たった数年前の出来事なのに、俺はそのことをほとんど覚えていない。
でも、霞がかかったような記憶の中にただ一つ。 萱草色の髪だけが今も鮮明に思い出された。 Bloody Child
九番隊の副隊長になってからもう随分たったある時、俺は巨大虚を倒す任務を受けた。
現世に降りるのは自分一人。 昔、真央霊術院の六回生だった時はまだ手も足も出ない相手だったが、 巨大虚の一体や二体・・・いや、十体以上いたとしても 今の実力なら負けることなどありえない・ということで、東仙隊長から一人で下りる許可を頂いたのだ。 しかし――― 「何だよ、コレ・・・」 俺がいるのは公園と呼べなくもない広場。 特にこれといった遊具も無いが、芝生に覆われた地面が広々と横たわっている。 既に日は落ち、月と街灯によって照らし出される風景。 そして、その空間にひしめきあう影があった。 それらは確かに巨大虚である。 俺が倒すべき・・・倒せるはずの者達。 だが、目の前に広がる光景は異様としか言えなかった。 まずはその数が。 一体や二体ではない。 決して狭くは無い空間にこれでもか・と詰め込んだような状態。 既に数えられるものではなく、虚の位置を示す携帯の画面に記された点はいくつも重なり合って巨大な円に見える。 巨大虚達はその円の中心に向かって我先にと進もうとしていた。 近くでその様子を見つめる死神―――俺を気にすることなど欠片もなく。 僅かばかり感覚を研ぎ澄ませば数多の虚達の気配の中、円の中心に巨大な霊圧。 どうやらこの虚達はその霊圧の持ち主を喰らおうとしているようだ。 しかし、いくら虚達が押し寄せても、その輝かんばかりの霊圧はいっこうに衰える様子を見せない。 逆に虚の気配が徐々にだが減ってきているように思われた。 「何が起こってんだ・・・?」 唖然として、そこから動けぬまま俺はポツリと零す。 その間にもやはり確実に虚の数が減ってきていた。 あの霊圧の持ち主はこの地区を担当している死神か? いや、そんなはずは無い。 あんな霊圧、尸魂界で感じたことなど無いのだから。 では一体誰なんだ――― 自問自答しても答えなど出ない。 あるのは、減っていく虚達の姿。 そしてその巨体の隙間から見えた・・・ 「・・・萱草色。」 一瞬だけ見ることの出来た鮮やかな色彩。 闇の中、少ない光を受けて、しかし太陽のような色を持ったもの。 その萱草色と俺の間に在った体が切り伏せられた。 まず見えたのは巨大な刀身。 それは血に濡れ、赤く光っている。 次に見えたのはあの萱草色。 こちらも一部が赤く染まっており、丸みを帯びた輪郭に沿うように張り付いていた。 「子供だと・・・?」 最後の一体を倒し、こちらを向いた者。 それは俺の腰くらいの身長で、身には漆黒の衣装を纏っていた。 顔と言わず着物と言わずいたる所に赤い液体をつけ、琥珀色の瞳を俺に向ける。 子供の形をした萱草色の死神。 眉間にはしわが寄せられ、少々たれがちな両目に不相応な鋭さが加えられていた。 しかし俺を視界に入れた子供は今にも泣きそうな顔をして目を閉じてしまう。 再び目を開け、子供が跳躍する。 「ごめんなさい。」 一瞬のうちに俺の元に辿り着いた子供は、そう言って俺の目を手で覆った。 目の前は暗いはずなのに、頭の中が真っ白になる・・・ 萱草色の死神―――まだランドセルを背負っているのが当たり前な年齢の少年が 足元に崩れ落ちる人影を見下ろす。 見ればそれは青年で、顔に刺青をしており、さらにはその右側に三本の古い傷が走っていた。 『一護・・・早く帰るぞ。』 少年、一護にのみ聞こえる声。 頭の中に響くそれは一護を気遣うものだ。 「うん。わかった。」 目の前の青年の記憶を一瞬にして消し去った一護はその声にこくりと頷き、斬月を振って血糊を払う。 (返り血だけなんだけど・・・気持ち悪い。) 不快そうに眉が寄せられ、それから一護は青年に背を向けて走り出す。 それはすぐに小さくなり、やがて視認できなくなった。 謝罪の言葉のみを残して。 残された青年は未だ気を失ったまま、その場に倒れていた。 (ここは、どこだ・・・?) 覚醒に伴う浮遊感。 そのあとすぐに光を感じて、薄く目を開ける。 見えたのは木目のある天井。 「・・・ッ」 声を出そうとするが、それは空気が動くだけで音にならない。 そこに。 「ああ!目覚めたんだね。お疲れ様、檜佐木君。」 声が聞こえた方向に首をめぐらせば、そこには東仙隊長の姿が。 「と・・・せん、た、いちょう?」 やっと出せた声で、隊長の名を呼ぶ。 彼は俺の訊きたい事を全て承知しているかのようにゆっくりと頷いた。 「ここは四番隊の救護室だよ。君は巨大虚との戦闘後、気を失ってその場に倒れていたんだ。 だけど幸い怪我も無かったし、目が覚めればここを出られるそうだよ。」 そうなのか・と思いつつも俺は隊長の言葉に引っ掛かりを覚えた。 (・・・俺が倒した?) そうだっただろうか? 確かに巨大虚を倒すために現世に下りた。 そこで数多の虚を目撃した。 しかしそのあとは―――・・・ 霞がかかったように思い出せない。 ただ一つ、鮮明に残った映像は萱草色の髪。 太陽の色。 それがチラチラと脳裏を掠める。 思い出そうとしてもそれ以外は何も出てこない。 (一体何があった・・・?) それは、今も思い出せぬまま。 深い深い所で、この胸を焦がし続けている。 |