スティーブン・A・スターフェイズは伊達男である。(ただし首から下に限る)
【1】 偶然と奇跡が見事なコラボレーションを起こしてレオナルド・ウォッチが加入することになった超人秘密結社ライブラ。そこのリーダーであるクラウス・V・ラインヘルツはグリズリーのような強面でありながら精神はどこまでも紳士的で素晴らしい人格者であった。またレオナルドがライブラと関わる直接的なきっかけを作った戦闘要員の一人ザップ・レンフロは、銀髪に褐色の肌という組み合わせを持つ大層美しい男だったが、容姿に反比例して性格はクズ。一応情に厚く面倒見の良い面も備えているが、それを台無しにするレベルの借金セックスドラッグなんでもござれなドクズであった。 そのザップを躊躇なく貶す人間は主に二人おり、一方は諜報活動を担うチェイン・皇という黒髪の美女。そしてもう一方がライブラの番頭役でありクラウスの副官を務めるスティーブン・A・スターフェイズという男である。すらりと伸びた長い脚と、それと調和のとれた体躯。纏っているのはおそらくフルオーダーであろうスーツ。また容姿だけに限らずスティーブンは事務処理も戦闘も見事にこなすオールマイティーな人物であり、リーダーや他メンバーからの信頼も厚い。彼を冷血漢だとか腹黒だとか言って忌避するそぶりを見せる狙撃手のK・Kでさえ、その手腕の素晴らしさは認めているほどだ。 そんな『デキる男』であるスティーブンだったが、レオナルドには一つだけひっかかることがあった。否、きっとレオナルドだけではないはずだ。しかし他のライブラのメンバーは慣れてしまったのかそれとも気にしないことにしたのか、とにかく「それはおかしい」という発言や仕草を表に出さない。 「……」 レオナルドはライブラの事務所、クラウスやスティーブンらのデスクが置かれている執務室の中で、ストライプ模様のソファに座ったまま組んだ手を口元に当てた。 上位存在に無理やり埋め込まれた『神々の義眼』は、その名に恥じずとてもよく見える=Bゆえに横目で一瞥するだけで望んだものをしっかり視認することができた。 デスクではスティーブンが事務処理をしている。ペンの動きは淀みなく、時折携帯でどこかに連絡を取っては、耳に心地よい声が流暢に言葉を紡ぎ出していた。容姿が整っているだけでなく声までカンペキとは恐ろしい……とは出会って早々に思ったことだが、それはさておき。レオナルドはテキパキと仕事をこなすスティーブンの首から上を見て眉間に皺を寄せた。 デキる男の唯一の欠点が不細工だった、等ではない。そんな次元ではないのだ。なにせ―― (なんでこの人、紙袋かぶって仕事してるんだろ) 胸中で呟くと同時に、視界に捉えた不可思議な光景のせいでなんとも言えない気持ちになる。ヘルサレムズ・ロットではこれも十分普通の範疇に入るのかもしれないが。 どこまでもスマートな男は、しかしレオナルドが知る限りいつも頭からすっぽりと茶色い紙袋をかぶっていた。ご丁寧に目の所だけ小さく円形に切り抜いており、こちらからは黒々とした丸が見える。無論、表情など窺えるはずがないし、それどころか瞳の色さえ判らない。 まじまじと見つめたつもりはないのだが、やはり戦いに身を置く者として気配には鋭いのか。観察しているうちにスティーブンが書面から顔を上げ「どうした、少年」と声をかける。それに「いいえ。お手伝いできることがあれば、と思ったんですが……」と当たり障りのない答えを返せば、「ありがとう。でももう少しで終わるから、気持ちだけもらっておくよ」と微笑まれた。いや、紙袋のせいで顔など見えないのだが。 義眼を使えば透視も可能なので紙袋の中身を確認するなど容易いだろう。しかし許可を得ずにするそれは他人の下着を盗み見るのと同じ恥ずべき行為であり、よってレオナルドが茶色い紙袋の中身を確認したことはない。スティーブンもそんなレオナルドの考えを解した上で、特に「見るな」等の命令はせず、ごくごく普通に接してくれていた。 信用されているということだろうか。だったら嬉しいと、まだライブラでは新参者と言えるレオナルドは考える。そして、いつかは『信頼』してもらえるような立場になれれば、とひっそり思った。それくらいにはレオナルドもライブラという組織――少なくともそこに属する人々――に愛着を抱いているのだ。 たとえその組織を動かす人物が紙袋男でも。 (なんでかなー。やっぱすっごいブサイクとか? でも首から下とあの声でブサイクとか想像つかねーし。そういやK・Kさんは『スカーフェイス』つて呼んでたよな。じゃあ顔に大きな傷があって恥ずかしいから隠してる? でも紙袋かぶってる方が恥ずかしいんじゃ……。その辺の感性は人それぞれってことなのかなぁ) スティーブンとの短い会話を終えたレオナルドは再度視線を正面にあるローテーブルに戻して考え込む。が、それを始めてすぐに相棒の音速猿がテーブルの上に着地した。どうやら散歩を終えて帰って来たらしい。 レオナルドは手を伸ばして脆い身体を傷つけないようそっと白い毛並みを撫でる。 「何もなかったか? ソニック」 「キキッ!」 大丈夫だったよ、とソニックが片手を上げた。小さな黒い手に指を絡ませれば、それにしがみついたソニックが素早くレオナルドの肩まで移動する。大きな目がレオナルドを見つめ、もう一度帰宅を知らせるように頬ずりをした。 「腹は減ってる?」 「キー!」 「そうかそうか。じゃあギルベルトさん作のおやつもらってくるか」 「キッキー!」 こちらの肩や頭でぴょんぴょんと跳ね、喜びを表すソニック。その仕草に微笑みながら、レオナルドはソファから立ち上がる。生憎ギルベルト本人はクラウスと共に出掛けているが、彼からは茶菓子を用意しているので好きなタイミングで食べるようにと言付かっている。 簡易キッチンがある方へ向かう途中、レオナルドはスティーブンにも休憩はどうかと声をかけた。もうすぐ仕事を終えるとは先程聞いていたので「ラストスパートの前に一服どうですか」と。 「じゃあお言葉に甘えようか」 「うぃっす。すぐ用意しますね」 ペンを置いたスティーブンに微笑みを浮かべ、レオナルドはソニックと共に簡易キッチンへ。その背に「よろしく〜」とスティーブンの声がかかった。紙袋男ではあるが、こういうちょっとした声掛けを蔑ろにしないあたり、やはり良い男だと思う。 「ああいう男になってみたいもんだけどなー」 無論、紙袋は装備しないが。 スティーブンには聞こえない音量で独り言を呟くと、頭に乗っていたソニックが「キィ?」と小首を傾げた。 時間は少し遡る。 幻術で他人の目を欺き人身売買をしていた異界人(ビヨンド)達の悪行をレオナルド・ウォッチが見破り、何やかんやで大怪我をして入院、その後退院してライブラの事務所に姿を現した時のこと。 レオナルドが扉を開けて執務室に入って来た際、スティーブン・A・スターフェイズはちょうどコーヒーのおかわりを淹れるため簡易キッチンに籠っていた。デスクに戻る直前、聞き覚えがあるような無いような少年っぽい声での挨拶が聞こえて、はたと動きを止める。そう言えば今日、退院した神々の義眼保有者が顔を見せるのだったと思い出し、ちらりと覗き見れば―― 「……ッ!」 簡潔に言おう。一目惚れだった。 その優れた容姿を武器にハニートラップを仕掛けることも厭わないスティーブンはそちら方面≠ナ不自由したことなど一度もない。女はいつでもよりどりみどり。その気になれば同性ですら釣り上げることも可能である。だがそんなスティーブンは仕事として疑似恋愛を続けてきたせいか、どんな美女にも心動かされることはなくなっていた。そんな冷血の心臓が包帯も取れて元気に動き回るレオナルドを目にした瞬間、ドクリと跳ねたのだ。 それと同時に何だかとても恥ずかしくなる。こんな自分があのキラキラした少年の前にのこのこと姿を現して良いのだろうか、と。 一度浮かんだ考えは決して消えることなく、むしろあっと言う間に増殖してスティーブンの足を竦ませた。このままでは出て行けない。言葉すら交わせない。自分の容姿でさえ利用して他人を編すような人間が、あんなキラキラした子の前に――。 音を立てて顔から血の気が引く。真っ青になった顔でスティーブンは周囲を見渡し、そしてある物を見つけた。ギルベルトが買い物をした後に置いたと思しきそれは、 「……」 カサリ、と乾いた感触。 茶色い紙袋を手に取ってスティーブンはごくりと唾を飲み込んだ。 【2】 スティーブンが紙袋をかぶるようになった当初、クラウスが己は大切な友人に精神的な負荷をかけすぎてしまっていたのではないだろうかと胃に穴をあけそうになったり、チェインが写真を撮るか否か真剣に悩んだり、ザップが笑うどころか引きつった顔で言葉を失ったり、K・Kが思わず心配そうな表情を浮かべて「大丈夫?」と尋ねてしまったり、ギルベルトがせめてと鎮静作用のあるお茶を淹れたり、色々な騒動があったのだが、そんなことは知る由もなくレオナルドは日々を過ごしていた。 レオナルドにとってスティーブンは最初から紙袋男である。しかも紙袋以外はよくできた大人の男であり厳しいけれど無謀なことはしないしっかりした上司なのだから、心配することも文句をつけることもない。また元々レオナルドは順応性が高く、ヘルサレムズ・ロットに来て異界人達を触れ合った結果、その順応性は更に高くなっていた。おかげで上司が紙袋だろうと何だろうと、ここ最近は疑問に思うことすらなくなってきている。 さて。そんなレオナルドが持つ神々の義眼に『血界の眷属』と呼ばれる者達を見分け、更に彼らを封印するのに必要な諱名を読み取る力があると判明したある事件の後。大怪我を負ったスティーブンとK・Kもすっかり傷を癒し、通常業務に戻ってしばらく。 どんなに有用な眼を持っていても自分のために使おうとしないレオナルドは、大通りから一本入った所でカツアゲに遭ってしまった。遭遇することを見越して財産は分散して持ち歩いているものの、やはり1ゼーロでも奪われるのは嬉しくないし、暴力を振るわれるのはもっと避けたい。だがレオナルドのポリシーでは義眼を使って自分のために他者を傷つけるなど受け入れられなかった。結果、見事に頬を腫らしたままライブラに顔を見せることとなる。 「ちょりーっす」 慣れたおかげか気の抜けた挨拶と共に執務室へ入れば、真っ先にクラウスがレオナルドの顔の腫れに気付いて椅子から腰を上げる。「坊ちゃま、わたくしが」と、それを制して動いたのはギルベルト。主人の代わりに救急箱を持ち出して、レオナルドにはソファへ座るよう声をかけた。 「少年、またやられたのかい?」 「ははっ、ええ、まぁ」 ギルベルトが準備をする間、同じく室内にいたスティーブンが自身のデスクから話しかけてきた。相変わらずの紙袋装備であるため、表情はさっぱり分からない。ただクラウスのようにあからさまな心配をしている様子はなく、どこか呆れているような気配が漂つている。 レオナルドは身の安全のためGPSを常時オンにするよう指示されており、そのGPS情報を一番にチェックするのがスティーブンであった。もしかしたら彼はレオナルドがカツアゲに遭っている瞬間もその場所を確認し、何が起こっているのか大体の予想くらいならしていたのかもしれない。その上でレオナルドの考えを尊重し、下手を打たない限りは――つまり重大な怪我を負わない限りは――見て見ぬふりをしているのだろう。 ただそれでもやはり普通の人間もしくは年上の大人や上司としては、暴力を防ぐ手段を持っているのにそれを使わないレオナルドに若干の呆れを感じ、このような態度になるのかもしれない。 「あまり無茶はしてくれるなよ」 「はい」 すみません。もしくは、ありがとうございます。どちらを続けるべきか迷って、結局、レオナルドは口を閉じた。 「見ぃーつけた」 陽もとっぷり落ちた頃。大通りからのネオンに照らされて、片手に大きめのバッグを持った男が路地を覗き込んでいた。そこはとある少年がカツアゲに遭った場所とはまた別の路地だったのだが、たむろしていたのは昼間に少年をカツアゲし、少量の金銭を奪い、満足な金額でなかった腹いせに暴力をふるった異界人達である。 頭部に三つの目を持つ異界人が突然現れた奇妙な男に「ああ?」といきり立つ。 「ンだてめぇ。人類(ヒューマー)か? 妙な恰好しやがって」 他数名の異界人達もわらわらと集まってきて最初の者に続く。腕が四本だったり、人より昆虫に近い身体をしていたり、一つとして同種と思しき個体はいなかったが、どれもこれも突然現れた男に敵意と嘲りの感情を向けていた。 そんな彼らに睨み付けられている男は、けれども全く恐れた様子を見せず、それどころかやれやれと肩を竦めた。 「どいつもこいつも頭の悪そうな顔だ」 「はあ!? テメーに言われたかねぇよ紙袋野郎!」 最初に発言した異界人が一歩踏み出しながら声を荒らげる。その言葉の通り、大通り側にいる人類の男は均整のとれた肢体を高そうなスーツに身を包んでいるが、首から上は茶色い紙袋に覆われ、一切その顔を見せていなかった。 ダークグレーのスーツに濃いブルーのシャツ、それから黄色のネクタイ。足元には特注の革靴。首から下は完璧な、けれども首から上が残念な恰好の男は、紙袋の下であからさまに嘲笑する。それを気配と声で察した異界人が脆い堪忍袋の緒を切って男に飛びかかっていく。 しかし。 「あの子を傷つけた罰だ。そう簡単に楽になれると思うなよ」 言うと同時に男はつま先を地面に打ち付ける。カツンという高い音と共に地面が急速に凍りつき、飛びかかろうとした異界人もその背後に集まっていた者達も一斉に地面へと縫いとめた。 「うえ!?」 「ひ、い! なんだこれ!!」 足と地面を貼り付けた氷はそのまま異界人達の身体を駆け登り、首から下を隈なく覆う。行動不能に陥った異界人達は瞬く間にさっきまでの威勢を失って怯え始めた。男は紙袋の下でひっそりと噴う。 「言っただろう。罰だ、と」 ポケットから黒のショートグローブを取り出して装着。次いで持っていたバッグをガサゴソと漁り、男は中からいくつかの工具を取り出した。トンカチ、バール、スパナ、ペンチ、ニッパー、錐(きり)、他諸々。ガチャガチャと音を立てて地面に転がるそれらを見て、異界人達は物理的な寒さ以外の理由で身を震わせる。 男は最後にノコギリを取り出し、刃を覆うカバーを外して「さて」と告げた。 「あの子がカツアゲに遭っていても、無関心な通行人は誰一人として助けに来なかった。もどかしいけど僕だって助けにはいかなかったが、まぁそれは理由が違うからノーカウントとして……君達が悲鳴を上げていられる♀ヤに誰かが助けに来てくれるといいな?」 そして男は手慣れた様子で一番手近にいた異界人の腕にノコギリの歯を当てる。 「ひ、ひい! やめ」 「却下」 ガリゴリゲリギョリ、ギャリリ。 氷は跡形もなく溶け、残ったのは綺麗なバラバラ死体になった異界人達。スティーブン・A・スターフェイズはそれを一瞥した後、頭からかぶっていた紙袋を取り去り、血の付着したそれをくしゃりとまとめてポイと投げ捨てる。 「あとは頼むよ」 狭い路地の陰から滲み出るように現れた複数の影≠ノそう告げれば、「かしこまりました」と一礼が返された。 スティーブンは踵を返し、大通りへと戻る。 一度対象を凍らせて出血を最小限に抑えたままノコギリやバールを使っていたため、行為の割に飛び散った血の量は少ない。それでも対象が痛みを感じたり泣き叫んだりできるよう凍り付かせる範囲を調整していたのが災いし、スーツのジャケットに赤いものを見つける。また黒い色のせいで分かりにくいが、ショートグローブも僅かばかりヌルついていた。 スティーブンはさり気ない動作でグローブから手を抜き、ポケットへ。ジャケットも脱いで左腕にかけ、これはもう廃棄だなと胸中でひとりごちる。 (でも顔につかなくて良かった) 顔にまで飛び散った血は全て紙袋のおかげでスティーブンの皮膚や髪には一切付着していない。袋もスーツもグローブも捨てればそれでおしまいだ。どれも新しいものに取り換えてスティーブン自身≠ヘ汚れのないまま、また明日レオナルドの前に立つことができる。 綺麗なあの子の前では可能な限り綺麗なままでいたい。これまでやってきたことのせいで、まともに顔を見せることすらできないが、血の付着を最小限に抑えることはスティーブンにとって最早生きる上での必須行動だった。 綺麗なあの子には見せられない
2015.10.25 pixivにて初出 |