百花繚乱 08
(竜ヶ峰帝人)
今日は平和だったなぁ。 六時間目――本日最後の授業――の終了を告げるチャイムが鳴る。スピーカーから流れるその電子音を聞きながら僕はキシキシと椅子の背に体重を預けた。 今朝は折原君と一緒に家を出て学校に向かった。折原君はあまり乗り気じゃなかったようだけど、そこは僕も一応は教師なので、何だかんだ言いつつ出発させる事には成功。あとは目的地が一緒なんだから問題無い。道すがら今日くらいは今回のことを反省して大人しくしていなさいと言ったんだけど、今日一日の静けさはそれが功を奏したのかもしれないな。 何せこの学校で一番の騒音の原因は折原君と静雄君の喧嘩なんだから。しかも静雄君は元々暴力が好きじゃないタイプで、けれど折原君がちょっかいを出すから力を揮わずにはいられない。イコール大騒動。つまり折原君が大人しくしていれば大体の揉め事は起こらないという事だ。まあ、折原君が絡んでるから起こらない問題ってのも少なからずあるんだろうけどね……それでもホラ、やっぱりあの二人が引き起こす騒動と比べると、他の物事は小さく見えてしまうから。 問題児二人の顔を脳裏に思い描いてくすりと笑う。 確かに彼らはなかなかに厄介な人間なんだろうけど、僕がこの高校に赴任してからの短い期間の中でも彼らの賞賛すべき所は沢山見つける事が出来た。静雄君は素直でいい子だし、折原君も……えーと、素直、ではないな。あれは何て言うんだろ。今はちょっと表現するための言葉が見つからないんだけど、うん。とりあえず悪い子ではないよね。たぶん。 なんていう風にこの高校を代表する問題児達の事を考えていると――噂をすれば影、ではないけれど――保健室の扉が開いてよく知った人物が顔を出した。 「っす。竜ヶ峰先生、二日ぶりです」 「平和島君、いらっしゃい」 扉はまだ開いているので苗字呼び。静雄君が扉を閉めていつもの定位置に腰掛けたところで口調を変える。 「その顔、ごめんね。心配掛けたかな」 「他の先生に聞いたら体調不良だって……。大丈夫なんすか」 「ああ、うん。それなんだけど―――」 この二日間、折原君の件を片付けるために学校へは体調不良という理由で有休届けを出していた。まさか馬鹿正直に折原臨也の厄介事を片付けてきますなんて言えないしね。あらかじめ本当の理由を教えていたのは同僚の正臣だけ。だから勿論生徒が僕の休みの理由を知りたがっても、表向きの答えしか出て来ないだろう。まあ、保健室の先生が休む理由をわざわざ気にする生徒なんてのも少数だろうけどね。静雄君は僕とよく話すから気に掛けていてくれたんだと思う。本当にいい子だ。 さてさて。そんないい子の静雄君だけど、本当の理由は話しておくべきかな? でもわざわざ彼が嫌いな折原君の話題を出すのもねえ……。それに体調不良より厄介な事態になってたって話すのも、要らぬ心配を掛けそうで気が進まない。やはりここは本当に体調不良だったという事にしておいた方がいいのかもしれないな。 ってな訳で、僕が身体の方はもう大丈夫だよ的な事を言おうとした時。 「みっかどせんせー!!」 ガラッと扉が開いてスタッカートがつきまくりの声が飛び込んでくる。 その人影が纏うのは黒い短ランと赤いシャツ。今朝僕と一緒に家を出たあの姿だ。 「……折原君、保健室に入るときは静かにしましょうね」 折原君が来てしまった。いや、別に彼が保健室に来る事そのものが悪いってんじゃない。悪いのはタイミング―――静雄君と鉢合わせしてしまった事に他ならない。 早くも頭痛を感じ始めた僕の目の前でガタンッ! と静雄君が椅子から立ち上がる。 「てめぇノミ蟲!?」 「あ゛? なんでシズちゃんがここにいるんだよ」 「それはこっちの台詞だ! っつか『帝人先生』って何だよなんつー呼び方してんだ死ね死ね死ね今すぐ死ね!!」 ほら始まった。 静雄君はさっきまで自分が座っていた椅子に手を掛けていつでも投擲準備OK。折原君も……一体何処から出したんだろう。折り畳み式のナイフを慣れた手つきで構えている。 別にさ、僕にこの二人の諍いを止める権利も理由もないんだけどね。それは僕や全く無関係な他人に迷惑がかからないって事を前提にさせていただきたい。そして現状、この二人が居るのは保健室。幸いな事にベッドで休んでいる生徒はいないけれど、この部屋には壊されちゃ困る物が沢山ある。 「はいはい、そこまでー。元気なのは結構だけど、喧嘩は余所でやってください」 パンパンと両手を打ち鳴らして二人に注意を向けさせ、それだけ告げて扉を指差す。やるなら外でやれ。 「もしくは折原君、家の事もあるでしょうからさっさと帰った方がいいかもしれませんね。そして静雄君、心配掛けてごめんね。また明日にでもゆっくり話そうか」 「ちょっと待って帝人先生! なんでシズちゃんだけ下の名前で呼んでんの!? しかも口調まで違うし!!」 あ。しまった。 折原君とは二日間(実質的にはもっと短いけど)一緒にいたから油断してたみたいだ。折原君本人に対する呼び方や言葉遣いはまだ教師としての物を保てていたけど、静雄君に対するそれは慣れた口調の方が飛び出していた。 なんでなんで!? と騒ぐ折原君。僕が何を言おうか迷っていると、静雄君が先に口を出した。マズイと思っても彼らは止まらない。 「うるせぇノミ蟲。さっさと帰れ。むしろ死ね!」 「うるさいのはシズちゃんだろ! 死ね死ね言うならシズちゃんが死になよ!!」 「あぁん? つーか手前は端からお呼びじゃねーんだよ。なに性懲りも無くここに来てやがる。竜ヶ峰先生に迷惑かかんだろうがよぉ! さっさと帰れ!!」 「迷惑ぅ? 迷惑ならうるさいし物壊すし、シズちゃんの方が迷惑に決まってるだろ。ねー帝人先生!」 「あ、てめぇこら竜ヶ峰先生に近付くんじゃねえ!!」 バキィ! と嫌な音が聞こえた。発生源は静雄君が掴んでいた椅子で、真っ二つに折れ曲がっている。かと思ったらついに投擲されてしまった元・椅子。的となる折原君が避けて怪我人の発生には至らなかったけど―――あああ。扉が。保健室の扉がなんだかエラい事に。 徐々に壊れていく保健室を机のすぐ傍に立って眺める。仕切り用のカーテンが破れ、壁にナイフが突き刺さった所で僕は深く、それはもう深く溜息を吐いた。 そして右手を大きく振りかぶり―――ダンッ!!!! と机に打ち付ける。 「「………………………」」 室内が一気に静まり、二人分の視線がこちらを向いた。 金髪の彼は信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開き、黒髪の彼はやってしまったという焦りの表情。けど今更気付いたって遅いんだよ。僕はその前に言ったんだから。喧嘩なら余所でやれって。 「平和島静雄、折原臨也」 「「……はい」」 自分でも全く感情の無い冷め切った声で名前を呼べば、息ピッタリで緊張した声が帰ってくる。 でもね、許さないよ。 僕はニコリと最上級の笑みを浮かべて再び扉を指差した。 「二人ともさっさと出て行きなさい」 「「はい」」 □■□ (岸谷新羅) あれ? 臨也と静雄……? 二人揃って保健室から(大人しく)出て来るなんて、明日は空から槍でも降ってくるのだろうか。 なんて思いながら廊下のずっと向こうにいる友人達の姿を眺める。 一瞬前まで保健室の中から静雄が暴れてるのが丸判りな破壊音が聞こえてきたから、とうとう今年の養護教諭もリタイアかなぁと思ったんだけどね。どうやらそんな事にはなりそうにないらしい。大人しい、というか項垂れている二人を見ると、ちょっと信じがたいがそう感じてしまう。 それはさて置き、二人揃って保健室にどんな用事があったんだろう。静雄が用も無く保健室にちょくちょく行ってるのは気付いてたけど、臨也まであの部屋を訪ねる理由もその現象自体も僕は知らないなぁ。興味はあるけど……今はやめておこう。この瞬間はなんだか雰囲気が違うけど、どうせあの二人の事だ。すぐにいつも通りの喧嘩が勃発するに違いない。 「シズちゃん殺す」 「ノミ蟲死ね」 ほらね、始まった。 二人同時に相手を呪う言葉を吐き出して、静雄が臨也に掴みかかり、臨也はそれを避けて静雄から距離を取る。ああでもなんか、二人とも今日はこの場で戦闘続行って訳じゃなさそうだね。保健室の方に被害が行かないよう徐々にその場から離れているみたいだ。 俺はしばらくの間、保健室から離れるに連れて(主に静雄の攻撃が)激しさを増していく友人達を眺めていたが、やがて踵を返して家路についた。なんたってもうそろそろ我が愛しの彼女が仕事を終えて家に帰ってくるはずだからね!! 第一部(出会い編)終了。 (2010.05.30up) |