wirepuller 19















「一護ちゃん、次はどこ行く気なん?」

先を歩く少年の背に市丸は問う。
すると少年・一護はぴたりと足を止め、赤黒く染まった長衣を翻らせて振り返った。
その顔に浮かぶのは小さな小さな笑み。

「いったん虚夜宮に戻る。で、着替えて・・・ああ、惣右介の小言も聞かされるか。」
「それやったらおまけで無理やり休まされるやろなァ。」
「んじゃ休憩もプラス、と。」

何気ない風を装っているが躊躇うことなく素直にそう言うところから察するに、やはりこの少年も先の浦原喜助との戦闘でかなり体力を消耗してしまったのだろう。
これは本当に無理矢理にでもしっかり休養を取らさなくては、と市丸は思った。
戻るならば瞬歩を使った方が良いだろうに、それすら行わない――疲れて“行えない”のだ―― 一護の態度もまた市丸のその思いを強める。

自分が一護を抱えて瞬歩で移動しても良いのだが、それは流石に嫌がられてしまうか。
考えて、きっとそうに違いないと答えを出しながら市丸は内心苦笑を漏らした。

尸魂界からの本隊(第一陣)はその面子から見て先程市丸が一護を迎えに来る前に潰したものだったはずなので、このまま帰還してもしばらくは破面が圧されることも無いと考えられる。
第二陣が来るとしても彼らが体勢を整え此方に到着するまでにはまだ時間がかかるはずだ。

市丸は少年がこの戦いに気を取られることなくその身体を休められるであろうことにホッと一息ついて、歩みを再会した一護の背を追った。






その後、やはり徒歩で移動し続けるには無理があり、二人は途中で『足』を確保して虚夜宮へと戻った。

『足』こと大型の破面とは巨大な出入口の付近で別れ、一護と市丸は薄暗い中へと入っていく。
破面の方はその場にじっとしていたが、おそらく一護達の姿が見えなくなった後に自分の持ち場へと帰るのだろう。
市丸が少しだけ振り返って「お疲れさん。」と、それから遅れて一護も「助かった。」と言うと、その破面は無言のまま頭を下げた。
従順な奴だと思う。
あの様子ならば、もともと此方側を率いていた藍染のみならず、一護にも忠誠を誓っていると見ていい。

戦う能力が高いことも重要だが、こうして忠誠心を持ってくれることも大事だと思いつつ、その戦闘能力「だけ」は高い代表者達の顔を思い出して市丸は小さく苦笑した。

「ギン?どうかしたのか。」
「別に何もあらへんよ。」

此方の姿が見えなくなったからだろう、此処まで送ってくれた破面の遠ざかる気配がする。
それを一護も感じていたようで(当たり前と言えば当たり前か)、後ろを振り返りしばらく思案した後、「ああ。」と納得したように呟いて口元に市丸のそれとよく似た苦笑を滲ませた。

「もし近くにグリムジョーみたいな奴しかいなかったらヤバかったぜ。」
「それやったら僕が負ぶって運ばしてもらおか。」
「・・・遠慮したい・・・けど、やってもらってただろうな。」

でもそれじゃあ格好が悪すぎる、と一護がぼやき、市丸はくくっと喉を鳴らす。
そんな風に帰還した二人は和やかな雰囲気だったのだが、それも長くは続かない。
何故なら戻って来た一護の霊圧を誰よりも早く察知するであろう人物が虚夜宮にはいるのだから。
その人物とは、


「一護様っ!」


言うまでも無く、藍染惣右介。
どうやら瞬歩で移動して来たらしいその男の姿を視界に入れ、市丸は自分にしか聞こえない程度の音量で呟いた。

「お説教タイムやね。」











□■□











「あれきり連絡もなく・・・っ、本当に心配していたのですよ!?」

言葉の通りであることがよく解る必死さでそう告げて駆け寄ってくる藍染に、一護は眉尻を下げ、申し訳なさそうな顔をする。
そう言えば浦原喜助と戦いを始める際、藍染に一度命令を伝えたはいいものの、決着がついてからもう一度連絡する予定だったのをすっかり忘れてしまっていた。
まさかあの程度で黒崎一護という存在が死ぬとは思っていなかっただろうが、それでも不安だったのは本当だろう。
かつて失わせたことがあるのだから。
己の配慮の足りなさに幾許かの後悔を覚える一護だったが、それに加えて近くに来た藍染が息を呑んだ。

「一護様っ、そのお姿は・・・!」

暗がりであったため、ある程度近付くまで判らなかったらしい。
また、離れる前に交わした約束(怪我もしない、返り血すら浴びない)もあり、藍染は一護がそのように大量の血を浴びるなどと考えもしなかったに違いない。
だが実際には、一護の纏う白の長衣はまさしく「血を浴びた」と表現するに相応しい様相を呈している。

白かった服を染め上げたこの血が何とも思わない人物のものならば、藍染の様子を見て「やっちまった」と苦笑を伴った後悔をしていたことだろう。
けれど生憎、一護が纏った鮮血の主は一護にとって大切な人で。
大切、の一言では足りないくらい大切な人で。
ゆえにこれから与えられるであろう藍染からの小言――と表現するのが適当なのかは不明だ――を前にして一護が抱いた感情は、諦めとも言うべき空虚なものだった。

ただしそれを相手に悟らせることなく、一護は眉根を寄せて苦笑を形作る。

「あー・・・あまり気にすんな。派手だけど言うほどのもんじゃねえから。」
「一護様の血では、」
「ない。全部他人のだから安心しろ。」

一護の答えに藍染が安堵の息をつく。
己が慕う人物の衣服に他人のものがついてしまったことに対する嫌悪感が一瞬だけその表情に乗るものの、それもすぐに消え去って判らなくなった。
流石にそこまで感情を露わにしてしまっては大人げないとでも思ったのだろう。
しかし一護にとって藍染惣右介という存在はいつまで経っても「養い子」であり、庇護と慈みの対象だ。
それは藍染の姿が己の見た目の年齢を越えてしまった今でも変わらない。

よって愛し子がほんの一瞬だけ覗かせた独占欲らしきものに一護は微笑を誘われ、僅かながらに空虚なものが埋まったような気がした。
ただし全て埋めるにはまだまだ至らなかったけれども。

「その血が一護様のものでないのなら良いのです・・・が、お約束したではありませんか。返り血すら浴びない、と。」
「悪ぃ。」

(でもあの人とはちゃんと、「死神」として、「あの人の弟子」として、戦いたかったんだ。)

虚化せず死神・黒崎一護として戦い、ゆえに藍染との約束を破ることになった経緯を胸の内だけで呟くに留め、一護はもう一度「悪ぃ」と繰り返す。
だがその反応はあまり相手にとって好ましいものではなかったようで、まるで一護のように藍染の眉間に皺が寄った。
どうやら目の前の相手からのお小言は本当に避けられぬものになったらしい。
むしろ予想していたものよりグレードアップするかもしれない。

眉根を寄せる一護の視界の端で市丸が肩を竦めた。













藍染から延々と小言を受けた後、一護は着替えると言って自室に篭った。
「しばらく休む」つまりは暗に「緊急の用が無い限り入ってくるな」と付け加えて。
市丸は(そしておそらく藍染も)一護の疲労を察していたようで、その言葉には素直に頷きを返して来た。
しかし実際には二人が心配した肉体的疲労より、精神的なものの方が圧倒的に一護の身体から活力を奪っていたのだ。

一護は血に汚れた長衣を脱ぐとそれを手に持ったままベッドに腰掛ける。
そして天井を見上げ、ポツリ。


「アイツになら殺されても良かったんだ。」


吐き出された声は酷く掠れ、聞く者がいたなら「泣いているのではないか」と思ったことだろう。
だが一護の目は乾いたままで、じっと天井を見据えている。

浦原喜助と戦う際に虚化しなかったのは先刻も思った通りで“「死神」として、「あの人の弟子」として、戦いたかったから”だ。
しかし実のところ、それだけとは言い切れなかった。
一護は無意識のうちに賭けに出ていたのだ。
勝っても負けても構わない―――勝利と敗北が同等の価値を持つ賭けに。

“死神として”全力で戦って、自分が浦原を倒すのか、それとも浦原が自分を倒すのか。
所詮どちらかしか道が無いことは既に決まっていた。
そして一護の表層ならともかく、心の奥深くではそのどちらもが同等の価値を持っていたのである。
きっと浦原も同じ気持ちだったに違いない。
愛した人と決して道が交わらないのならば、その存在を奪うか、それとも己が奪われるか、そのどちらかがいい、と。


天井から視線を正面に戻し、そのまま上半身を横に倒してベッドに寝そべる。
新しい服を出して着込むのは目覚めてからでも構わないだろう。
どうせこの部屋には誰も入って来ない。

そうして浦原喜助の命を自分の物にした少年はしばしの眠りに落ちた。






それから数時間後。
遠くに霊圧の震えを感知して一護は目を覚ました。

すっと身を起こし、眠っている間に手から力が抜けてベッドの脇に落としていた服を拾い上げ、近くの椅子にかける。
立ち止まることなく部屋の端まで移動してクローゼットを開け、目的の物を取り出した。
代わりの長衣を纏うと、感触を確かめるように軽く腕を動かす。
違和感無し。
小さく頷いて振り返った一護の視線の先にあったのは、椅子に引っ掛けられた状態の血で汚れた白。
まるで引き寄せられるかの如く、大分変色が進んでいる長衣を両手で持ち、乾いたそこに額を押し付けた。
目を閉じれば瞼の裏に胡散臭いくすんだ金髪の男が浮かび上がる。

「女々しい奴・・・」

苦く笑った後、そうして一護は部屋を出た。
手には漆黒の斬魄刀を持ち、シミ一つ無い真っ白な長衣を身に纏って。













指揮を執る藍染の元へ一護が辿り着くのとほぼ同時に、尸魂界の本隊第二陣が虚圏に到着したことが伝えられた。
此方もそれを予期し、相応の準備は整えていたので、そう慌てることもない。
市丸と一護の出撃で破面側の受けたダメージが小さかったのも大きく貢献している。

滞りなく事を進める藍染に近寄り、相手が此方に気付いたことを確認すると、何か言われる前に一護は短く要件のみを告げた。

「惣右介、俺も出る。」
「なっ、いけません!一護様はまだ休息を取られた方が・・・」
「もう十分休んだっての。これ以上寝てたら身体の調子が狂っちまうぜ。」

一護は苦笑を浮かべるが、藍染の表情は固い。
やはり先のことが響いているのだろう。
だがここで出ずにいつ出て行けと言うのか。

「殺されねぇよ。傷つけられもしない。そんな資格、あいつらには無いからな。」

この白を穢していいのは一人だけなのだ。
心の中でそう呟き、藍染に笑みを向ける。
穏やかと言うよりも好戦的なそれは、言葉の裏づけとして十分なものだったらしい。
もしくは、相手の首を縦に振らせる効力を持つものとして。

「わかりました。」

僅かな逡巡の後、藍染はそう言って「また私は此処で待つ役目なのでしょう?」と悲しそうに笑う。

「所詮、私が一護様の言葉に逆らえるはずなどないのですから。」
「悪い。それからありがとな、惣右介。」
「いいえ、それではいってらっしゃいませ。」
「ああ、行って来る。」

白色の裾を翻し、一護は藍染に背を向けた。






遠く視線の先にある尸魂界の本隊(第二陣)の中には見慣れた姿がちらほらと。
また格好から推測するに、隊長格に混じって王属特務も一緒に行動しているようだ。
しかも白服ではないが、周りとは少々変わった服を着ている者が一人。
あれが今の王属特務長なのだろう。
まさしく実力者の勢ぞろい。
それはつまり、相手も本気の本気を示してきたということで。

「さあ、」

その光景を眺めながら一護は口端をゆるりと持ち上げ、歪な瞳を隠すように真白の仮面を手にした。

「終わらせてやるよ。何もかも。」
(それが、俺の役目だ。)

























その後の話を少し。

死神と破面(虚)との戦いは後に『大戦』と称されるようになった。
勝者は破面側。
しかし死神が絶滅した、というわけではない。
もし“調整者”である死神がいなくなってしまえば、世界に存在する魂の量の比が変化し、全体的な崩壊に繋がってしまう。
よって死神側が受けたダメージは王属特務や護廷十三隊の中でも殊更戦闘に特化した者達を大幅に失ったというものである(もとより戦場が尸魂界ではなく虚圏であったため一般の魂魄達に被害は無い)。

勝てないことが明確になり、尸魂界側は破面側に交渉を願い出た。
そして、破面側はそれを了承。
一時休戦とし、議会の場が設けられた。
議会に出席したのは尸魂界側の代表・護廷十三隊総隊長山本元柳斎重国と一番隊副隊長、そして王属特務副官(特務長は戦闘中に死亡)の計三名、そして破面側も同じく三名で黒崎一護と藍染惣右介および市丸ギン。
戦力的に圧倒的優位に立つ破面側が持ち出した停戦条件は二つである。

『一つ、今後一切互いの領域(尸魂界/虚圏)には不可侵とする。』
『一つ、尸魂界での王族制を廃止し、王族の身柄を即刻虚圏に引き渡すべし。』

一つ目の条件は死神側にとって願ってもみないもので、二つ返事で了承した。
しかし問題は二つ目。
尸魂界の象徴たる霊王を殺害したばかりか、今度は王族そのものを引き渡せ、つまり「殺させろ」と要求しているだから。
だがここで断っても待っているのは更なる破滅。
よって、死神側は泣く泣くこの条件を呑んだ。

そうして『大戦』は終結を迎えた。
二者は戦いが始まる前とほぼ同様の関係を呈すようになり、互いの領域を侵害した者にはそれ相応の罰が与えられ、また現世においては討つ・喰うの関係に。
破面側のトップが高位の破面を統率することにより、その彼らと死神がぶつかるようなことも無くなった。
あるとしても、それはかつて現世にギリアンが出現していた確率よりずっと低い。
こうして世界が再び落ち着きを取り戻したのだ。


だが『大戦』の本当の“始まり”と、そこに一人の少年を中心とした二つの悲しい愛情が含まれていたことを、殆どの者は知らない。






















これにて「黒幕一護シリーズ」は終了となります。

長きに渡りお付き合い頂き、本当にありがとうございました。




『終幕』

・・・さて。

全てを終わらせたキミは、貴方は、自分は、一体何を思う?
















BACK