「まぁまぁ一献っ!」
「はぁ・・・どうも。」 藍染惣右介の反逆が起こり、しかしながら何だかんだで事後処理も一段落ついたある日の夜。 一護は隣の金髪美人に勧められるまま杯を手にしていた。 (・・・・・・・・・・・・・・・なぜ。) Pleasant Fool
「あの、乱菊さん?俺一応まだ学生なんすけど・・・」
「やーねえ一護ったら!そんなの気にしてちゃ楽しくないでしょー?」 隣の金髪美人もとい松本乱菊は一護の背をバシバシと勢いよく叩いて上機嫌な声を出す。 その度に手に持った杯から僅かな芳香を放つ透明の液体が零れ落ちそうになるのだが、はてさてそのまま杯の中身を外に放り出してしまえばいいのか、それとも全て零れ落ちる前に液を口の中へ移動させればいいのか。 「ほら一護!先輩に勧められたお酒は飲むのが礼儀よ!」 「って、うわっ・・・・・・っごほ。」 どうしようかと躊躇っていた一護の手を取り、乱菊が杯を押し付けてきた。 口へと運ばれた液体は押し付けられた勢いと咽た所為で半分以上が口端から零れ落ち、残りはじんわりと喉を焼いていく。 決して品行方正なわけではないので見知らぬ味とは言わないが、それでも慣れているとまではいかないそれに目を白黒させ、咳の勢いで下を向いていた一護はゴホゴホと更に数度咽てから顔を上げた。 「乱菊さん、もうちょっと手加減してくださいよ・・・」 「ほらもう一杯!」 (だめだこの人、出来上がっちまってる。) 『飲み会の席じゃァ酔っ払った者勝ち、素面の奴が敗者だ。諦めろ。』 (そんなアッサリ!?) この場で唯一の理解者であり味方だと思っていた白い彼――斬月は普段こんな場面では口を出してこないので白い相棒殿が“唯一”なのである――からスッパリキッパリと最終宣告を下され、そちらに気を取られた所為で辛うじて持っていた杯が手から零れ落ちる。 しかしだからと言ってそれで一護の役目が終わるはずもなく、カランと音を立てて落下した量産品であろう杯に気付いた乱菊が笑顔のままそれを拾い上げ、すかさず今宵の酒宴相手の手中へと戻した。 「だめでしょ一護。今日はとことん飲むんだからね!」 「・・・・・・はい。」 乱菊だけでなく護廷のほぼ全ての死神達が此度の一件で抜けてしまった隊長三人分の仕事を分割して回され、なおかつ通常業務プラス上層部の混乱による雑務エトセトラによりこのところ隊舎に缶詰状態だったのだが、その缶詰状態が解けた彼女の反動は物凄いものなのである。 一護は突然金色の風に襟首を引っ掴まれて此処まで連れてこられたことを思い出し、大きく溜息をつきたくなってしまった。 再び乱菊によって満たされた杯を持ちながら辺りを見渡すと、大勢ではないが少なくもない人々の中に見知った顔が見える。 彼女の友人だと思われる彼らは既に粗方酔っ払い、笑ったり眠ったり愚痴ったりして思い思いに過ごしていた。 乱菊もその中に混じって話している方がきっと楽しいだろうに、何故か一番付き合いの少ない一護――尸魂界にいる期間とその理由を考えれば当然であるが――の隣に陣取って此方の相手をしてくる。 酒宴に誘った手前、交流の少ない自分を心配してくれているのだろうか。 もしそれだと、嬉しいだとか厄介だと感じる前に申し訳ないという感情が先に来てしまう。 (折角の気晴らしなんだから、ちゃんと楽しまねえと。) 「一護ぉ、酒宴の席で一人難しいこと考えんのはナシよ。ここの皺が深くなってる。」 ぬっと顔を近づけてきたと思ったら乱菊が指で一護の眉間をぐりぐりと刺激し、やや機嫌が低下した声でそう言った。 どうやら無意識のうちに表情が硬くなっていたらしい。 一護は、乱菊さん顔近いです、とやんわりその身体を押し退けながら意識して表情を緩める。 「そーそー、難しい顔はダメよ。楽しまなくちゃ。」 「・・・そうっすね。」 「みんな集まっての気晴らしなんだから。」 「はい。」 そう言ってぎこちなく微笑めば、乱菊は再び機嫌を上昇させて嬉しそうに頷いた。 でもやはり、と言うかだからこそ、気晴らしならば乱菊も此方にばかり構っていないで好きな所に行けばいいのに、と一護は思う。 決して自分の傍にいて欲しくないと感じているわけではなく、これまで大変だったのだからその分思い切り楽しむのが当然だと言いたいのだ。 自分の考えに頷き、一護は杯に少し口を付けた後、乱菊を見ながら口を開いた。 「乱菊さん。俺一人でも好きにやれますんで、乱菊さんも好きな所に行って下さって構いませんよ?」 「・・・あたしといるのは嫌なの?」 「いや、そう言うわけじゃなくて!」 勘違いされて一護は返答に焦る。 しかしそれを見ていた乱菊は次の瞬間、ただ可笑しそうに笑いだした。 「ら、乱菊さん・・・?」 「冗談よ、じょーだん。そんなの本気で思うわけないでしょ。・・・ホント、あんたって他人のことばっかり考えてるわねぇ。もうちょっと自分のことも考えなさいな。」 「・・・考えてますよ。むしろ自分のことばっかりです。」 「ウソおっしゃい。あんた、他人の為にしか動いてないじゃない。今回のことだって、あんた一人だけならわざわざ此処まで来なくたって何とかなってたんじゃないの?藍染隊長のこととかさ。それだけの実力はあるでしょ?でもルキアちゃんを助けるために尸魂界に来て、そして結果的にはあたし達を救ってくれた。」 「人助けなんて結局は自己満足のためだけにすることっすよ。それに俺はルキアに不要な心配までさせちまったし・・・」 口篭ると、隣で乱菊が仕様が無さそうに息を吐き出す。 彼女は酒に酔いながらもどこか姉や母を思わせる包み込むような表情で一護を見、「本当にもう、あんたって子は。」と仕様が無さそうに呟いた。 「自己満足のためってのはきっと誰に対しても当てはまることだから、そういうのはナシね。いいじゃない。他人の為になる自己満足なら、あたしは大歓迎よ。・・・それとね、ルキアちゃんのことだけど、あの子がそんなことでいつまでも怒ってると思うの?」 「っ、それは。」 「思ってないでしょ?」 「思ってないです。」 「ならオールオッケー。ほら、じゃんじゃん呑むわよ!」 「・・・お付き合いします。」 些か丸め込まれたような気がしなくも無いが、ここまで来て彼女の誘いを断るつもりもなく、一護は杯に残っていた液体を飲み干して更に乱菊の酌を受ける。 彼女は彼女で手酌し、かなりのスピードで液体を胃に収めては楽しそうに語りかけてきていた。 どのくらいそうしていただろうか。 ふわふわと身体が浮き上がるような感覚を覚えるようになった頃、ハイスピードで酒を呑んでいた乱菊がコテンと一護の肩に頭を預けてきた。 「乱菊さん?」 「いちご、」 「何っすか?」 彼女にしては珍しく視線が合わないまま語りかけられるが、一護はそのまま続きを促すように言葉を返す。 乱菊は少しの間呻っていたが、やがてその呻き声を治めると静かな声で告げた。 「ありがとね、一護。」 「え?」 「あんたのお陰でギンの罪は軽くなったのよ。・・・ううん。きっとあんたのお陰でギンはまだあたしの手の届くところにいてくれるんだわ。」 「乱菊、さん・・・?」 ゆっくりと告げられた言葉に一護は目を瞠る。 しかし。 「すー・・・」 「・・・寝てる。」 次に返ってきた反応で、カクリとささやかに肩を落とした。 今のは何だったのだろう。 そう言えば市丸ギンと松本乱菊は死神になる前からの知り合いだったか。 ならばその言葉の意味も解る。 ギンも素敵な女性から随分と大切に思われているようだ。 彼女の心を正確に推し量ることなど出来はしないが、なんとなくそう思って一護は小さく声を上げて笑った。 知り合いが誰かから大切に思われているのは嬉しい。 その思われている人物を自分は助けることが出来たのだと言ってもらえるのは、嬉しい。 しかし一護はその笑みをすぐに止め、胸中で「でも、やっぱり・・・」と呟く。 (俺のお陰、じゃないと思いますよ。それはギンが自分で決めた事だから。) 実際にそう口にすることはなく、ただ無音で語りかけるに留めた。 胸中の声が聞こえているはずの“彼ら”から反応がないのは、きっと『そういうことは自分で考えろ。』ということなのだろう。 しかし酔いが回った所為か、思考は思うように働かず、一護は直感のようなものを思いつくまま頭の中で言葉として連ね、もしくは自分にしか聞こえないような音量で口に出していく。 「俺は、本当に誰かを救えましたか?・・・護れましたか?」 だがそう呟いた瞬間、一護はハッとして頭を振った。 何を言ってるんだ自分は。 彼女の言葉を素直に受け取って喜んでいればいいのに。 などと考えがら、そこで思考を中断するように頭ではなく体を動かし始めた。 肩に乗ったままだった乱菊の頭をゆっくりと床に下ろし、その下に適当な所から持って来た座布団を敷いて枕代わりとする。 少しでも楽な体勢で寝られるように手早く周囲を整えた後、思考ごと酒気を払うように一護はペコリと御辞儀をして部屋を出た。 「お酒、ごちそうさまでした。」 そう言い残して。 一護が去った後、閉じられていた瞼がパチリと開き、蒼い双眸を晒した。 眠っていたとは思えないほどしっかり目を開けたまま、「馬鹿な子。」と乱菊は囁く。 「少なくとも、あたしの心は護られたわ。」 そう付け足して、金髪碧眼の美女は眠りへと落ちた。 |