繚乱 04






(?????)

「おやおや……興味を持たれちゃったみたいだ」
 パソコンを操作しながら静かに呟く。「もう」と言うべきか、それとも「やっと」と言うべきか。どちらにしろ、いずれ彼が私について調べ始めるのは予想していた。が、一体どこまで知る事が出来るのだろう。あの子供に。
 彼はまだ若く幼いが、周囲の人間の弱みを握るだけじゃなく世の中の裏側にも手を出し始めている。情報を集める腕前はそれなりの物だろう。だけど私だってそう簡単にアレやコレやを明かすつもりはない。
 タンッとキーを叩く。パソコンの画面が切り替わり、現れる文字群。それらを流し読みながら、私はこれからの事を思って小さく笑みを浮かべた。
 さあ、お手並み拝見といこうじゃないか。
 君がどこまで行けるのか。全力で向かっておいでよ、一教育者としてしっかり受け止めてあげるからさ。
「だから精々頑張ってくださいね、折原臨也君」



□■□



(折原臨也)

 手に入れたデータファイルをパソコンの画面上に展開させながら眉根を寄せる。写真、文字、グラフ化されたデータ等、様々な情報が表示されたが、それらのどれ一つとしてこちらの興味を引くようなものが無かったからだ。
「面白い事が判ると思ったんだけど……俺の勘違いだったかな」
 ギシリ、と椅子の背凭れに体重を預けて呟く。
 しかしながら――これも調べていくうちに判った事なのだが――あの竜ヶ峰帝人という養護教諭がシズちゃんや俺の話を知らない環境にいたはずがないのだ。どうやったって多少の情報はその耳に届いていたのは確定事項。ゆえに“シズちゃんが何者か知らないからその存在を恐れもせず、彼の養護教諭は保健室から逃げ出していない”という仮説は否定される。
「話は知ってたけど実話だとは思ってなかった…? いや、たとえ最初はそうだったとしても、シズちゃんが暴れてる時の破壊音を何度も聞いてたら現実だと認めざるを得ない。やっぱり知ってるけど恐れていないんだ。でもどうして……」
 調べても調べても、竜ヶ峰帝人は一般人だった。
 高校進学と同時に上京して、そのまま都内の大学へ進み、教師になって今に至る。池袋にやって来る以前からの親友であり幼馴染である少年(勿論今は成人しているが)は紀田正臣と言い、実は竜ヶ峰帝人が来神高校に赴任してくる前から同校で教師を務めている人間だった。また竜ヶ峰帝人が高校時代に好きだった相手は園原杏里という女性で、今でも彼女との交友関係は続いている。
 そんなプライベートなところまで判明したと言うのに、俺が期待したような情報は全く含まれていなかった。彼は本当にただの一般人で、多少人より度胸があるだけなのか。だとしたら俺の勘も鈍ったもんだ。
「……いや、待てよ」
 パソコンを操作して情報を整理。ざっと眺めていただけのそれを――何せひと一人の情報量は半端ないからね――改めて見返す。今度は各情報の繋がりや、それらを合わせた時に浮かび上がってくる人物像その他諸々、ちょっとばかり頭の回転数を上げないと辛くなる作業を続ける。違和感を拾うための作業も並行して。
 そして最後までデータを浚った俺は、ある事に気が付いた。
「あはっ……なんでこんなに“綺麗な”情報ばっかりなんだろうね、竜ヶ峰帝人先生?」
 そうなのだ。どれだけ調べても竜ヶ峰帝人という人間には裏が無い。綺麗な綺麗な一般人。だからこそ可笑しい。どれだけ世間で『一般人』と称される人間でも、多かれ少なかれ他人に秘しておきたい事柄というものは存在する。にも拘わらず、彼にはそれすらないのだ。実に見事な……“異常な”一般人じゃないか。
 これは本格的に面白くなってきたかもしれない。ここまで完璧に一人の人間の情報を秘匿・改竄出来るなんて只者じゃないからね。
 嗚呼、楽しみだなあ! あの人は俺がこの事を知ったと知ったら、どんな顔を見せてくれるんだろう! 勘違いだって教師の顔で笑うんだろうか、それとも俺に本性を見せてくれるんだろうか! 情報を操る能力も凄いと思うけれど、そういう人間性がどんな感じなのか凄く興味があるよ。
 これだから人間は好きだ。意外なところで本当に面白い部分を見せてくれる。
「早く明日にならないかな」
 あなたと会って話がしたいんだ、帝人先生。


 翌日、俺は時間通り登校して教室へ……は向かわず、保健室に直行した。自分のクラスに行ってもする事が無いし、それに下手してシズちゃんなんかと顔を合わせちゃったら大変でしょ? 折角朝から来たってのに意味が無くなってしまう。
 ガラリと保健室の扉を横に開けば、
「あれ? 朝から怪我人ですか? それとも体調が悪くなったり……」
 部屋の端に設置されたデスクに一人の男がいた。写真で見た通り、童顔以外は特筆するところのない凡人。親任式の時、俺はその場にいなかったから、生で見るのはこれが初めてになる。
「おはようございます、帝人先生。俺の事知ってます?」
「確か折原君ですよね?」
「正解。やっぱり俺って有名なんだ?」
「そりゃあ勿論。平和島君との喧嘩も噂になってますけど、加えて『格好良い』って女の子達が騒いでますから。でも本物を見るとその通りだと思いますね」
「先生ってばお世辞が上手いなぁ」
 結構気さくなキャラクターなんだ? ふーん、なるほどね。
 もう俺が怪我人でも病人でもない事は相手も判ってるだろうけど、構わずズカズカと入室する。帝人先生……帝人君は椅子に座ったままだったからそのすぐ傍まで。こちらは起立した状態、相手は席に着いた状態となり、必然的に俺は見上げられる事になる。こうすると更に童顔か強調されるね。
「もうすぐ朝のホームルームが始まってしまいますよ」
「いーのいーの。あんなの出ても意味ないから」
「ですが担任の先生が大切な連絡をする事もあるでしょう?」
「そんなの後で誰かに聞けば済むし。今は先生とお話する方が優先」
「僕に話が?」
「うん、そ。とっても大事な話が」
 俺がにこりと微笑んでそう言うと、帝人君は「うーん」とほんの少し眉根を寄せた。
「お話があるのは解りましたけど、やっぱり僕もこの学校の先生ですからね……ホームルームがあると解っていて折原君を教室に行かせないのはちょっと問題なんですよ。次の休憩時間じゃダメですか?」
「ダメって言うか……」
 それだと俺が早く来た意味がなくなっちゃうんだけど。そう言うのってなんだか凄く嫌なんだよね。こちらの意思が蔑ろにされているように感じる。俺が自分の時間を帝人君のために使おうとしてるんだから、帝人君もそれに答えるべきじゃないかな?
 ああ、そうだ。じゃあこう言ってみよう。
「もし今ここで話をせずに俺が教室まで行ったら、先生の秘密を誰かに喋っちゃうかもしれないよ」
「僕の秘密を? 一体何を言われるんでしょうか」
「先生の事なんだから自分が一番よく解ってるんじゃない?」
 無論、他人に帝人君の秘密をバラすなんてのはハッタリだ。その秘密が完全に隠されているからこそ俺は今、彼を疑っているんだからね。
 けれどとりあえずはハッタリで充分。まず俺を教室に帰そうとする帝人君にこの会話を続行させる事が第一歩であり、それは達成されたからだ。
「僕が一番よく解っている、ですか……。あ、ひょっとして前の学校での失敗談でしょうか? あそこに知り合いがいたり耳聡い子なら知ってるかもしれませんから、もしかしてとは思っていたんですけど」
「それだったらわざわざ俺が脅しに使うはずないじゃん。他の誰も知らない事だから有効活用出来るんだよ?」
「まあ、それもそうですね」
 呟いて、「だったら何でしょう」と顎に手をやって考える仕草をする帝人君。それを眺めながら俺は保健室の出入口とは反対側―――硝子戸が開かれカーテンが揺らめいてる窓の方へと歩き出した。
 もう本題に入ってもいよね? 俺が見たいのは今のあなたじゃない。その裏に隠れているはずのあなたなんだから。
「帝人先生」
「はい? あの、やっぱり何の事なのか解らないんですけど……」
「もうそうやって一般人ぶるのは止めなよ」
 窓を背にした状態で、にい、と口の端を持ち上げて笑みを浮かべる。
 さあ、ショータイムといこうじゃないか。
「俺、先生の事調べたんだ。もうホント凄いね、先生は。どこをどう浚っても疚しいところなんてありゃしない。さっきは秘密をバラすって言ったけど、それは嘘。先生は本当に見事な、見事過ぎる一般人だった」
「……? そりゃあ僕は自分でも面白くないくらい一般人ですけど」
「面白くないくらい、だなんてそんな。“面白いくらい”一般人じゃないか、先生は。ここまで何も無い一般人っての、俺は初めて見たよ?」
「折原君、申し訳ないんですけど僕には君の言ってる事がさっぱり……」
「だからさ、有り得ないって言ってるんだ」
 いつまでも一般人を気取る帝人君に少しだけ鋭い視線を送る。
「先生に関する情報はあまりにも綺麗過ぎるんだよ。繰り返しになるけど、これほどまで汚れ一つ無い一般人なんて可笑しい。だとしたらそれはもう一般人とは言えないと俺は思うね。帝人先生は一般人のフリをした非日常側の人間。本当はそうなんじゃないの?」
 こちらがそう言って一旦言葉を切ると、帝人君はパチパチと数回瞬きを繰り返して、
「なるほど、そう来ましたか」
 最後に目を開いた瞬間、瞼の奥から現れたのは冷たく冴え渡った双眸だった。
「……ッ」
 ぞわり、と全身に鳥肌が立つ。
 これはこれは、期待以上じゃないか! 帝人君がこんな目をする人間だったなんて!!
「ああ、そう警戒しないでください。別に君を取って喰おうって訳じゃないんですから」
 口調は何一つ変わらない。けれど極限まで冷えた双眸が全てを裏切っている。違和感、なんてもんじゃない。
「へ、え……。それが先生の本性なんだ?」
「本性だなんて大層なもんじゃありませんよ。最初に折原君を迎え入れた『僕』も、こうして今話している『私』も、どちらも同じ竜ヶ峰帝人ですから」
 帝人君はそう言いながら足を組み、組んだ膝の上に頬杖をついてこちらを見据えた。口元には楽しそうな弧を描いて「それにしても折原君はすごいなぁ」と笑う。
「ただ情報を集めるだけじゃなくて、そこからちゃんと考えられる人は意外と少ないですからね。“何も無い”私の情報からここに辿り着いたのは流石です」
「お褒めいただき光栄。ご褒美とかってある?」
「欲しいなら差し上げますけど。何がいいですか?」
「あ、そんなにあっさりくれるんだ? じゃあ先生の秘密を教えてよ。どうやって先生の情報をあそこまで綺麗に出来たんだい?」
 一人の力じゃ無理なんだ。だから帝人君の後ろに大きな物が控えているのか、それとも帝人君の下に大きな物が従っているのか、そのどちらかだとは思うんだけどね。
 そんな俺の考えを付け加えると、帝人君は僅かに目を瞠り、次いで「凄い凄い、そこまで考え付きましたか」と笑いながら拍手を送って来た。
「賢い折原君には大サービスです。ご期待通りきっちりお答えしましょう。……ダラーズ、というものをご存知ですか?」
「カラーギャングでしょ。しかも池袋最大の」
「基本的にネットを介する組織ですから、メンバーは池袋の住人だけじゃありませんけどね」
「ふうん。で、帝人先生もその一員って訳? まあそれなら納得出来なくもないかなぁ。確かダラーズって創った人間もリーダーも不明で最初は全くの自由組織だったのに、七・八年くらい前から“ダラーズを動かす人間”が現れたって話は聞いてるよ。それで巨大組織ゆえの充実した情報網や人員が使えるようになったって。先生に関するデータの改竄もその力を使ったのかな」
「その通りです。いやぁね、まともな職に就きたくて思い切り利用してしまいました。創始者権限で」
「…………。え?」
 いや、あの……今この人、何って言った?
 なんだか物凄く重要な事をさらっと言わなかった?
「創始、者…?」
 帝人君を指差しながら疑問系で呟く。
 すると彼はにこりと笑ったまま己を指差し、
「そう。ダラーズを創ったのは私。最初は遊びのつもりで実際のメンバーを集める予定は無かったんですが……色々ありまして。折原君と同じ年齢の頃にはかなりの巨大組織になっていて大変だったんですよ。軌道修正に取り掛かった時にはひどく辛酸を舐めさせられたりもしましたし……」
 けれどそれも高校を卒業する前に片付けられたので良かったんですけどね、と目の前の人物は簡単に言ってのけた。その話が本当なら、そんなに簡単に済ませていい話ではないはずなのに。
「以来、若気の至りと言うやつの世話を続けている訳です。黄巾賊やブルースクウェアとは違ってメンバーの殆どが創始者イコール竜ヶ峰帝人であると結びつけたりはしませんけどね。それはそれで、また利用方法がありますから」
「あのダラーズの創始者が先生で、しかも若気の至りとか言っちゃう…? どんな神経してたらそんな事言えんの」
「どんなって……こんな神経ですとしか言い様がありません」
 肩を竦めながら軽く、本当に軽く帝人君は言う。こちらを馬鹿にするのではなく、心からそう思っているからこその態度だった。
 嗚呼。なんて奇妙で不可思議で異様で異彩で、そして魅力的な人間なんだろう! 想像以上だ! まさかこの学校でこんなにも面白い人間に出会えるなんて!!
「さあ、これで折原君の望んだお話は終わったんじゃないですか? だったら教室に行かないと。今ならまだ間に合いますよ」
「やだ。俺はもっと帝人先生と話していたい。もっともっと、俺に先生を見せてよ!」
「聞き分けてください。ここは折原君の家でも遊び場でもない、学校なんですから」
「そんなテンションの下がる事言わないでくれる? いくら先生が俺にとって魅力的な人間でも、ちょとイラっとくるんだけど」
「まだ話したいなら休憩時間か放課後にでも来てください。ね?」
「…………。」
 好意的にお願いしても駄目、駄々を捏ねてみても駄目。今後の事も考えてここは素直に退いておくのがベストかもしれないなぁ。本当は嫌だけど、致し方ない。
「分かったよ。じゃあ今回はこれで。……あ。最後に一ついい?」
「いいですよ。私に答えられる事なら」
「今更だけど、どうして俺にそこまで教えてくれたわけ? 俺がその情報を使って帝人先生に都合の悪い事態を引き起こすかもしれないのに」
「そんなの簡単な話じゃないですか」
「?」
 相手のあっけらかんとした返答に思わず疑問符を浮かべる。俺が本当に何かするとは思っていないのかな。自分でも折原臨也と言う人間がそんな善人に見えるとは思っていないんだけど。
 とか考えていたら、俺の情報収集力や分析力を褒めたのは帝人君本人のくせに、それを全く無かったかのように彼はきっぱりと言い切った。
「今の折原君のレベルじゃ、竜ヶ峰帝人に影響を与える事は出来ない。そう言ってるんですよ」
「……へえ。言うね、先生も」
「自分の創った物にはそれなりの自負がありますから」
 これは俺に対する侮辱と受け取っていいのかな? だったら、たとえとても面白そうで興味深い帝人君であろうとも、相手に容赦はしない。これっぽっちもね。
「余裕ぶっこいてたら後で泣く事になるよ」
「あはは。怖いなぁ、折原君は」
 どこまでも穏やかに、しかしその双眸はずっと冷たさを湛えたまま、とても尊大で挑発的な態度を取って彼は笑った。
「まあ、精々頑張ってくださいね?」
「はっ! ホント、イラつく」
 ならばご期待通り、頑張ってあげようじゃないか。








(2010.05.07up)