百花繚乱 07
-A part-
(折原臨也)
あ。マズい。 竜ヶ峰帝人の事を調べて絶対彼に一泡吹かせてやると思っていた俺は、おそらく相当な馬鹿だったのだろう。だが後悔したところでもう遅すぎる。情報を集める最中にやってしまった“大失敗”に気付いて、俺は血の気が引いていく感覚というのを味わっていた。 □■□ (竜ヶ峰帝人) 「はぁ。君は本当に性急過ぎる」 確かに僕だって挑発したけどさ。なんでこんな事になっちゃうかな。 自宅にてネットの海を自由に泳いでいた僕はその異変に気付き、今後の事を思って呆れ半分苛立ち半分に必要最低限の物――携帯電話と財布とマンションの鍵とバイクの鍵、それからヘルメットを“二つ”――を持って部屋を出た。 □■□ (折原臨也) ピンポーン、とインターフォンの音が響く。 学生が一人暮らしをするためのワンルームマンション。その中でも少しばかりランクが上の方にある小奇麗な部屋の中で、俺はその音を聞きビクリと肩を震わせた。時刻は午前零時を過ぎたところ。元よりこの部屋を訪れる人間は殆どいなかったが、それでもこんな時間にインターフォンを鳴らす奴に心当たりなどあるはずもない。 だからこそ、俺は自分でもらしくないくらいに全身を緊張させ、扉一枚向こうに立っているであろう誰かの姿を想像してゴクリと唾を飲み込んだ。 まさか。そんなまさか。もう来たって言うのか? 俺が、やってしまった失敗の所為で。 今回、俺はアンダーグラウンドに潜り過ぎた。今までの調査方法だけじゃ目的の情報はいっこうに掴めなくて、加えて脳裏を過ぎる帝人君の姿。それらに背中を押されるように俺は触れた事の無い奥へまで手を伸ばし―――そして、引き際を見誤った。 俺の力だけじゃ対応し切れない事態が着々と近付いて来るのを感じながら、何もする事が出来ずに己の部屋で身を縮めるだけ。 ピーンポーン。先刻と同じ調子でインターフォンが鳴る。お前がこの部屋にいるのは知っているんだぞ、と静かに脅されているようだった。この扉を開けたら……俺はどうなってしまうのだろう。だから、何か。何か何か何か! 俺に出来る事は!? この事態をやり過ごすための方法は!? 神経は極限にまで張り詰めていた。ピンポーン、と三度目の音。部屋中に視線を彷徨わせた俺はローテーブルの上に置いていた折り畳み式のナイフを見つけてすかさずそれを手に取った。 パチリと刃を露出させ、ゆっくりと足音を立てずに扉の方へ向かう。それから覗き穴で相手を確認すると――― 「帝人、先生……?」 「折原君? よかった。間に合ったみたいですね」 小さな覗き穴越しにその顔がふわりと笑みを浮かべるのを見て、俺はいつの間にか手の中にあったナイフの刃を収納し、ポケットに仕舞う。そしてチェーンロックと鍵を開けて相手を部屋に迎え入れた。 いきなりすみません、と小さく謝りながら入って来た帝人君はなるべく音を立てないように扉を閉め、俺を真っ直ぐに見つめた。穏やかな笑みを引っ込め、真剣な表情で。 「せんせ、」 「君が陥った事態については大体把握していますから。今はちょっと時間がありませんので、必要最低限の物だけ持って僕と一緒に来てもらいます」 「俺……」 「折原君が僕について調べていたから、こうなっているんですよね。その原因として、また一教育者として、今の君を放っておく訳にはいきませんから。ほら、早く」 「……ぁ、はい」 まるで帝人君の言葉に操られているかの如く、俺は素直に頷いて携帯や財布などを集める。その作業が終わったのを確認すると、帝人君は手にしていたフルフェイスのヘルメットを俺に被せてきた。 「これ、は」 「念のため顔を隠すのと、あとバイクを使いますので」 ついて来てください、という言葉に従い、歩き出した帝人君の後に続く。 マンションの外に停めてあったのは黒を基調とした大型のバイクだった。 「先生の、なの?」 「ええ、まあ。知り合いの女性が乗っている奴に少し似せてるんですよ。彼女のバイクはちょっと特殊なんですけどね……。それはともかく、乗ってください」 音を消すために何か特別な処理でも施されているのか、一般的な大型バイクよりもずっと小さな音でエンジンがスタートする。前方の細身の身体に腕を回して、俺は静かに耳を傾けた。 「じゃあ、行きます。しっかり掴まっていてくださいね」 アクセルを吹かし、バイクが走り出す。慣性の法則に従って後ろに引っ張られる身体を、腕に力を加える事で押さえつけてやり過ごした。 帝人君は俺を何処に連れて行くつもりなんだろう。 疑問に思うが、不思議と不安や恐怖は感じない。彼の事を調べるために無理をして、今こんな目にあっているというのに。 顔を覆うヘルメットの中で目を閉じ、自問自答する。しかし答えは得られぬまま、俺と帝人君は目的地に着いていた。―――住所だけなら俺も既に知っている、養護教諭・竜ヶ峰帝人が住まうマンションに。 「今回の事は……まぁ何て言うか、やっちゃいましたね?」 苦笑と共に、コトン、とマグカップが置かれる。こんな時間にカフェインを含む物を出す訳にはいかないからと、二人用のダイニングテーブルの上で湯気を立てているのはホットミルクだ。 連れて来られた帝人君の住まいは、今年二十五になる教師の物としては少々値の張りそうな広めの1DK。賃貸料は月十五万前後だったはずだけど、これはあれかな……副業でもやってるんだろうか、この教師。ま、今はそんな事で頭を悩ませてる暇も無いんだけどさ。 彼が言うとおり、俺は“やってしまった”。おそらくあのまま自分の部屋で悩んでいても、まともな解決策を見つけられずに痛い目を――それはもう痛い目を――見る事になっていただろう。だけど。 「それが解ってるなら、俺を自分の家に連れて来ちゃったのはマズくないかい?」 確かに俺が居場所を移せば多少の時間稼ぎにはなるだろう。しかしそれだっていずれは突き止められる。となると、次に危ない目を見るのは俺だけでなく俺を匿った帝人君自身もだ。なんとなく帝人君の瞳の強さに惹かれて言われるがまま着いてきてしまったけど、今の状況だってあまり良いとは言えないだろう。 そう思って言ったのに、帝人君は彼自身もマグカップに口を付けながら、 「そこはちゃんと考えてますよ」 にこり、と。何の不安も無いと言いたげな表情で微笑んでみせた。 「ま、面倒臭いのに変わりはないんですが。今回だけ特別に、折原君の事はなんとかしてあげます。そうですね……二、三日ここに居ていただきましょうか。その間に片付けますから」 「……はい?」 そんなにあっさり言えるような事態じゃないはずなんだけど。あれだよ? 普通に某自由業の人達とか、その他諸々の人種も関わってくるんだよ? それとも帝人君ってば結構楽観的な性格の持ち主なんだろうか。だとしたら彼についてここまで来た事に対して早くも後悔を抱かずにはいられない。しかもとびきりの、だ。 「そうやって疑いの目をしても、結局のところ君は自分の家にすら帰れないんですから。もう諦めてください」 「諦めるって……」 縁起でもない事を。 こちらが顔を顰めると帝人君は「まあ任せておいてください」と気軽に言って壁の時計を見た。時刻は午前一時過ぎ。 「ああ、もうこんな時間だ。念のため学校は休んでもらいますけど、折原君はもう眠ってください。隣の部屋にベッドがありますから」 「帝人先生はどうするんだい。そのベッドは先生のための物だろう?」 「僕はやる事がありますし、今日はいいですよ。あ、服は明日調達してくるので今日は我慢してくださいね」 さあさあ、と強引に背中を押されて隣の部屋に入る。必要最低限の物だけ設置されたその部屋は学校での帝人君の雰囲気と少し違ってどちらかと言うと殺風景だ。 「……?」 チカチカと小さな灯りが目を掠め、何かと思ってそちらに視線を遣ると、パソコンデスクの上にノートパソコンが鎮座していた。俺と一緒に入室した帝人君はさっさとそちらに向かってパソコン脇に抱え、ついでに長めのLANケーブルを持って部屋を出る。モデムはこの部屋にあるから、きっと隣の部屋でネットに繋ぐのだろう。 「それで何とかしてくれるんだ?」 「これ“も”使って何とかしてみせるんですよ」 こちらの言葉に含ませた棘など物ともせず、帝人君は小さく笑って扉を閉めた。「おやすみなさい。良い夢を」なんて、意趣返しにも程があるんじゃないかな。 ふん、と息を吐いて照明をつけっぱなしのままセミダブルのベッドに寝転がった。静かに耳を澄ませていると、早速隣の部屋からパソコンの低い駆動音が聞こえてくる。更に同時進行で何処かに電話を掛けているらしく、小さなコール音も一緒に。 そんな音を聞いていると……何故だろう。段々瞼が重くなってきた。眠っている余裕なんて無いはずなのに、安心なんてしていい場面ではないはずなのに、凄く気分が楽なんだ。何とかしてみせるんですよ、と笑った顔が脳裏を掠める。 「ああ、九十九屋君? ちょっと手伝って欲しくてさ」 電話が繋がったらしく、扉の向こう側から声が聞こえる。喋っているのは解るのに眠気が限界まで来ている俺の頭はその内容を理解しようとしない。 「はいはい、チャットの方にはまた顔出すから。……うん、頼むよ」 親しげなその声にチリチリと痛みとも熱ともつかない感覚を覚えながら俺は深い眠りに落ちていった。 臨也編、開始。 九十九屋君は情報屋さんです。(登場はこのシーンのみ&名前だけ) (2010.05.23up) |