帰って来た子供達は酷く傷ついていた。
心も、身体も。 wirepuller 12
黒崎一護の奪還を胸に虚圏へと向かった五人の子供達。
現世の茶渡泰虎、石田雨竜、井上織姫と尸魂界の朽木ルキア、阿散井恋次。 誰もが一護と親しく、彼の本質を身をもって知っているはずの者達だった。 一護の帰還を最も強く思い、またきっと戻って来てくれると信じていた彼ら。 しかし己がこの手で送り出した五人は憔悴しきった顔つきで現世へと戻された。 ―――そう、“戻った”のではない。“戻された”のだ。 彼らが一護から得た回答は『拒絶』。 井上織姫の証言から現在破面の頂点に立っていると思われる一護が自らの意思に沿わぬ結果を生み出すとは考えられない。 そしてこれもまた以前井上織姫と共に帰還した茶渡泰虎と石田雨竜からの証言も含めてのものなのだが、虚圏から現世への移動のために開かれた黒腔も一護の意思で開閉自由らしい。 つまり彼らが一護と共に帰って来られなかったということは、一護が彼らを拒絶したということなのだ。 身体に受けた傷よりも深そうな精神への傷の所為か、浦原商店の地下にある勉強部屋へと強制帰還させられた五人は現れた浦原に必要最低限のことを話すと途端に黙り込んでしまった。 重い空気だけが広い空間を満たしていく。 そしてまた浦原も口を開かず視線すら合わせない彼らと同じように重い物を抱え込んでいた。 現世で見つけた、たった一つの愛しいもの。 それが自らの意思であちらの世界を選んでしまったのだから。 平常であれと言う方が難しい。 この、一護にとっても大切であるはずの五人が身の危険を犯してまで虚圏へと向かったと言うのに・・・。 とそこで、浦原は同じ空間で沈んだ雰囲気を纏う己と他の五人との間に違和感を感じた。 一護が現世に帰ってこなかったことを悲しんでいるのは同じだ。 しかし己と彼らでは何かが違う。悲しみとは別にそれと相反する何かがある。一体何だと言うのか。 気付いた違和感は一気に増殖を始めて浦原の思考を侵し始める。 幾百年もの時を経た脳がその分析力を持って生み出した答えは―――。 「・・・キミ達は何を恐れているんスか。」 浦原とは違う、彼らが抱いている感情。 それは『恐怖』と名のつくものだ。 答えが出たのと同時に五人へと問い掛ければ、その背がビクリと跳ねた。 「わ、私はあいつを恐れてなど・・・!」 「止せよルキア。お前も俺も、こいつらだってみんな同じだ。」 「恋次!」 声を荒げて反論したルキアに、浦原ではなく彼女の傍らにいた恋次が返す。 その声は普段の彼よりもずっと落ち着いたものだったが、それは気分が落ち着いているゆえのものではなく他の感情の所為だろう。 顔を上げた恋次が浮かべていたのは浦原が予想した通りの、恐怖に引き攣った表情。 それ以上言うなという意味でルキアに名を呼ばれても恋次は話を終わらせる気にはなれなかったようだ。 浦原へ、そして他の四人へしっかりと聞かせるように語り始める。 「お前らも感じただろ?あの霊圧を。ずげえデカくて、・・・いや、あいつの霊圧は元々デカかったけどよ。でも性質が・・・あれは死神のものなんかじゃねえ。どう見たって虚のやつだ。しかも今まで戦ったどんな虚や破面より凶悪で、直接向けられたわけじゃねえのに近くに居ただけで全身を絡め取られて動けなくなっちまった。確かにあいつの馬鹿デカい霊圧は散々感じてきたが、俺は初めてあいつを恐ろしいと思ったぜ。しかも護ってもらったって感じる前に嫌悪感が来やがった。」 「あれは私達を護るために力を見せただけでっ!」 「でもテメエだって恐かったんだろ?そうだと解ってても気持ち悪くて仕方なかったんだろ!?」 ―――あの、全身を虚の霊圧に包まれる感覚が!! 恋次に怒鳴られてルキアが身を竦める。 彼女だけではない。 織姫も雨竜も茶渡も皆が恋次の怒号に身を竦め、そして否定したくとも出来ない状態だった。 「・・・・・・そうだよ。」 水に墨を落とすように、訪れた沈黙を破ってぽつりと呟いたのは織姫。 笑えばいいのか泣けばいいのか解らないような、そんな泣き笑いの表情を浮かべて彼女はもう一度「そうだよ。」と繰り返す。 「恋次くんの言う通りだよ、朽木さん。・・・少なくともあたしは恐かった。破面に襲われた時、黒崎くんが来てくれてすごく嬉しかったはずなのに。あの霊圧が恐くて恐くて仕方なかった。あたしね、心配して声をかけてくれた黒崎くんの顔を見て悲鳴を上げたんだよ。」 最低だよね、と付け足す口調はあまりにも暗く重い。 自嘲に満ちたその声に明確な同意は返されず、しかしまた批判も無かった。 ゆえにそれこそが同意の証なのだろう。 恋次と織姫が言うように、自分達を護ったはずの少年をただ恐れ、そして嫌悪したのだ。彼らは。 五人の子供達から数歩離れた所に立ったまま浦原は黙ってその話を聞き終え、やがてゆっくりと口を開いた。 「そんなことでキミ達はあの子を拒絶したんスね。」 帽子に隠れた視線が彼らに見えることはなかっただろう。 しかし零れ落ちた声音は絶対零度。 あの子供を大切に想う彼らだからこそ、今回のことを任せたと言うのに。 なのに彼らは浦原の期待を、ひいては一護本人を裏切って黒崎一護という“少年”を拒絶した。 浦原が抱くのは、そんなあまりにも弱く幼い五人の子供達に対する怒り。 そして彼らに任せるという選択をしてしまった自身への怒りであり後悔であった。 冷たい声に凍り付いた五人を見下ろし、浦原は口元を笑みの形に歪める。 「傷はテッサイに言って治してもらってください。それが済んだらさっさとここから出て行ってくださいね。」 今はまだ弱い彼らが知り合いから溢れ出した巨大な虚の霊圧に恐怖したというのは、仕方がないと言えば仕方がないことだ。 浦原も頭ではそれを理解している。 しかし理解が出来ているからと言って心まで納得するとは限らない。 “彼らは黒崎一護を恐怖し、ゆえに愛しい子供は帰って来なかった。”―――これだけが浦原の中の真実だった。 五人を帰し、地下の勉強部屋に一人残った浦原は青く塗られた紛い物の空を見上げる。 傍から見ればこれからどうするか思案しているようにも感じられただろうが、もうすでに考えるまでもなくやることは決まっていた。 あの五人が駄目だったのなら、次は自分。それだけ。 当然、諦めるはずもなく。 蒼穹色の天井を見上げたまま浦原は微かに笑う。 右手に持っていた杖を己の胸へ。 僅かに力を加えるだけで杖の先がぐずりと胸の中に潜り込み、背へと突き抜けるのと同時にもう一つの影が生み出された。 黒の羽織を着た身体が崩れ落ちる。 代わりに、その場に立っていたのは羽織とはまた別の黒を纏う人物。 義骸を脱ぎ捨て死覇装を纏った浦原が紅姫を右手に携えて高い天井を仰いでいた。 リィィィンと澄んだ声で斬魄刀が啼く。 「行こう、紅姫。」 そして浦原の姿は生み出された黒腔の中へと消えて行った。 □■□ 虚夜宮に現れた死神と人間を現世に返した後、自室に帰って来た彼の少年は椅子に腰掛けたまま双眸を手で覆って天井を仰いでいた。 事後処理を東仙達に任せ、藍染は己の大事な主の傍に黙って控えていたが、何も言わず身動ぎすらしない少年のことが心配で堪らない。 一体あの場で何があったのだろう。 藍染が知り得たのは、この宮に少年の知り合いがやって来たこと(おそらく現世に戻ってくれと言いに来たのだろう。実を言うと、己の大事な少年は未だ現世や尸魂界に未練を残しているようだったので藍染は少し心配だった)、その彼らをグリムジョー達が襲撃したこと、少年が人間達を護るためにグリムジョーと戦ったこと、その後少年の手によって人間達が現世に戻されたこと、グリムジョーが重傷を負ったこと、以上である。 ただの現状把握としては上出来かも知れない。 しかしこれだけでは今の少年の理由を説明することが出来なかった。 (一体何があったのですか、一護様・・・) 少年・一護の様子は怒っているとも落ち込んでいるとも取れる。もしくは、それ以外とも。 グリムジョーが今まで負ったことの無いような大怪我だったらしいことから、決して『楽しい』や『嬉しい』と言った感情を抱いているわけではないのだろうが、藍染には『一護が負の感情を抱いているらしい』と言うことまでしか推測の仕様が無い。 こういう時、大切な人に何もしてあげられない自分がもどかしい。 もうあの頃とは違い、決して無力な子供ではないはずなのに。 (どうして私は今もこの方に何一つして差し上げられないのだろう。) 悔しさに唇を噛む。 と、その視線の先で一護が動きを見せた。 ようやく表れた変化に藍染は「一護様、」と主人の名を呼ぶ。 その声がしっかり耳に届いたのだろう。少年は両目を覆っていた腕を脇に垂らし、しかし未だ天井を見上げたままポツリと音を零した。 「・・・なあ、惣右介。」 「はい。何でしょうか。」 「俺さ、実はまだ現世に戻りたいって気持ちもあったんだ。」 「・・・はい。予想は出来ておりました。」 藍染は静かにそう答える。 しかし自分の中だけで考えていたことと実際に口にされたことでは、この身に降りかかるダメージには天と地ほどの差があった。 沈んだ声に気付いたのか、一護は小さく喉を鳴らして笑う。 「うん、あったんだ。」と繰り返し、右腕を持ち上げてまるで何かを掴み取ろうとするかのように真上で拳を握った。 「一護様・・・?」 藍染の位置からでは一護の表情を明確に読み取ることが出来ない。 しかしその小柄な体躯に溢れそうな程の渇望の思いがあることを感じ取って、その思いに引き摺られるが如くワケの分からない焦燥に駆られる。 一護は真上で握り締めた拳で己の視界を再度塞ぐと「でもな、」と言って笑った。 「もう無理なんだ。」 「それは、どういう・・・」 「俺はまた拒絶された。解ってたのに、チカラ、使って・・・護りたかったけど、傷つけて、恐がらせて・・・もう、あそこには戻れない。『黒崎一護』は自分達と違うんだって認識されちまった。今度はただ攻撃されなかっただけで、実質あの時と一緒だ。」 “あの時”とは藍染がまだ藍染と言う姓ではなく、何も知らない子供であった時のことだ。 王属特務だった一護が現世に赴き、虚退治を行なっていた時の。 そして、死神達を護るために虚の仮面を出し、結果として死神達は助かったものの一護自身は危険因子として処刑された、全ての始まりでもある―――。 この時だけ、藍染には呟く主人の姿がずっと小さく見えた。 縋るものを失って途方に暮れる子供。 彼の“子供”である自分には決して見せてくれなかった黒崎一護の一部。 気がつくと、藍染は椅子の後ろから一護を抱き締めていた。 突然触れた温もりに少年が身を竦めるが、藍染にはそれすらも愛おしいと思える。 「そうす、け・・・」 「私は拒絶しません。」 「・・・っ、」 「私は貴方様を恐れません。ずっと・・・貴方様に拾っていただいた時からずっと、私は一護様だけを見てまいりました。貴方様は優しく思い遣りがあり、強くて、そして同時にとても脆いお方です。そんな貴方様を私がどうして恐れることなど出来ましょうか?」 「俺、は・・・」 大切な人を、大好きな人を。 こうして抱き締められるようになったことに関しては、過ぎ去った時間に感謝してもいい。 十六年の人生で作ってきた大事な人間達に拒絶されて脆さを露呈してしまった少年に、子が親に向けるものとはまた異なる愛しさを覚えながら藍染は腕に力を込めた。 「お慕いしております、一護様。ずっと昔から・・・そして、これからも。」 ―――だからどうか、私と共に在ってください。 最後は懇願のような声音で囁き、顔を伏せる。 もうこの人と離れ離れにはなりたくない。 あの時の絶望は今も鮮明にこの胸の中にあるのだから。 「・・・・・・・・・・・・ああ。」 頷きが聞こえ、力強く抱き締める藍染の腕に一護の手が重ねられた。 □■□ 虚夜宮を訪れ、浦原は目を疑った。 中心地からは遠く離れた場所らしいのだが、幾らもしないうちに現れた目的の子供。そしてその後ろにつき従う三人の男達。 死覇装姿の自分とは対照的に白を基調とした衣装を纏う少年の目は淡々と浦原を見ていた。 「ホントそっくりだな。まるであの頃みたいだ。」 懐かしむように呟かれた台詞の意味を浦原は知らない。 しかし自分を通して彼が他の誰かを見ていることは解る。 己が知っている『黒崎一護』とはどこか違う目の前の少年に戸惑いを覚えるが、それでも愛しい・戻って来て欲しいという想いは強く存在しており、浦原はその想いの通りに言葉を口にした。 しかし。 「一護サン、どうしてですか・・・」 一護は首を横に振る。 「ごめん、浦原。俺はもう戻れないんだ。それに決心しちまったから・・・こいつらと一緒にいるって。」 「あの子達に恐がられたからっスか?」 「・・・・・・ああ、そうだ。」 「アタシはキミを恐れたりしません。」 きっぱりと本心を告げるが、見据えた先の一護の顔はその言葉を聞いてくしゃりと歪んだ。 遅いんだって、と。 「遅い、とは・・・?」 「退いてもらおう、浦原喜助。一護様が君達の元に戻ることはない。」 「あなたには聞いてませんよ、藍染。」 一護の言葉の真意を探るため問うが肝心の本人からは回答を得られず、それどころか傍らの藍染が口を開いたために浦原は目つきを鋭くしてその男を睨み付けた。 しかし睨み付けられた方はどこ吹く風で薄らと笑みを浮かべている。 浦原はその余裕の笑みに舌打ちしたくなったが、それよりも大事な存在がいることを思い出して「一護サン。」と名前を呼んだ。 「何が遅かったんスか。それともアタシじゃ役者不足でしたか・・・?」 「そんなことない、けど・・・」 言い淀み、その代わりとでも言うように一護は淡く笑う。 「一護様、」 「ああ。」 藍染が薄い肩に手を置き、一護が答えた。 まるでその親密さを見せ付けられているようで――いや、実際に藍染は“見せ付けている”のだろう――、浦原は歯噛みする。 その身体に触れるなと言ってやりたかった。 どこで何が狂ったのだろう。 どうしてこの子供は藍染の手を取ってしまったのだろう。 苦しげに顔を歪めると一護は泣き笑いのような表情を浮かべてゆっくりと近づいて来た。 ぴたりと浦原の目の前で立ち止まり、手を伸ばす。 浦原がされるがままにしていると、一護は両手で自分よりも大きな身体を抱き締めた。 「一護、サン・・・」 「愛してたよ、浦原。十六の俺は本当にアンタのことが好きだった。」 そう言って少年が身を離す。 顔を伏せることなく琥珀色の双眸は浦原を射抜き、その決意の強さを知らしめた。 「でも、ごめん。アンタの手を取ることは出来ない。」 「・・・どうしても、ですか。」 「ああ。もう決めたんだ。」 淀みない答えが返ってくる。 一護が一度決めたら貫き通そうとする子供だということを知っていた浦原はその回答に愕然とした。 もう愛しい子供は己の腕の中に帰って来ない。 愛しい子供自身がそう決めてしまった。 ―――ならば。 「な、にを・・・」 浦原は少年の手を取りその甲に口付けた。 一護が驚いて目を見開くが、浦原は掴んだ手の力を弱めない。 視界の端では藍染達が異変を察して殺気を滲ませ始める。 しかし、それも既にどうでもいい。 浦原は一護の手を握ったままその双眸をしっかりと見つめる。 視線から己の意思を汲み取らせようとするかの如く、強く、強く。 そして真剣な表情のまま、告げた。 「ならばアタシはキミの命を貰い受けます。キミが自分の意思でアタシの手から逃れると言うのなら、アタシはどこまでもキミを追いかけ、そして手に入れる。」 息を呑む一護に浦原は微笑を向けた。 「愛しています一護サン。キミの命、いずれ頂きに参りますね。・・・では、今はこれで。」 もう一度手の甲に唇を落としてから浦原は距離を置く。 そしてそのまま自ら黒腔を開き、生まれた闇へと身を躍らせた。 |