―――ドォォォオン!



衝撃が虚夜宮を揺るがす。
数多の破面達が突然の出来事に「何があった!?」と混乱する中、しかし城の深部にいた少年はそれを予め知っていたかのように、驚くこともなく口元に笑みを刻んでいた。

「・・・・・・一護様。」
「ああ。来たみてぇだな。」

少年・一護は、傍に控えていた男の声に応えるように、組んでいた足を解いて腰を上げる。
そして立ち上がった一護は男に向かって「惣右介、お前は此処で待て。」と言いつけると、一人、白い長衣の裾をはためかせてその部屋を後にした。
















wirepuller 10















コンコン、と扉を叩く。
本来、目の前にしているこの扉はそんなことをする必要など無いものなのだが、それでも一護はこの部屋を訪れる度、律儀にノックを繰り返していた。

「・・・はい。」

少し遅れて中から声がする。
それを聞き、一護は部屋の中へと足を踏み入れた。
とても捕らえた人間を置くためのものとは思えない広々とした部屋の中、窓の方を向いて――つまり此方に背を向けて――佇むのは井上織姫。
織姫は窓から覗く暗い空から目を離すと、出入り口の所で立ち止まっていた一護へと視線を向けた。

「黒崎くん、今の・・・」
「迎えが来た。」
「え・・・?」

一護が放った一言に対し、織姫は戸惑うように声を上げる。
まさか彼女は、こんなにも早く誰かが自分を助けに来るなど考えても見なかったのだろうか。
そんなに薄情だった覚えは無ェんだけど、と一護は共に尸魂界で戦った“仲間達”を思い出しつつ、胸中で苦笑と共に呟いた。

「たぶん石田とチャドだ。どうせ尸魂界は取り合ってくれねぇから、浦原さんの力でも借りたんだろ。これで帰れるな。」
「私を帰すの?」
「こんな所には居たくねぇだろ?」

織姫の問いに一護がそう返せば、彼女は数瞬の逡巡を見せる。
一護ほどではないにしろ、その色味の薄い瞳が対峙する相手の服の裾やつま先、そして己が閉じ込められている部屋の壁や床を彷徨って、最後にゆるりと瞼の奥に隠された。

「・・・どうして?」

どうして私を帰してくれるのか、と織姫が発した言葉はまたもや疑問。
現世に戻れることを素直に喜んでくれないのは破面に対する疑いからなのか、それとも一護が己とは真逆の位置にいるためなのか、その両方なのか。
一護には判断がつかなかったが、だからと言って判る必要性も特に感じられず、そうしてただ思っていたとおりのことを口にした。

「あいつらに余計な怪我させてまで井上をこんな所に閉じ込めておく理由がない。」
「黒崎くんにとって、私の能力はもういらないってこと?」
「いらないワケじゃねーけど、此処に閉じ込めておくことで井上に加えられるかもしれない危害、そしてチャド達が此処に辿り着こうとして負うであろう傷に比べれば、どっちを取るかは明白だろ?」

元々、織姫が現世から連れ去られたのは、藍染の軽い興味と、一護を虚圏に来させるためのエサとしてというのが主な理由だったのだが、彼女本人にそんな事をわざわざ言っても仕方が無い。

一護は淡い微笑を浮かべ、織姫を見据える。
ただその表情は彼女の解放を喜ぶためのものではなく、少しの悲しみを帯びたものだった。
(だって、つまりは決別の瞬間がもうすぐそこまで来ているということだから。)



「黒崎くん、」
「ん?」
「黒崎くんは・・・その、どうするの?」

織姫の問いかけに一護は両手をゆるく広げ、見ている方が悲しくなるほど優しく笑った。

「俺が着てる服の色、どう見たって白だろ?」











□■□











(随分大きな侵入音になってしまったな。・・・気づかれたかも知れない。)

浦原の力を借り、虚圏に侵入を果たした雨竜は胸中でそう独り言つ。
隣には共に井上織姫奪還のためやって来た茶渡。
彼も雨竜と同じことを考えたらしく、此方を見て小さく頷いた。

今、自分達がいるのは通路と思しき場所。
どこを見渡しても窓や扉、障害物などは見えず、身を隠せるような場所はほとんど無い。
有るとすればこの通路と別の通路が交差した十字路くらいか。
しかし、そう頻繁に十字路やT字路が形成されているわけでもなく、またいつそこから敵が出てくるとも知れなかった。


「破面の霊圧は感じないから、たぶんまだ大丈夫だとは思うけど・・・」
「すぐに誰か来るかもしれない。」
「うん。」

周囲の様子を窺いながら静かに言葉を交わす。

「それにしても静かだね。僕達が立てた音は別にしても、さ。・・・黒崎が先に来てると思ったんだけど。」
「井上が消えたと俺達が知った時には、すでに一護の霊圧も消えていたからな。」

浦原に黒腔を開いてもらった時、先に一護にも同じことをしたのかと問うたのだが、浦原本人から返ってきたのは意外にも否定の言葉だった。
しかし一護の霊圧は全く感知できない。
仮面の軍勢と共にいた時でさえ、いくら結界を張られて正確な場所が判らずとも、その存在は微かに感じ取れていたというのに、だ。
だからこそ、その霊圧が途切れた原因は彼が何か別の方法で虚圏へ向かったためという考えに到った。
一護が死ぬなど有り得ないし――だって戦闘の気配も何も無かった――、また井上織姫の件に関して意見が決裂した尸魂界にいるもの考え難い。
それなら第三勢力である仮面の軍勢の力を借り、一人で織姫の奪還に向かったというのが、一護の性格も踏まえた上で最も妥当な線であろう。

ゆえに自分達二人がこの場に辿り着いた時には一護による激しい戦闘の振動や音を感じられるはずだと思っていたのだが、しかしその考えは見事に裏切られてた。

「探ってみたけど、破面だけじゃなくて黒崎の霊圧も感じられない。一体どうなってるんだ・・・・・・まさかもう、」
「石田。それを、俺達が言ってはいけない。」
「ッ!そ、そうだね。すまない。・・・きっと、もっと離れた所にいるか、殺気石みたいに霊圧を遮断するものがあるんだろう。全く厄介だな。合流すら満足に出来やしない。」

眼鏡のブリッジを押し上げながら早口で告げる雨竜に、茶渡は「そうだな。」と落ち着いた声音で返す。
茶渡とて不安が無い訳ではない。
しかし無意識下で一護は無事だという確信が有り、それが嫌な結末を考えてしまう雨竜よりも幾分楽観的な思考を茶渡に齎していた。

「とにかく此処から動こう。そのうち一護にも出会えるはずだ。」
「ああ、そうだね。まずは進もう。」











□■□











「黒崎くん・・・どこに向かってるの?」
「22号地底路。」
「そこに石田くんと茶渡くんがいるんだね。」
「まぁな。」

コツンコツンと堅い足音を立てながら、一護は自分の斜め後ろをついて歩く織姫にそう答えた。
二人があの部屋から出てしばらく。
途中、瞬歩を用いての移動も含めつつ――なにせ一護達がいた所から目的の22号地底路まではかなりの距離があるのだ――、目的地が近くなってからは徒歩で誰もいない通路を進んでいた。


「・・・・・・この霊圧は・・・」
「だいぶ近づいたみてーだな。・・・井上。もうその腕輪、外してくれて構わねぇぜ。」
「あ、うん。」

見知った霊圧を感じて呟いた後、一護に言われて織姫は虚圏に来るときにもつけていた腕輪に指をかける。
いくらか力を籠めれば、それはスルリと抜け、周囲に織姫の存在を示すが如く霊圧を溢れさせた。
その様子を確認すると、一護はスッと目を閉じて意識を集中する。
途端、今まで微塵も現わさなかった一護の霊圧が一気にその場を満たした。

「っ、黒崎くんの霊圧はやっぱり大きいね。」

僅かに気圧された様子で織姫が言う。
その台詞に一護は苦笑で返し、今度は霊圧を漂わせ自身の存在を「彼ら」に知らせながら進みだした。
角を曲がり、後はまっすぐ。
ただ歩いて目的の場所を目指す。
やがて一枚の壁――つまり行き止まり――に辿り着くと一護は足を止めた。

「行き止まりだ・・・・・・黒崎くん?」

まさか道を間違えたのかと堂々問うわけにもいかず、織姫は一護の背に声をかける。
だが、ふとその横顔を見ると、一護は特にどうという表情も浮かべてはいなかった。
しまった、とか、どうしよう、といった表情は。
一護は何かを思い出すように一瞬視線を空中にやると、次いで正面の壁に指を滑らせる。
すると亀裂も何も無かった壁に突如として一本の線が走り、音を立てて左右に分かれ始めた。

「井上、この先にあいつらがいるから。」

そう言って一護は織姫を促す。
唖然としていた織姫はその声にハッとし、少し躊躇いを見せた後に開けた空間へと足を踏み入れた。
そして、その視線の先には―――。




「「井上(さん)っ!!」」

目を見開いて雨竜と茶渡が立っていた。
どうやら急に感知できるようになった一護と織姫の霊圧を辿って此処まで来たのは良いものの、自分達が入ってきた所以外に出入口が無く、どうしようかと考えあぐねていたらしい。
二人は織姫に駆け寄り彼女の無事を確かめると、ほっと安堵の息を零す。

「良かった。何もおかしなことはされてない?」
「う、うん。大丈夫だよ。・・・黒崎くんのおかげで。」
「そっか。・・・ああ、本当に無事で良かった。」
「石田くん・・・」

心から自分の安否を案じてくれていた雨竜の様子に、織姫は嬉しいような申し訳ないような気持ちでいっぱいになる。
そのまま、笑顔を向けてくる雨竜から視線を外し、その隣に立つ茶渡へと顔を向けた。
彼の表情を見て織姫は微かに眉根を寄せる。

(・・・嗚呼。)

いつも落ち着いているイメージを持つ茶渡は、しかし今、たった一点を見つめて、親に捨てられた小さな子供のような顔をしていた。
黒い前髪から覗く瞳は戸惑いに揺れ、同時に絶望を宿す。
あの時の私と一緒だ、と織姫は胸中で呟き、さらに視線を移して一護を見た。
ここまで織姫を連れて来た一護は彼が開けた出入口付近に背を預けて此方を眺めている。
まるで自分はその中に入るべき存在ではないと言うように。

「・・・・・・ッ、」
「井上さん・・・?あ、そうだ!黒崎、そんな所にいないで君も―――」

こっちに来いよ、と続くはずだった雨竜の台詞は途中で音を失った。
織姫ばかりに向いていた意識がようやく一護の今の姿を認識したのだろう。
顔に困惑の表情を浮かべ、雨竜は口を開く。

「黒崎・・・その格好は何だ?確か君の卍解は黒衣だったと記憶してるんだけど。」

台詞が冷静でも口調は別。
どう見ても死神ではなく破面の衣装に身を包む一護に向けられたのは、今にも引き攣りそうな声。
しかし一護がその声に答えることは無かった。


「井上、皆によろしくな。もし尸魂界から何かゴチャゴチャ言ってきても、全部俺の所為にしてくれて構わねぇから。・・・それじゃあ、」
「黒崎くん!!」
「またな。」


一護が笑う。
その様子を瞳に納めた瞬間、織姫は他の二人と共に黒腔へと飲み込まれていった。






















またな、だなんて笑わないで。

貴方の告げるそれは、ただの絶望でしかないの。

次に会う時、貴方は私達の敵だと言うのに・・・。




『それは、決別を意味した。』

記憶を消さなかったということは、つまりそういうこと。
















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