守護者ト観察者












時間は少しばかり遡る。




町の西端に虚が出たのを感知した時、高校の美術準備室に一人残っていた市丸は何故か胸騒ぎを感じた。
霊圧を探ってみても然程強そうな虚には思えない。
これならば一護一人で簡単に倒してしまう。そう解っているはずなのに。

携帯電話を手に取り、先に帰宅していた――そして既に死神化して目的地へ向かっているであろう―― 一護の番号にかける。
コール三回で出た本人に共に行こうかと提案するも、しかし一護は否と答えてこの場に残るよう言ってきた。

『俺一人で充分だろ。それに場所が場所だからさ、もし町の東側に虚が出たらお前に対処してもらわねーと。』
「・・・・・・。」

確かに一護の言う通りだ。
反論の余地は無い。
市丸は胸をざわつかせる不安を相手に伝える術も無く、もやもやとしたものを抱えながら諾と返した。

「気ィつけてな、一護ちゃん。」
『おう。』









「ああ・・・」

まるで物理的な圧力まで伴っているかのような大きな霊圧が突如として空座町の東部に現れた。
その霊圧を感知し、市丸は驚いているような、面倒くさがっているような、そんな曖昧な吐息を漏らす。
現在町の西端に出掛けているはずの一護を自身の職場でもある高校で待っていた市丸は、二体分の霊圧が現れた方向を見やって呟いた。

「こりゃボクの出番かいな。」

一護が町の西端へ向かう際、彼から電話で言われたことを思い出しながら。
それと同時に義骸を脱ぎ捨て、死覇装姿の霊体へとなる。
腰には脇差にも見える市丸の斬魄刀。
未だ護廷に属しているが隊長ではなくなったため、黒い着物の上に羽織っていた白はない。
背負っていた番号がなくなった分だけどこか身軽になったような気がするその姿で、市丸は二体の強力な虚が現れたであろう町の東の公園へと跳ぶ。

出発地点から目的地までを直線で結ぶ最短距離を進むのは当然だが、それでも一度の瞬歩で辿り着くような距離ではない。
幾度かの瞬歩の後、ちょうど中間地点に達した市丸は―――

「・・・・・・何のつもりですの、平子隊長。」

己の行く手を阻む格好で空中に立っている――正確には空中に作った霊子の床の上に立っている――平子真子を睨み付けた。
しかもこの場に現れたのは彼一人だけではない。
平子の斜め後ろには眼鏡をかけた黒髪の女子高生と横も縦も大きな男が控えている。
どちらも市丸の記憶には『藍染に虚化された者』として残っていた顔だ。
現世に逃亡するため彼等に手を貸した浦原喜助から彼等の情報を詳しく聞いた訳ではないので知らないことは多々あるが、おそらく藍染の実験台にされたあの八人は目の前の三人を含めて全員無事に今まで暮らしてきたのだろう。
そしてきっと今の彼等は一護を『仮面の軍勢』の仲間にしようとしている。

(不愉快な連中や。)

胸中で毒づき、次いで市丸はやや過剰に溜息を吐いてみせた。

「用が無いんやったら早ぅそこ退いてくれません?一護ちゃんの代わりに虚退治せなアカンので。」
「・・・ハッチ。」
「ハイ。」

市丸の言葉には答えず、平子が口にしたのは斜め後ろに立つ人物の名前。
そして呼ばれた方―――大柄な男・有昭田鉢玄は静かに返答するのと同時、胸の前で印を結んだ。

「何を―――」
「すみませんが、しばらくの間、アナタを閉じ込めさせていただきマス。」

キンッ・・・と高く澄んだ音が一帯を支配する。
その直後には市丸と他三名のいる空間が一辺30メートル程の立方体に区切られていた。
内と外を遮断する結界。
鉢玄が生み出したそれは余程強力なものらしく、結界の内側にいる市丸には先刻まで痛いくらいに感じられていた虚の霊圧が今は全く届いてこない。
その事実を確認し、市丸は表情を変えぬままゆっくりとした口調で告げた。

「どういうつもりですの?」
「ハッチが言うたまんまや、市丸ギン。しばらくの間、オマエをここに閉じ込めさせてもらう。」
「ボクはさっき早ぅ退け言いましとけど?」
「せやからオマエを今あそこに行かせとうないっちゅーねん。」

半眼のまま面白くなさそうな声と表情で、平子。
自分もまたこの場に市丸と共にいるのは勘弁願いたいという顔である。
市丸は訝しげに一瞬だけ片目を薄く開き、「何を企んでるんかは知らんけど、」と続けた。

「前に言いましたよなァ。“あの子”に手ェ出したら容赦せぇへん。その身体、ボクの神鎗で串刺しにしてあげますわ、て。」
「一護に手ェは出してへんで?」
「一護ちゃんの害になることやったら全部同じに決まっとるやろうが。」

ヂリ・・・と紫電のように、高まった市丸の霊圧が空中を走った。
市丸が虚の対処に遅れれば遅れるほど、被害は増していくことだろう。
それが黒崎一護に関係のある人間であってもなくても、彼はきっと悲しむに違いない。
中と外を完璧に遮断され虚達とその周囲を探ることが出来ない状況の中、市丸は最大速度で必死に目的地へ走っているであろう一護を思い、苛立たしげに唇を歪めた。

「早ぅ退け。」

市丸が低く告げる。

「イヤや。」

平子が答える。
途端、高まった霊圧と市丸の身体から噴き出る殺気に三人が目を瞠って反応した。
鉢玄は身体を硬くし、平子は額から脂汗を流し、そして眼鏡の女子高生・矢胴丸リサが鞘から斬魄刀を引き抜いて市丸に肉薄する。


ギィィィン・・・!


リサの一撃を神鎗で受け止め、市丸はうっすらと嘲りの表情を浮かべた。

「アカンなぁ。」

薄く笑ったまま市丸が右腕を振る。
ヒュンと風を切る音と共に大きく振るわれた腕は軽々とリサを押し返し、

「なっ!?」

否、押し返されたと言うよりは弾き飛ばされたと表現すべき勢いで細身の身体はそのまま結界の側面へと叩き付けられた。
ドバンッと背中を打ちつけ、リサの身体は力無く結界の底辺へ落ちる。
だが気絶や痛みで行動不能になるまでには至らなかったらしく、彼女はゆるゆると起き上がりながら鋭い眼光で市丸を睨み付けた。

「クソがっ・・・!」
「汚い言葉遣いやねぇ。隊長に窘められたりせぇへんかったん?」
「っ、黙れ!」

矢胴丸リサという女がかつて所属していた隊と今でもそこで隊長を担っている男の顔を思い出しながら市丸は相手の傷を抉るように笑い、対してリサは――市丸の言葉が当たりだろうが外れだろうが最早関係なく――己の過去に無遠慮に触れようとした相手に激しい怒りを覚えて咆哮する。
「リサ、アカン!」「リササン!!」と仲間の声が制止をかけるも止まらない。
結界の底辺に這い蹲った状態から低い体勢のまま突っ込んでくるリサの姿を真正面に捉えながら、市丸は三日月のように口の端を吊り上げた。

「高が元副隊長如きが、虚化もせんままボクとまともに戦えるとでも思ぅてんの?」

言葉の後に続いたはずの動作は誰にも目視出来なかった。
リサが市丸へと突っ込んだその一瞬後、彼女は血を吐きながらくずおれ、背中を――そしてきっと腹部も――真っ赤に染め上げていった。
広がるその血が僅かに届かぬ場所には市丸が立ち、チン、と小さな鍔鳴りの音を立てて刃を収めている。
始解すらしていなかったのだろう。
脇差程度の長さしかない刃と瞬歩だけで市丸は今の状態を作り上げてしまった。
仲間の瀕死状態に平子と鉢玄は蒼白になる。
それを薄く開いた双眸で眺めながら市丸は実に面倒臭そうな声音で告げた。

「安心しぃ、殺しはしてへんよ。そないなことしたら一護ちゃんに怒られてしまうわ。・・・見た目はちぃと派手やけど、副隊長レベルなら致命傷でもないやろ。」
―――でもこれ以上被害を増やしとうなかったら、さっさとこの結界解いてくれへん?

直接的な脅しの言葉に、視線を向けられた鉢玄が「くっ」と呻き声を漏らす。
だが彼がそれ以上何か反応を見せる前に平子が鉢玄の名を呼んだ。

「ハッチ、結界維持したままリサのこと見たってくれるか。」
「・・・わかりまシタ。」

鉢玄がうつ伏せに倒れているリサの傍に寄る。
その一方で平子は市丸をじっと見据え、市丸もまたリサや鉢玄からは興味を失ったかのように平子を見据えた。

「一護ちゃんの望みの邪魔するんやったら、ボクはアンタらのこと本格的に敵と見做さなあかんのやけど。」
「そりゃ困るなぁ。」
「せやったらさっさと退きぃ。一護ちゃんが帰ってくる前にあの虚共屠っときたいねん。」
「それも困るわ。」

ニヤリ、と平子が笑う。

「オレらは一護の力が見たい。あいつの力がどれ程の大きさで、どんな性質のものなんか。・・・『仮面の軍勢』として引き入れたい奴やからな。今回のはちょうどエエ機会や、ちょっとばかし変わってる一護の力をあの虚共を使って見極めたる。ま、危のぅなったらオレらん仲間が助けに行く手筈やし。」
「無関係な人間が虚の犠牲になっても?」
「どうでもエエわ。オレら人間は好かんねん。死神はそれ以上に嫌いやけどな。・・・オマエかてそうやろ、市丸ギン。赤の他人らどうでもエエ思てんのちゃうんか。」
「否定はせぇへんけど、それで一護ちゃんが悲しむんやったら話は別やで。」
「そうかい。」

ほな交渉決裂や、と平子が斬魄刀を抜く。

「力尽くでオマエを止める。」
「迷惑な話やわ。」

呟き、市丸はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
ここで素直に結界から出られないならば、大人しく結界が解かれるまで待っていようが平子(と鉢玄)を倒して進もうが、あまり結果は変わらないからだ。
崩玉を取り込んだ一護は並大抵の虚など相手ではなく、また今空座町に出現している二体の虚にも負けることなどないだろう。
だからこそ市丸が気に掛けるべきなのは、一護の勝敗ではなく一護が現場に辿り着くまでに発生する被害の大きさなのである。

(仮にも藍染はんの隊長やったお人や、さっきのメガネ女みたいにはいかんやろ。・・・これで遅刻は決定。下手したら一護ちゃんが一人で片付けてしまうやろな。)

これでは自分が学校に残っていた意味が無い、と市丸は溜息を一つ。
そして思い通りにならない事態に対する苛立ちを解消すべく、平子真子を見据えて徐々に霊圧を高めていった。









だが結局、市丸が鉢玄の結界を出られたのは一護が二体の(完成に近い)破面を退け更に遅れて現れた大虚を昇華した後のこととなる。
虚化した平子真子に加えて、どうやってか仲間の危機を察知して集まってきた他の仮面の軍勢までにも足止めを喰らった市丸は、やがて「もうええわ。」と平子のその一言により結界の中から解放された。
入れ替わり立ち代わり襲い掛かってきた仮面の軍勢らに流石の市丸も至るところに傷を負っていたが、それでも構わず一護の元へ走った後、少年の眉間に盛大な皺を作って心配されたのはまた別の話。






















(原作で)破面を従える立場にいるんですから、やっぱり市丸は相当お強いかと思われます。

ただし本当のところ、『仮面の軍勢』も市丸も相手を殺す気はないので、それなりの結果にはなってしまうかと。

(↑殺してしまった場合の一護の反応を気にして。)












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