれるって。だから今は一緒に新宿に住んでんだけどさ、仕事も手伝ってくれてるんだよね。あんなクソみたいな事をあの子にさせるのは忍びないとは思うよ。でも一応それで飯食ってる人間だから辞める訳にもいかないし。それにあの子が完璧に仕事を覚えたら、俺、全部あの子に任せようと思ったんだ。そして俺は残った左目も捧げて、今度はあの子の全てを貰い受ける。ね? すっごく良いアイデアだと思うだろ?」
「……手前の眼球が対価か。随分と悪趣味な奴なんだな、そいつァよう」
 臨也が言う『素敵なもの』が人である事を察した静雄は吐き捨てるようにそう言った。同時に、持っていた道路標識をその場に放る。
「まあいい。興が冷めた。見逃してやるからさっさとそいつの所にでも帰りやがれ」
「あ、そう? じゃあ帰らせてもらうけど」
 珍しい事があるもんだ、と臨也が片眉を上げるが、静雄はそれに何の反応も返さない。さっさと帰れノミ蟲、と心の中で唱えるばかりだ。
 臨也はくるりと反転し、ひらひらと手を振りながら静雄に背を向けて歩き出す。その後姿がやや浮き足立っているのは彼が本心から『あの子』とやらの生活を楽しんでいるからなのだろう。また折原臨也などという生き物と好んで暮らすなど、その人物も大概異常な奴に違いない。
「あ、そーだ」
 早く帰れと呪いのように唱えていた静雄だったが、その願いも虚しく、臨也がピタリと足を止めて再びこちらを見た。彼は未だ笑っていたが、今度の笑みは“うっとり”ではなく、通常通りの静雄をからかうような胸糞悪いそれだ。しかし静雄がその笑みに対して行動を起こす前に臨也は「俺からシズちゃんに勝利宣言!」と叫んだ。
「シズちゃんも俺みたいに赤い眼だったら良かったのにね! そしたら眼球と引き換えにあの子を―――帝人君を手に入れられたのにさ!!」
「なっ!?」
「じゃあねー!」
 臨也の姿が人ごみの中に消える。それを、静雄は追う事が出来なかった。
「竜ヶ峰が…?」
 信じられない。信じたくない。あの穏やかな空気を持った子供が、そんなまさか。
 混乱する思考を抱えながら、しかし静雄の手は無意識のうちに己の片目を覆っていた。
「俺の眼が、赤かったら……」
 呟いたその言葉の意味を、平和島静雄は、まだ知らない。







collection

(ガラスケースに真紅の眼球を)







たぶん6巻以降の帝人様。(※書いた人はまだ1巻までしか読めていません)
恋愛感情を抱く以前に、ここの帝人様は臨也さんを『人間』ではなく『観賞対象(芸術品)』として見ているような……。
なので臨也さんオチですが、×ではなく→で。