藍染という名前
「藍染七席!」
呼ばれて後ろを振り返る。 視線を向けた先には何枚かの書類を手にした同僚の姿。 自分を追いかけて隊舎を出てきたらしいその様子に、おそらくは持って行き忘れた資料か何かを届けに来てくれたのだろうと予想をつけ、藍染もとい惣右介は五番隊第八席である相手に微笑を向けた。 護廷十三隊に配属されて早一ヶ月。 藍染、という呼称にもようやく慣れ始めた。 これまではずっと「黒崎一護に育てられている惣右介」であり、姓は持っていなかったのだが、こうして一護の庇護を離れ働くようになって以降は、彼の育ての親に貰った姓――藍染――を名乗るようになったのである。 何故黒崎一護に育てられておきながら黒崎姓を名乗らないのかという理由には色々とあるのだが、主なものとしては所謂“親の七光り”を防ぐため、そして同時に黒崎家でもその能力や立場ゆえに異端視されている一護の庇護下にあることで他者から良くない目を向けられないようにするためでもあった。 ちなみに前者は惣右介と一護が話し合って出した結論であり、後者は己の立場を良く理解している一護が胸の内に秘めているものであるのだが、惣右介はそれを知らない。 ただし一護も己の養い子が「もし自分が何かことを起こして世間から悪い評価を受けた際、一護に迷惑をかけないために黒崎姓を受ける(=黒崎との繋がりを明示する)わけには行かない」と考えていることを知らないので、それはある意味お相子と言えるだろう。 とにかく惣右介は今、藍染惣右介と名乗り、死神の一人として護廷に籍を置いていた。 「藍染七席、こちらも一番隊に届けるようにと平子隊長が。」 「ああ、わざわざすみません。」 受け取ったのはやはり予想通りのもの・・・とはいかず、半分正解で半分不正解。 署名の箇所の墨が乾いたか乾いていないか微妙な感じを出しているところから察するに、どうやらこの数枚の書類は五番隊隊長・平子真子が慌てて追加したものであるらしい。 飄々とした己の隊の隊長を脳裏に描いて惣右介は小さく苦笑を漏らした。 「確かに受け取りました。それでは行って来ます。」 「よろしくお願いします。」 こちらの思いと同じものを抱いたらしく、そう答えた第八席の表情も惣右介のそれとよく似通っている。 そのことに今度は二人合わせて表情を崩し、「それでは。」と言葉を重ねて各々の目的地へと足を向けた。 藍染―――藍染惣右介。 一ヶ月ほど前から多用するようになったこの姓を惣右介は殊の他気に入っている。 敬愛する人物に直接もらったことも理由だが、それをその人物――― 一護が思いついた時のことがまた印象的であったのだ。 あれは二月ほど前だろうか。 護廷に入ることもほぼ決定し、この家の外で働くために黒崎とは違う姓が必要だと二人で考えていた。 数日前には一護の部下であり友人でもあり、またその息子が藍染と知り合いである人物が身近にいたことから「浦原」を名乗るという案も出るには出たのだが、惣右介及び息子もとい喜助両人の反対を受けて却下されている。 ではやはり新しい姓か、と考える一護の視線の先にあったのは、窓の向こうに広がる夜明け前の一瞬だけ姿を見せた空。 何故そんな時間に二人とも起きて物事を考えていたのかと問われれば、単に「惣右介の姓を考えていて貫徹しました」としか答えが返って来ないのが間抜けと言えば間抜けなのだが、それはさて置き。(何せ黒崎一護という人間は彼自身と周囲の認識を思い切り裏切って親馬鹿の素質を持っており、また惣右介も一護の傍に在れるならば時間も場所も気にしない性格をしていたのだ。) 「・・・ああ、そうだ。」 「一護様?」 ぱっと顔を明るくして呟いた一護に惣右介が顔を向ける。 彼の視線を辿って行けば、見えたのは藍色に染まった空。 一瞬だけあることを許された美しい色に数秒心を奪われた惣右介は、しかし次いですぐ近くから発せられた声に息を呑んだ。 「―――藍染、惣右介。」 「え・・・?」 「惣右介。『藍染』だよ、『藍染』。お前の、お前だけの姓だ。この藍色に染まる空のように、美しく、そして気高い名前だと思うんだが。」 「それを僕に?」 「ああ、どうかな。」 「っ、勿体無いくらいです!ありがとうございます!!」 一護が付けてくれた姓。 一護と己が心を奪われた空を示す姓。 そうして、それは黒崎一護という人物に次いで惣右介が大切にしたいものになったのである。 (一護様が僕にくださった、僕だけの名前。) 回想を終えて噛み締めるように胸中で呟き、惣右介は一番隊に届ける書類を持ち直した。 きっと己は世界一幸せな存在に違いないと思いながら。 |