【1】


 バイト先が実は陰で危ないお薬を売買する場所になっていて、しかもクスリの出所はこの地域を管理している組織とは敵対しているグループ。となれば、いくら事情を知らずウェイターの真似事をしているだけの人間であっても、粛清にやって来た者にとっては敵対組織の一人としか映らない。
(って、そんなの認められるか!!!!)
 ただのアルバイトとしてここに勤めていたレオナルド・ウォッチは、突如として己の身に降りかかった不幸を盛大に心の中で嘆いた。
 法律で定められた明るさよりも暗いルクス。ズンズンと腹に響く重低音。地下一階に設けられたフロアは酒やそれ以外に酔った若者達が身を寄せ合って際どいダンスを踊る場所だ。
 しかし今、フロアにいるのは少数の客と従業員達。しかもレオナルドのように大人しくしていれば腕を後ろで縛られるだけで済んでいるが、突如として職場にやって来たスーツの男達が何者なのか知っているらしい上位の従業員らは盛大に抵抗し、奥へ連行されたり顔中を腫らして床に横たわったりしている。
(なんで……なんでこんな場所、バイト先に選んじまったんだ俺ぇぇぇええ!!)
 身じろぎしただけでも怖いオニーサン達に睨まれてしまうので、脳内でひたすら頭を抱えてゴロゴロ転がる。しかし「なんで」も何も、ここを職場に選んだ理由はただ一つ。時給が良いからだ。
 レオナルドは独り暮らしの貧乏アルバイターである。家族は両親と妹が一人。妹は生まれつき足が悪く、彼女が望まずとも何かにつけて他者の手を借りねばならない。レオナルドはそんな妹の力になるため、故郷から遠く離れたこの地で早くから働き始めた。目指すは記者だが――妹は自分が遠出できない分、兄が撮った外の写真を殊更好んでくれる。それがきっかけだった――、記事を書く仕事だけではまだ十分な金が得られないため複数のアルバイトを掛け持ちしている。
 両親は並外れて稼ぎが良いわけではなく、また妹の足のことがあるので出て行く金は決して少なくない。そんな環境でハイスクールを卒業したレオナルドが大学に進学したとしてもその学費まで十分に賄えるはずはなく、ウォッチ家の長男はこうして家を出て生活費と家族への仕送り分を自分の力で稼ぐことになったのだ。
(これからどうなっちまうのかな……)
 極端な糸目であるレオナルドは首さえ動かさなければ視線をきょろきょろさせても目立たない。また人よりも目が良く、薄暗いフロア内もあまり苦労せず見渡すことができた。
 フロアに立っているのは三人。彼らは見張り役だ。もっと偉そうな――彼らが敬語で話していた――人物は奥の部屋に籠っている。スタッフルームであるそこから聞こえてくるのは水音が混じった鈍い打撃音や小さな悲鳴、低い話し声だ。
 レオナルドがバイト先の違法行為と襲撃の経緯を解したのも、知っている声が懇願と共に叫んだ言葉から推測したためである。ただし未だ切られることのないダンスミュージックのおかげでそれらはあまりここまで届かず、更に詳しい内容は知れそうになかった。悲痛な声が聞こえないのは精神的にありがたいのだが、状況を探る上では良いとも言えなかった。
 ひとまず、見張りの者達が敬語を使っていた顔の左に傷がある色男。彼がキーマンだろう。あの傷の男の指示一つで自分達は無事解放されるかもしれないし、また半日後にはどこかの海に浮いているかもしれない。
 そっち系の人は一般人には手を出さないはずじゃねぇの? とは思ったが、ここで働いているまたは客としてやって来た以上、一般人と見做してもらえる可能性は低かった。また現在絶賛自白強要され中の従業員達がわざわざ下っ端のレオナルドを擁護するとも思えない。となれば、やはり彼らの巻き添えを喰らって魚の餌になるコースが目前に迫っているというわけで。
(ああああ、ミシェーラ。先立つ不孝を許してくれ……! でも兄ちゃんせめてお前の花嫁姿は見たかった!)
 大切な妹の姿を瞼の裏に描いた瞬間、動きがあった。
 スタッフルームのドアが開く。そこから出てきたのはあの傷の男だ。彼は暗い色のハンカチーフで手を拭きながら――一体何を拭っているのか考えたくない――フロアの中央に出てくる。癖のある黒髪がフロアの照明を受けて妖しく輝いた。
「残りは彼らだけか……」
 色男は見た目だけでなく声まで色気が溢れている。その気になれば女など何人でも釣り上げられそうな甘い声は、しかし氷のような冷たさを持ち、レオナルドの身体を震わせた。しかも運悪く、後ろ手に拘束されている者達を眺めていた傷の男の視界にレオナルドが映っていた時だ。
 ピクリと肩を震わせたレオナルドに傷の男が目を留める。
 そして、
「子供?」
 すっと細められていた双眸が驚きに見開かれた。
 いや、ハイスクールは卒業してますけど!? つーかそれ俺が童顔チビってことっすか!? と叫びそうになるレオナルド。しかしここでそんなに堂々と切り返してはいけない。理性が精一杯頑張ってくれたおかげで、レオナルドの口から出たのは「い、いえ……ハイスクールは卒業済みです……」と弱々しい返答だった。
「へぇ」
 何が面白いのか、声を少し弾ませて傷の男が頷く。そしてカツリと革靴を鳴らし、レオナルドの方へ近付いてくるではないか。
「はっ、小さいだけじゃなくて何だその糸目。そんなので見えてるのか?」
 照明が暗いので距離があると分からなかったのだろうが、ほんの一メートルちょいまで近付けば顔もしっかり見えてしまう。そしてレオナルドの糸目に気付いた色男が人を小馬鹿にするように笑った。これが気が置けない友人であったならば「見えてるに決まってるだろ!」と返せるのだが、いかんせん目の前の男は危ない人である。馬鹿にされた苛立ちも何もかも腹の底に押し込めて「はい」と蚊の鳴くような声で答えるのがせいぜいだった。
 だがそれで終わるはずもなく、色男は不意に手を伸ばすと、指先でレオナルドの瞼に触れた。
「人間って隠されてるとそれを見たくなるもんだよな」
 はあ? と言う間もなく、レオナルドの瞼が押し上げられる。しまったと思った時にはもう遅い。傷の男の前にレオナルドの片目がきっちりと晒されてしまっていた。
 先程とは比べ物にならないくらい男が目を瞠る。
「これはまた……」
「ッ、見るなよ!」
 一つ間違えば指先が眼球を傷つけるかもしれないのに、レオナルドは思いきり顔を背けた。だが見られてしまった事実は変わらない。案の定、横目で男を一瞥すれば、彼はニヤリと口の端を持ち上げていた。
「見事な青だな」
「こんなの、忌々しいだけだ」
 逆らってはいけない相手だと分かっていても――否、すでに殺されることは目に見えているからだろうか――荒々しく吐き捨てる。
 レオナルドは自らの意志で両目を開くと、傷の男をキッと睨み付けた。
 その双眸には白目がなく、全てが青に染まっている。また眼球には複雑な紋様が浮かんでおり、異様な美しさをたたえていた。
「『神々の義眼』か」
 男が呟く。それがレオナルドの両目の通称だった。
 特に何か不思議な力があるわけではない。先天的な遺伝病の一つで、本来虹彩にのみ現れる色が眼球全体を覆う。発症例は非常に少なく、また見た目以外に問題は無いので――むしろ視力が常人より良くなるという噂がある――治療のための研究もほとんどされていない。しかし好事家の一部には同体積の宝石にも勝る美しさだと言われており、人身売買の被害者になる恐れがあった。それゆえに目を細めて隠していたのだが、バレてはいけないタイプの人間にバレてしまった。
「少年、家族は?」
「いない」
 即答する。
 この目は遺伝病である。滅多に発現しないが、血の繋がった家族に同じ目を持つ人間がいるのではないかと予想されるのは当然のこと。大切な両親と妹が狙われる可能性がある以上、レオナルドがそう答えるのは当たり前のことといえた。
「いない、とは?」
「去年、大きな飛行機事故があったの覚えてますか。それに巻き込まれたんすよ。僕だけ先にこっちへ来てたから、一人生き残ったんです」
 真っ赤な嘘だが、飛行機事故があったのは本当だ。記者見習いであるレオナルドはそういった事件の記事にもしっかりと目を通している。その中で、飛行機事故に遭った被害者の名前の一部を覚えていた。
「マイケル・ウォッチ、アデリーナ・ウォッチ、ソニア・ウォッチ。僕の家族です。当時の新聞でも調べてもらえれば名前が載ってると思いますが」
 偶然一致していたファミリーネームと家族構成。それをさも自分の本当の家族であるかのように語るレオナルド。
 堂々とした口調は一時的にでも相手を信じさせることができたようで――無論あとで調べられるかもしれないが、元々眼のこともあり気を遺っているレオナルドであるため、本当の家族にまで到達できる可能性は低い――、色男は「そうか」と頷いた。
 しかし次の展開はレオナルドにとっても予想外のものだった。
「よし、じゃあ連れて帰っても問題ないな。天涯孤独の身ならいきなり消えても不審に思う奴は少ない」
「は?」
 人を見下し、愉悦を滲ませ、しかし冷めている双眸がレオナルドを視界に映す。
「ここを仕切っていた奴らに吐かせるべきことは全部吐かせたし、面白い拾いものも手に入った。撤収するぞ」
 そしてそのまま、両腕を拘束されているレオナルドをひょいと小脇に抱えると、靴音を響かせて地上へと続く階段を上り始める。
「は? はああ? おい、ちょっと離せよ!」
「暴れるなよー少年。今日から君は僕のものだ」
「ふっざけんな!」
「いやー。神々の義眼なんて珍しいし、飽きるまでしばらく飼ってやるよ。大丈夫、飽きたら飽きたでそれなりの人間に譲ってやるから」
「ぜんっぜん大丈夫じゃねーよ! 離せ! オイこら!!」
 思い切り暴れているのに全然堪えた様子はなく、男はレオナルドを抱えたまま路上に停まっていた一台の車に乗り込む。黒いボディにスモークガラスの高級車。車内に乗り込んでも叫んで暴れようとするレオナルドの口に男が長い指を突っ込んできた。
「もがっ!」
「静かにしろよ、ガキ。俺が見つけた時点でお前に人権はない」
 ぞっと背筋が凍るような声だった。
 もし指に噛みつこうものならこの場でくびり殺される。本能的にそれを察し、レオナルドは動きを止めた。すると男は目元を和らげ、「いい子だ」と言ってレオナルドの頭を撫でる。
(なんなんだ、こいつ)
 命の危機に恐怖で身体の震えが止まらなかった。怯える小動物に男はうっそりと微笑み、レオナルドの制服についていた名札を唾液に濡れた指で弾く。
「君はレオナルドと言うのか。僕はスティーブン。よろしくな、少年」


【2】


「うちのシマじゃクスリは御法度でね。君が常用者じゃなくて良かったよ」
「常用者どころか一度も使ったことなんてないんすけど」
「そりゃあ尚良い。一時の快楽は得られても、あれは身体をゴミに変えちまう。何より、ここで禁断症状でも起こされたら面倒だ」
 そう言って傷の男――スティーブンは自分が見ていた一枚の書類を机の上にひらりと投げた。スティーブンがいる机の前に立たされていたレオナルドはその紙の動きを視線だけで追う。その場から半歩とて動くことはできない。すぐ後ろに細身だが異様な雰囲気の男が控えており、何かすればそいつがレオナルドを容易く痛めつけるからだ。
 紙にはレオナルドの血液と尿検査の結果が記載されている。車で大きな屋敷に連れて来られて早々、レオナルドはその二つの検査を強制された。どうやら麻薬の類を使用していないかどうか調べるためだったらしい。
 無論、何も知らずただの下っ端アルバイトとして働いていたレオナルドにそのような危険で高価なクスリを使う機会も余裕もなく、結果は完全なるシロだったのだが。
 ダークグレーのスーツをスマートに着こなしたスティーブンは机の下で長い脚を組み替えて「さて」と続ける。
「飛行機事故の件は一応調べさせてもらった。君が言った通り、ウォッチ姓の三名はあの事故で死亡している。ひとまず君が嘘を言っている様子は無さそうだ。……ただし」
 赤みを帯びた瞳がじろりとレオナルドを見つめた。
「本当のことを全て教えてくれたわけでもないんだろう?」
「……」
 レオナルドは努めて平静を装いながら無言を貫く。
 どうやらこのスティーブンという男、立場に見合った勘の良さや洞察力を備えているようだ。多少事情ありとはいえ一般人が容易く躱せる相手ではない。
 しかしレオナルドとて、自分が危ないバイトに手を出したばかりに家族にまで危険が及ぶのは断固として受け入れられなかった。この奇妙な眼球を持つのは親戚中探しても己だけだが、それを容易く信じてくれるほど他人は甘くない。ゆえにここは何としてでも嘘を貫き通す必要がある。
 そう改めて決意したレオナルドだったが、
「拷問――」
「っ」
「――は、君の身体に傷がつくと売る時に価値が下がるだろうからやらないけれど」
 机に肘を置き、手の甲で顎を支えるようにし、スティーブンは両目を有名な猫のように細めて言った。
「目立った傷を付けずに口を割らせる方法はきっと君が考えている以上に多いぞ?」


「ん。ナカの洗浄はきちんとできたみたいだな。目の前でそれをさせるのが好きな奴もいるけど、僕としてはやっぱり最中に排便されると気が滅入るし」
 とんでもないことを何でもない顔で告げるスティーブンは、スーツのジャケットを脱ぎ、中のシャツの袖を捲った状態。更に両手には医療用のゴム手袋を付け、喋りながらぎゅっと手袋の端を引っ張った。
 レオナルドは全裸でベッドに転がされた状態のまま、力なくそれを見上げている。ふざけるなと掴みかかってやりたかったが、身体が言うことを聞かない。うつ伏せ状態の身体は腹の下にクッションを挟まれ、尻だけを高く上げた格好を取らされている。
 目の前の男が「目立った傷を付けずに口を割らせる方法はきっと君が考えている以上に多いぞ?」と告げた直後、レオナルドは背後にいた男に無理やり腕を取られ、抵抗する間もなく何かの薬液を注射された。それが筋弛緩剤の類だと分かったのは、その男に引き摺られスティーブンの部屋を出た後。向かった先は風呂場で、レオナルドは男の手により裸に剥かれたあと腸内洗浄を行われた。抵抗は一切不可。薬で完全に力が抜けた身体は本人の意思を無視して良い様に扱われてしまった。赤子ならまだしも人として屈辱的な行為を強いられ、腹の中からそれらが出て行く感覚は恥ずかしくて涙が出た。
 これだけでも十分心を折られたと言うのに、次いで連れて来られたのはスティーブンがいた執務室とは百八十度異なるコンクリート打ちっぱなしの部屋。ひやりと冷気すら感じられる部屋の中央にぽつんと置かれているのは簡素なパイプベッドだった。
 そこに寝かされてしばらく。スティーブンが姿を現し、先の通り呟いた。レオナルドをここまで連れて来た男はいない。しかしおそらく扉の向こうに控えているのだろう。
 申し訳程度の薄いマットレスと、反して新品と思しき真っ白なシーツ。注射された薬液のせいでそれに皺を寄せることすら満足にできないままレオナルドはスティーブンを睨み付ける。
「ぁに、する……き、だ」
 何をする気だ。そう尋ねるレオナルドにスティーブンは顔の傷痕を歪ませて笑みを返した。
「少しくらいなら予想してるんじゃないのか? 実際にやったことはなくても直腸を洗われて裸のままベッドに放置されれば、これから何が起こるくらい考えられるだろう?」
「……ッ」
 ろくに力が入らない顎で奥歯を噛み締める。
「心配しなくても僕のものを突っ込んだりはしないさ。同じ抱くなら女の柔らかい身体の方が良い。……が、快楽ってのは意外と使える方法でね。痛みに強い奴や身体に傷を付けられない奴、ついでにちょっと後遺症が残っちまう類の自白剤が使用できない奴を相手にする時は、これがなかなか良い結果を出す」
 スティーブンはそう言って壁に据え付けられている棚から白いプラスチックのボトルを取り出した。ラベルも何もないが、本人は中に何が入っているのか分かっているようで、躊躇いなくキャップを開ける。
「さっき使った薬は随分少なめにしてあるから、すぐ喋れるようになるぞ。しかしその頃にはもう自力じゃ立って逃げられなくなってるだろうから、まぁ諦めろ」
 ボトルを傾け、薄手のゴム手袋越しにぶちゅりと手のひらに押し出されたのは粘性の高い無色透明の液体。
「少年は知ってるか? こういうのも業務用ってあるんだぜ」
 指先を擦り合わせねちゃりとローションをいじりながらスティーブンは酷薄に笑う。
 レオナルドは恐怖にぴくりと足先を跳ねさせる。
「や、め」
「ぜーんぶ喋ってくれたらやめてあげるんだけど」
 ――君はそんなタイプじゃないだろう?
 そう言ってスティーブンはローションに濡れた指先をレオナルドの後孔に押し込んだ。
「ひっ、う」
 にゅるりと長い指が体内に侵入する。薬で弛緩した身体は容易く長い指を飲み込んだ。痛みはなく、何とも言えない違和感が背骨を駆け上がってくる。嫌悪感に鳥肌が立った。目の前のシーツを握り締めようにも、指先は力なく表面を掻くのみ。
「男がナカで感じると凄いらしいぞー」
 軽い口調で言いながらスティーブンはレオナルドの中に侵入させた中指をくにくにと折り曲げたり出し入れしたりする。そのたびに得も言われぬ感覚が背中を駆け上がって来てレオナルドは息を詰めた。
「や、……ぁやめ、」
「少年がもうちょっと素直な子なら僕もこんな手間をかけずに済むんだが……仕方ないよな?」
 言いながら、スティーブンの指がある一点をかすめた瞬間。
「っ、ぅ!」
 これまでの違和感とは違う何かを感じてレオナルドの身体が小さく震えた。強烈なものではない。しかし腹の下の方に熱が溜まるような感じには覚えがある。
「しょーねん」
 ギシリ、とベッドが鳴った。スティーブンがマットレスに片膝を乗せ、レオナルドの耳に唇を近付ける。
「ココが君のキモチイイところだ」
「っ、ャま、ぁ……う、ァ」
 ぐに、ぐに、ぐに、と長い指が何度もそのポイントを押し潰す。そのたびに性器を直接握るのとはまた違う小さな快感の火が腹の中で徐々に大きくなるのが分かった。
「ここが男にとって一番感じやすい場所だよ。前立腺って言うんだ。初心者でも触れられればちょっとずつ気持ち良くなってくる」
 スティーブンの要らない説明を聞きながら、これくらいなら耐えられるとレオナルドは内心で笑う。人前での排便やら全裸やら尻の穴に指を突っ込まれるやらで精神的なダメージは相当なものだったが、大切な家族の情報を口にするには至らない。これなら適当に喘ぐフリをして偽の情報を喋ってやれるだろう。そうほくそ笑むレオナルドだったが――
「ン、ぅ」
 ぐちゅり、と弛緩した後孔に二本目の指が突き刺さる。それすら難なく飲み込んだのは最初に打たれた筋弛緩剤が原因だとレオナルドは思った。が、実は与えられる快楽により身体が自ら緩み始めているせいでもあった。
 スティーブンがレオナルドに指を突っ込んだまま身を屈めて床に置いていたローションのボトルを持ち上げる。片手でキャップを開けると、その中身を直接レオナルドの尻に垂らす。
「っ、めた」
 レオナルドが小さく悲鳴を上げた。
 腰が小さく跳ね、尻たぶが震える。双丘の間をとろりと透明なローションが伝い、その感覚ですら腰の奥に熱を溜める。
 スティーブンの宣言通り、徐々に薬の効果は薄れつつあった。だがレオナルドがそれに気付き動き出す前に、ローションによりすべりが良くなった二本の指が再びレオナルドの一点を突く。
「ァ……?」
 びくり、と自由を取り戻しつつある身体が震えた。
「なぁ少年」
 ねっとりとスティーブンの声がレオナルドの耳孔に注がれる。
「ちょっと甘く見過ぎだぞ?」
 男の長い人差し指と中指が前立腺を押し潰すように挟み込んだ。
「ッア――!」
 ばちんと電流がレオナルドの背骨を走り抜ける。
「や、……ぁう、、や……な、に、……これ、あァ」
 二本の指が容赦なくそこを攻め立てる。指が抜き差しされるたびグチュグチュとローションの水音が耳を犯し、その合間を縫ってスティーブンの吐息のような笑い声が零れ落ちた。
 腸壁越しに前立腺が突かれ、押し潰され、ぐにゅぐにゅともてあそばれる。
「ァ……。っ、ぅ……く、……、……ッ」
 指先がシーツをひっかくのが視界の端に移る。自分の手であるはずなのに、下肢から背骨を駆け上がってくる感覚に脳が支配されてよく分からない。
「ほら、気持ちいいだろう?」
「ち、が。きもち、く、な」
「嘘はいけないな」
 スティーブンが身を起こし、レオナルドの股間にあるそれをぴんと弾く。
「ひぅ!」
 いつの間にかレオナルドの性器が頭をもたげ、ゆるく立ち上がっていた。先端から僅かに零れる透明な雫がとろりと糸を引いてシーツに落ちる。
 その間にもスティーブンは指の抜き差しを繰り返し、つられるようにレオナルドの腰が揺れる。薄い赤に染まったペニスも雫を零しながら震えて時折その先端を腹の下のクッションに触れさせた。
「ャ、っ、やめ、……ッ、ア……おね、が……ッ」
 ぐじゅっぐじゅっとローションが泡立ち、下肢から聞こえる音が酷くなる。自分の指で性器をいじる時とは違う深い快感に目の前がチカチカした。しかし懇願は聞き入れられない。
「だぁめ」
 気持ち悪いくらい甘ったるい声が耳朶のすぐ傍から注がれる。だが言葉に反して男の指は驚くほどあっさりと引き抜かれた。ようやく終わった快楽の波にレオナルドはクッションを押し潰すように体重を預ける。
 これなら大丈夫。ベッドから離れる男の気配にそう思ったレオナルドだが、男の向かう先が外に通じる扉ではなくローションが置いてあったのと同じ棚だと気付いてヒッと息を呑む。たった指二本で頭の中がおかしくなりそうだったのに、この男はまだ何かレオナルドに施そうとしているのか。
「察しがいいな」
 こちらに背を向けていた男が何かを手にしたまま振り返る。それを持ったままカツリカツリと靴を鳴らしベッドまで戻ってくると、乾いた方の手で持っていた小さなリング状のものをレオナルドの股間で立ち上がっているそれに装着した。
「なっ」
 根元をきっちりと押さえるそれの役目など明白。レオナルドは真っ青な両目を見開く。慌てて取ろうと手を伸ばせば――ゆっくりとだが腕を動かせるくらいに薬が抜けていたのだ――その手をぱしりと叩かれた。それどころか両手をくるりと背中でまとめて拘束される。指の長い大きな手はレオナルドの両手首を一緒に包み込み、完全に抵抗を奪う。
「はなせ!」
「却下」
 スティーブンはそう答えるともう片方の手に持っていた数珠のような濃いピンクのそれをレオナルドの後孔につぷりと押し入れた。
「ひっ」
 つぷ、つぷ、つぷり、とビー玉くらいの大きさをした珠の連なりがレオナルドの中に侵入する。指二本よりも細いそれは容易く孔に飲み込まれ、レオナルドの腹の中でころころと存在を主張した。時折、珠が前立腺をかすめてレオナルドは悲鳴を飲み込む。だが指よりも弱い刺激は腕を拘束されている恐怖を凌駕することはなく、得体の知れない恐ろしさに歯がカチカチと音を立てた。
 最後まで珠が押し込まれると、後孔からは数珠の先端に取り付けられたリング状の取っ手だけが顔を覗かせている。そのリングにスティーブンが濡れた指をひっかけた。
「言っておくが、これはまだ準備運動だからな?」
「……ぇ」
 レオナルドがその言葉の意味を理解する前に、スティーブンがリングにひっかけた指を素早く後ろに引いた。
「――ッ、ぁぁぁァァああアああ!!」
 ずるるるるるううう!! とリングに続く珠がローションをまとって孔から顔を出す。奥に押し込められていた珠は前立腺をごりごりと押しながら中から外へ、断続的に菊門のひだを広げて最後まで一気に引き抜かれた。レオナルドの足がピンと引きつり、腰が跳ねる。背中が反り、裸の胸の尖りがシーツに擦れた。
 前立腺へ連続して与えられた刺激にペニスもすっかり立ち上がり、腹に付きそうになっている。しかし根元を押さえ付けるリングが邪魔で先端からは少し白濁した液が僅かに零れるだけ。今すぐ触って射精したい。なのに根元にはリングがはまり、腕も拘束されている。イヤイヤと無意識のうちにレオナルドは頭を振り、額をシーツにこすり付けていた。
 その様子を見てスティーブンがクッと愉快そうに喉を鳴らす。指に引っかけていたリングを落とせば、アナルビーズと呼ばれるそれがぼとりとベッドの端に落ちた。その手で今度は己のネクタイを解く。黄色いネクタイがしゅるりと首元から離れ、それを使ってレオナルドの両腕を拘束し直した。
 スティーブンは再びベッドを離れて壁の方へ。しかしレオナルドは逃げられない。先程の刺激で腰が震えて立てないのだ。今度は何をされるのかと震えながら「もう、やだ」と告げる声は弱々しい。しかしそれでも「全部話します」とは言わない。相手もそれを分かっているからこそ、薄い笑みを浮かべたまま次の道具を手に取ってそれをレオナルドに見せつけた。
 男性器を模したそれは手元のスイッチを入れるとブゥンと低い音を立てて震えだす。
「それじゃあ、本番だ」

* * *

 強情だなぁ、とスティーブンは内心で呟いた。視線の先には尻を高く上げた状態で身体を震わせながらシーツを噛んで悲鳴を殺す少年の姿。その後孔にはバイブレータが押し込まれ、低い稼働音と共に震えている。ちょうど前立腺に触れるよう押し込んだので、刺激はかなりのものだろう。
 その証拠とでも言うように、コックリングで締め付けられたペニスは真っ赤になって腹に付かんばかりに立ち上がり、睾丸もぱんぱんに膨れている。射精を許されないまま快楽を与え続けられる状態は非常につらいはずだ。
 しかしレオナルド・ウォッチは「やめて」とは言っても「全部話しますからやめて」とは言わない。時折スティーブンが「話す気になった?」と問いかけても、「フーッ、フーッ」と喘ぎを押し殺すような呼気しか返って来ない。絶対に首を縦に振ろうとはしなかった。
 いつもならいい加減にしろと苛立ちを覚える頃だったが、今回ばかりは違う。快楽により顔を真っ赤に染め、涙でぐちゃぐちゃになった青い目を見ていると、逆に楽しくなってくるのだ。体液まみれの顔など決して美しくはないのに、スティーブンが問いかけるたびこちらを睨み付けてくる青い双眸と目が合うと、ぞくぞくと背中が粟立った。
 さてこれからどうしようか、とスティーブンは胸中でひとりごちる。少年がいるベッドから数歩離れたところに椅子を置き、そこに腰掛けて足を組んだ。
 彼に口を割らせようとしていることは自分が所属する組織にとって特に重要ではない案件である。謂わば己の趣味の延長のようなもの。珍しい獣を見つけたのでもてあそびつつ、何か面白いことを吐いてくれたらいいのになぁといった程度だ。そして飽きれば好事家に高値でポイ。売られた先で少年がどうなるのかなどスティーブンの知ったことではなかった。
 しかしながら拾って間もないためまだまだ飽きは来ておらず、次はどうやって楽しもうかと考えれば自然と口角が上がる。スティーブンは後孔に押し込まれた玩具で断続的に身を震わせる少年を眺めつつ、彼の体液とローションでべとべとになった手袋を両手から引き抜いた。
 ぺち、とコンクリートの床に落ちた手袋が音を立てる。その音が気になったのか、シーツを噛んで声を殺していたレオナルドが青い双眸をスティーブンの足元に向けた。
「……ははっ、これはなかなか」
 スティーブンは思わず呟く。
 男だというのに赤く染まった目元はやけに扇情的で、敵意を込めて睨むためではなくただ音の発生源を確認するために向けられた視線は涙で滲んでひどく無防備に見えた。首を捻ったことで口元からシーツが離れ、ちょうどバイブが上手いところに当たったのか「ぁ、っう」と小さな悲鳴が上がる。そして刺激を堪えるためにぎゅっと瞑られる両目。真っ赤な唇から零れるその音も表情も、少年の幼さすら感じられる容姿と相まって不思議な色気を醸し出す。
 気付けば、ごくりと喉が鳴っていた。代わりの手袋を付けることなく、スティーブンは再びレオナルドに近付く。
 接近する足音にレオナルドが再び目を見開き、警戒を露わにする。だが腕を拘束され、後孔に玩具を突っ込まれた彼が逃げられるはずもなく、「ン……ぅ、くる、な」と、嬌声と拒絶が入り交じる言葉を吐き出すのみ。
「……ほら、少年。全部喋って楽になりな」
「い、やだ! っ、う」
「そう?」
 言いつつ、スティーブンは素手でバイブの柄をいじって角度を変える。
「あ、……ッ、ア! ャ……い、ひ、ぃ!」
 ビクンとレオナルドの身体が跳ねて悲鳴が零れた。
「なー。そろそろ喋ってちゃんと気持ちよくなりたいだろう? ほら、君の大事なところも真っ赤になって泣いてるじゃないか」
「……ッ、ぁ……ひ、ぅ……ン、ぃ、ぅあ」
 ぐりぐりと柄を回すようにいじれば、それに合わせて嬌声が少年の唇を割ってスティーブンの耳を打つ。しかしそれだけ。
「ふむ……」
 スティーブンは柄をいじる手を止めてレオナルドを見下ろす。前立腺への刺激だけでは駄目。となれば、やはり自白剤を少量使うべきなのか……そう思った矢先。
 コンコンコン、とドアがノックされる。スティーブンはそちらへ視線を向けて「どうした」と問いかけた。
 返ってきたのは扉の外で待たせている私兵の声ではなく、それとは別の部下の声。
「スターフェイズさん、俺っす。入ってもいいですか?」
「……ザップか。ああ、いいぞ」
「っ!」
 他人がもう一人この部屋に現れると知ってレオナルドが目を瞠る。しかし無情にも扉は開かれ、スティーブンと同じ組に属する部下のザップ・レンフロが顔を出した。
 褐色の肌に銀の髪。スティーブンとはまた違う系統の美丈夫がベッドの上で喘いでいるレオナルドに目を留め、「はっ」と揶揄半分呆れ半分の苦笑を漏らす。
「まぁたっすか。自分のモノ突っ込こまねぇでそういうことやって楽しいんですか?」
「お前が囲ってる愛人達とは違うんだよ。で、何の用だ?」
「ああ、そうでした」
 ザップはそう言って左手に持っていた茶色の瓶を掲げる。封がされたガラス製のそれは中に液体が1.8リットル入っている、いわゆる一升瓶というやつだ。側面に貼られたラベルには大吟醸と書かれていた。
「これ、貰い物なんすけど、スターフェイズさん飲みます? 一応毒味は済んでますけど」
「……酒か」
「さっき俺んとこのチームがちょっと片付け≠竄チてきましてね。そっからかっぱらってきたんですよ」
 ザップの声を聞きながらスティーブンはしばらく逡巡し、やがてとある名案を思いついた。「なんか人の悪そうな顔してますね」と、表情の変化を目撃したザップが呻く。
「それ、もらうよ」
「今? それとも部屋に持って行きます?」
「今、ここで」
「……わかりました」
 やりすぎると死にますからね、と付け足してザップがスティーブンに一升瓶を手渡す。それを受け取ったスティーブンは「見ていくか?」とザップに問う。しかしザップは首を横に振って「俺は見るよりヤル派ですから」と答えた。
「じゃ、渡すもんは渡したので失礼します」
「ああ。ちょうどいいタイミングで来てくれてありがとうな」
「そいつにとっちゃろくでもないタイミングでしょうけどね」
 ザップの銀色の双眸がベッドの上で身悶えるレオナルドを一瞥した。だがそれはほんの一瞬のことで、ザップは肩を竦めて早々に部屋を辞す。
 扉が閉まり、再び室内にはスティーブンとレオナルドの二人だけ。
 スティーブンは酒瓶の封を解きながら少年に向き直り、言った。
「自白剤は使わない。だから、アルコールの力を借りてみることにするよ」
「ッ……」
 酔わせて喋らせる気かと警戒した少年が固く口を閉じる。しかし残念ながらスティーブンに上の口を使うつもりはなかった。レオナルドの足の方に回って右手に酒瓶を持ち、左手でバイブを抜いてから尻たぶを掴む。
「な……!?」
 息を呑むレオナルド。スティーブンは小さく笑う。
「腸から直接摂取させた方がアルコールの回りが早くなるらしい」
 そして一升瓶の口をレオナルドの後孔にぐちゅり飲み込ませた。
「ひ、ぃ!」
 たぷん、と中の酒が揺れ、少年の体内に注ぎ込まれる。レオナルドの青い双眸がカッと見開かれ、全身が強ばった。手足の指はぎゅっと丸められ、無意味にシーツの海を掻く。液体が容赦なく腸を逆流してくる感覚に細い身体が震えた。
「ほら、早く喋らないと急性アルコール中毒で死んじまうかもしれないぞ?」

* * *

 目の前がチカチカ瞬いてまぶしい。体温がどんどん上がり、心臓が破裂しそうに鼓動を刻む。頭はくらくらして、ふらふらして、気持ち良いのに気持ち悪い。
 後ろにガラスの冷たさが突っ込まれてすぐ、レオナルドは腹が内側から熱くなるのを感じた。散々玩具でなぶられたそこは瓶の口など容易く咥え込み、レオナルドを愕然とさせる。しかしアルコールが体中に回り始めてすぐ、その感覚に襲われて思考が鈍り出した。
「さあ、少年。僕に話しておくことがあるんじゃないか?」
 傷の男の声がぐわんぐわんと脳内で木霊する。少しうわずった熱の籠もった声だったが、今のレオナルドの頭では判別が付かない。
 ちゅぽん、と音を立てて瓶の口が引き抜かれる。その感触にすらふるりと背筋が震えて、レオナルドは「ぁ、ン」と声を出した。
 これまでならシーツを噛んで声を堪えていたのだが、酔いが回った頭ではそれも継続しない。
 後孔がレオナルドの呼吸に合わせてぱくぱくと口を開閉させた。その動きに合わせてローションと酒の混じり合った液体が零れ出し、つぅと白い太腿を伝う。小さなその刺激にすら感じてレオナルドは「ン、んぅ」と声を出した。
 身体がふわふわする。熱くて暑い。腹の奥がむずむずして、足りないと思う。男が「おーい、そろそろ酒、掻き出さないとマズいぞー」と声をかけてくるが、それが何だと胸中で返した。
「こりゃだめか」
「ァ、んっ」
 つつ、と背骨に沿って指を這わされ嬌声を上げる。無意識のうちに尻が揺れた。素面ならばいざ知らず、酒で緩んだ頭では本能の赴くまま身体が動いてしまう。レオナルドはそれほど酒に弱い性質でもなかったのだが、腸から直接酒を注がれてはひとたまりもなかった。
「ほんとうに……良い拾いものだな、君は」
 男がぼそりと呟いた。
 しかしレオナルドはその意味を解さない。何か言ってるな、と思っている間にペニスを締め付けていたリングが外され、身体を抱き起こされる。薄手とはいえゴム越しだったはずの手が今は直接レオナルドに触れていた。
 身体を抱き起こされると背中が男の着ているシャツに触れる。汗でしっとりと濡れていたそこが布に擦れる感覚だけでレオナルドは鼻にかかった声を出した。耳元でスティーブンの吐息が零れる。
 左腕一本で抱き抱えられ、男の右手がレオナルドの下肢に伸びた。緩んだ後孔からはすでに酒が零れ落ちていたが、指が突っ込まれ掻き出すように上下する。
「アッ、ひぃ、んぅ……ぁ」
 指先が前立腺を押し潰し、レオナルドの身体が跳ねる。スティーブンが動くなと言って左腕の力を強めるので、代わりに足がシーツをぐしゃぐしゃにかき乱した。
 体内でぬるくなった液体がスティーブンの長い指をしとどに濡らす。そして、ひときわ強く前立腺が押し潰され――
「――――ッ、あァ!」
 ぴゅ、びゅくっ! と勢いよくレオナルドのペニスが白濁を吐き出した。

* * *

 吐精した後、レオナルドはぱたりと気絶してしまった。スティーブンは力の抜けた身体を抱きかかえたまま液体でてらてらと光る己の右手を見下ろす。
 左腕に囲われた少年からは酒と精の匂いがする。だがその他に何か、雄を惹きつけるものが混じっているのではないかと思わせた。
 立ちのぼる酒気に酔ったわけでもあるまいに、スティーブンはくんと鼻を鳴らした後、視線を少年の首筋に固定したまま右手を持ち上げる。てらてらと濡れ光る指先を唇に近付け、舌でぺろりと舐め取った。
「………………ッつ!? 俺は、な、にを」
 舌に酒の味が触れてスティーブンははっと目を見開く。どくどくと心臓がうるさい。
 慌ててレオナルドをベッドに寝かせ、己は彼から距離をとる。酒とローションと、それからおそらくレオナルドの体液に濡れた手に気付くと慌ててシャツでそれを拭った。
「スターフェイズ様、終わられましたか?」
 扉の向こうから私兵の声がする。それに「あ、ああ」と答えて、深呼吸を一つ。その動作だけで動揺を抑え込み、スティーブンは扉の向こうの男に向かって続ける。
「少年はしばらく捕らえておく。部屋を与えて閉じ込めておいてくれ」
「かしこまりました」
 扉が開き、細身の男が顔を出す。彼と入れ替わりにスティーブンは部屋を出た。
 廊下を進みながらほぅと漏らした吐息には、言い逃れできないほどに熱が籠もっている。


【3】


「……っ、ぁ」
 頭が痛い。レオナルドが目覚めると同時に――もしくは目覚めるきっかけとして――感じたのは、頭の奥でガンガンと鳴り響くような鈍痛だった。
 がらがらに枯れた呻き声を上げ、その声の酷さと喉の痛みに眉間の皺が深まる。
 二日酔いだ、直感で判断した。しかし酒で焼けたにしては喉の痛みが酷い。まるで絶叫した後のようだ。と、そこまで考え、レオナルドは己が安アパートの自室にいるのではないと気付いて息を呑んだ。
「ど、こだ。ここ」
 かすれた声で呟く。
 真上に広がる天井はシミの浮いた見慣れたそれではなく、エンボス加工されたオフホワイトの壁紙で覆われている。うっすらと浮き上がって見える模様は蔦だろう。壁に設置された間接照明の明かりを受けて淡い陰影を生み出している。背中に感じるのはスプリングのきいたベッド。シーツも肌触りが良く、ついでにその感触から自分が全裸であることに気付いた。
 レオナルドはベッドに手をついてゆっくりと身を起こす。しかし。
「――ッ、ぁぅ」
 腰の奥に違和感。
 痛いような、重いような。とにかくあまり心地良くない感覚に、レオナルドは身体を丸める。そして寝惚けていた頭がようよう眠りにつく前のことを思い出し、怒りと羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。
「く、そ……! あんな、こと……ッ」
 なんとか家族のことは喋っていないはずだ。しかし人として、男として、屈辱的な行為を受けたことに変わりはない。今度会ったら殴り飛ばしてやるとレオナルドは誓う。
 自分のアパートに戻っていない以上、ここはまだあの男のテリトリーのはずだ。このまま好事家の所へ売り飛ばすにしろ、まだ尋問を続けるにしろ、傷の男か彼の関係者は再びレオナルドの前に姿を見せるはず。
 そのためにもまずは状況確認だと、羞恥と怒りを押し殺して丸めていた身体を起こす。腰の奥の違和感は物理的にも精神的にも酷いものだったが、そろりそろりとベッドの上を移動し、床に足を付けた。素足が触れた絨毯は毛足が長く、なんでこんないい部屋に寝かされていたのかと一瞬呆ける。が、とりあえずレオナルドは扉を見つけてそこを目指そうとする。
「ぁ……?」
 足腰に力が入らず、レオナルドはベッドのすぐ脇にぺたんと尻を付けて座り込んでしまった。自分でも意識していた以上に役立たずの下半身に驚いて目を瞠る。
 だがレオナルドを襲ったのはそれだけではない。
「な、んで……」
 声が震えた。
 ぺたりと少女のように座り込んでしまった足の付け根、そこにある男の象徴が立ち上がっている。単に起床時の生理現象によるものではない。もっと明確にそれは上を向いていた。
「……っふ」
 同時に、ぞぞぞ、と腰の奥から背骨を伝って駆け上がってくる電気信号に身体が震えた。何も押し込まれていないはずの最奥にまだ何か埋まっている気がして後孔がきゅんと疼く。
「ち、が……ゃ、なんで」
 レオナルドは己を抱き締めるように両腕を肩に回し、じわりと滲む視界で自分のそれを睨み付けた。
 睡魔が去ると共に、昨夜強制的に施された感覚が全身によみがえってくる。指で、異物で、ごりごりと前立腺を押し潰された時の神経が焼き切れそうな快楽。きゅっと足先が丸まり、吐き出す息に熱がこもった。心臓が慌ただしく鼓動を刻み、上を向いたペニスの先端からじわりと透明な雫が滲みだす。
「ぁ、ぅ……ぁ」
 初めてこの身に叩き込まれた暴力的な快楽はレオナルドの想定以上に根深く、惨いものだった。思い出すだけで息が上がり、身体は浅ましくもあの感覚をトレースしようとする。
 こんなのは自分じゃない。そう思っても先端から滲み出た雫が立ち上がった陰茎を伝い、その感触すら快楽の呼び水となる。すでに我慢して静まる程度を超えていた。
 レオナルドは半泣きになりながら、はふはふと熱い呼吸を繰り返す。頭の中は「どうしよう」の言葉でいっぱいだった。足腰に力が入らなくて立てない、どうしよう。勃起したままでいたくない、どうしよう。でも自分で処理するなんてこうなった経緯を考えればしたくない、どうしよう。
 混乱と困惑で、無意識のうちにあまり日に焼けていない肩へと爪を突き立てようとした時、
「おーい、がきんちょー。生きてっかー」
 レオナルドの目指していた扉がガチャリと開かれる。そこから顔を出したのは銀髪に褐色の肌を持つ若い男だった。見覚えのある容姿にレオナルドは涙で濡れた双眸を見開く。
 しっかりと晒された『神々の義眼』に男――確かザップと呼ばれていた――が一瞬気圧されたように動きを止める。しかしすぐに緊張を解いて、どかどかと荒っぽい動作で近寄ってきた。
「おい陰毛頭」
「ひっ」
「ばーか。おっ勃てたまま怖がんなよ」
 彼に直接何かをされたわけではないが、ザップが持ってきた酒で酷い目に遭ったことに変わりはない。反射的に身を竦めれば、褐色の肌の美丈夫は半眼になってレオナルドの股間のことをからかった。
 指摘を受けたことでレオナルドは慌てて股間を両手で隠す。なんとも情けない格好になってしまった。
「まぁ安心しろ。なんもしねーから」
 そう言ってザップはレオナルドがつい先程まで寝ていたベッドに近寄るとシーツを引っぺがした。何をする気かとレオナルドが視線で彼の動きを追えば、剥がされたシーツがふわりと視界を遮る。
「それでも被っとけ。服はスターフェイズさんの私兵が処分しちまっただろうし」
 言いながら、ザップはベッドに腰掛ける。足をひらいた行儀の悪い座り方で、背中も少し丸まっている。あまり姿勢は良くないらしい。
 レオナルドが被せられたシーツで首から下を覆うと、ザップは葉巻を取り出してジッポで火をつけていた。ぷかりと煙を吐き出して、銀色の双眸がレオナルドを見据える。
「気にすんな」
「へ?」
 煙と共に吐き出された言葉にレオナルドが首を傾げた。するとザップは顔をしかめて、
「ケツ穴に突っ込まれてイッちまったりすると、次の日も思い出しただけで勃つらしいぞ」
 自分はそんな経験不要だと言いたげにそう告げた。ともあれ、生理現象の延長のようなものだから気にすることはない、不可抗力だと遠回しに慰めてくれているようだとレオナルドは理解する。
(この人、いいひとなのか……?)
 コンクリートの部屋にわざわざ酒など持ってきたタイミング最悪の野郎ではあったが。
「あ、あの、すみません」
「んあ?」
 レオナルドは恐る恐る問いを口にする。
「どうしてあなたはこの部屋に来たんですか……?」
「そりゃおめぇ」
 ザップは人差し指と中指に葉巻を挟んでぼそりと答えた。
「スターフェイズさんが俺の持ってきた酒をどう使うか分かってたのに止めなかったからな。それで死なれちゃ後味ワリィだろ」
 だから様子見だ、と。
(こ、この人、いいひとかもしれねー!)
 スティーブンの暴挙を止めずに去って行ったクソ野郎ではあるけれども。レオナルドの身に起こることを予想しても忌避するどころか平気な顔をして去って行った男だったけれども!
 あれこれって本当はクズ野郎なんじゃないだろうか、と思わなくもなかったが、比較対象としてスティーブンの顔が浮かんでしまうと、よく知りもしないザップの方がずっと良い人であるように思えてしまう。
「そうっすか。えっと、ご心配をおかけしました」
「お、おう……?」
 レオナルドがそんな返答をしてくるとは思ってみなかったのだろう。ザップがつかえながら一応頷く。後で「お前ヘンな奴だな」と付け足したのは不要だったが。
「ま、死んでなくて何よりだ。スターフェイズさんも最初からマズイことになんねぇようセーブするつもりはあったんだろうけどな」
「どういうことですか……?」
「そりゃこの部屋与えられてりゃ想像つくだろ」
「?」
 レオナルドが頭上に疑問符を浮かべると、ザップは葉巻を持つ手をくるりと回すようにして部屋全体を示した。
「だってここ、フツーの客間だぜ。突貫で外から錠前付けられてたけどな。どうでもいい野郎なら昨日お前がいた隣の小部屋にぶち込まれてる。ついでにそこはお前がスターフェイズさんになぶられてた部屋を小さくしたようなもんだと思ってくれ」
 粗末なベッドしかないコンクリート打ちっぱなしの寒い部屋を想像してレオナルドは「うわぁ」と零す。それに比べて今レオナルドが閉じ込められている――のだろう、外から錠前が付けられているとザップが言っていたし――この部屋はベッドも絨毯も壁紙も照明器具その他諸々に金の匂いがしている。これぞ天と地ほどの差というやつだ。
「やっぱりそう遠くない未来に僕、変なおっさんに売られんのかな。いい部屋を宛がわれたって、それ、商品の価値を下げないためとかでしょ」
「ああ、その眼か」
 ザップが糸目に戻したレオナルドの顔を一瞥して呟く。
「何がいいんだかなぁ、そんな眼の一つや二つ。どうせ二つ付いてるならデケェおっぱいの方がいいじゃねぇか」
「うわー。何の躊躇いもなくクズ発言っすね」
「正常な男ならそうだろ?」
「まぁそうっすけど」
 レオナルドも他人とは違う見た目の眼球より、豊かな胸の方が素晴らしいと思う。尚、この場合、豊かな胸とやらは自分に付いていないものとする。付け加えて言うならば美しい女性に備わっていれば良し。
 ともあれレオナルドの同意を得たためか、ザップがニカリと歯を見せて笑った。「だろー? やっぱそうだよなー」と上機嫌でレオナルドの癖のある髪をかき混ぜる。
「うわっ、ちょ、ぐしゃぐしゃになるから!」
「最初っからぐっしゃぐしゃの陰毛頭じゃねーかよー。股間の分まで全部頭に行っちまったようなくせして」
「う、うるせーーー! あと陰毛じゃねぇよ。僕の名前はレオナルドです!」
 部屋に入ってきた時に全裸のレオナルドを目撃していたザップは齢の割に薄いレオナルドの陰毛をからかいながら笑みを深めた。一方、レオナルドは思わずシーツを押さえていた手を放して、頭をぐしゃぐしゃと撫で続ける褐色の腕を掴もうとする。その動きのせいで白いシーツはレオナルドの下肢をなんとか隠す程度にまでずり落ちてしまった。
「おーい、陰毛君。あんまその粗末なモン晒すなよ」
 レオナルドに片手を捕まえさせたままザップが揶揄する。
「そ、そま……!?」
 確かに立派だと胸を張って誇れる息子ではないけれども。しかし言って良いことと悪いことがあるだろうとレオナルドは絶句した。
「んなこと言うあんたはどーなんすか。そんなにご子息は立派なんすか」
「おー? あったりめーじゃねぇか。俺のマグナムは数えきれねー女に愛されてるぞ?」
「うがあああああ! そういや俺が大変な時に愛人がどうとか会話してやがりましたね! 覚えてますよ!? くそっ! 性格なら絶対俺の方が上なのに……!」
 ザップの手を放し、両手で頭を抱えて唸り声を上げるレオナルド。スティーブンとは違い、ザップはチンピラ臭がするせいか妙に話しやすい。またザップ本人からこちらを害そうとする空気が感じられないので、思わず友人に話すような口調になってしまう。
「性格ねぇ。まぁそうだとしても、他は全部俺より下だな」
「は?」
 どう見てもチンピラ。反社会的組織の上層に名を連ねるような人間には見えないザップの言い分にレオナルドが素で首を捻った。レオナルドとて貧乏アルバイターだが、チンピラよりは諸々上であるような気がする。
「あ、てめぇ俺のこと下っ端だと思ってんだろ。そうだったらスターフェイズさんとあんな会話できねぇっつの。あと、食事当番とかならともかく、下っ端じゃ気軽にこの部屋にも入れねぇよ。ここ、うちの組の本部だぞ?」
「え」
「住居も兼ねててな。幹部クラスはそれぞれ仕事部屋と寝泊まりする部屋が与えられてる。で、とーぜん俺もこの屋敷内に部屋をもらってるわけだが……。どういう意味か分かるかな? インモーレオナルドクン」
「……う、うっそぉ」
「嘘じゃねぇよ。ギッシギシに泣かすぞコラ」
「あだっ!」
 ギッシギシには泣かされなかったが、盛大にデコピンをお見舞いされた。
 ザップはベッドから立ち上がるとサイドテーブルに置かれていた灰皿に葉巻を押し付ける。火が消えたそれをそのまま放置して、銀髪の美丈夫はレオナルドの前にしゃがみ込んだ。
「言っとくが、スターフェイズさんはこの組のナンバー3だ。俺はその下、あの人が指揮する実働部隊の一つを任されている」
「な、なんばーすりー」
「おう。一番上に組長(おやじ)がいて、その下にクラウスの旦那……ああ、若頭な。そんで、若頭の右腕がスターフェイズさんだ。今、実質的に組を動かしてんのはあの人だぜ。番頭役ってやつだな」
「お、俺、なんつー人に目付けられたんですか」
「知らねぇよ。お前がスターフェイズさんが行くような所にいたからだろ」
「そうですけど。そうですけど!」
 確かにあそこで働いていなければ、今こうして全裸にシーツをまとって床に座り込んでいるようなことにはならなかった。レオナルドは自分の格好を思い出し途方に暮れる。そう言えばこのシーツの下の息子は未だ元気に上を向いたままだ。
 ザップが訪ねて来る前はあんなにもどうしようどうしようと悩んでいたのに、今はもう「とりあえずこの人が出て行ったらテキトーに処理しとくか」くらいの軽い考えに移行していた。次から次へと情報が叩き込まれて、自分の息子の愚行くらいどうでもいいやと思えてきたのかもしれない。それにザップ曰くこれも生理現象であるようだし。
「どうしたらいいんですか、ザップさん」
「だから知らねぇよ。スターフェイズさんが飽きたらどっかに売られんだろ、お前。そこで良くしてもらえば?」
「売られたくないです! あ、じゃあザップさんが俺のこと買いませんか! 幹部ならお金もあるんでしょ! そんで俺を平和な世界に返してください!」
「なんで俺がンなことしなきゃなんねーんだよ。慈善活動か」
「慈善活動しましょうよ!」
「やだね。そんな金があるならオンナと賭博に使うわボケェ」
「ひとでなし!」
「そりゃあ反社会的組織ですから?」
 レオナルドの頭をもう一度くしゃりと撫でてザップが立ち上がる。
「ともあれ生存確認終了だ。あとはてめーで頑張れ」
「そ、そんなぁ」
「お前がイイオンナなら考えてやったんだがな。生憎ちんくしゃ野郎に食指は動かねぇんだよ」
 さっさと扉まで辿り着いてしまったザップがドアノブに手を掛けて振り返った。
「じゃあな、陰毛頭。気が向いたらまた遊びに来てやらぁ」

* * *

「……ああ、なんだ。本当の家族は生きているんじゃないか」
 私兵――組とは違う私設部隊――に調べさせた情報を確認しながらスティーブンはぽつりと呟いた。ラップトップの画面には彼らから上がってきた報告が映し出され、その光がスティーブンの顔を照らしている。
 調査対象名、レオナルド・ウォッチ。家族構成は両親と妹が一人。飛行機事故など関係なく、三人とも存命中だ。妹のミシェーラ・ウォッチは生まれつき足が悪く、健常者ばかりの家庭に比べれば出費が多い。その関係でレオナルドは家族の元を離れ、早くから働き出しているのだろう。口座の金の流れも調べてみたが、彼の稼ぎのほとんどは家族に送られている。
 なお、レオナルドの親類縁者もほぼ全て洗い出してみたが、その中に少年と同じ『神々の義眼』を持つ者はいなかった。つまりスティーブンが入手可能なのは後にも先にもレオナルドただ一人のみ。一人だけでも好事家に売ればかなりの金額になるが、一人より複数の方が良いに越したことはない。……はず、なのだが。
(どうでもいい)
 スティーブンはラップトップの画面に茫洋とした視線を投げかけながら胸中でひとりごちた。
 初めてレオナルドの双眸を目にした時と比べて神々の義眼への興味が薄れつつある。元々、組の利益のために動いていたわけではなく趣味のようなものであったので、そのことに関しては然して問題ない。
 スティーブンの興味はレオナルドの親戚に同じ眼を持つ人間がいるかどうかではなく、レオナルド本人へと移っていた。
 あの少年が頑なに口を噤んでいた内容は家族が生存していることに関して。しかしそれは当然だと思う。大切な家族――私兵が入手した写真には幸せそうに笑い合うウォッチ一家が写っていた――に魔の手が迫るのは何としてでも阻止したいと考えるだろう。たとえ己が酷い目に遭っても、家族が大切であればあるほどその口は固くなる。
「君の家族は君に心から愛されているんだな」
 画面上のレオナルドの顔を指先でなぞりながらスティーブンは呟いた。
 と同時に、胸に湧き上がるのは、
(うらやましい)
 心の中で独白し、それを自覚し、苦い笑みを零す。羨ましいとは何事か、と。
 しかし改めて己の内面に向き合ってみれば、やはりレオナルドの家族を羨ましいと感じた。
 人として、男として、理不尽かつ屈辱的な目に遭わされても決して口を割らなかったレオナルド。ここまで身を削って愛を示してもらえるなんて。スティーブンにはそこまでやってくれる知人などいない。否、自分が右腕を務めている上司兼親友ならばもしかしたらもしかするかもしれないが、彼はスティーブンのための犠牲になる方ではなく、むしろスティーブンが身を粉にして尽くすべき相手であるので考慮の対象にはならない。
 ともあれ、スティーブンを好きだと言ってくれる女性は多いが――そしてそんな彼女らを利用して情報を得るという方法を得手とするスティーブンではあるが――、彼女らのうち何人がスティーブンのために屈辱的な行為を受け入れてくれるだろうか。徹底的に依存させれば可能性は無きにしも非ずだが、正常な精神を保ったまま本当の意味でスティーブンに全てを捧げてくれる者はおそらく誰一人としていないだろう。
 そもそも彼女らはスティーブンを好ましく思っていても、スティーブンは彼女らをさほど好いていない。家族と相思相愛であろうレオナルドとは比較するのもおこがましい状態だった。
 じくり、と胸の奥が痛む。
 スティーブンは頭(かぶり)を振ってラップトップを閉じた。するとタイミングを見計らったかのようにポケットの中のスマートフォンが震える。
「スティーブンだ」
『スターフェイズ様、お忙しいところ失礼いたします』
「君か」
 私設部隊の統括役を任せている細身の男の姿が脳裏に浮かび上がる。
「どうかしたか」
『報告書はご確認いただけましたでしょうか』
「ああ。一日でここまで調べてくれてありがとう」
『貴方様の私兵としては当然のことです』
 淡々と述べて相手は続けた。
『ご報告させていただきました通り、少年と同じ眼を持つ者は確認できませんでした。少年が黙秘を続けていたのもこの件に関してだと推測されます。したがって、少年をこれ以上お屋敷の方で捕えておく必要もなくなったと思われましたので、神々の義眼保有者の売却先に関してご指示をいただきたく』
 私兵からの提案は当然のことだった。しかしスティーブンは彼に言われて初めてレオナルドを売り払う予定だったことを思い出す。
 その異変≠ノスティーブンが言葉を失っていると、電話の向こうの相手はそれに気付くことなく先を続けた。
『少年の購入を希望する人間が複数おります。スターフェイズ様に一名お選びいただくか、もしくはオークション形式を取らせていただくか……。どちらになさいますか』
「それは――」
 スマートフォンを持っていない方の手で顔を覆う。
 彼の言うことは正しい。何らおかしなことはない。それが当然だ。
 だと言うのに、スティーブンはレオナルドを手放したいと思えなかった。
『スターフェイズ様?』
 どうかされましたかと問われ、スティーブンは「いや」と喉を震わせる。
「もうしばらくここで飼っておきたい。売り払うのは僕が飽きてからだ」
『かしこまりました。ではそのように』
 私兵の返答を聞き、スティーブンは通話を終えた。机の上にスマートフォンを放り出して椅子に体重を預ける。本革のデスクチェアがギシリと悲鳴を上げた。
「……なんで。おれは、あんなことを」
 手元に少年を置いておきたいと思ったのか。
 声を出して問うてみても、答えてくれる者はいない。


【4】


 ザップが去った後、日が沈んでもスティーブンもしくは彼の関係者がレオナルドの元を訪れることはなかった。目覚めてから今まで三度、見覚えのない男が食事(と一度目に衣服)を持ってきたが、その相手はレオナルドと口をきくどころか目も合わせようとせず、無言で職務を遂行し速やかに退室してしまった。あれがザップの言う幹部とそれより下の構成員の違いだろうか。レオナルドはぼんやり考えつつ、鍵が開かないようになっている窓へと近付く。
 クレセント錠の部分が白いセメントのようなもので固められており、完全に締め切られていた。部屋の中の物を使えば窓を割って外へ逃げることも可能だろうが、明るいうちにちらりと覗き見たところここはおそらく三階。窓を割ってすぐ外へ飛び出せる高さではない。そしてぐずぐずしていれば、ガラスが割れる音で異変に気付いた部屋の外の者が様子を見に飛び込んでくるだろう。つまり凡人の運動能力しか持ち合わせておらず、更には昨夜の一件で足腰が万全でないレオナルドにとって逃亡は非常に難しい。
 時間の経過により二日酔いはほぼ無くなったものの、体調面以外での好転は全くないと言って良かった。
 夜の帳が降りた現在、室内には煌々と明かりが灯され、見つめた窓にはレオナルドと部屋の様子が反射されている。そっと瞼を押し開くと、ここに捕らわれる原因にもなった青い瞳が姿を現した。
 神々の義眼。確かに希少価値は高いが、所有している本人からすれば決して美しいとも言い切れない。白くあるべき部分まで青に覆われ、表面には細かい紋様のような筋が走っている。平凡な顔に納まった二つの異様な眼球は美しいと評する前にただひたすら奇妙なものに見えた。しかし人によっては同じ大きさの宝石と同等かそれよりも価値があるのだという。
「こんなもののどこが良いんだ」
 レオナルドは小さく毒づく。呟きに合わせて、ガラスに映り込む己が眉間に皺を寄せた。
 しかし不機嫌になるのは何も眼だけが原因ではない。この双眸は生まれた時から付き合ってきたものなのだから、それなりに怒りの消化の仕方というのを身に着けている。レオナルドが今、盛大に舌打ちしたい気分になっている理由はもう一つ。そんな眼のためにレオナルドをこの部屋に監禁している男が未だ姿を見せていないことだった。本人が姿を現していないどころか何の動きも見せていないのである。
 待ちわびるという表現はおかしいかもしれないが、それでも苛立ちは募った。また苛立ちは停滞する状況に対する不安の表れでもある。自分がこうしている間、万が一大切な家族に何かあったとしたら正気ではいられまい。
 窓ガラスに映った己を睨み付けながらレオナルドは奥歯を噛み締める。その時、
「そこの窓は防弾ガラスになっているから簡単には割れないぞ」
 耳を打つ、なんとも色気のある声。知っているその声にレオナルドは勢いよく振り返った。
「お前……!」
「やあ、少年。一日ぶり」
 外から鍵をかけられているはずの扉が開いていた。片手を上げて中に入って来たのは顔の左側に大きな傷を持つ色男、スティーブン。きっちりとダークグレーのスーツを着込んだ黒髪の伊達男は扉を閉めて窓際に立つレオナルドへと近付く。
「まぁ上手く割れたとしてもその音で見張りが駆けつけるけどな」
「……だと思って何もしなかったでしょうが」
「うん。良い判断だ」
 窓を背にして立つレオナルド。そのすぐ正面でスティーブンが足を止める。距離が詰まると二人の身長差が嫌なほど明確になった。レオナルドは精一杯首を反らし、手を伸ばせば簡単に届く距離にまで近付いた男を見上げる。
「僕を売り払う先でも決まりましたか。それともまた昨日みたいなことをする気ですか?」
 言外に何をされても口を割る気はないと告げる。するとスティーブンはニコリと笑い、脚と同じく長い腕の一方をゆるりと持ち上げた。
 持ち上げられたのは左腕。それがレオナルドに触れることはない。しかし窓枠を掴むように伸ばされたため、レオナルドの身にスティーブンの影が落ちた。また少し二人の物理的距離が縮まる。
「何する気っすか」
 雰囲気的に昨夜の続きだろうか。そう推測するレオナルドだったが、伊達男の唇を割って飛び出した言葉は狂乱の再来など比べ物にならない衝撃を伴っていた。
「君の妹は普通の眼の持ち主だったけど、活発そうな可愛らしい御嬢さんだね」
「…………な、にを。言って」
「ご両親も、それから四親等まで調べてみたが、やっぱり君と同じ眼の持ち主はいなかった。ははっ、ザンネンだ」
 レオナルドの喉がごくりと唾を飲み込んで震えた。
 じり、と指先に痺れが走る。背筋に冷たい汗が流れ、腹の底に氷でも詰め込まれたかのように冷える。だがそれとは対照的に、脳みそに熱い鉄の杭を打ち込まれたような感覚に襲われてレオナルドは双眸を大きく見開いた。
 同体積の宝石もかくやと言わんばかりの両目でスティーブンを見据えれば、目の前の男が笑みを深める。何を思ってそんな顔をするのかレオナルドには分からない。が、そんなもの関係なかった。
「おい」
 低く、地を這うような声音を絞り出す。そうして激情のままスティーブンの胸倉を掴んだ。ぐいと力任せにひっぱり、鼻先が触れんばかりの至近距離で睨み付ける。
「っ、しょうね」

「ミシェーラに手を出したら殺すぞ」

* * *

 青い双眸に至近距離で見つめられながらスティーブンはその言葉を聞き、息を呑んだ。
 いつでも自分の好きなようにできる弱者の口から零れたとは思えないほどドスのきいた声。スティーブンを己より圧倒的なほどに強者であると自覚しているはずなのに、それに逆らっても尚――つまり己がどうなろうと関係なく――反抗心と殺気を露わにしたレオナルドを前にして、スティーブンは小さく身を震わせた。
 無論、その震えは恐怖に由来するものではない。
 ただただひらすらにスティーブンは青い双眸を見返しながらこう思った。
(ああ……本当に、君の家族が、君に愛してもらえる人達が、うらやましい)
 私兵からの調査報告を確認した時と同様に、否、それよりも強く羨望の感情を抱く。
 彼は、少年は、レオナルド・ウォッチは、己の命よりも人としての尊厳よりも愛する者を優先し、大切に思っている。スティーブンはそれが純粋に羨ましかった。こうしてレオナルドの言葉と行動を受けて、改めて心よりそう思う。
 誤魔化しようのない強い感情にスティーブンの口角がふっと持ち上がった。
「なに笑ってやがる」
 今にも牙を剥きそうな声と表情でレオナルドが唸るように告げる。
「いや……」
 スティーブンは微笑みを浮かべたまま右手を伸ばし、レオナルドの頬に添えた。
「君に愛してもらえる家族は幸せだな」
「は?」
 怪訝そうに眇められる青い瞳。胸倉を掴んで引き寄せられているため幾分下がっていた視界を更に下げ、スティーブンはその青をしっかりと覗き込む。
 怒りに濡れた瞳は美しかった。ただただ奇妙でしかないはずの双眸にレオナルド・ウォッチの感情が付与されれば、それだけでこれほどまでに美しいものへ変わるのか。スティーブンは内心で感嘆する。
「安心しろ。少し調べるため周りをうろちょろさせてもらったが、妹さんを含め君の家族・親類には一切手を出していないし、これから出す気もない」
「それを信じろって?」
「証拠を出せと言われれば出せないこともないが、そうなると君には機密情報を開示することになる。つまり僕としては少年を生かしたまま手元から離してやれなくなるわけだが、その覚悟はあるかい?」
「知れば眼だけ抉り出して殺すってことなら、簡潔にそう言ったらどうなんすか。眼球だけでも物好き野郎にはそれなりの値段で売れるんでしょ」
「いいや、殺しはしないさ。ちゃんと言っただろう? 手元から離してやれなくなるって。無論、君を他人に売ることだってしないさ」
 レオナルドの怪訝そうな気配が更に強まった。それも仕方あるまい。レオナルドは自身がスティーブンにとってただの商品であり、他の『神々の義眼』保有者を探し出すための手掛かりであるとしか考えていないのだから。まさかレオナルドの愛情が向けられる先にいる人々をスティーブンが羨ましがっているなどとは思いもしないだろう。
「……どういう意味だよ」
 その返答にスティーブンは笑みを深めた。
 強く深い愛情でもって敵の前から一歩も退かない騎士。そのなんと勇ましく、愛おしいことか。
 スティーブンはレオナルドの家族が羨ましい。深い愛情を注がれる彼らが心から羨ましい。そして今、己もまたその愛情を受けたいと思ったのだ。
(君に愛されたら俺はどれほど幸せになれるだろう)
 レオナルド・ウォッチほど他者に愛を捧げられる人間をスティーブンは知らない。
 そんな彼にとって自身の命や尊厳よりも優先される対象になれたなら、溺れそうになるくらい深く愛されたのならば。それはどんなに幸福で贅沢なことだろうかと夢想した。
 そしてまた、夢想だけでは終わらない。望むならば、次は望みに手を伸ばす。
「僕がこれからも少年の家族に手を出さないよう、君自身が傍で確認するつもりはあるかってことさ」
「傍って、あんたの……?」
「その通り。少年、家族の安全を確認する対価として、僕のものにならないか」
「正気っすか? 俺、ただ眼がおかしいだけの一般人ですよ? ああ、それとも珍しい置物を部屋に飾っておきたいってやつですか」
 興味がないと言っておきながら結局お前も悪趣味な好事家と同じじゃないか、とその目が語る。
 スティーブンはやれやれと肩を竦めた。
「もし俺が君の眼にしか価値を見出さないクソコレクターなら、君の妹を攫って無理やり君との間に子供でも作らせるだろうさ。神々の義眼は遺伝子疾患だからな。適当な女を君に与えるより、少しでも血の近い人間を使った方が新しい『眼』の保有者を得る確率も高くなる。しかし僕は今、それを実際にはやっていない。この点で、美術品ではなく人としての君を欲しがっているんだと信じてもらうことはできないか?」
 スティーブンはレオナルドが欲しい。レオナルドに愛して欲しい。手元に置いて、その愛情を一身に受けたい。こんなにも大きな愛を家族に捧げられる少年なのだから、きっとその大きな愛の一部をスティーブンにだって分け与えることができるはずだ。
 互いの吐息が感じられるほど近くでレオナルドが両目を閉じる。スティーブンの胸倉を掴んでいた手も外された。
「わかりました」
 命も尊厳も家族のために捧げられる少年は、その家族を想ってスティーブンの前に全てを差し出す。
「あんたのものになりますよ。ただし、家族には一切手出しさせねぇからな」
「もちろん。俺が管轄している全ての仕事を君に開示しよう。裏も、表も、全てね」
 スティーブンは壁についていた手を放し、改めて両手でレオナルドの頬を包み込んだ。首を反らすよう力を込めても抵抗されない。
(レオナルド)
 心の中でその名を呼ぶ。
(どうか俺の傍にいて。そしていつか、俺を愛しておくれ)
 焦る必要はない。レオナルド・ウォッチの身柄はもうこの手に落ちてきたのだから。
 触れ合った唇は柔らかく、けれど少し冷たかった。







【1】2015.08.08 pixivにて初出
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【3】2015.08.18 pixivにて初出
【4】2015.08.18 pixivにて初出