明カサレタ悲シキ未来
バキン、と甲高く大きな音を立てて黒い四角柱に亀裂が入る。
亀裂は一瞬で四角柱の表面を覆い尽くし、そのまま硝子を叩き割ったかのように破片と化して崩れ落ちた。 「・・・・・・。」 「これはこれは・・・」 「わーお。」 結界の外で168時間、その四角柱を見守っていた者達はようやく訪れた変化に注目し、感嘆の吐息を漏らした。 彼らの視線の先には黒い破片を足元に散らした人影が一つ。 白かった着物を本来の色である黒に染め直し、鮮やかなオレンジ色の髪を持つ死神―――黒崎一護が閉じていた両目をゆっくりと開く。 琥珀色の瞳で一護は結界の内側から仮面の軍勢達を見遣ると、一週間ぶりの挨拶代わりにひらひらと手を振った。 仕草が少しばかり疲れているように見えたのは、白い彼との修行が後を引いているからだろう。 そんな一護へとまず最初に声をかけたのは平子真子だ。 「その様子やと上手いこといったみたいやな。」 「おかげさまで。悪かったな、一週間も場所借りっぱなしでさ。」 「こっちもオモロイモン見られたからエエわ。つーか黒い四角柱といい、ハッチの結界ミシミシ言わせとったその霊圧といい、一体何しとったんやお前。」 「そりゃあ勿論、」 平子の問いに一護はほんの少し頭を傾け、口の端を持ち上げる。 そのまま一歩進んで結界に手を触れさせると、次の瞬間、鉢玄が張った結界はまるで薄紙を破るかのように呆気なく破壊された。 「これくらいは出来るように、テメーらが言うところの“内なる虚”から力を貰い受けてきたんだ。」 「ははっ・・・確かにその霊圧、今までとは桁がちゃうわ。」 白い彼から力を譲り受けたばかりでただでさえ甘い霊圧制御が更に難易度を増し、一護の身体からは平子を圧倒する程の霊圧が放出されている。 それを自覚していた一護は平子の物言いに苦笑を浮かべた。 と同時に、一護に力を渡したおかげで現在、眠りについているはずの白い彼を意識する。 その拍動は寝ている人間の呼吸が深く遅くなるのと同じく、とてもゆっくりなリズムを刻んでいた。 白い彼の言っていたことが本当ならずっとこのままという訳ではないだろうが、それでもしばらくは言葉さえ交わせない日々が続くだろう。 それを少し寂しく思いながら、けれどまずはこの霊圧を制御することが重要だと、白い彼が再び意識を取り戻した時に笑われないよう次のことを考える。 「ま、そっちはこれから制御出来るようにしていくさ。」 「せやったらオレらンとこで訓練したらエエ。場所でも相手でも、いくらでも貸したるさかい。」 言って、平子はぐるりと仲間達を見回す。 すると「いーよー」と気楽に言う者から「ふんっ」と不機嫌そうな者までそれぞれの表情を見せつつも、反論の声は上がらない。 好悪は別として、誰もが一護に何らかの興味を持っているのだ。 そして一護の実力(もしくはそれ以外の何か)を確かめたいと思っている。 自分以外の仮面の軍勢から否定の言葉を受けなかった平子は最後に「な?」と付け加えて一護を見た。 「そりゃありがたい。・・・けど、まずは浦原ン所に行って報告して来るつもりだったから、付き合ってもらうのはその後でってことでいいか?」 「おー、了解した。せやったらさっさと行きぃ。んで早ぅ戻って来て修行開始や。」 「そうだな。」 僅かに頷いて見せ、一護は平子達に背を向ける。 そして彼等の視線を受けながら結界の外へと出て行った。 場所は変わって浦原商店、地下勉強部屋での爆発音など気にもならない地上部分にて。 「その色は・・・」 「ま、なんとか終了ってところだ。」 黒い死覇装姿を前に、帽子の陰で僅かに目を見開く浦原。 こちらに到着するよりも早く常よりも大きくなった霊圧を感知して一護のこの一週間の成果がどれ程のものか予想はついていたのだろうが、実物を目にして抱く感慨はまた特別ということか。 そんな師を前に一護も若干照れくささを漂わせながら笑う。 「なんとか、っスか。一体どんな修行をされたんで?」 「俺の中にいる“アイツ”の力を正式に貰い受けたんだ。その所為でアイツは暫らく眠ることになってんだけどな。」 僅かに眉尻を下げて一護は答える。 すると浦原は「ふむ・・・調伏ではなく力を貰い受けたんスか。」と独りごちながら暫らくの間考え事をしているようだったが、やがて一護に視線を戻し、とりあえず預かっていた身体に戻ってみてはといつも通りの軽い調子で一護を店の奥へと促した。 「それと念のため検査させてくださいな。」 「ああ、わかった。そういや一週間ぶりだよなー。」 「ええ。まァ、ぱっと見たところどこにも異常はないようですが。」 「当然だろ。」 異常はないようですが、と当たり前のことをわざわざ口にする浦原を軽く笑いながら、一護は店の奥へと足を向ける。 そう、異常なんてあるはずがない。 白い彼は『仮面の軍勢』達が裡に飼っているような凶暴な虚ではなく、宿主たる一護には非常に友好的な存在だ。 そんな彼が一護に害を齎すとは考えられない。 一護がまだ九歳だったあの時から今までの行動がそれを証明している。 今は一護に力を譲渡してしまった所為で眠りについているが、異常と言えばそのくらいだろう。 そう思って身体に戻った後、浦原の検診を受けたのだが――― いつも通りの手順を終えた浦原がすっと立ち上がって告げる。 「少し待っていていただけますか?」 「え・・・」 どうして、何があった? 視線で問い掛ける一護に、浦原は「すみません」と帽子の鍔で視線を隠した。 そのまま一護を残して部屋から去り、待たされることしばらく。 浦原が再び部屋に訪れた時、彼は一護の父親・黒崎一心を伴っていた。 「親父?」 視線を伏せたままの浦原と、厳しい顔をした父親。 部屋に入って腰を下ろしたその二人を交互に見つめながら一護は全く理解出来ない状況に頭を混乱させる。 マズいことなど何もないはずなのだ。 それなのに二人のこの表情、この雰囲気。 「何なんだよ二人して。ンな恐ぇ顔しやがってさ。」 部屋に満ちる嫌な雰囲気を否定したくて一護はわざと明るく冗談めいた声を出す。 だが一心と浦原が表情を変えることは無く、一護はすぐに黙らざるを得なくなった。 (本当に何なんだ・・・) 胸中で独りごちるが、それに答える声は無い。 ただ魂の奥でゆっくりと静かにリズムを刻む拍動を感じるのみ。 その存在を意識して一護はざわめく自身の感情を抑えようと努める。 正面に座る二人の雰囲気からして大層難しいことではあったが。 「―――なあ。黙ってねぇで話してくれよ。」 声が乱れないよう注意して一護は二人に問いかけた。 その声に二人はチラリと視線を交し、やがて幾らか戸惑いを含みながら一護と視線を合わせる。 「一護サン、」 口火を切ったのは浦原だ。 いつのも軽薄さは何処へやら、重く沈んだ声で一護の名を呼ぶ。 「アタシも一心サンもこんなことは認めたくない。けれどキミを大切に思うからこそ事実を認め、キミに告げなくてはならない。」 「なんだその遠回しにも程がある言い方は・・・。もっとはっきり言ってくれよ。その顔だと、認めたくはねーけど、なんかマズいことがあったんだろ?」 「ええ。キミという存在の存続にまで関与することが。」 そこまで言って一拍置き、覚悟を決めるように浦原は告げた。 「キミとキミの中にいるあの『彼』。二人の存在が一護サンの中で完全に分離してしまっているんス。今はまだ『彼』の力が弱くて共存が許されていますが、そう遠くないうちにキミ達のどちらか一方が身体から弾き出されてしまうでしょう。そして弾き出された方がどうなるのか―――死神のように存在出来るのか、それとも弾き出された衝撃で消滅してしまうのか、正直なところ全く判っていません。」 「な、ん・・・」 (なんだよ、それ―――!) 自分とあいつが分離?身体から弾き出される? そして下手をすれば自分達のどちらかが消滅する? 訳が解らないと思いながらも一護は驚きで言うべき言葉を失う。 「今回の“修行”によりキミと『彼』の波長が完璧にズレたんスよ。本来一つの身体に二つの魂が宿っていたこと自体異常でした。ただキミ達はよく似た存在だったために長い時を共に在ることが出来ていたんス。ですがおそらくその長い時の中でキミ達は徐々に別個の存在として変化していったんでしょう。尸魂界の一件で崩玉を使い、一度は互いの波長を再度シンクロさせましたが、それも応急処置程度でしかなかった。そんな状況で・・・」 (俺とあいつの間にあった“パイプ”を切ったから・・・?) だから完全に別れてしまったのか。 確かに混乱はしていたが、一護の冷静な部分は浦原の言葉を聞き、そう判断を下す。 ただし現状を理解してそれから何をすべきなのか、という部分に関してはまだ頭が働いていなかった。 否。 本当は浦原の言葉と彼らの表情を見ていれば気付いたはずなのだ。 だからどうしなければならないのか、ということを。 しかし一護は無意識のうちに導き出される答えを否定していた。 何故なら――― 「だから一護サン。アタシ達は 「そうだ、一護。不安かもしれんがお前は俺達が必ず―――」 「・・・ははっ。」 一心の言葉を遮るように一護が笑った。 皆まで言うなと示すように。 (そうだ。解ってた。こんな時に俺達のどちらがどうなることを望まれているのかなんて。) 「一護・・・?」 状況に似合わぬ息子の笑い声を聞き一心が訝しげに眉を顰める。 だが一護は構わずスッと立ち上がると仁王立ちのまま二人の男を見下ろした。 一心と、そして浦原の怪訝そうな雰囲気が増す。 「一護・・・」 「一護サン?」 「許さねぇぞ。」 一護が呻く。 胸にあるのはどろりと重油のように粘る黒いモノ。 頭は焼けるように熱く、氷のように冷たかった。 「俺“が”弾き出されないようにする?俺とアイツのどちらかしか残れねぇ状況で?それをこの俺の言うのかよ。」 一護のその言葉に浦原達が表情を硬くした。 彼らも自覚はしていたのだろう。 一護をその身に残すということは、白い彼を(生存の保障も無しに)追い出すということ。 これまで共に在った一護にとっては半身とも言うべき存在を彼らは奪うと言ったのだ。 「ですが!彼は虚と似たモノだ!!いつキミに牙を剥くとも知れない!!」 立ち上がり、浦原が言い返す。 その言葉は彼の隠れた本心だったのか、それとも一護に現状を受け入れ次へ進ませようとする思いやりの現われか。 どちらであろうと、しかし一護には関係なかった。 今はただ自分の奥底で眠りについた白い彼の弱い拍動を感じ、彼を手放すわけにはいかない・護りたいと思う感情が最優先だった。 だから浦原の真意はともかく、その言葉は受け入れられないと怒鳴りつける。 「ンなのなんでテメェが決めんだよ!アイツのことはアンタらより俺の方がずっとよく知ってる!アイツを消そうとする奴は誰であろうと許さねぇ!!」 「・・・ッ!」 もとより制御しきれていなかった一護の霊圧が箍を外され周囲に溢れ出す。 これには流石の一心や浦原も容易には耐えられず、どちらともなくと苦しげな声を漏らした。 「アイツは誰にも奪わせやしねぇ。親父達であってもだ。」 「一護!しかしそれじゃあお前が・・・!」 敵意を含む霊圧に当てられても一人の子を思う親として一心は顔を歪める。 (―――っ。) 一護にも彼等が自分を想ってくれているからこその決定であるとは解っていた。 だが、それでも。 白い彼の存在を代価にされては引き下がることなど出来ようはずも無いのだ。 「いいんだ。どっちが弾き出されても。だから結果が出るまで俺達を離れ離れにしないでくれ。・・・あいつを、消さねぇでくれよ。」 最後の方は声が掠れていた。 溢れていた霊圧までもが鳴りを潜める。 それほどまでに一護の願いは切実だったのだ。 「・・・お前はそれでいいのか。」 僅かな沈黙の後、一心が小さな声で告げた。 それは発した本人でさえ認めたくない発言だったのではと思えるほどの小ささで。 一心の小さな声は一護と浦原の両名に届き、浦原は一心と同じく苦しげな表情を、一護は父親の言葉が信じられず半信半疑といった顔を晒す。 だが一心の雰囲気が言葉通りであることに気付き、一護はこくりと頷いた。 「構わねぇ。」 「・・・そうか。わかった。」 ふう、と息を吐き、一心は自身の後頭部に左手をやった。 ガシガシと頭を掻いて苦笑を零す。 そして再び――ただしこれまで以上にしっかりと――己の息子を見つめて言った。 「だが忘れてくれるなよ。俺も浦原も、まだ十六でしかないお前が死ぬなんて望んじゃいないんだからな。」 たとえ弾き出された後に消滅を免れたとしても黒崎一護と言う魂魄が黒崎一護と言う肉体を失うことに変わりは無い。 親としてそんな未来を受け入れたくはないのだ。その気持ちは理解して欲しい。 「・・・っ、ああ。」 一心の想いがストレートに伝わってきて一護は思わず泣きそうになった。 目頭が熱くなるのをなんとかそこで留め、誤魔化すように「ああ。ああ。」と頷きを繰り返す。 「ありがとう。親父、浦原。」 「そりゃお前の親だからな。」 「キミが大切ですからね。」 大人二人が優しげに返すのを聞き、一護は今度こそ耐えられず両目を強く閉じて頭を下げた。 「ありがとう、ございます・・・!」 |