繚乱 05






(竜ヶ峰帝人)

「折原君は性急だなぁ。これも若さの所為か」
「おいおい帝人ー。なーに年寄りくさい事言っちゃってんの。俺達まだピチピチの二十四よ?」
 折原君が保健室を去った後、ぽつりと感想を告げた僕に応える人間が一人。仕切り用のカーテンを開けてベッドの方から顔を出したのは僕の幼馴染であり同僚でもある紀田正臣だ。
 正臣の気配を隠す術が上手かったのか、それとも折原君の意識が僕だけに向かっていたからなのか、それとも他の理由があるのか判らないが、折原君は正臣の存在に気が付かなかったようだね。
 それにしても、繰り返すが折原君は性急だった。僕に何か思う所があっても、初めての会話でいきなり本題に入る必要は無かったんじゃないかな。まずは当たり障りの無い会話を重ねて、対象となる人間――この場合は僕だね――を観察する事も重要だと思うんだけど。まあ、まだまだ好奇心に負けて先走っちゃう年頃なんだろう。もう少し成長すればそれも落ち着いてくるかもしれない。
「もしもし帝人さん? 俺は完全スルーですか?」
「そんなのいつもの事じゃない」
「ひどっ! もしかしてまだ覚醒モード引き摺ってんの!?」
「その呼び方を止めてくれたら相手してあげる」
「了解っす帝人様」
 わざとらしくビシッと敬礼した後、正臣がベッドから降りて近付いて来る。そして近くにあった椅子を適当に引き摺ってこちらのすぐ傍に腰を下ろした。
「でもさー本当に良かったのか? 折原臨也にダラーズの事とか帝人の事とか教えちゃって」
「あれは僕なりの敬意の表れだよ。それに彼なら放っておいてもいずれは辿り着いていただろうから。それなりに時間を掛けてね」
「むー。そりゃそうだろうけど……」
「なに?」
 僕の言い分を聞いても正臣にはまだ納得出来ない部分があるらしい。唇を尖らせて「俺はさぁ」と続ける。
「帝人が『私』って言ってる時の雰囲気とか、あんまり他人に知られたくねーんだよな」
「変だから?」
「じゃなくて、勿体無いから。そこまでサービスしてやる必要ないってコト。特にあの折原臨也にはな」
「正臣って折原君の事嫌ってるんだっけ」
「嫌いってハッキリ言うほど嫌ってる訳でもないんだけどさ。どうも好きになれないよ、あのタイプは」
「そっか。でもまあ、既に教えちゃった事には変わりないけどね」
「ですよねー」
 ガクリと肩を落とす正臣。「ああ、なんであの時飛び出して行かなかったんだ俺」とか呟きながら項垂れている。ま、本当にそんな事態になっていたとしたら、折原君には別のネタと興味を与える結果になっていたと思うけど。折角僕が正臣の昔の事情も弄ってあげてるんだから、下手な真似は極力避けて欲しいかな。正臣だって折原君のような人間にはあまり知られたくないだろうからね。黄巾賊の事とか黄巾賊の事とか黄巾賊の事とか。
 なんて僕が考えるまでもなく、正臣だって本当はちゃんと解っているんだろう。事実、折原君が来たのを悟ってカーテンの向こうに素早く隠れ、そこから飛び出して来なかったのが何よりの証拠だ。
 僕は苦笑し、項垂れる親友を眺めるついでに壁掛時計を一瞥すると……ああ、もうこんな時間か。
「ほら、正臣。君もそろそろ時間だろ。暇を見つけて駄弁りに来てくれるのは嬉しいけど、君も先生なんだからちゃんと授業しに行かないと」
「ええー。一時間目くらい自習でいいじゃん。だって折原臨也のクラスだぜ? お前が追い返したから今日は朝から教室にいる可能性もあるし」
「そんな事言ってたら真面目に登校して来た子達に失礼だよ」
「じゃあ帝人君がちゅーしてくれたら行く」
「え、何? ごめん今ちょっと正臣の声が聞こえなかったんだけど」
「ボールペン取り出しながら微笑むのは止めてください帝人様! 今すぐ行きますから!」
「よろしい」
 正臣は素早く椅子から立ち上がり保健室を出て行く。その背を見送って再び静寂を取り戻した保健室の中、僕は養護教諭としての仕事を再開した。



□■□



(紀田正臣)

「ヘイ帝人! 保健室で一人寂しく飯食ってるだろう親友のためっ! 紀田正臣、只今参上!!」
 午前最後の授業終了を告げる鐘の音と共に教室を出て保健室に直行した俺は、帝人と昼食を摂るためにガラッと勢いよく扉を開けた。目的の人物である帝人は保健室の端に設置されている机で何か物を書いている。近々実施するっていう水質検査の書類だろうか。
 俺の声でその作業をストップさせた帝人は扉の方、つまりこちらを一瞥して、
紀田先生・・・・、入室の際はお静かに願います」
「……はい。失礼しました」
 や、やっちまった。その冷めた視線が痛いです。
 幼馴染であり一時期離れ離れになりつつもそれなりに付き合いの長い俺達だが、帝人は保健室――つまり今の帝人のテリトリー ――を除く校内で俺がこうして“教師らしくない”態度を取るとちょっと怒る。まあ、元々童顔で威厳に欠ける帝人が生徒にこんな状況を目撃されて更に威厳を失うかもしれないってだけの理由からなんだけど。
 にしても……うーん、やっぱ中に入ってからやるべきだったか? でもそれだと寒い通り越して虚しいし切ないからなぁ……。
「正臣。何考えてんのか大体想像つくけど、結局どっちでもアウトだって先に言っておくね」
「なんだよ冷てえなー。それが親友に対する言葉かね、帝人君?」
「はいはい、冷たくて結構。で、お昼だっけ?」
 サラッと流された……。ま、いーや。
「おう。生徒に混じって食堂ってもアリだけど、今日はどっかに食べに行かねえか」
「あ、それなんだけど―――」
 帝人が何か言おうとしたその時、俺達の背後でガラリと音がした。
 俺と帝人は一緒に保健室の出入口に目を遣り、
「平和島……?」
「ああ、平和島君。いらっしゃい」
 珍しく午前中は一度も破壊音が聞こえなかったにも拘わらず、そこには平和島静雄が立っていた。俺は突然保健室に現れた平和島の姿を視界に捕らえて目を見開き、反対に椅子に座ったままの帝人はその来訪を予想していたと言わんばかりの笑みで相手を迎え入れた。
「どういうこった?」
「ごめんね、正臣。今日は平和島君と一緒にお昼にしようって約束してたんだ。前にクッキーをお裾分けしたんだけど、そのお礼がしたいってお弁当を作って来てくれるんだよ」
「へえ」
 『教師』ではなく『親友』として話す帝人の声は『生徒』である平和島静雄に聞こえないように大分小さく抑えられている。だが平和島が地獄耳なのか、それとも通常通りの声音で相槌を打つ俺に何か思う所があったのか、金髪の問題児はピクリと片方の眉を持ち上げた。
 ほほう、これはひょっとすると……。
 俺はこれでも人の機微に敏い方だ。(『自称』とか言わないでくれよ。)なので平和島の表情の変化を目にして、俺の知らない間に我が親友殿が何かやらかしたんだろうなと思った。いや、何もやらなかったから、とも言えるかな。
 どうせ帝人の事だから平和島静雄が折原臨也との喧嘩の後で保健室を訪れた時にも普通の態度で接したんだろう。去年の養護教諭のように逃げたりせず。しかも帝人はこういう人間や状況に恐れを抱くタイプではないから(むしろ好きだよな、非日常)、にこやかに微笑んだりしたのかもしれない。そんな帝人の態度がこの学校の殆どの人間に恐れられている平和島にとってとても貴重で嬉しい経験だったというのは想像に難くない。
 随分大きなワンコに懐かれたもんだな、帝人よ。
 ああ、あとアレだ。折原がいきなり帝人にちょっかい出してきたのも平和島がこいつと接するようになった所為だな、きっと。今まで何の動きも無かったってのに、平和島が慕ってる人間がいるって事で折原が興味を持っちまったんだろう。
「そういう訳で申し訳ありません、紀田先生。お昼はまた今度ご一緒させてください」
 今度は平和島にもはっきり届くだろう音量で、帝人は『教師』としてそう告げた。
 確かに弁当を持参していない俺が彼らの中に混ざるのは難しい。そんでもって、俺の退場を予感した平和島の顔がほんの少しだけ緩む。これが折原だったら俺も警戒するところなんだが、平和島はアレと正反対の奴だからなぁ。むしろ帝人に向けて好意全開なその態度が可愛らしくもある。
 だがな、いくら可愛い生徒であってもそう簡単に我が親友殿は譲らないぜ?
 俺はニヤリと自分でも性質が悪いと思える笑みを一瞬だけ浮かべて、帝人の両肩に手を置いた。「正臣?」と小さな声で帝人が問う。もちろん童顔フェイスで伊達眼鏡越しの上目遣い。
「どうかした―――」
「帝人の方に予定があるならしょうがない。明日は一緒に飯食おうな」
「ちょ、正臣!?」
「だから今日はこれだけでオッケー」
「……ッ!?」
 平和島に充分届く音量で帝人を親しげに呼び、それを帝人に咎められても綺麗に無視。ついでに帝人の白い額に口づけを落とせば、目の前の親友殿は羞恥で顔を真っ赤にさせた。と同時に、背後でベキッと嫌な音が鳴る。
 振り返ってみれば、案の定。平和島が扉の一部を破壊していた。しかし自覚的な怒りに任せて破壊したのではなく、本人もどうしてその驚異的な膂力を保健室の扉に発揮してしまったのか理解していないようだ。こちらと破壊された扉を交互に眺めて目を丸くしている。
「き、紀田先生! ふざけるのは止してください!」
「はいはいゴメンよー帝人。ま、これも親友からの愛情表現だと思ってくれると俺的にはハッピーよ?」
「ああもう解ったから、早くご飯食べに行ったら?」
「おう。そうするー」
 帝人が己の額を指で押さえながら、怒り一割、驚き三割、呆れ六割くらいでそう言うので、とりあえず俺はこの場を去る事にした。そういや帝人よ、お前最後はいつもの口調に戻ってたの気付いてたか? 気付いてないんだろうなぁ。でも平和島は「ん?」って思ってたみたいだぜ?
 ヒラヒラと手を振って保健室から退場。ただし出入口の方には平和島静雄という細身ながらも強大な壁があるので、俺の出口はこっち―――反対側の、外に通じている窓だ。
「んじゃなぁ、帝人」
「正臣!?」
 完璧に教師としての口調ではなくなった帝人の声を背中に受けながら外へ出る。ほい、着地成功。
 さぁて。この後一体どうなるんだろうねぇ、あの二人は。
 不思議な魅力を持つ親友とこの学校で一・二を争う問題児という組み合わせを思って、俺は笑いを噛み殺した。








紀田先生は竜ヶ峰先生に友情寄りのラヴです。一応。たぶん(たぶん?)

(2010.05.12up)