「いやだなぁ、先生。俺そんなことしてないっすよー」
机に頬杖をついて、窓から差し込む夕陽に元より明るい髪色を更に鮮やかに染めて。 眉間に皺を寄せたままその子供は歯を見せて器用に笑った。 子供、と言っても相手は既に高校生だ。 昨今の捻くれたガキどもには珍しく、理由も何も話さないまま居残りを命じられてこの場にいる彼は、特に気分を害した様子もなく無邪気に笑い掛けてくる。 強制的と言うよりはむしろ雑談のために自主的な居残りのようだった。 私は黒板の前に置かれた教卓に体重を預け、夕陽に燃えるオレンジ色の髪を持った彼を眺める。 先輩でもある一人の教師は彼を不良だと言った。 あんな髪が地毛であるはずがない、しかも素行も良いとは言えず、他校生との喧嘩もあったとか無かったとか。―――と、インスタントのコーヒーを飲みながら、彼が二年に上がる際、その担任になる予定だった私に語ってくれた。(忠告と言う名目でいけ好かない子供に対しての悪態をついた、と表現すべきか?) 確かに髪の色は天然だという本人の言をいささか信じ難くさせる程のものであったが、今年の春から現在まで担任として見てきた私としては、彼をその辺の頭の悪い不良少年と断ずるなど到底出来ようも無かった。 定期テストで上位に食い込む成績は勿論、その素行も。 授業ではなく、休憩時間中や放課後にふと校内で見かける彼はとても優しい顔をしている。 年の離れた妹がいるのも理由の一つかもしれないが、動作の一つ一つに相手を思いやる気持ちが見え隠れするのだ。とても、自然に。 ただ、仲の良い一部の同性の友人に対しては、スキンシップとしてはやや暴力的な行動が見られない訳ではないのだが・・・まぁ、そこは許容範囲というか、特別と言うか、相手がそう言うポジションだと言うか、そんなところだろう。問題ない。 そう言う訳で私は彼が他の(見た目で判断する)教師達の言うように殊更“悪い”生徒だと思っていなかった。 むしろとても“いい子”だと、そう言ってもいい。 けれど――― 「本当にしていないのか?」 じっと彼を見据えて、静かに問い掛ける。 相手の笑顔は崩れない。 その表情はとても嘘を言っているように見えなかった。 「路地裏で喧嘩っすよね。ないない。ありえねーって、先生。確かにこの髪の所為でガラの悪い奴らに絡まれることもあったけど、二年になってからはゼロ件ですよ。」 「そう、なのか?」 「そう、です。」 ペラペラと陽気な口調で紡がれる言葉にやや気後れしながら答えれば、滑らかではなかった私の台詞を真似るように彼が言う。 そして視線はこちらに向けたまま、頬杖をついていた手を入れ替えて彼は続けた。 「あれは喧嘩じゃなくて、お仕置きっすから。」 「・・・・・・・・・、は?」 「喧嘩なんてのは同じレベルの奴らが互いの善悪なしにやるモンでしょ?」 今回の居残りの理由―――他校生に暴力行為を働いたという件に関して問い詰めた私を前に、行為を認めながら全く悪びれた様子も無く彼は笑顔を形作る。 「俺がやったのは『悪いこと』に対するお仕置き。本気出したら殺しちまうんで勿論手加減は多分にしましたけど。」 今回のことは咎められるものではない。 やって然るべき行為だったのだと彼の表情は語る。 「し、おき・・・?何、が・・・どうして、そんな。」 「だってあいつら、俺の大事なヒトが“多少”長生きで他と違うからって『オカシイ』『キモチワルイ』なんて言ったんですよ?自分達がどんだけ社会のクズでゴミでバカでどうしようもない人間だってことすら理解出来ずに、俺の大事なヒトを貶めたんです。仕置きは受けて然るべきものじゃないですか。」 今回の被害者―――彼曰く社会のクズでゴミでバカでどうしようもない人間達のことを思い出してか、彼の表情が僅かに険を帯びる。 私には彼の言っていることが理解出来なかった。 いや、理解は出来ても彼の考えを受け入れるわけにはいかなかった。 大事な人を貶められたという彼の思考をトレースすることは、一般人として理解してはいけない何かを私に理解させると直感が告げ、私の脳は考えることを止める。 私に残された術はこのまま深く考えるのを止め、頭ごなしに暴力はダメだと怒鳴りつけてことを終わらせるか、それとも巨大な嵐が通り過ぎるのを待つかの如く何もせず黙り続けるか、その二択。 前者は見た目で彼を不良と称す教師達が取るであろう行動。 そして後者は今の彼の―――昼間の高校生をやっている彼とは異なり、ひどく歪な感情が見え隠れする状態を目にした私が、実際に取った行動だった。 沈黙という行動を選択した私を見て、彼はガタリと席を立つ。 「じゃ、そう言う訳で、俺は先生が言うような『喧嘩』なんてしてません。あいつらは自分達の言動に見合った罰を受けただけ。それが後々どんな後遺症を齎そうが、悪いのは一から十まであいつら自身です。・・・では、先生。俺、帰りますね。」 机の横に掛けていた鞄を手に取り、彼は教室の出入口へと向かう。 その動きを目で追いながら私はポツリと呟いた。 「大事なヒト、か。」 「ええ。」 ドアに手を掛けて彼が振り返る。 「大事なヒト、です。」 まるで熱に浮かされたような瞳を最後に残し、彼は黄昏色の教室から姿を消した。
逢魔ヶ刻に嗤うモノ
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