夜遅く。
予定の時刻も大分過ぎた頃に屋敷の主人が帰ってきた。 左手に紫色に変色した指の跡を付けて。 wirepuller 0 (幼き嫉妬) 「一護様っ!?」 「おー・・・惣右介。先に寝てくれても構わなかったのに。」 灯りを持って玄関まで迎えに出れば、左手にくっきりとした痣をつけた青年が小さく笑みを浮かべてそう告げた。 屋敷を管理し一護(と惣右介)の世話をする者達には必要以上姿を見せぬよう言いつけてあるので、その場にいるのは二人だけ。 夜中にもかかわらず大声を出してしまった惣右介だが、彼を咎める者は一人もいなかった。 しかしもし咎められたとしても自分は大声を出さずにはいられないだろう、と惣右介は思う。 任務に行っても必ず無傷で帰ってくるこの屋敷の主人が、帰りが遅くなっただけではなく左手に大きな痣を貰ってきたのだから。 おかえりなさいを言う余裕も無く「何があったのですか!?」と体当たりでもしそうな勢いで一護に詰め寄った。 「浦原の所に行ったらさ、奥さんが子供産んじまって。」 「・・・は?」 一護の副官の奥方が臨月だという話は聞いていたが何だそのタイミングの良さは、と惣右介の目が点になる。 「それで、遅くなった・・・と?では、その左手の痣は、」 「ああ。これは・・・母親になるのって大変なんだなァって証かな。」 「訳が分かりませんよ・・・」 眉根を寄せる惣右介に一護は「気にするようなモンでも無ェよ。」と右手を伸ばした。 ガシガシと惣右介の頭を撫で、最後に茶色の髪を梳くようにして手を離す。 「治さないのですか?」 鬼道を使えばあっという間に癒えるのに、と惣右介が訊くと一護は少し逡巡してから口端を緩く持ち上げた。 「しばらくの間はな。この痣は一つの命が生まれるのがどれ程大変なのかって事を教えてくれるから。」 「・・・でも、痛くない訳では無いのでしょう?」 「そりゃア触れば痛いけどさ。」 そう言って一護は左手の甲を右手で優しく撫でる。 しかし琥珀色のその目が嬉しそうに緩んでいるのに気付いて惣右介は胸にチクリとした痛みを覚えた。 その原因は解っている。 これは嫉妬だ。 浦原夫人に対する、そしてまだ見ぬ赤子に対する嫉妬。 痣一つで一護の心が自分から彼らに移ってしまうのが酷く気に入らなかった。 醜いな、と胸の内で自嘲する。 己は『拾って貰った』立場であるというのに一護の琥珀の双眸が自分以外を見なければ良いと思ってしまう。 そう思う権利など自分には無いと解っていても。 いつも子供の我儘という領分を超えて一護を独占したいという気持ちが胸の中で燻っているのだ。 一護本人に知られれば嫌われてしまうに違いない、とそれが怖くてギリギリ押さえ込んでいる想いが、今己の中で暴れ始めているのに気付いて惣右介はたまらず目を伏せた。 けれど。 「・・・惣右介?俺が怪我してんのは嫌か?」 窺うような声が上から降ってきてハッと顔を上げる。 目の前に、一護の困ったような顔。 「ぅ・・・あの、」 「ん?」 一護様を困らせてしまった! 己の愚かさに居たたまれなくなり、そしてどうしようと焦る。 何の文章も出てこないまま視線を彷徨わせると痣の浮かんだ左手が目に入った。 それはまるで他人が一護に付けた所有印のようで―――。 「・・・嫌、です。」 「そうか。わかった。」 自分が何を言ったのか理解する間もなく再び頭を撫でられる感触。 その一護の右手は惣右介の頭を撫で終えると左手の甲に添えられて僅かな燐光を放つ。 「これで良いか?」 「一護、様・・・!」 惣右介の前に差し出された左手はいつも通りの一護の手。 紫色の痣などもう何処にも見当たらない。 唖然とする惣右介に対し、一護はふわりと笑いかけて「ありがとな。」と囁いた。 「僕は我儘を言っただけで感謝していただくような事は何も、」 「俺の手の痣見てすっげぇ痛がってくれただろ?」 「え・・・」 「なんだ。自分じゃ気付いてなかったのか?」 それは違うと言うに言えない惣右介に一護はもう一度ありがとうと繰り返す。 確かに最初は己のことのように「痛い」と思ったが、それから後はただの醜い嫉妬だ。 一護の思い違いに申し訳なさを感じて、しかし同時に痣が消えたことを喜ぶ自分も居て、惣右介は曖昧に笑うしかできなかった。 「ありがとうございます。一護様。」 「ん?何か言ったか?」 「いいえ。それより一護様、早くお休みにならないと明日が大変ですよ。」 「それを子供のお前に言われるとなァ・・・」 「僕は一日中寝ることだって出来ますが、一護様にはお仕事がありますからね。」 「ははっ、確かに。」 肩を竦ませ一護が苦笑を零す。 惣右介も小さく笑みを浮かべてそれに返した。 「お休みなさいませ。一護様。」 「お休み。惣右介。」 ありがとうございます。(痣を消してくれて。) そして、ごめんなさい。(こんなに醜い僕で。) |