百花繚乱 07
-B part-
(折原臨也)
翌日。俺が目を覚ますと、カーテンの隙間から覗く太陽はかなり高い位置まで昇っていた。学校は既に始まっている時間だろう。 目覚めた直後は見覚えの無い天井にぎょっとしたが、すぐに昨夜(と言っても日付は今日だけどね)の事を思い出して落ち着きを取り戻している。ひとまず顔でも洗わせてもらおうかと、扉を開けると――― 「おはようございます。折原君」 「…………。先生、あれからちゃんと寝たの?」 テーブルにノートパソコンと携帯電話(なんか幾つも見えるんですけど)を広げて作業を行っている帝人君がいた。ひょっとして昨晩からずっとこのままなのだろうかと思って問い掛けるが、帝人君は「んー?」とあやふやな返答しかしない。 「そうそう。君の着替えを買って来たんです。趣味に合うかどうかは判らないんですけど、少しの間だけですから我慢していただけると幸いです」 そう言った帝人君の人差し指の先には世界規模で店舗を運営している有名服飾店のビニール袋があった。俺が寝ている間に用意したのだろうが。 「……。まずは顔でも洗ってくるよ」 「そうですか。洗面所の場所は判ります?」 「この部屋出て突き当たりの左側」 風呂、トイレ、洗面所が別になっているのも事前情報で確認済みだ。まさかこんな所で必要になるとは思わなかったけどね。 帝人君から視線を外し、洗面所へ向かう。帝人君も俺が背を向けるとまた何らかの作業に戻ったらしく、カタカタとキーボードを叩き始めた。 身嗜みを整えて遅めの朝食(菓子パンだった)を摂り、それから次にする事が思いつかなかったので手近にあった雑誌を捲っていると、 「これで良し。しばらく休憩ー」 パチンッと勢いよくキーを押して、何やら一段落ついたらしい帝人君が椅子に座ったまま大きく伸びをした。 「休憩?」 “終了”ではなく? おそらくは大きな独り言であっただろう帝人君の言葉に反応を返すと、彼はこちらを向いて首を縦に動かす。 「ええ、休憩です。正確には相手の報告待ちですね。それが済んだらまたやる事もあるんですけど……。ひとまず仮眠させてもらいます。折原君はどうぞそのままで。この家から出ないのであれば好きに寛いでくださって構いませんから。外との連絡は控えた方がいいと思いますけどね」 椅子から立ち上がった帝人君は「あとお昼は家の中にある物で勝手にお願いします」と付け足して、若干ふらふらと隣の部屋に消えていった。彼の動きを見るに、やっぱり完徹していたようだ。その事実に若干胸の奥の方が重いような痛むような気がしたが、俺の勘違いだという事にする。 俺は帝人君が消えた扉をしばらく眺めていたが、ふとテーブルに置かれたままのノートパソコンに視線を向ける。使用する人間が寝てしまったので電源はオフ状態だ。またおそらく起動させてもログインするにはパスワードが必要になるだろう。ちょっと時間を使って試せばクリア出来ると思うけどね。 「…………。」 ふらふらと触れる背中が脳裏をよぎり、俺は視線をパソコンから手元の雑誌に移した。 それから三時間後。眠ったおかげでいくらか元気を取り戻したらしい帝人君は軽くシャワーを浴びて再びパソコンに向かっていた。 彼が寝ている間、俺もまたシャワーを使わせてもらい、ついでに小腹が空いたのでカップラーメンを一つ消費した。作ろうと思えばそれなりに凝った物も作れるけど、そんな気分じゃなかったからね。 帝人君がカタカタとキーを叩く音を聞きながら携帯電話で今日のニュースをチェックする。けれどそんなに時間のかかるものでもなく、すぐに終了して手持ち無沙汰になってしまった。午前中に眺めていた雑誌は最後まで読み切ってしまったし、テレビも然程観たい番組がない。 「暇になっちゃいました?」 くすり、と小さな笑い声が聞こえて来て、そちらに顔を向ける。パソコンのキーを叩いていたはずの帝人君がその作業をストップし、意味もなく携帯電話を弄る俺に笑いかけていた。俺のためにやってもらっている事だから非難するつもりは欠片もないけど、俺なんかに構ってる暇なんてあるのだろうか。 そんな思考が顔に出てしまっていたのか、帝人君は微笑を苦笑に変え、テーブルの上にいくつも置かれた携帯電話の一つを手に取った。 「僕も一人で行動してる訳じゃありませんから、相手の返信待ち状態になる事もありますよ。ま、それも場合によっては何時間にもなったり数分で済んだり、色々ですけどね」 「相手って事はダラーズの人間でも使ってるのかい」 「必要な時は、とお答えしておきます。ちなみに今はそれ以外の沢山の方々にも動いていただいてますよ」 「……ああ、そう」 沢山の方々、か。自分がどれほど危ない位置にまで嵌り込んでいたかが解るその言い回しに反論する気力も無い。情報――と言うより人脈かな――を駆使して動くこの人が居なければ今頃俺は本当にどうなっていた事か。あの日の保健室で大見得切って宣戦布告した割にはこんな現状で、なんとも情けなく思った。まあ、だからって素直に感謝の言葉を述べられるかと問われれば答えにくいところなんだけどさ。 「ちなみに今の待機はそれほど時間を食わないはずで……ああ、来ましたね」 帝人君が話しているうちに彼の持つ携帯電話が着信を告げる。デフォルトの単純な音と控え目なイルミネーションが俺達の会話を終了させ、帝人君の意識が電話相手へと向けられた。それをつまらなく思う自分がいて……いや。うん。今のナシで。 訳の解らない妄想兼戯言を振り払うようにパタパタと手を動かす。その動作に気付いた帝人君がどうかしたのかと目線で問い掛けてきたが、こちらが何も言わない気でいるのを察して諦めた模様。電話の向こうにいる相手と会話を続ける。 彼が喋っているのは何語だろう? 少なくとも日本語や英語じゃない。発音の感じ的にはロシア語かな。流石にそっちはまだ俺も修得していなかったから、帝人君が何を話しているのか理解する事は出来ない。始終穏やかな様子ではあるけどね。でもホント、外国語まで出て来る人脈の広さに驚くべきか、それよりもまず俺の尻拭い(ああもう、認めますとも。帝人君がしているのは俺の尻拭いだって)がそんな人間の協力まで必要になる程大規模だった事に今更だが冷や汗を流すべきか。 理解していたはずなのに理解していた以上の事態になっていたらしい事実を推測してうんうん呻っていると、いつの間にやら帝人君の電話も終わったようで、「折原君?」と声が聞こえた。 「どうかしましたか?」 「なんでも、ないよ。それよりどうだったの?」 電話の内容を聞いても良いのか判らなかったけど、会話を続ける程度の軽い気持ちで問う。すると帝人君は俺がさっきのロシア語を全く理解出来ていなかった事に少し驚いた態度を見せ――俺はこの瞬間ロシア語を勉強しようと誓った――、こちらを安心させるような微笑を浮かべた。 「経過良好だそうですよ。たぶん次の連絡は終了報告になってると思います。そしたらまぁ大体はクリアしたって感じでしょうか」 やるべき事はあと少し残ってますけどねー、と続けるだけで帝人君は詳しい事を全く明かさない。しかし俺がその事に対して何らかの不満を発する前に帝人君は椅子から立ち上がった。 「どうかしたの」 「時間が出来たのでこれから買い物に行こうかと思いまして。夕飯のね」 「帝人先生が作るとか?」 「その時間は無いかもしれません。なので出来合いを買って来ますよ。折原君は何か食べたい物ってありますか」 「食べたい物ねぇ」 考えるそぶりをしながら立ち上がったままの帝人君を上から下まで眺める。俺も大概細身だけど、帝人君はそれを通り越して痩せてるよね。そんな人間に健康上あまり推奨したくない出来合いの物を食べさせるって言うのも、ねえ? 加えて、幸いな事に俺は料理が出来る方だ。そして帝人君に後始末を全て任せ切り、更に外出までも禁じられている俺は暇で暇でしょうがない。あとこれは要因のうちのほんの少しを占めるだけだが、何から何まで頼りっぱなしというのはやっぱり癪だった。 と、いう訳で。 「今から俺が言う物メモして」 「え?」 「今日は俺が作るから、出来合いじゃなくて材料の方を買って来てよ」 「良いんですか?」 「良いも何も、俺がさせてって言ってるんだし。ほら、先生。早くメモ用意して」 戸惑う帝人君をそう急かし、俺は今晩の夕食に使う食材を告げてゆく。全てメモし終わった後、帝人君は「じゃあ行って来ますね。折原君の料理、楽しみです」と言って出て行った。その背を見送るのは、うん、まあ正直悪い気分じゃなかったよ。 帝人先生は一応料理が出来ます。 朝は忙しくて(睡眠時間確保優先のため)昼食用の弁当を作る事は滅多にありませんが(笑) (2010.05.24up) |