繚乱 07
-C part-






(折原臨也)

「……すごい」
 並べられた料理を前に帝人君が目を瞠った。思った事が勝手に口から外へ出てしまったようなその言い方はとてもシンプルで、だからこそ本当にそう思ってくれているんだと解る。
 嬉しいような、恥ずかしいような。むず痒い気分を払拭するため、俺は先に席に着いて立ったままの帝人君を促した。
「先生、冷める前に食べちゃってよ」
「あ、はい」
 ガタガタと椅子を鳴らして帝人君が席に着く。
 生ハムとレタスのサラダ、玉ねぎとベーコンが入ったミルク風味のスープ、鶏肉としめじのパエリア、そしてメインは牛ヒレ肉のワイン煮。ちなみにこれらの材料の半分くらいは帝人君の家に元々あった物だ。全部買ったとしても二人分だからそんなに量はないと思うけど、金額はそれなりになってくるだろうしね。俺が半分払うとしても残り半分は相手持ちになるのだから、その辺も一応考えるべきだろう? まあ実際は俺の分を払おうとしたら拒否されたんだけどさ。
 買い物から帰って来た帝人君が再びパソコンに向かっている間、俺は現在帰宅禁止中の自分の家と似たり寄ったりなキッチン設備を借りてこれらを作り上げた。
 正面に座る帝人君を眺めていると、彼はそわそわと料理の皿を順番に眺めている。どうやら何から手をつけようか迷っているらしい。キョロキョロと視線を動かすその仕草がどことなく小動物っぽくて、くすりと笑ってしまう。
「……? どうかしました?」
「何でもないよ。……ああ。どれから食べようか迷ってるなら、まずはメインから行っちゃってくれない? それ、自分でも上手く出来たと思うんだよね」
「じゃあそれで」
 にこにこと笑いながら言って、帝人君がメインの更に手を伸ばす。俺はスープを一口。うん。かなり簡単な作り方なんだけど、それなりの味にはなってる。
 大皿から小皿に取り分けた帝人君は更にその小皿の中で肉を一口大に切り分けてから口に運ぶ。途端、俺は彼の双眸がふにゃりと細められるのを見た。
「おいしー」
 それはきっと独り言だ。だから俺は別に帝人君のその言葉に対して何かを返す訳でもなく、こちらはこちらで黙々と食事を続ける。けれどまあ何て言うか、その……嬉しかった。
「折原君」
「な、なに?」
「すごく、おいしいです」
「……あー、うん。なら良かった」
 何だこれ。いつもの調子が出ない。
 心臓はバクバクいってるし、口も身体も動きがぎこちないし、自分で自分が解らなくなる。
 俺はこの人に一泡吹かせようと、この人を泣かせてやろうと思っていたはずなのにさ。そのためにやり過ぎて危機的状況に陥っちゃったのに、ねえ。どうしてだろう。
 帝人君と共に過ごすこの時間がまったく不快じゃないんだ。
「折原君? どうかしましたか」
 言葉も箸も止めた俺を訝って帝人君が覗き込んでくる。
「なんでもないよ。ほら先生、細いんだからもっと食べないと」
「細いって……そんなに細くないですよー」
「いやいや、先生はもうちょっと肉つけなきゃダメだね」
「そうですか?」
「うん」
 とても穏やかな会話だった。
 嗚呼、と胸中で独り言つ。
 きっとこの人は鏡なんだ。俺が最初から悪意を持って帝人君に接したから帝人君もまた俺に冷たい面を曝け出した。けれど今は俺がそんな悪意を持たずに向かい合っているから帝人君も笑ってくれる。
 俺がそう自覚した直後―――
 RRRRR……と電話の着信音。帝人君の携帯電話からだった。
「食事中にすみません」
 すぐにそう言い、帝人君が席を立つ。
 さっきまでの穏やかな空気はもう無い。それがとても残念で、俺は帝人君の行動とその電話が俺のためのものであると理解しているにも拘わらず、帝人君との時間を邪魔した着信に酷く苛立っていた。


 結局、帝人君にかかってきた電話はそれほど長いものでもなく、夕食はすぐに再開された。食事が終わると帝人君はまたパソコンに向かい合っていたが、今日はバスタブに湯を張った風呂にもきちんと入り、日付が変わる前には寝る準備まで始めていた。
 作り付けの収納スペースから毛布を取り出してきた帝人君を見て、俺は。
「ちょっと待って帝人先生。先生は一体どこで寝るつもりなのかな」
 昨日は俺が帝人君のベッドを使い、帝人君本人は寝ずにパソコンと携帯電話を相手にしていた。その流れで帝人君は今晩も俺にベッドを譲る気でいるのだろう。だとしたら帝人君はどこでどうやって寝るつもりなんだ?
「どこって……寝室は折原君に使ってもらいますし、僕はこっちで適当にしようかと」
 いや、あのね。「それのどこがいけませんか?」みたいな顔して言うのはやめてくれないかな。このマンションを借りてるのは帝人君だろうに。しかも俺は帝人君に匿ってもらっている身。だったら俺の方が色々と譲るべきじゃない?
 そう言う意味合いの事をつらつら並べ立ててみたんだけど、帝人君はそれでもうんと頷かない。
「だってそうすると折原君がベッドを使えなくなってしまうじゃないですか」
 こっちはそれで良いって言ってるんだけどねえ。なんだろ、帝人君って意外と頑固なの?
 他人を床に寝かせるつもりはありませんっていう気概バリバリの視線を受けつつ、どうしたものかと思案する。ベッドはセミダブルのが一つだけ。帝人君が取り出してきたのは毛布一枚。それを持ってる帝人君は成人してるくせに細く、小柄だ。ついでに俺も小さくないけど大柄な訳ではないし、どちらかと言えば細身なタイプだろう。
「……よし」
 いい事を思いついてニコリと笑うと、それを目にした帝人君が訝しげな顔をした。はいはい、大丈夫だから。帝人君の望み通り、俺は床で寝たりしないよ。ちゃんとベッドで寝るって。
 でもさ。
「先生、」
 ベッドの傍に立っていた俺は帝人君の腕をぐいと引っ張って真っ白なシーツの上に落とした。勿論衝撃は最低限になるように。「え、えっ?」と状況が飲み込めず目を白黒させている帝人君はちょっと可愛い。
「ちょ、折原く……」
「先生ごめんねー。少しそっちに寄ってくれる?」
「はい? あの折原君、一体何して」
「そりゃ勿論、先生は俺を床で寝かせたくなくて、俺も先生を床で寝かせたくないんだからさぁ」
 言いながら、俺は帝人君の横のスペースに潜り込む。
「俺と先生が一緒に寝ちゃえば万事解決だと思うよ?」
「え……う、わ」
 帝人君は「何それ」みたいな顔をしてベッドから抜け出そうとしたけれど、そこはすかさず腕を伸ばして引き止める。どうやら俺の方が腕力はあるみたいで、帝人君は呆気なく再びベッドに沈んだ。
 おっと、その伊達眼鏡は外しておこうね。
「折原君!」
「先生、もう寝なよ。俺が来てから一度仮眠を取っただけだろ? それじゃあ身体壊すよ」
「だからって別に僕はベッドじゃなくても……!」
「床で寝るよりは熟睡出来ると思うけどね。という訳で、はいお休み」
「わ、ぷ……」
 半ば抱きしめるような形で帝人君の動きを制する。オプションでポンポンと背中を叩いてあげたら「ふざけてるんですか」と険の篭った声で言われたのですぐに止めてしまったけれど。
「折原君、これじゃあ君の寝るスペースが狭すぎるでしょう?」
「まだ言う? それじゃあこうしようか。俺は先生と一緒に居た方が安心して眠れるよって」
「嘘はやめてください」
「嘘じゃないよ」
 即座に言い返し、少しだけ腕の力を強める。ふわり、と石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。
「先生からいい匂いがする。それにあったかい」
「お風呂に入ったばっかりですから。と言うかそれ、男子高校生が言う台詞じゃありませんよ。やる事でもありませんしね」
「まあ先生も規格外の先生なんだからいいんじゃない?」
「いいと言える理由がわかりません……」
 はぁ、と溜息が一つ。呆れているようだけど、嫌がってる感じはない……かな?
 たぶん帝人君も相当疲れているんだろう。だから俺と一緒だけどようやくベッドに寝転がる事が出来て身体が安堵しているんだと思う。
 なんて考えているうちにこっちにも眠気がやってきた。捕まえたままの帝人君の体温が温かくて、徐々に瞼が下がり始める。思考も……嗚呼。落ちてきてるな、これは。
「折原、君?」
「ねむい。…………おやすみ、せんせい」
 きっと文字にすれば平仮名ばかりになるであろう気の抜けた台詞を吐いて俺の瞼は完全に閉じられる。
「…………しょうがないなぁ」
 その寸前、帝人君のそんな声が聞こえたような気がしたけれど、口調が違ってたし聞き間違いかもね。








(2010.05.25up)