その姿を目にした時、この胸が歓喜に打ち震えたのを覚えている。
画面越しに見つめたオレンジ色は間違いなく己の唯一だった。 しかし記憶を全て失ってしまった彼にこの思いを告げる事など不可能。 (「昔の貴方を知っている。」と言っても気味悪がられるだけだ。) 故に、その側に在るためには、初めてのような顔をして近づく以外、方法が無かった。 信用されるために己を偽るなど、なんて滑稽な話だろう。 それでも再び彼の琥珀に映ることが出来るなら、何を犠牲にしても構わなかった。 例え後ろめたさに苛まれようとも。 wirepuller 8
破面達が住まう城、その内部に設けられた玉座の間。
藍染惣右介はゆったりと玉座に腰掛け、ウルキオラが連れて来るであろう少女の到着を待っていた。 自分が唯一敬う存在によってもたらされたその力は藍染にとって実に興味深いものだった。 その利用価値と発生原因・過程共々。 ただ一つ、その少女を連れ去ることで彼の存在がどういった反応を示すのかと言うことだけが気になったが、此方が手荒な真似をしない限り大丈夫だろう。 むしろ少女を見捨てた(に決まっている)尸魂界に怒りを覚えて本格的に自分達の側についてくれるかも知れない、と希望的観測もあった。 藍染がそう思っていた矢先、彼の目の前で空間が音も無く横に裂け、パックリと闇を覗かせた。 本当に気配も音も、何も無く。 無意識のうちに立ち上がり、藍染はその闇を見つめる。 視界の端に映る破面達も同様、仲間が使用する時には必ず耳障りな音を立てて開く黒腔が不気味なまでの静けさで存在していることに少なからず警戒心を抱いていた。 霊圧は感じられない。 敵か味方か、それすら判別不能。 けれど藍染は理由も解らぬまま何かを期待していた。 そして闇から一歩、まずは足が姿を見せる。 草履、白い足袋、黒い袴。 ・・・市丸ギン?それとも東仙要か? 湧いた疑問に答えるかの如く、その全身が闇から生まれ出でた。 「―――っ!!」 その姿を捉え、破面達が一斉に色めき立つ。 特にグリムジョーなどはその筆頭。 死神ィ!!と、藍染が止める間も無く奇声じみた歓声を上げてその人物へ飛びかかった。 しかし。 「邪魔だ。」 その人物は軽く片手を薙いだだけ。 ただそれだけで水浅葱の破面が轟音と共に壁へと打ち付けられた。 一瞬で静まる周囲。 そんな中、オレンジ色の髪は少しも乱れはしない。 未だ頬に丸みが残るその少年の双眸に浮かぶのは怒りの感情か。 すい、とそんな琥珀が己へと向けられて藍染は息を呑む。 しかし瞬きの後、再び藍染を映した少年の眼差しからは怒りが消え、代わりに遠い記憶の中にしか存在し得なかった淡い色が宿っていた。 「一、護・・・さま。」 「・・・おいで。惣右介。」 手を差し伸べて、己を呼ぶその声。 まさか。まさか。まさか。 全身の血が沸騰するような高揚感。 既に周りの破面達など目に入らない。 藍染は差し出された手に導かれるように一護の元へ駆け寄った。 跪き、華奢な手を取ってその甲に口付ける。 「一護様・・・」 万感の思いで名を口にすれば、「大きくなったな。」と小さく甘い声が降ってくる。 流れに沿うようにして髪が梳かれ、額に唇が落とされ。 やがで屈んで視線を合わせてきた少年の琥珀に藍染は再び囚われた。 その微笑みは見たいと望むことすら諦めてしまっていたもの。 「ただいま。俺の愛しい子。」 「藍染様!そいつは一体何者なんですか!?」 一護の囁きを消すかのように――実際に消されたのはその囁きの余韻のようなものだが――、現No.6のルピが声を荒げる。 静まり返っていた玉座の間にそれは痛いくらい響き渡り、この場にいる他の破面達の思いをも表しているようだった。 しかしルピに再会を邪魔された藍染としてはそんな周囲の様子など知ったことではない。 立ち上がり、不快感を露わにした双眸をスッと狭める。 それだけでルピは蛇に睨まれた蛙のように息を詰め、身動きが取れない。 立ち竦む彼に向けて藍染は二本の指を突き出した。 「破道の四、白ら「惣右介。」 詠唱を遮ったのは紛れもなく一護の声。 藍染の指先を包み込むように掌で覆い、首を横に振る。 「なぜ、」 「どう見たって自分達より強いとは思えない奴に従う気が起きねえのは当然だろ。」 俺も順番を間違えた、と言って一護は小さく口角を上げた。 その時、聞こえてきたのは「ははっ!」と人を小馬鹿にするような笑い声。 「何、ただの死神のクセにボクらより強いつもりなの?」 藍染の視線から外れて我を取り戻したルピがそう言って嘲笑う。 確かに、霊圧も何も感じられない今の一護を前にすれば、大抵の破面は決して彼が自分より強いなどとは思わないだろう。 先刻一瞬でやられたグリムジョーに関しても、ルピは片腕を失ったその破面を己より下に見ているので気に掛けている筈がない。 しかし、と藍染は思う。 一護は死神の姿をしているのにどうして霊圧がゼロなのか。 すぐ近くにいるのに微弱なものすら感じられないのは何故なのか。 それに気付けば己が言った事の愚かしさも理解出来る筈だ。 逆に気付けなければ理解も出来まい。 愚鈍だな、と感想を抱いた藍染の傍らでは一護が愉しそうに表情を歪めている。 「仕方ねえなぁ。」と頭を掻き、その軽い口調とは裏腹にスッと細まった双眸が藍染の背筋に冷たいものを走らせた。 そして。 「―――ッ!?」 間近で凶悪なまでの霊圧に晒される。 押し潰されて息も出来ない。 これこそが子供の頃にも体験出来なかった彼の本気だと言うのか。 否。未だ虚化していないのだから、それは力の断片に過ぎない。 ズン、と空気が重くなり、泡を吹いて倒れる者が続出する。 その中でただ一人、平然と立つ少年が全てを冷たく睥睨しながら口を開いた。 「俺とお前達、どちらが上か自覚しろ。出来ない奴は名乗り出ると良い。今此処で塵も残さず消してやる。」 そう言われて名乗り出られる者がいるだろうか。 藍染でさえ立っているのがやっとの事で、声など出せそうにもなかった。 まだ十秒と経っていなかっただろう。 しかしついに藍染は体勢を崩し、片膝を地面に付ける。 それに気付いた一護がようやく霊圧を収めた。 「・・・ああ。悪かったな、惣右介。立てるか?」 「は・・・い。」 差し出された手を取って藍染は立ち上がる。 見渡す限り死屍累々。 もしかしたら再起不能な者が出たかも知れない。 そう思いながらもすぐに自分より下に位置する琥珀に視線を絡め取られ、藍染の心を占めたのはそんな事など気にならなくなるほど絶対の存在。 ついにこの日。 力と記憶を取り戻して自分達の真の主が表舞台へと立ったのだ。 |