【1】


 ウォッチ家の一員になって以降、生命を維持するために最低限必要な分量のみ血液を摂取するよう己を戒めていたレオナルドは、おかげで一般人と同じかそれよりほんの少し丈夫なだけの身体になってしまっている。
 吸血鬼としてそれは完全に『足りていない』状態だったが、元々化物になった己を嫌悪するレオナルドにとって――不死性は失われていないが――肉体の強度や回復力だけでも人間レベルに戻れたのはむしろ喜ばしいことだった。
 無論、食事が足りていないのだから空腹感は常につきまとっている。それでも優しい『両親』や可愛らしい『妹』がわざわざ指先を傷つけてレオナルドに血を与えようとする姿を見ることに比べれば、空腹感など無いに等しいものだった。
 そんなレオナルドが霧けぶる街ヘルサレムズ・ロットに足を踏み入れたのは今から三週間前。
 ミシェーラ・ウォッチと初めて出会った時に治癒しきっていなかった双眸を隠すため細めていた目はそれから数年かけてようやく完治したが、この頃になると糸目が癖になってしまい、レオナルドのコバルトブルーの瞳が外に晒される機会はほとんどなくなった。しかし今はその癖に加えてもう一つ目を大きく開けられない理由ができている。
 この街に来てから常連になっているダイナーのカウンター席に座ってレオナルドは己の瞼を撫でた。
 この眼窩に納まっているのはミシェーラと同じ色の瞳ではない。彼女の視力を奪う代わりに無理やり移植された義眼だ。他人よりよく見える≠フは実地で理解したが、淡い光を放つ眼の詳しい能力どころかその名称ですらまだ判っていない。大切な妹の視力を取り戻すため異形の都市に足を踏み入れたものの、レオナルドは奪われたものを取り戻す方法どころか義眼自体の情報ですら全く掴めていなかったのである。
 瞼から手を放し、後ろを振り返って店のガラス越しに眺めた街並みは、人間よりも異形の姿の方が多い。人間ではない彼らの総称は異界人(ビヨンド)。人間のような二足歩行のものも、多脚で移動するものも、果ては空中を浮遊するものもいる。
 それを見てレオナルドは平穏だと思った。人間の頃から順応性が低い方ではなかったので、そう感じるようになったのはこの街に来てかなり早い時期だったと記憶している。決してレオナルド自身が人型とはいえ異形の方に近いから慣れるのも早かったのだとは考えたくない。
 カウンターに向き直り、注文したホットコーヒーを口にする。血よりも黒く苦い液体を空っぽの胃に流し込んでも空腹感が消えることはなかった。
 日常的に誰かが大量出血している街なので負傷した人間からこっそり血を頂戴することは決して難しくない。しかしたとえそれが見ず知らずの人間のものであってもレオナルドに残った人としての精神が吸血行為そのものをなるべく避けたいと思うのだ。ミシェーラの視力を取り戻すまで死ぬ気――正確には血が不足して行動不能になる気――は無いので、吸血する機会がゼロというわけでもなかったが。
 もう一口、空腹を誤魔化すようにコーヒーを飲んでカップをテーブルに戻す。顔馴染みになったダイナーの従業員兼店主の娘であるビビアンが中身の少なくなったカップにコーヒーを注いでくれた。この店のコーヒーはおかわり自由なのである。
「レオは『ヘルサレムズ・ロットの歩き方』編の記者だっけ? 調子こいて命落とす来訪者(ビジター)って多いから気をつけんだぜ?」
「はあ、まあ……」
 レオナルドは曖昧に笑う。
 彼女に告げた身分はもちろん嘘だ。この身体でまともな仕事に就けるはずがない。
 はっきりしない物言いにビビアンが訝しむ。しかし彼女が問いを重ねる前にレオナルドの腹が盛大に音を立てた。
「……おいおい。お前ちゃんと食べてんのかよ?」
 空腹を音で表現するレオナルドの腹に呆れた声を出すビビアン。それどころか奥にいる父親の方にも心配されて食事を無料で提供されてしまった。彼らは対価として皿洗いをしていけと言ったが、実質的にそれは完全な善意の塊である。
 レオナルドは二人に感謝の意を告げ、食べられるが食べても栄養にはならない『人間の食べ物』に手を付けた。それから記者をしていた頃の名残で持つようになったデジタルカメラ――当時はフィルム式のカメラだったが今はこれだ――の電源を入れ、撮り溜めたデータを順に閲覧していく。圧倒的にミシェーラを中心とした家族の写真が多い。レオナルドは彼らを心から愛していた。
 愛しい『家族』の写真を眺めていると、ツキリツキリと胸が痛みを訴える。『あの子』のことを忘れたわけではない。むしろ忘れられるはずがない。ウォッチ家の皆を愛する一方、心も身体も傷つけてしまった幼いスティーブンのことをレオナルドはずっと気にかけている。
 会いたいけど、会えない。きらきら輝く、レオナルドの宝物。
 ズボンのポケットに片手を突っ込めば、指先が古ぼけた写真の角に触れた。なんとか原形を留めていたものの一度水に浸かってしまったそれは経てきた年月以上にボロボロだ。
 遠い過去を思い出し、レオナルドが溜息を吐いたその時。
「え」
 よく見える¢o眸で捉えたのは白い毛並みと大きな目が特徴的な小猿。そして小さな手が掴み取ったのはレオナルドのデジタルカメラ。
「ッ! コラ待て猿ぅぅぅぅぅううう!!!!!!」
 叫んでも猿は止まらない。
 音速猿と呼ばれる異界交配動物にカメラを奪われたことで、レオナルドはそれを取り返すために慌てて店を飛び出した。


 そしてレオナルドは秘密結社『ライブラ』と出会う。
 名前だけなら耳にしていたが、その正体は厳重かつ巧妙に隠されており、ライブラに関する情報には何億ドルという値段がつく場合もあるとされる。血を用いて驚異的な力を発揮する者達が属する組織だということも、レオナルドはこの件で初めて知ったほどだ。
 世界の均衡を守るため暗躍する彼らはレオナルドの眼についてほんの少しばかり情報――ただし眼の正式名称程度のもの――を持っていた。そしてカメラを盗んだ音速猿も関わった世界的危機を回避する中、ライブラがレオナルドの目的達成のため助力するかわりにレオナルドは特別な義眼の力をライブラのために行使するという契約で、『レオナルド・ウォッチ』は結社に迎え入れられたのである。

* * *

「『神々の義眼』保有者の少年か」
 自分が不在の間にリーダーの一存で新しく結社へ迎え入れられたメンバーの資料に目を通しながら、ライブラの番頭役であるスティーブン・A・スターフェイズは呟いた。
 その声には淡々と事実を確認するだけではない感情≠ェ含まれている。でもこれは仕方のないことだろう、とスティーブンは自嘲した。
(なにせあの人と同じ名前だ)
 先程リーダーであるクラウスも執事を伴って出掛けてしまった。そんな酷く静かなライブラの事務所。
 スティーブンは自分の執務机にそっと資料を置く。
 新たなメンバーの名はレオナルド・ウォッチ。クラウスが彼を迎え入れてからさほど経たないうちに、彼に関する情報は表裏両方の面から収集され、まとめられた。結果、彼は義眼のことを除けば完全なる一般人……とは少し言い切れない。何故なら彼には戸籍がなかったのである。
 ちなみに戸籍がないことは本人から事前に報告があった。記憶喪失でぶっ倒れていたところをウォッチ家に拾われ、以降家族として暮らしてきたという。ウォッチ家周囲の証言もレオナルドの報告に合致している。記憶を失う前の状況に関しては現在調査中だ。
 ひとまず、白に近いグレー。それがレオナルドに対するライブラ番頭役としての感想だった。
 スティーブンは資料の一角に書かれた対象者の年齢を表す数字に指を這わせる。青年と言っても良い年齢だが、齢を重ねた自分から見ればまだまだ子供……『少年』だ。ついでに言えば、童顔なのか実年齢より幼い容姿をしている。
 パソコンで打ち出された書類とセットになっているのは隠し撮りを含めた数枚の写真。それを眺めてスティーブンは唇を戦慄かせる。
「……あの人はどんな顔だったかな」
 思わず零れた呟きは酷く掠れてひび割れていた。
 スティーブンの記憶に残る大切な人。けれども三十年近く前に喪ったその人の顔をスティーブンはもう覚えていない。幼き日の記憶は『血界の眷属(ブラッドブリード)』への憎しみに塗り潰され、声も顔も霞の向こうに消えてしまった。今、『レオ』に関することでスティーブンの手元に残っているのは、彼に向けた狂おしいほどの愛情と執着。それから――
 服の下に隠した物に触れる。
 コバルトブルーの珠が連なり、銀色の十字架を吊り下げた古いロザリオ。それがスティーブンに残された『よすが』であり、数少ない思い出の品だった。
「レオ……、レオナルド」
 スティーブンは縋るようにその名を呼んだ。ウォッチ、と続くファミリーネームはあえて口にしない。
 名前の一致はただの偶然。けれど、もし彼が『あの人』であったならと思わずにはいられなかった。年齢的に有り得ないというのに、馬鹿な考えだと自分でも解っているのに。それでも喪った温かさをもう一度望んでしまう。
 服の上から小さな十字架を握り締める。コバルトブルーの珠が擦れて微かな音を奏でた。
「貴方を殺した吸血鬼共を殺すために力を得た。ここまで来るのに色々あったよ。人間の中にも気に食わない奴はいたし、俺自身が反吐の出るようなこともやった。逆に、馬鹿みたいにすごい奴とも出会って、貴方を喪ったっていうのに笑える日もあった。ああ、そうだ。色々あったけど笑うことができるようになったんだよ。でも、それでも、胸に空いた穴が埋まらない」
 スティーブンは固く目を瞑る。
 そして痛みを耐えるように、吐き出した。

「だって、なあ、レオ。ぼくと、約束したのに。このロザリオを持っていても、貴方はもう帰って来ないじゃないか」


【2】


(いや、わかってたけど、やっぱここまで重傷だと吸血鬼の頑丈な身体の方が良いかなって思ったり……。だめだ。こういうの考えただけで自己嫌悪だよマジ気分悪い。冗談でも想像するんじゃなかった)
 レオナルドが秘密結社ライブラの一員になってから間もなく。強力な幻術が絡む人身(食用)売買の犯罪を暴いたのは良いものの、その一件でレオナルドは病院のお世話になっていた。
 全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、完全なるベッドの住人と化している。血液の摂取を自主的に制限しているため、大捕り物の最中に負った傷は人間と同じ速度でしか回復しない。とは言っても、この異形の都市の医療技術は外の世界など比べ物にならないほど進んでおり、そう日数をかけずに退院できるとの話だったが。
「やあ、君が『神々の義眼』を持っている少年だね? 今回はご苦労様」
 全身包帯でぐるぐる巻き。ついでに呼吸器もつけられ絶対安静状態のレオナルドに話しかけたのは初めて聞く声だった。「誰ですか?」と声を出してみるものの、相手の耳に届いたのはもごもごと不明瞭な音でしかなかっただろう。ただしそれでも雰囲気で察してくれたらしく、何やらとても良い声の男性はこう続けた。
「僕はスティーブン・A・スターフェイズ。ライブラの一員であり、クラウスの副官を務めている」
 ぴくり、とレオナルドは包帯の下で瞼を震わせた。
 スティーブン。それはレオナルドにとって特別な名前だ。
 人身売買の犯人達に誘拐された中で気付いた透視能力を発動させる。すると身体のどの部分よりも早く回復していた義眼が瞼と包帯の向こう側にこちらを眺めながら佇む人影を捉えた。
 ダークグレーのスーツに身を包んだ長身の男性はスタイルだけでなく顔まで整っていて、左のこめかみから口元に走る大きな傷でさえ彼の魅力を増すアイテムにしかなっていない。レオナルドがライブラに入るきっかけとなったザップもかなりの美形だが、こちらの男性もまた違った色気を持つ美しい男である。
 これは相当異性にモテるだろうなぁとレオナルドは内心ひとりごち、その後ではたと気付いた。
(あの子が生きてたらこれくらいの年齢になってんのか)
 齢は三十代といったところだろう。しかも名前まで一致している。ミドルネームとファミリーネームはあの小さな子供から聞き出せなかったが、ファーストネームは発音時のイントネーションですら記憶と同じものだった。
 おまけに、顔の傷の位置も。
(いやいやいやいや、さすがにそんな偶然ありっこないだろ。他人の空似に決まってる)
 もしかして、と思った自分にすかさず否定を突きつけた。
 メキシコで出会ったストリートチルドレンと今度は元ニューヨークで再会。しかもかつての少年はレオナルドが妹の視力を取り戻すために身を寄せた秘密結社のナンバー2だなんて。そんなものフィクションの世界でしか発生し得ないだろう。
 吸血鬼というフィクションの存在(だと思っていた)に成り果ててしまったレオナルドは真面目にそう思った。
「他のメンバーはもう少しすればここに到着するよ。そうしたら今回の件の説明を始めよう」
 レオナルドの混乱など知る由もないスティーブンは軽い口調でそう言って、見舞客のために用意されていた椅子に腰かける。長い足が嫌味なくらい強調され、高そうなスーツのスラックスの先にある革靴がつやつやと輝いていた。
 名前も傷も同じだが、こういうところは違うのだなぁと、記憶の中の面影に重ならない部分を見つけてレオナルドはほっと安堵の息を吐く。化物になってしまった自分の姿をあのきれいな記憶の中で生きる子供には、やはりどうしても見られたくなかった。
 レオナルドは無意識のうちに強張っていた肩から力を抜く。その様子がスティーブンからはレオナルドが眠ったように見えたのだろうか。口を閉じ、愛想笑いを止めた彼の顔は、それだけでとても冷たいものになる。顔立ちが整っている分、男の酷薄さは余計に目についた。
 観察されている、とレオナルドは直感する。
 こちらの背景も何も分かっていないのに、緊急事態とはいえレオナルドをライブラに迎え入れたクラウス。その右腕として働いているのだろうスティーブンは、リーダーの実直さや誠実さを補うため、人並み以上に警戒心が強いのかもしれない。
 少なくとも、厄介なものを抱え込んだと思われているだろう。レオナルドがスティーブンの立場ならそう思う。
 今回はちょっとばかり役に立ったが、神々の義眼に何ができるのか、まだまだ分かっていない部分が多い。リスクは未知数、リターンも曖昧。普通に考えれば頭の痛い案件だ。せめて吸血鬼として人並み以上の力が振るえたならばまだ多少彼らにも認められたかもしれないな……と思ったが、化物であることを嫌悪しているレオナルドがそちらの能力を発揮する可能性はほぼゼロである。
(このスティーブンさんはあの子とは違う人だけど、やっぱり似た部分がある人に良く思われてないってのはちょっとツライ……かも)
 胸中で泣き言を漏らす。
 その状態のまま、スティーブンが言った通りクラウス達がこの病室にやって来るまでレオナルドはライブラのナンバー2の冷めた視線に晒されながら胃がキリキリ痛むのを堪える羽目になった。

* * *

 初めて生身で会ったレオナルド・ウォッチはスティーブンの想像以上に小柄だった。
 事前に入手していた資料に身長の記載ミスがあったわけではない。包帯でぐるぐる巻きにされたいかにも弱者と言うべき姿を前にしてフィルターがかかっていたのもあるだろう。しかしそれより何よりスティーブンがレオナルドを小さいと思ったのは、幼少期に見上げていた『レオ』のイメージがあったからだ。無論、あの頃スティーブンは小さな子供であり、レオナルドは大人だった。ゆえに大きいと感じるのは当然のこと。その時のサイズ感を大人になったスティーブンがそのまま他人に当てはめるのは実に不適切である。
 軽く言葉を交わして――と言っても相手はまともに発音できない状態だが――、スティーブンは病室内にあった椅子に腰かけたまま足を組み替える。
 レオナルド・ウォッチは再び眠ってしまったのか、身体から少し力が抜けていた。これ幸いとスティーブンはベッドの上の少年を観察し始める。
 まず包帯から飛び出ている髪に視線を向けた。
 あの人の髪もこんな色だっただろうか。頭は撫でてもらうばかりで彼の髪に触れたことはなかったような気がする。見た目はとてもふわふわしていたけれど、触ったら柔らかかったのかな……。そう考えるスティーブンの胸には切なさと愛しさが込み上げてきて、誤魔化すように息を吐き出す。
 次は瞳だ。
 包帯の下のそのまた瞼の奥には神々の義眼が宿っている。至高の芸術品とも謳われる美しさを持っているらしい青い眼。しかしスティーブンにとって美しいのは、同じ青でもコバルトブルーだ。同色のロザリオを持っているためか、あの人の瞳の色だけは絶対に記憶から消えなかった。顔も声も霞の向こうに行ってしまったけれど、あの目が優しく細められることだけは覚えている。
 更にスティーブンは視線を滑らせた。首筋はあの人も細かっただろうか。肩幅は大人になった自分と比べて頼りないくらのものだった気がする。それから、それから……。スティーブンはクラウス達が病室にやって来るまで静かに甘くて優しい思い出に浸る。
 ライブラの番頭役としてではなく、『レオ』に助けられたスティーブンとしてベッドの上の住人を見ていたことに当人も苦笑を禁じ得なかったが、それも仕方のないことだった。
 スティーブン・A・スターフェイズの大部分は幼き日に出会った『レオ』によって構成されてしまっているのだから。


【3】


 神々の義眼を移植されたレオナルドは人のオーラを見ることができる。
 それは自分がまとうものも例外ではない。吸血鬼という特性上、自分自身が鏡に映らないので全体像を把握することはできないが、視界の端にちらちらと赤いオーラが揺らいでいるのは知っていた。
 オーラは指紋のように個人差があり、おそらく詳しく見れば同じ物は一つとしてない。しかし似た色のオーラを見かけることは多く、レオナルドの中では何パターンかに分けることができる。しかし、義眼を得て以降、赤は赤でもレオナルドと同じ緋色やそれに似た色のオーラをまとっている誰かには会ったことがなかった。
 レオナルドはこの緋色が嫌いではない。自分にこの色が似合うかどうかはさて置き、血とも違う目が覚めるような赤は素直に美しいと思えた。
『四番線の列車はシギュアラフ奈落側行き。今週の生還率は12%です』
 霧と排ガスが充満する地上から階段を下りた先。各エリアの生還率情報のアナウンスが地下鉄に乗り込むレオナルドの耳をそっと撫でる。
 レオナルドが住んでいるのは半スラムにある安アパートであり、今はそこからライブラの事務所へ出勤する途中だった。
 いつも通りスリや異常な行動をしていそうな人――人類(ヒューマー)・異界人(ビヨンド)両方とも――に気を付けつつ乗車し、扉の傍のスペースに立つ。レオナルドはぼんやり車内を眺めた後、その視線を窓の外へ向けた。
 地下鉄は基本的に駅以外だと等間隔でライトがついているだけの面白みのない空間が続くが、時折、今は使われていない駅や整備等の作業スペースと思しきちょっとばかり広い空間の前を通過することがある。レオナルドが使っている路線にもそれはあり、暗い通路を抜けた先でぱっと窓の外の景色が変わる。
(……あ)
 いつもは無人のそこに今日は人影を見た。
 一瞬で通り過ぎてしまったが、通常の人間では比べ物にならない動体視力を備えている義眼ははっきりとその人物のオーラを捉えている。と言うよりオーラが立派すぎて本人の方を確認しきれなかったほどだ。
「すっげぇ」
 だからこそ思わず声を出してしまったのも仕方がない。通り過ぎた空間にいた人物がまとっていたのはレオナルドと同じ緋色の、しかしレオナルドでは到底及ばない大きさと濃さのオーラだったのである。
 これは雑談のネタになるかもしれないな、と思った。
 レオナルドがライブラに入ってからしばらく経ち、主要なメンバーとの顔合わせも大方済んでいる。特にザップとはエンジェルスケイルという麻薬の流通経路を探るため常に行動を共にするなど、二人で一セットのような扱いだ。しかしその一方で必要最低限の事務的な会話しか交わさない人もいた。そういう人との交流を持つためにうってつけなのが、今夜催される予定のライブラ内の飲み会である。もし機会があれば今日のこの話題を提供して親睦を深められるかもしれない。少なくとも話題が何もないよりはいいだろう。


 レオナルドの思惑は予想もしていない方向へ転がってしまった。
 地下鉄で真っ赤な羽を見たとレオナルドが告げた瞬間、アルコールが入って陽気な雰囲気に満ちていた空間はピリピリと痛みを感じるほど緊迫したものになり、皆の目つきが変わる。戸惑うレオナルドに詳細を語ってくれたのは、これまで事務的な会話しか交わさない対象ナンバーワンとも言えるスティーブン・A・スターフェイズ。
 レオナルドは何でもない風を装いながら内心で愕然とする。
 数分前まで好きだった緋色は今やこの世で一・二を争うくらい嫌いな色になっていた。その色こそ、吸血鬼――ライブラやその母体となった『牙狩り』という組織では『血界の眷属(ブラッドブリード)』と呼ばれている――の証であったのだから。
 何も知らない子供のように、しかし内心はおそるおそる「みなさんって、つまりその、『ヴァンパイアハンター』ってやつなんですか?」と問う。
 顔見知りのメンバーは皆、視線をあっちこっちにやりつつ、「まぁそうだな」と肯定した。即答しなかったのはヴァンパイアハンターという名称に若干もしくは多大なる羞恥を感じていたからだ。
 しかし彼らの羞恥などレオナルドの気持ちに比べれば塵のようなものだろう。
 レオナルドはへらりと笑いながら服の裾をひっそり握り締めた。
 せめて吸血鬼として人並み以上の力が振るえたならばまだ多少彼らにも認められたかもしれないな、なんておこがましいにもほどがある。まさに愚の骨頂。否、むしろ下手な発言をする前にライブラのメンバーがどういう生業の者達か知れて良かったと安堵すべきなのかもしれない。
 レオナルドは彼らの敵だ。彼らにとって排除すべき害悪だった。
 もう、笑うしかない。
 ヴァンパイアハンターネタから話題を逸らすためか、それともライブラの一員であるレオナルドに知識を与えておいた方が良いと判断したのか、周囲の者達は口々に血界の眷属について補足説明を加えていく。その一部はレオナルドが自分の身でもってすでに理解していることであったり、また彼らの勘違いや間違った予想であったりした。
「というか、やっぱり長老級(エルダー)の棲み家かあ。外のゴミクズどもとは訳が違うわよね」
「彼のおかげでこれから得られる情報は質も量も跳ね上がるだろう。スペシャリストの出番だ」
 K・Kが頭を掻きながら言えば、クラウスが答える。その返答を聞き、K・Kは「彼……呼ぶの?」と若干不満そうだ。クラウスは当然だと返し、補足するようにスティーブンが口を開いた。
「つうか正直、呼ばなくてもいらっしゃると思うし。この事態にあの人抜きの方が考えられん」
 ライブラの番頭役がそう言うと、部屋の空気が何とも言えない雰囲気に変わる。気まずい、というか。解っているけど認めたくない、というか。
 兎にも角にも、どうやら対『血界の眷属』の専門家がこの街にやって来るらしい。
(専門家か……。まさか僕の正体がバレるなんてことはないよな)
 落ち込む皆を眺めながらレオナルドは胸中で呟く。
 オーラを見ることができる神々の義眼でもない限り初見でバレることはないだろうが、心臓が嫌な鼓動を刻んだ。

* * *

 ブリッツ・T・エイブラムス。
 ライブラのリーダー、クラウス・V・ラインヘルツの師匠筋に当たるその人物は、彼を知る者達の予想通り、飛行機の着陸失敗、トラックと巨大異界人の衝突等々、奇跡レベルの騒動を伴って来訪した。
 事務所へ来る途中でエイブラムスと出会ってしまったレオナルド・ウォッチとザップはそれぞれ負傷。スティーブンは吸血鬼対策専門家の肩に担がれた状態で出勤してきた最年少の部下を目にし、思わず同情で目頭を熱くする。
 エイブラムスがライブラに持ち込んだのは血界の眷属の手首から先とその指先に摘ままれたルーズリーフの切れ端だった。後者には血界の眷属――しかも吸血鬼の中で最も強力とされる『創製されし13長老(エルダーズサーティーン)』――の諱名が記載されているらしい。それを神々の義眼で読み取って欲しいと、エイブラムスはレオナルドに依頼した。
 レオナルドはエイブラムスの『豪運』の余波を喰らって負傷していた右目をお札で保護された後、そのルーズリーフと向き合う。だが実際に義眼の能力を行使してすぐ、右目に貼られたお札が弾け飛んだ。
「うわっ」
 レオナルドは衝撃で仰け反り、そのまま後ろに倒れ込む。少し離れた所で様子を見ていたスティーブンの足が思わず少年の傍へ向かいかけた。だが実際に彼の名を呼んで駆け寄る前に自身が何をしようとしていたのか気付き、皆が慌ててレオナルドの元へ行く中、ただ一人その場で苦虫を噛み潰したような顔になる。
 幸いにも誰かが気付いた様子はないが、今の反応は『ライブラの番頭』らしからぬものだった。
 エイブラムスが危惧した通り右目に受けた傷の影響なのか、レオナルドの眼は軽い暴走状態に入ったようだ。しかしそれは通常よりもよく見えている≠セけで、機能が落ちたりレオナルドの脳に大き過ぎる負荷がかかっている様子はない。ならば彼の眼を利用する側の者としてそんなに慌てる必要などなく、エイブラムスの判断を信じ、彼に全て任せるべきなのだ。
(しかし……)
 スティーブンは歯噛みする。
 頭で解っていても感情が追い付かない。
 レオナルド・ウォッチはスティーブンの『レオ』ではないはずなのに。彼は名前が同じなだけの別人だ。しかしそれでもレオナルドに自身の管轄外のことが起こった途端、反応してしまった。もしレオナルドの命に関わることだったらどうしようかと、指先まで凍り付くような恐怖に襲われ、その痺れは自覚した今も治まらない。
 スティーブンが己の状況に戸惑う中、エイブラムスは今のレオナルドの状態を好機だとし、彼を外へ連れ出すことに決めてしまう。いつも以上に見えているレオナルドを『永遠の虚』が見下ろせる所まで連れて行き、異界の奥に潜んでいるだろう長老級の吸血鬼の姿をその目で捉えさせるつもりなのだ。
 大切な人を吸血鬼に殺されたスティーブンにとって、また牙狩り及びライブラの一員としても、長老達(エルダーズ)を捉えられるチャンスはまたとない幸運である。だがそう思う一方、どうしてもレオナルド・ウォッチと『レオ』を重ねてしまうスティーブンは「不安定な状態にある義眼を更に酷使させる気か!」と声を荒らげそうにもなっていた。
 あまりにも状況に則していない馬鹿な発言を理性で押し留め、スティーブンは出立の準備を進めるエイブラムス達を眺める。普段よりも圧倒的に多くの情報が義眼を通じて頭に流れ込んでくるレオナルドは酷くつらそうだ。
 スティーブンは何も言わない。それどころか同行者を誰にしようか考えているエイブラムスに腹が痛いと言ってさっさと部屋を離れた。ザップが「ちょっとスターフェイズさん!?」と呼び止めるように名を呼んだが振り返ることすらしない。あの専門家の『豪運』に巻き込まれて要らぬ不幸を受けるつもりがないのはもちろんだが、不安定な状況にあるレオナルドの傍にいてこれ以上らしくない″s動を取らないようにすることで頭がいっぱいだった。


【4】


 レオナルド、エイブラムス、それから護衛としてクラウスとザップ。計四人が列車を降りる。駅名はユグドラシアド中央駅。ヘルサレムズ・ロットの中央にある大穴『永遠の虚』に最も近接している駅だ。
 中空に浮かぶ、小さな町ならまるまる収まってしまいそうなほどとてつもなく巨大な樹木。その一角に駅が設けられており、降車した四人はそこから更に虚へ近付くため、木の幹に沿って設置されている階段を下りていく。
 辿り着いたのはちょっとした広場。金属製の柵の向こうを覗き込めば濃い霧に覆われた大穴がぽっかりと口を開けている。現世に於いて最も異界に接近している――穴の真上に当たる場所が、ここだ。
 記録のためザップがビデオカメラを回す。そのレンズの先、柵の一歩手前でレオナルドはエイブラムスの声を聞いていた。
 可能な限り、ギリギリまで、義眼の能力を使って欲しいと言うエイブラムスの言葉に従い、レオナルドは神々の義眼を発動させる。そうして見えたのは、十三どころではない、膨大な数の真っ赤な翼。
 軽い暴走状態にある義眼を更にフル稼働させて異界の奥まで覗こうとすれば、当然義眼への負荷は膨大なものとなる。結果、目的のものを捉えたと思った瞬間、レオナルドの義眼にはガラスのようなひびが入り、痛みのあまりぎゅっと閉じた瞼の間から赤い血がしたたった。
 ぽたぽたと血を流しながらレオナルドは自分が見たものをエイブラムスに告げる。それは自身の身体の心配よりも優先されるべきことだったからだ。妹の視力を取り戻すために協力してもらう見返りとしてライブラのために義眼の能力を使うと決めたのはレオナルド自身であるし、それにあの忌々しい化物を狩るための手助けが己にもできるのなら、それは願ってもないことだった。
 レオナルドの報告にエイブラムス達が顔色を変える。だがその直後、クラウスの携帯が着信を告げた。連絡してきたのは彼の執事であるギルベルト。そして報告の内容は、街に長老級の血界の眷属が出現したというものだった。


 大急ぎで来た道を引き返し、四人は列車に乗り込む。吸血鬼への対応は事務所に待機していたスティーブン・A・スターフェイズとK・Kの二人。チェインは姿を消して二人と吸血鬼の戦闘を記録し、その映像をリアルタイムでクラウスの携帯端末に送っていた。
 小さな画面に映し出される戦闘の様子をレオナルドも覗き込む。屍喰らい(グール)相手なら、あの二人は楽勝だ。スティーブンは足裏から生み出される氷を、K・Kは電撃をまとう銃弾を使って、敵を蹴散らしていく。
 だがグールを一掃した先にそれ≠ヘいた。
 鏡や電子光学機器の類に映らないその者達は、端末を覗き込むレオナルドの目にも当然のことながら見えていない。しかし画面の中のスティーブン達の様子が一瞬にして変化し、彼らは張り詰めた表情で何もない空間を睨み付けていた。
 そして戦闘が開始される。
 グールに対して圧倒的な戦力を見せつけていた二人の攻撃は全く効いていない。高位の吸血鬼の力を知っているレオナルドには、映像では見えずともその様子が目に浮かぶようだった。次は吸血鬼の反撃。画面の中でスティーブンとK・Kの動きが強制的に止まった。
「あッ……!」
 何かに刺し貫かれるような格好で動きを止める彼らの衣服に滲む赤。見えない棘が二人を襲っている。実際、二人の目には吸血鬼も棘も視認できているのだろう。しかし画面越しのレオナルドには彼らが不可視の棘に刺し貫かれているように見える。そしてその状態はレオナルドに過去の忌まわしい出来事を強く思い出させた。
 脚が、肺が、疼く。
 K・Kと、それから『あの子』に良く似た男が血を流す。その血が見えない何かを伝って流れ落ちる。もどかしい。今すぐ叫び出してしまいたい。だと言うのにレオナルドは傷ついていく二人を見るだけで何もできない。
 レオナルドはそんな自分を認められなかった。だからこそ戦闘の現場にいるチェインに向かってレオナルドは叫ぶ。
「ごめんなさいチェインさん! 視界借ります!!」
 義眼を発動。青白い輝きを増した双眸がここではない映像を捉える。自分の視界を強制的にチェインと共有して、彼女が見ている世界をそのまま『見た』。
 画面越しとは違う生々しい戦場。きちんと視認できる棘のような、魔物のような何かに刺し貫かれているスティーブンとK・K。そして彼らの向こうに悠然と佇む二人の男女。レオナルドの眼にはその者達の周りに真っ赤な羽のようなオーラが映った。
「血界の眷属は二体。女と男です。男の方はオーラが弱いので、おそらく低級でしょう。でも女の方は……長老級です。くそっ、たぶん俺が地下鉄で見た奴だ」
 チェインの視覚から得た情報を隣のクラウス達に口頭で伝える。
 結局のところ、今のレオナルドにできるのは精々あの現場に駆けつけるクラウスとザップに少しでも多く敵の情報を流すこと。目の周りが焼けそうに熱くなっても構うことなくレオナルドは義眼を発動させ続ける。
「なんだ、この模様……。文字か?」
 レオナルドがそう呟いた瞬間、隣のクラウスが目を瞠った。
「なに? 文字、だと……? レオナルド君、君の眼に見えているそれをここに書いてくれ給え」
「え? あ、はい。わかりました」
 重苦しいような、その一方で光明が見えたような、そんな矛盾した空気を醸し出すクラウスに驚きながら、言われた通り見えた文字らしきものをメモ用紙に記す。複雑な図形のようなそれは何個もあり、長い。それを正確に、しかしなるべく早くメモして、レオナルドは紙をクラウスに渡した。
「できました」
 メモ用紙を受け取ったクラウスの声に歓喜が混じる。
「ッ! これは彼らの諱名だ」
「いみな……?」
「真の名。これがあれば私は彼らを封印することができる」
 レオナルドははっと息を呑んだ。
 不死の化物を。どんなに攻撃しても回復してしまう吸血鬼を――。
(諱名があれば、封印できる……?)
 そして神々の義眼があれば、吸血鬼の諱名を読むことができる。
「すばらしい!」
 呟いたのはエイブラムスだろうか。自分の心情を代弁したかのようなその声に、レオナルドは内心で深く頷いた。


 地下にあるストムクリードアベニュー駅のホームに滑り込む列車。そこから飛び降りたクラウスが落下の勢いを乗せて男の吸血鬼を葬り去る。転化したてと思しき男の吸血鬼が復活するのは千年後くらいだろう。
 一瞬で吸血鬼の片割れを無力化し、クラウスは女の吸血鬼――エルダークラスのブラッドブリードと向き合う。
 配下の男がやられてもその顔に焦りはない。超スピードで回復する肉体の持ち主である彼女には、吸血鬼にとって毒となる特別な血液をもってしても一時の足止めすらできないのだから。スティーブンやK・Kの血液によって受けた傷も完全に回復している。ゆえにクラウスも同じだと余裕の表情を浮かべる女だったが……。
 彼女の脇腹に拳を押し当てたクラウスが告げる。
「『ヴァルクェル・ロッゾ・ヴァルクトヴォエル・ギリカ』、貴方を『密封』する」
「どうやって……その『名』を……?」
 諱名を言い当てられ、女吸血鬼の顔色が変わった。
 しかしクラウスは答えない。彼の血を媒介とした術式はすでに始まっている。
「憎み給え、赦し給え、諦め給え。人界を護るために行う我が蛮行を。――ブレングリード流血闘術 999式 遠棺封縛獄(エーヴィヒカイトゲフェングニス)」
 吸血鬼を封印するための術式が発動した。
 錆色がギリカの全身を包み込み、人間サイズの十字架を作り上げる。その十字架は形を成すと同時に中のものを圧縮するかのように小さくなり、やがてカチンと硬質な音を立て床の上で跳ねた。回収された小さな十字架はギルベルトの持つアタッシュケースに収められ、戦闘は完全に終結する。
 それを見届けてレオナルドとザップは傷ついた二人の仲間の元へ走った。クラウスはK・Kを横抱きにし、ザップがスティーブンを背負う。戦闘中は不可視化していたチェインもいつの間にか姿を現していた。
 負傷した二人になるべく負担をかけないよう、皆はゆっくりと地上へ続く階段を上る。レオナルドはそんな彼らに続いて茜色の光が差す方向へ足を動かした。
(まぶしいな……)
 それは夕日が差し込んでいるからだけではない。
 人間をいとも容易く己の下僕(グール)へと転化させてしまえる血界の眷属。その中でも強大な力を持つとされる個体が数えられないほど異界に潜み、こちらの世界を窺っている。あまりに絶望的な状況だ。しかしそんな状況下でも希望を失わず、世界の均衡を保つため戦い続けるライブラのメンバー達。レオナルドの前を征く彼らは、黄金に輝くオーラをまとっているかのようだった。
 傷ついても立ち上がり、光を目指し続けるヒーロー達。
 そんな彼らを羨望の眼差しで見つめるレオナルドは彼らにとっての害悪。敵だ。しかもミシェーラ・ウォッチの視力を取り戻す方法を探すため、自分の正体には口を閉ざしたまま。
(卑怯者め)
 声もなく、涙もなく。慟哭は唇を震わせた。
 小さな震えを止めた後、レオナルドは少し駆け足になり、皆から遅れていた距離を詰める。追い付いてきたレオナルドの存在に気付いてザップが視線を向けた。
 その時。
「っ、おっと」
 僅かに身体を捻ったことでザップに背負われていたスティーブンの体勢が崩れる。ずり落ちてしまう前に背負い直したが、その動作によってキラリと何かが零れ落ちた。
 真後ろに目があるわけではないザップは気付かない。彼の斜め後ろにいたレオナルドの視界にのみ、それは入り込む。
「……………………ぇ」
 夕日を反射するのは小さな銀の十字架。コバルトブルーの珠の連なりはスティーブンの服の内側へと続いていた。
 ろざりお、とレオナルドの口が音もなく呟く。
 銀とコバルトブルーのロザリオは少し血で汚れてしまっていたが、何十年も大切に扱われてきたであろう美しさは変わらない。
 レオナルドはそれを知っている。誰からもらったのか、誰に預けたのか。肉体と同じで劣化を忘れた脳みその中、きらきら輝く思い出と共に仕舞われていた記憶が胸を締め付けた。
 足が止まり、それに気付かないメンバー達は先へ進む。
 レオナルドはがくりと膝をついた。視線はザップに背負われているスティーブンに向けられたまま。
 視界が滲んで熱を持った液体が頬を伝う。
「生きてた……」
 ――あの子、が。
 身体の奥から込み上げてくるのは紛れもない歓喜。生きているはずだと願うように信じていたあの少年の生存をようやく確認することができた。想像以上の色男になってしまっていて、ほんの少し笑えてくる。
 スティーブン。フルネームは、スティーブン・A・スターフェイズ。
 出会った時は普通の子供だったはずだが、あの後、吸血鬼狩りの道へ進んでしまったのだろう。そうして今は秘密結社ライブラに属し、世界の均衡を保つために化物とだって戦っている。
 ライブラの、その母体である『牙狩り』の、最大の敵はブラッドブリード。
 そしてレオナルドの視界の端で揺らめくのは、己がまとう弱々しい緋色の羽。
「嗚呼……」
 耳の奥で幼い少年の声が『レオ』と名を呼ぶ。
 しかしそれに応えることはできない。レオナルドにはその資格がない。

「おれ、あの子の敵になっちまったんだ」

 その声に色を付けるとしたら、緋色を煮詰めてどろどろにした、この世で最も醜い色。







2015.07.11 pixivにて初出

ちなみに前回(2)でレオ君がオリキャラ吸血鬼と行動している間、ステブンさんはクラウスさんと出会って早々彼に殴りかかったりしておりました。クラウスさん劣化カラー版オリキャラにいい思い出がないので(※1参照)。レオを見捨てやがったな絶対許さんBBは憎いけどテメーも駄目だ!って感じに。紳士(若)にとっては本当にいい迷惑です。