いざという時、やはり強いのは女性の方。
それはきっといつの時代も変わらぬ事実。 wirepuller 0 (生まれくる者への狂想曲) 「こんばんは。」 「いらっしゃいませ、黒崎さん。」 仕事ではないのだから、とこうして役職名を付けずに呼ばれるようになったのはいつ頃からだろうか。 それは決して最近のことではなく、頼んだ一護も曖昧にしか覚えていないような歳月が経っていた。 己が白い長衣を纏っている時には頼れる副官、そして私服の時には酒を酌み交わす友人となる浦原に迎え入れられ、一護は彼の屋敷へと足を踏み入れた。 途中、大きなお腹をした浦原夫人とも言葉を交わし、客間へ。 「もうすぐ、なんだよな・・・」 「ええ。産婆も屋敷内に待機させていつ御産が始まっても大丈夫なように、と。」 今は部屋にいない女性を思って呟けば浦原が緩やかな笑みを浮かべて言葉を返した。 彼の妻は出産を間近に控えた妊婦だ。 夫婦にとって初めてとなる出産に浦原は出来る限りの準備を整えておきたいらしい。 だからこそ予定日の近い夫人には部屋で安静にしていて欲しいそうなのだが・・・。 「でも、彼女があの様子なので。」 困ったようにそう零し、浦原は襖の向こうへと視線をやる。 一護もつられるように見やるが、そこに何かがあるという訳でもない。 ただ浦原の顔を見れば困ったような表情の中にも慈しみの感情が読み取れて一護は小さく微笑んだ。 目の前の男が見ているのは今頃自分達の酒の用意をしてくれているであろう彼の妻の姿。 侍女達に任せれば良いと言う浦原に対して、せっかく黒崎さんが来てくださったのだからと部屋から出て来た彼女の様子を思い出し、一護は申し訳なく思いつつも心が温かくなるのを感じていた。 「お待たせしました。」 部屋に入ってしばらく後、襖の向こうから顔を出したのは黒髪の女性。 談笑していた一護と浦原はいったん話を止めて現れた浦原夫人を迎え入れる。 彼女が持って来たのは二人分の酒、そして肴が数種。 朱塗りの盆に乗ったそれを浦原が受け取る。 夫人はそのまま部屋を立ち去ろうとしたのだが、一護がそれを引き留めた。 「貴女も一緒にどうです?」 流石に妊婦にアルコールを飲ませるわけにはいかないが、久しぶりに夫人ともお話をしたい。 そう告げると夫人は「そうですか?」と微笑み、己の夫へと顔を向ける。 「あなた、構いません?」 「黒崎さんがそう仰るなら。」 一護の誘いを受けて嬉しそうに訊いてくる妻に対し、浦原が苦笑を浮かべてそう答えた。 「それじゃあお酌でもさせていただこうかしら。」 夫人が陶製の徳利を持ち上げる。 一護は「是非お願いします。」と杯を手にして口元に緩やかな弧を描いた。 「やはり手酌よりも美しい女性に注いでいただく方が何倍も美味しく感じられますしね。」 「ふふ。黒崎さんは口がお上手ですわ。」 「本当のことを言ったまでですよ。」 酒の注がれた杯に口を付け、一護はそれを一気に呷った。 そして今度は浦原の杯に徳利を傾ける夫人の姿を眺める。 金と黒という対照的でかつ美しい髪色に目を留め、彼らの子供はどちらの色を引き継ぐのか、と間もなく生まれてくる新たな命に思いを馳せた。 (きっとどちらの血を色濃く引いても美しい子が生まれるに違いない。) 男か女か。 それは判らないが、どちらにせよこの二人の間に生まれるなら実力・容姿を共に兼ね備えた人物になるのだろう。 それが何故か我が事のように嬉しく、そして楽しみで、一護はこっそりと微笑んだ。 ちょうどその時。 「・・・ぁ、くぅ!」 カタン・・・バシャ 呻き声。そして徳利が落ちて中身が零れた音。 浦原に酒を注いでいた夫人が急にお腹を押さえて苦しがり始めたのだ。 「陣痛!?」 「浦原、早く産婆を!」 「そ、そうですね!」 苦しむ妻を一瞥。 そして浦原は一護の言葉に頷くと襖を開けて叫んだ。 「産婆を!産婆を呼べ!!」 その後の展開は早かった。 駆けつけた産婆が夫人の様子を見るなり侍女達に湯と清潔な布を用意させ、出産の準備が整えられる。 予定日よりも数日早いのだが、ついに生まれるらしい。 初めての事で何をして良いのか分からず立ちつくしていた一護と浦原には産婆から容赦なく怒鳴り声が飛ぶ始末。 何も出来ないのならせめて妻の手くらい握ってやれ、と。 「ほら、浦原!」 「あ、あぁはい。」 浦原を夫人の横に座らせ、一護はその反対側へ。 自分は手を握らず産婆から渡された布で夫人の額に浮かぶ汗を拭う。 夫が傍に居るのを確認できて彼女の表情はいくらか安らかなものになったが、それでも襲い来る痛みに顔を顰めて酷く辛そうだった。 初めての子だから時間が掛かるよ、と産婆が言う。 浦原がその言葉に頷き、妻の手を更に強く握った。 「ついに“お父さん”になるんだな。」 「ええ。もう心臓がドキドキしっぱなしです。」 凄く嬉しくて、でも不安で。 時折夫人の感じる苦痛を自分も味わっているような顔をしながら浦原はそう答えた。 一護はそんな友人の様子に苦笑を浮かべる。 「あまり気ィ張り過ぎんなよ。子供が生まれてくる前にへたばっちまったら悲惨だろ。」 「あはは。善処します。」 「善処じゃ意味無ェって・・・」 弱気な返答にツッコミを入れるが、きっとどうしようもないのだろうと一護は思った。 一護は目の前の二人にとって赤の他人だ。当然一護にとっても二人は赤の他人。 幾ら友人だとは言ってもそれは変わらない。 故に当事者である彼らに対して一護はそれを外から観ている者に過ぎず、一護が簡単に言ってしまえることですら浦原にとっては善処するしかないのである。 だが、そんな浦原の様子を非当事者の視点から見ていると嫌な予感がして仕様が無い。 夫として精神的な負荷を受けているだけでなく、目の前で苦しむ妻と同調しているように表情を歪めているのだ。 こんな事なら出産現場に立ち会わせず、別室で待たせておいた方が良かったのではないかと思えるほど。 (そのうちプツンと糸が切れちまうんじゃねーか・・・?) 一護がそう思った直後。 グラッ・・・バタン! 浦原が夫人の手を握ったまま白目を剥いてぶっ倒れた。 「お、おおおおお父ぁぁぁああんっ!?」 ―――ちょっと何本当に倒れてんだよ! どんなに強い敵を前にした時だって震えの一つも見せなかった男が。 自分の子供が生まれる瞬間というのはそんなにストレスが掛かるものなのだろうかと一護の頬が引き攣る。 「あーもう!男ってのは本当にだらしないねぇ!って、ホラ!若いの!仕方ないからあんたが握っておやりなさい!」 「えぇ!?うわ、はい分かりましたっ!」 産婆の前では王属特務も何も関係ないに違いない。 怒鳴り声に急かされて一護は浦原夫人の手を握る。 女性とは思えぬほど強い力で握り返され一瞬顔を顰めたが、すぐさまもっと強く握り締めた。 ほんの少しでも浦原の変わりになれるように、と。 そして、ついに。 「おめでとうございます。元気な男の子ですよ。」 大きな産声を上げる立派な赤ん坊が産婆の手によって夫人の隣に寝かされた。 一護は横でそれを静かに見守り、一部がうっすらと紫がかってきた左手を脇へ隠す。 父親になった筈の浦原は未だ白目を剥いたまま。 そんな夫に妻は「仕様の無い人ねぇ。」と苦笑して僅かに金の髪を生やした赤子へと語り掛けた。 「あなたはお父さんみたいになっちゃだめよ?ね、喜助。」 この子は将来どんな人物になるのだろう。 そう思ったら家で待つあの子の顔が凄く見たくなった。 (でもまだ、そんな思いに気付かせないで。依存も執着もしたくないから。) |