白ではない
「ご無沙汰しております、一護様。」
先触れも何も無く一人自室で寛いでいた一護の元に見覚えのある少女が姿を現わした。 髪は惣右介よりも薄い茶、年齢は夜一と同じかそれよりも幾らか上に見える。 また微かに垂れがちな目は一護と似ていなくもない。 否、目どころか、よく見れば他にも一護と似通った箇所をいくつか挙げることが出来た。 それもそのはず。 この少女の名は――― 「久しぶりだな、真咲。」 ―――黒崎真咲。 一護はそう言って久方ぶりに顔を合わせた“姪”へと笑みを浮かべた。 現黒崎家当主である一護はその容姿、能力、立場等様々なものが原因で一族から異端視されている。 表立って都合の悪い事態が発生することは無いが、もし一族の中の誰かが用も無く一護と接触などすれば、その誰かはしばらく周りの者達から奇異の目を向けられることになることは必至だ。 そのため一護のことを『当主』として見ていても、『親戚』として見るものは極端に少なかった。 だが何にでも例外はある。 一護の前に現れた少女・黒崎真咲もその稀有な一人であり、また年の割に頭の良く回る娘だった。 何がどう頭が回るのかと言えば、その一護への会い方である。 彼女は自分が一護と接触した場合、周囲の者達にどのような印象を抱かせるか熟知している。 ただ熟知しているだけならば会うのを止めるか控えるかするだろう。 しかし真咲が取った行動は、誰にも気づかれずこっそり一護の元を訪れることだった。 そのために必要な協力者も自分が身につけるべき技能も彼女は理解し、己が物としている。 それこそ聞いた一護の方が舌を巻くほどに。 彼女もそう頻繁に無断で(一護の所へ)出掛ける訳にもいかず、この屋敷へ来た時には「ご無沙汰しております」という表現を使わねばならないが、その立場を思えば驚愕に値するものだった。 「今日はどうしたんだ?なんだか嬉しそうに見えるが・・・」 「あら。やっぱり判ります?」 真咲の口調はやや大人びているが、頬に手を当てて答えるその様は年相応の少女らしさを滲ませている。 彼女の様子に頬を緩ませる一護だが、しかし次の瞬間、真咲が続けた言葉に少しばかり目を見開くこととなった。 「わたし、真央霊術院に入学することが決まったんです。」 「・・・へ?」 真咲の年齢は・・・まあ、問題無いだろう。 しかし――― 「家庭教師が居たんじゃなかったのか?」 元より死神となるための勉学を強制されていた訳ではなかったが、真咲が望んだとして彼女には実力のある家庭教師がついていたはずだ。 よってわざわざ学院に入る必要は無いのでは?と一護は思う。 だが真咲は自分に家庭教師がつくと決まった時を思い起こさせるかのように嬉しそうな顔を崩さず、「だって・・・」と一護の顔を見た。 「勿論死神としての知識や技術は個人の先生から教えていただけます。けれど実際に護廷や鬼道衆に入った場合、集団の中で生活することになるでしょう?・・・そう言う集団の中の一人として行動するための知恵って一対一じゃ身に付かないではありませんか。やはり予行演習とも言える学院生活を体験しなくては。」 ―――あと、学生時代の繋がりって案外無視出来ないとも聞きますし。 そう付け足して真咲はにこりと微笑んだ。 可愛らしいはずの笑みが何故か黒く見えたのは・・・目の錯覚ということにしておきたい。 (うん、そうだな。目の錯覚、目の錯覚。それにコネって言うのはあれだろ?友達作りってことだよ、な?) 誰に語るでもなく胸中で独りごちてから、一護は気を取り直して「なるほど。」と頷く。 「そっか・・・集団生活ってのも大事だよな。」 「ええ、そうです。同年代の知り合いを作り、彼らの機微を察する努力をするのも、これから成長するわたしたち子供にとって欠けてはならないことですわ。」 真咲の言葉に一護が「子供・・・」と呟いた。 その小さな声に気付いた彼女はふと思い出したかのように再び口を開く。 「そう言えば一護様はわたしと同じ年頃の方と一緒に暮らしていらっしゃるそうで。まだ黒崎の姓を名乗らせているようなお話は伺っておりませんが、やはり死神としてお育てに?」 「ん?あ、ああ。惣右介のことか。一応そのつもりで稽古をつけてる最中なんだが・・・真咲の言う通り力だけじゃ不十分なのかもしれないな。しかもこんな環境じゃ集団のことなんて解らない。」 とは言いながらも一護の表情は決して養い子を真央霊術院に入れることを手放しで喜んでいる風ではない。 それが真咲にも分かったのだろう。 彼女はくすりと小さく笑みを零して一護に問いかけた。 「一護様は余程その惣右介さんが大切なんですね。周囲から反対はあるでしょうが出来なくもありませんし、もしかして行く行くは彼に黒崎を継がせるおつもりで?」 「いや、それはない。」 少女の問いに対する答えはきっぱりとした否定で、一護の惣右介の慈しみようからすれば驚く者がいても可笑しくないものだった。 が、それこそが一護の思いの強さを証明している。 古い家ほど、力のある一族ほど内に抱える闇は深く大きい。 そんな俗に言う『汚い部分』は一族の中心にいる者ほど最もよく理解し、触れなければならないものなのだ。 そして一護はそんなものに己の養い子をわざわざ触れさせてやるつもりなど毛頭ない。 (本当は真咲にも綺麗な世界を見ていて欲しかったんだけどな・・・この子も生まれた時から中心近くにいる子だから。) 今一護の目の前でやさしい微笑を浮かべている少女に関しては、一護に子供(黒崎家の跡継ぎ)が出来なかった場合、彼女が将来産むであろう男児がその代わりとして黒崎家を継ぐことになっている。 つまりこのまま一護が独身を貫き、また惣右介を黒崎家に迎えなかった時には真咲が黒崎家(次期)当主の母親となるのだ。 ゆえに真咲もまた一護ほどではなくとも触れなくてはならないものがある。 「・・・そう、ですね。判りきったことを訊いてしまいました。」 次期当主母親予定の少女はそう言って口元を緩ませた。 触れなくて済むのならその方が良いでしょう、と付け足して。 「すまないな、真咲。あんまり護ってやれなくてさ。」 「そんな顔しないでください。わたしも黒崎に生まれた者としての覚悟と矜持はありますから。」 そう告げる少女の眼差しは強い。 己が指導している三人の内の一人・夜一もまた時折似たような目をしていたなと思い出し、一護は目の前の真咲と今ここにはいない夜一の二人に尊敬の念を抱いた。 「真咲は強いな。」 「殿方が弱いだけですよ。」 「これは手厳しい。」 鋭さを消して冗談混じりに告げる少女へ一護も軽い口調で返す。 暗い話はここで終了ということだ。 一護は話題を切り替える(戻す)ために「さて、」と呟き、半ば独り言のように声を出した。 「真咲の言うことは尤もだからなぁ・・・やっぱり惣右介も真央霊術院に行かせるべきか。」 「手っ取り早く集団生活を学べる所ですからね。けれど最終的に決めるのは惣右介さんだと思いますよ。本人の意志がなくては意味がありませんから。」 「そうだな。んじゃとりあえず、相談から始めてみるか。」 「ですね。一護様の子離れのためにも。」 「それは言ってくれるなよ。」 苦く笑い、一護は真咲の頭を撫でた。 「そっちでいい人見つけたら報告な。」 「ええ。一護様には一番にお教えしますわ。」 真咲がそう易々と彼女自身が決めた相手と結ばれるはずがないと解っている。 しかしそれでも二人は冗談を多分に含ませて笑い合った。 生まれた時から避けられないものがあるならば、せめて好いた相手と結ばれることが出来ますように、と。 その数日後の話。 「嫌です。」 一護が真央霊術院入学の話を出したところ、惣右介は一瞬の間も置かずに笑顔でそう言いきった。 「昔も必至に言った記憶がありますけど、僕は一護様の傍を離れるつもりはありません。・・・そうですね、いずれは死神として働くでしょうし、そうなればずっとお傍にという訳にもいかないでしょう。それでも許される限りは今のこの場所から離れたくないのです。」 「惣右介・・・」 「我侭ですみません。」 「いや、お前が決めることだからな。それにそこまで言ってもらえるのは正直嬉しいよ。」 これでは典型的な子離れ出来ないダメ親ではないか、と思いつつも一護はそう告げる。 それに楽観的で自分に都合の良い言い訳であることは解っているが、この子ならばわざわざ己が舞台を整えずとも必要な物を吸収して蓄えていくのではないかと感じているのだ。 その根拠を明確な言葉にして表すことは出来ないけれど。 とにかく、一護が提案を撤回したことで惣右介はホッとしたように表情を緩めた。 微かな変化だったが子供の心情を慮るには充分。 一護は己と子供に甘い自分自身に苦笑を零し、別の用事のためにその場から離れた。 一護が去った後、惣右介は青年の見えなくなった背を追うように眼を眇める。 「僕が居なくなったら誰が貴方の心を護るんですか。」 (それに機微を悟るだとか何だとか、人間の心理なんてその気になればどうとでもなる。・・・貴方の腕に護られたままずっと何も見て来なかった訳ではないんですからね、一護様。) 実際音にした声も、胸中で呟いた言葉も向けた本人に届くことはない。 ただひっそりと口元に酷薄な笑みを刷き、惣右介もまたその場を後にした。 |