wirepuller 16
破面および虚との本格的な争いが始まった中、虚圏に足を踏み入れ向かってくる敵を斬魄刀で斬り裂いていた一人の隊長格は、目の前に突如として現れた人物の姿を認めて息を呑んだ。
現れたその人はまだ少年と言える齢格好で、しかし白の長衣を翻して大地に立つその様からは見た目よりもずっと歳月を重ねた落ち着きが見て取れる。 戦いの余波で生じた風が少年の橙色の髪を撫でた。 「一護君・・・っ、いや。君は、貴方は・・・・・・・・・王属特務長・・・?」 「こんばんは、それともこんにちは、かな?浮竹さん。」 浮竹の呟きを耳にし、死神達の視線を受けながら少年は薄らと笑う。 懐かしい役職名を聞いた、とも呟いて。 霊王暗殺の主犯とされる人物の名前を知りながらも実際にその少年を目にしたことが無い者は「こんな子供が霊王の暗殺を!?」と驚き、少年の知り合いであった者は「本当に彼が・・・」と信じたくない事実に顔を歪める。 しかしそのどちらもが、次いで浮竹の発した言葉には同じような反応を見せた。 「王属特務長とはどういうことですか!?浮竹隊長!」 「浮竹隊長!!」 「隊長!!」 隊の者が詰め寄っても浮竹は少年の方ばかりを見てその声すら頭に入って来ない。 脳裏には自分がまだ十三番隊の第五席でしかなかった頃のことが浮かび上がる。 現世で初めて大虚に遭遇した時の、そしてただそこに在るという存在感だけで超えられない実力差を感じ取った時のことが。 そうだ、そうなのだ。 どうして自分は忘れていた?いや、過去の記憶と結びつけることが出来なかったのだ? あの時の彼と目の前の彼はどこもかしこもそっくりだと言うのに。 鮮やかな橙色の髪も、琥珀色の目も、その身に纏う霊圧さえ。 確かにこの彼はあの彼よりも幼い。 確かにこの彼はあの彼よりも(以前までは)どこか落ち着いた――言い換えれば老成した――雰囲気が無かった。 確かにこの彼はあの彼と違って黒い衣を纏っていた。 しかしこの彼は、黒崎一護は、確かにあの時の、かつてただ一人しか纏うことの許されなかった白の長衣を翻していた青年だったのだ。 「なんや浮竹隊長、一護ちゃんの昔の姿知っとったん?ほな一護ちゃんも?」 過去の浮竹十四郎を知っているのか、と少年の傍らにいた銀髪の青年が問うた。 しかし問われた方は否と応える。 その会話で浮竹はハッとなって意識を外に向け直し、次いで虚しさを覚えながらも少年の反応は当然だと思った。 あの時、白を纏った青年は自分の獲物となるべき大虚にすら道端の石ろこを見るようなつまらない顔をしていたと言うのに、それにすら勝てないただの護廷の席官風情が彼の目に留まるはずなど無かったのだ。 だが現在、己のそんな虚しさよりもまず優先して考えなくてはならないのは、自分の周りで動揺を露わにしている部下達のことである。 浮竹の発言によって困惑していた彼らは、少年に付き従う銀髪の青年――市丸ギンの台詞によって目の前の橙色の髪の少年が本当に王属特務の長を務めていたのだと浮竹の呟きに対する確信を強め、更に戸惑うことになってしまっているのだから。 霊王を殺したのは死神であり、反逆者・藍染惣右介に対して尸魂界と協力関係にあるはずの少年であり、そして霊王を守護する立場にあった組織のかつての長であったなどと、そんな尸魂界に成り立つ組織の基礎を揺るがすような真実が他にも伝わってしまえば一体どうなるのか。 死神全体の士気は確実に下がるだろう。 また、もし少年が今のような立場に身を置いた理由が明かされ、それが尸魂界(王族)側に非のあるものであったとすれば、士気が下がるどころか(破面側につくことはなくとも)少年の側についてしまう者すら出るかもしれない。 もとより少年を知る者ならば特に。 現に浮竹も、まだ少年のその理由を知らずとも迷いは確実に大きくなってきていた。 かつて守護すべき立場であった存在をその手で殺した理由とは―――。 少年の人となりを僅かながらでも知っている者として、その理由はきっと少年の反逆に足るものなのだと考えてしまう。 だからこそ同時に、今この少年に反逆の理由を問うてはいけないのだと浮竹は思った。 これ以上迷いを大きくしないためにもここで彼を斬り、何も気付かぬまま死神の勝利を、その正当性を、護廷十三隊の十三番隊隊長として示さなければならないのだから。 浮竹の感情の変化を読み取ったのか、少年の横で常と同じ笑みを浮かべていた市丸が僅かに表情を変化させる。 険しさが加わったその顔のまま一歩前へ。 少年を後ろに庇うようにして斬魄刀の柄に手をかけた。 「ギン?俺が、」 「一護ちゃんがここで戦う必要はないやろ。さっきも言うたけど、こういうんはボクの出番とちゃう?せやから一護ちゃんはそこで見学しといても他の所に行っても、好きなようにしてくれたらエエ。」 背後の少年を振り返り、市丸は小さく笑う。 その笑顔は浮竹が今まで見てきた市丸ギンのどんな笑みよりも優しいものだった。 これが、市丸の本当の笑顔なのだろう。 そしてまた、市丸がそんな笑みを向けられるほど少年は彼にとって大切に想える相手なのだろう。 その視線の先で少年は僅かな思案を見せた後、苦く笑って一歩後ろに下がる。 「じゃあ、頼む。」 「まかしとき。これが終わったらすぐ行くさかい。」 市丸の返答に少年は頷き、その次の瞬間には姿が消えていた。 瞬歩でこの場から離れたのか。 隊長であるはずの浮竹にさえその動きは捉えられない。 追わなくてはならない立場である浮竹は、しかしそのことに安堵を覚えていた。 やはりあの少年に刃を向けたくはなかったのだ。 だからと言って市丸ギン相手になら出来るとも限らないのだが・・・。 以前より市丸ギンは敵であると認識し心の準備が出来ていたためか、それとも実は自分の中で少年に対する感情が市丸に対して抱いていた単なる仲間としてのものではなくもっと異なるものだったためか、理由は定かではないが、とにかく浮竹にとって少年を相手にするよりも市丸に刃を向ける方がまだ気楽なのは確かだった。 「ほら、さっさとしいや。アンタら片付けて一護ちゃん追いかけやなあかんのよ、ボク。せやから早ぅしてくれへん?そっちが抜刀する前に殺しても文句言わんのやったら別にこのままやらしてもろてもエエんやけど。」 銀色の前髪の向こう側、細められた双眸に浮かぶのは紛れも無い嘲笑。 決して少なくは無い、また幾ら先刻のことで動揺したとは言え一人一人それなりに実力もあるこの集団に対してそのような表情を浮かべられると言うことは、市丸の実力は相当のものであると考えていいのだろう。 しかしそう考えながら、浮竹は自分が負けるかもしれないという状況に恐怖や苛立ちを感じることは無かった。 もしかして自分は撤退を余儀なくされても――最悪、殺されても――良いと思ってしまっているのだろうか。 あの少年の想いに背くならば。 そんなまさか、と内心首を振るが、どうにも否定が出来た気はしない。 「浮竹隊長っ!」 比較的傍にいた席官の男が刀を構えようとしない浮竹に視線と声で促す。 どうやらこの男は浮竹よりも今ここにある危機に意識を持って行かれているようだ。 まあ、それが普通なのだろう。 黒崎一護と直接関わったことのないその男に小さく頷いて浮竹は既に始解状態にあった斬魄刀を構える。 それを見た他の者達も斬魄刀を構えるなどしていつでも市丸の攻撃に対処できるよう態勢を整えた。 市丸が重心を僅かにずらして小さな鍔鳴りの音を立てる。 そして―――。 「ほな、一護ちゃんを追いかけるとしょうか。」 銀色の髪や白い衣を所々赤色に染めながら、ただ一人大地に立つ青年はポツリとそう呟いた。 |