初恋子猫
「四楓院家次期当主、四楓院夜一にございます。」
静寂が満ちる部屋でそう告げて、少女は客人が入室した直前からずっと伏せていた顔をゆっくりと上げる。 視界に映り込んだのは見慣れた己の黒や着物の色彩ではない。 それよりももっと自然で、けれど珍しい色。―――太陽の、色。 初めて目にした客人が持つ色彩に少女・夜一は呼吸すら忘れてしばし見入ることになった。 太陽色の髪を持つ青年―――黒崎家当主・黒崎一護と夜一が出会ったのは、彼女がまだ幼いと称されるべき年頃のことだ。 当時、夜一はその年齢の低さにもかかわらず四楓院家の跡取りとしてすでに義務を背負っており、重圧に耐えねばならなかった。 自分達と同じく尸魂界を代表する他の貴族と顔を合わせるのもその義務の一つであり、高位の者達が腹に溜め込んだ黒いものを見据えなければならないその仕事は夜一にとって歓迎したくないものだ。 しかしその時ばかりは違った。 堅苦しい口上と共に名を告げて顔を上げた瞬間、自分の目に飛び込んできたもの。 それは霊王の寵愛を受ける至高の存在などという決して好きになれそうにない存在ではなく、思わずその腕の中へ飛び込んで行きたくなるような温かい微笑を浮かべた青年の姿をしていた。 ふと気を緩めれば自分は今にも泣いてしまうのではないか。 暖かな貴方の色で抱き締めてくれないか、と。 そう思い、止めていた呼吸を再開するまで幾らか時間が掛かっただろう。 それくらい一護との出会いは夜一にとって衝撃的なものとなった。 時は流れ、四楓院家と黒崎一護が良好な関係を築くようになった頃、夜一は四楓院家の本邸を訪れていた一護へと問いかけを発した。 「のう、一護。」 「ん?」 「おぬし、その年でまだ嫁を貰っておらんとは本当か?」 これは仕女達の噂話から知ったことだ。 流魂街から子供を拾って育てているようだが、当主として肝心の嫁をまだ貰っていないはずだ、と。 それまで夜一は何となくこの年頃の(貴族の)男にはすでに相手が居るものだと思っていたので、仕女達の話は驚きに値するものだった。 と同時に、この青年にまだ特定の相手が居ないことを嬉しく思ってしまったのは・・・どういうわけか、自分でも分からない。 加えて意識もせず「ぬか喜びになるのは嫌じゃ」と呟き、真実を本人の口から聞かなくてはという思考に至ってしまったため、ますます意味不明だ。 そんな悶々とした感情を胸の内に秘めながら、夜一が今日ここを訪れた一護へとチャンスとばかりに問いかけた疑問。 答えの如何に内心心臓を常より速く打ち鳴らしながら返答を待つ様子は、自覚は無くとも完全に想い人へ向けるものだった。 夜一の状態に気付いているのかいないのか(いや、きっと気付いていないだろう)、一護はあっけらかんと答える。 「ああ。まだ相手はいないな。」 「・・・!ほ、ほう・・・そうか。仕女達の話は本当じゃったか。」 一護の返答に驚き、加えて事実を確認するかの如く呟いた言葉に喜色が混じっていたことは最早否定出来ない。 それを自覚すると共に、夜一は己の反応をより正確に理解しなければならないと思った。 大貴族・四楓院家の次期当主としても自分に解らない自分があってはいけない、と。 深く考え込み始める夜一を、けれど一護は優しく見守るだけで特に何かをするわけでもなかったため、彼女の思考はますます深い所へと潜って行く。 沢山の書物や周囲の人間達の言動から得た知識を総動員して己の状態と照らし合わせる作業を繰り返し、繰り返し。 そして突如、 「・・・あ、」 「夜一さん?」 思い至った事実が齎した衝撃の大きさゆえに、一護が名前を呼んだことにすら気付けない。 夜一は目を丸くする一護へと向ける意識すら失ってひたすら床を凝視し、熱でもあるのではないかと思えるくらい赤くなった頬を両手で押さえた。 (まさか・・・そ、そうなのか?わしは、わしは―――) 「どうしたんだ、夜一さん。どっか身体の調子でも・・・」 内心混乱及び悲鳴のオンパレードで外界に気を配れていなかった夜一の額に、そう言って一護がふわりと触れる。 それは普段ならどうということのない行為だったのだが、『自覚』してしまった今の夜一には強すぎる刺激だった。 「・・・ッ!!!!!!!」 ズサァァア!とそれはもう勢いよく夜一が一護から距離を取る。 突然離れて行った少女に相手方はきょとんと固まるだけで、次の行動に出ることが出来ない。 琥珀色の瞳で見つめてくるだけだ。 しかしその視線ですら夜一の鼓動を更に速くしてしまう。 少女はドクドクと激しい心臓の音を耳の奥で聞きながら目を閉じた。 (そうか、わしは・・・・・・一護を、好いておるのか。) しかも大人に懐く子供としてではなく、恋心という名の感情が伴った異性として。 己の状態を自覚し、そして理解する。 次いで瞳をゆっくりと開いた夜一は次期当主としての精神集中を駆使して気を鎮めると、驚いた様子の一護にいつも通りの笑顔を向けた。 「おお、すまんな一護。」 「・・・いや、別にどうってことないんだが。どうかしたのか?もしどっか悪いところがあるなら―――」 「大丈夫だから気にするな。ちょっと考えごとがあってな、それが先程解決した所為で取り乱してしまっただけじゃ。」 「それならいいんだけど。」 淡く笑い、こちらが踏み込まれたくない部分には踏み込まない一護。 それを嬉しく感じながら夜一は応えるように「気遣い痛み入る。」と短く礼を告げる。 (さて―――) 平静を取り戻し、夜一が続いて思考を始めたのは今後の自分と一護のことだ。 だって自分の感情を見す見す殺してしまうなんて、誰もやりたがらないだろう。 と言うわけで、夜一は思う。 物語にあるような身分の差を伴った恋なんてものは、それこそフィクションだけで充分だ。 そんな余計な障害物はいらない。 で、現実として夜一は大貴族の次期当主(現当主の息女)であり、一護は同じく名家の現当主。 よって身分による問題は無いと見ていいだろう。 それどころかどちらも未婚で、跡継ぎやら家の体裁やら諸々のことを考えれば名家同士が姻戚関係を結ぶというのも珍しいことではない。 つまり一護と夜一が(些か年齢差が気になるものの)夫婦になっても可笑しなくは無いということだ。 (話が飛びすぎておる?・・・いや、貴族ならばそうでもあるまい。とにかく、立場上わしの感情に非難を受ける謂れは無いということじゃ。) またどちらも当主(一方は次期)であることがネックとなるならば、夜一がその座を他の誰かに譲ればいい。 勿論その際には多少のゴタゴタが生じるだろうが、その程度の煩わしさなど先にあるものを思えば塵にも等しいと夜一は内心笑みを浮かべた。 「あとは一護の気持ちか。」 「・・・?何か言ったか?」 「いや、何でもないぞ。」 呟きが聞こえたらしく首を傾げる一護に夜一はにこりと笑って答える。 そうだ。あとはこの相手の感情次第。 今はまだ夜一のことを名家の幼い少女としか見ていない一護だが、その目を変えさせる方法なんていくらでもあるのだ。 自分の今後の成長も含めて。 幼いくせに碌なことを考えない、とは言う無かれ。 願望を叶えるために考えられることは全て考え、目的のためには何でもする心意気―――これこそが表も裏も知り尽くした大貴族として生きる者の本来の思考回路だ。 きっとその考え方は一護にだってあるはず。 優しい笑みを浮かべる相手がその表情とは裏腹にこれまで経験してきた出来事や抱いてきた感情を想像し、夜一は金の両目を眇めた。 (白いばかりでは生きていけんからの、ここでは。) こちらが笑ったと感じているのだろう一護が返すように頬を緩める。 それを眺めながら夜一は猫が甘えるように傍らの相手へ擦り寄った。 (待っておれよ、一護。・・・必ず振り向かせてみせるからな。) ここで一つ後日談を。 数日後、一護が己の養い子と知り合いの子供に稽古をつけていることを知った夜一は自分も教わりたいと黒崎邸を訪れた。 接点は多ければ多いほどいいのだ。 夜一の突然の行動に一時周囲はザワついたが、王属特務の長に教わるのだから四楓院家が文句を言うことは無い。 むしろ、あっても黙らせた。 加えてどうやら年下に甘いらしい一護が夜一の願いを無碍に断るなどあろうはずも無く、ちゃっかり一護の三人目の生徒になった夜一は先に稽古をつけてもらっていた二人を時に友人とし、時に好敵手としながら死神としての実力を磨くことになった。 勿論、一護の妻の座を射止めるべくあの手この手でアピールを繰り返しながら。 |