百花繚乱 03
(平和島静雄)
あの出会いから数日後。 休憩時間中なら遊びに来ても良いと言われたが、それで素直に行けるかと問われれば答えは否だ。怪我でもしてる場合ならまだしも、何も用なんてねえのに保健室を訪ねて「何か御用ですか?」とか言われてみろ。いや、あいつ―――竜ヶ峰だったら笑って入れてくれたり、更には適当な会話でもしてくれるかもしれないが……。それでもあの童顔に少しでもこちらの訪問を嫌がる表情を浮かべられたりしたら。 「うわ……かなりヘコむ」 想像してその場に蹲った。と同時に本日最後の授業の終了を知らせる鐘が鳴る。 授業中であった事と先程までノミ蟲と派手に まあ、ここで蹲っていても進展するものは何も無い。 立ち上がると廊下に飛び散っていた窓硝子が足の下でパキリと音を立てる。だぁもう、今回もマジで派手にやっちまった。そこらじゅう硝子片だらけで一種の危険地帯が出来上がっちまってるじゃねえか。くそっ、これもあのノミ蟲がいちいち仕掛けてくるから悪ぃんだ……! ふつふつと沸き上がってくる怒りのまま、すぐ傍にあった壁に右手を打ち据えた。ドンッという振動音と共に砕けた欠片が飛び散る。こんな俺の姿を見た奴は、普通なら顔を真っ青にして離れてしまう。けれど竜ヶ峰は違うんだろうな。笑って「何やってるんですか」って近寄って来てくれるのだと思う。 はあ、と溜息を一つ。 竜ヶ峰の顔が脳裏に浮かぶと怒りはすぐに静まった。けれど代わりにもどかしさが再発する。怪我なんかしてなくても、理由がなくても、あいつの顔が見たい。 「けどまぁとりあえず今回は、」 頬に手を滑らせればぬるりとした感触。あまり痛みはないのだが、戦ってる最中にノミ蟲の投げたナイフが掠っていたらしい。その事自体は非常に腹が立つ。しかし竜ヶ峰を訪ねる理由が出来たのも事実で、心中複雑である。加えて苛立ちより嬉しさの方が大きいから厄介だ。 「……保健室に行くか」 嗚呼。以前ならこれくらいの怪我、そのまま放っておいたんだがなぁ。 「平和島君は基本的に切り傷ばっかりですよね……まあ理由は判りますけど」 微かな笑い声は左耳のすぐ傍で聞こえた。 スッパリと切り裂かれていた左頬はその声の持ち主によって消毒が済まされ、続いてガーゼが張られようとしている。細い指が俺の肌に触れるたび心拍数は跳ね上がり、けれどそれが全く不快じゃないから困ったもんだ。 「はい、これで終了っと……もう動いても大丈夫ですよ」 「ありがとうございました、先生」 「いえいえ」 丸椅子に座ったまま軽く頭を下げると、正面の童顔がふにゃりと表情を崩した。 もうすっかり成人しているこいつに当て嵌めていい表現じゃないんだろうが、可愛い。とにかく可愛い。小動物みたいだ。なのにビクビク震えてばかりの動物ではなく、こっちの目を見て真っ直ぐな姿勢で接してくれるから本当に敵わない。 「それにしても、今日もまた派手な音でしたね。ここからは遠いみたいでしたけど」 「ああ……保健室とは違う棟だったんすよ。あのノミ蟲野郎を追いかけてたら、ついつい向こうまで行っちまって」 「ノミ蟲って……折原君、でしたっけ」 「あんな奴、ノミ蟲で充分です。もしくは呼び捨てで。『君』なんか付ける価値もねえ」 それにあんな野郎の名前をまともに呼んでたら、あんたの口が腐っちまう。そんな勿体無い事させられるか。 「あはは。本当に仲が悪いんですね、平和島君達って」 「…………。まあ、そうっすね」 仲が悪いと言うより最早殺してやりたい域に達しているのだが、それを竜ヶ峰に直接告げるのは憚られた。俺と言う人間と真正面から向き合える時点でそれなりに強い人なんだとは思うけれど、やはりこんなに優しい空気を持つ人間には『殺す』だとか他の暴力的な言葉を聞かせたくない。 つーかいくら竜ヶ峰と話が出来ていても、その話題があのノミ蟲じゃあ嬉しくない。 そんな俺の苛立ちを感じ取ってくれたのか、竜ヶ峰はこちらを見つめてパチリと瞬きをした後、「あ、そうだ」と手を打ち鳴らした。 「先生…?」 席を立ち部屋の奥へ向かう竜ヶ峰。白衣に包まれたその背を俺は視線で追いかける。 「平和島君は甘いものって大丈夫ですか?」 「え、まあ。苦手じゃありませんけど……」 それがどうしたのだろうか。 竜ヶ峰は未だごそごそと何かやっている。おそらく自分の鞄を漁っているのだろうが……一体何なんだ? と思う内に、童顔の養護教諭はにこにこ笑いながら両手に四角い金属製の箱を抱えて戻って来た。 「……クッキー?」 蓋と側面にびっしりと鮮やかなイラストが描かれたそれはクッキーやその類が入った缶に見える。しかもスーパーで売ってるような安物じゃなくて、ちゃんとデパートの地下とかで売ってそうなやつ。 「当たりです」 俺のそんな感想は正解で、竜ヶ峰はカパリと蓋を開けて中身を見せてくれた。色とりどりのクッキーが並んでおり、甘くて香ばしい匂いがふわりと広がる。 「これ、どうしたんすか?」 「先日知り合いから頂いたんですよ。けど一人じゃ食べ切れなくて……甘いものが大丈夫でしたら平和島君も一緒にいかがですか?」 「俺、が…?」 「ええ。もう放課後ですから次に出なくちゃいけない授業も有りませんし。あっ、平和島君が嫌なら無理にとは言いませんよ!! ただ僕が平和島君とお茶したいなーと思っただけで」 ……。これは夢なんだろうか。 話したい話したいと思っていて、なのになかなか話す機会と勇気がなかった俺に。こうして竜ヶ峰の方からそのチャンスをくれると言う。これで断ったりしたら相当の馬鹿だろ。ノミ蟲に脳味噌筋肉馬鹿と言われても肯定しなくちゃならなくなる。 「どうせ暇ですし、それにちょっと腹空いてたんで有り難いっす」 浮き足立ちそうになる自分を精一杯の努力で抑え付けながら、通常通りの声を意識して俺はそう返答した。 途端、ふわりと目の前の人物が微笑む。 「よかった。じゃあお茶淹れて来ますから、ちょっと待っててくださいね」 「! あ、はい」 う、わ……なんだ、今の。思わず見惚れちまったじゃねーか! つーか竜ヶ峰は男だろ!? なのになんであんだけ可愛く笑えるんだ! それとも俺の目が腐ってるのか!? 胸中で絶叫するが、当然相手には何も聞こえない。少し反応が遅れた俺に竜ヶ峰は僅かに首を傾げたが、すぐに気のせいだと思ったようで、茶の用意をするために再び離れていく。給湯設備の方へ向かうその背を眺めていた俺は、 「……もういっそ腐ってもいいかもしんねー」 思わずそんな事を口走っていた。 「平和島君? 何か言いました?」 「いえ、何でもないっす」 「そうですか」 一度振り返り、それからまたカチャカチャとカップを鳴らしながら用意を続ける竜ヶ峰。 その姿を視界に収めながら思う。うん、なんかもうマジで両目とも腐ってて良いような気がしてきた。 □■□ (折原臨也) 「あれ? シズちゃんだ」 それは本当に偶然だった。 本日最後の授業を丸々潰して戦っていた相手が保健室から出て来るところを目撃し、俺はそう呟く。距離があるので向こうが気付く様子はない。と言うか、何か別の物に気を取られているらしい。保健室の扉を閉める前に一礼して去って行く。 ん? 一礼した? 保健室に誰かいたって事だよね、それって。 去年は俺達が喧嘩を始めると養護教諭はシズちゃんを恐れて保健室から去っていたはずなのに、今年赴任してきた新しい先生は逃走していないみたいだ。シズちゃんの噂(というか実話だけど)を知らないのか、それとも知っていながら恐れていないのか……。もし後者ならちょっと面白い。 「調べてみるか」 ひょっとしたらシズちゃんをからかうネタがまた一つ増えるかもしれないしね。 今の俺はきっと新羅が見たら「またそんなあくどい顔して……」と言われそうな表情を浮かべているんだろう。くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺しながら、俺は色々と調べるため早々にその場を後にした。 (2010.05.05up) |