この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・地名・事件とは一切関係ありません。

【参考(一部引用)】ウィキペディア「メキシコ(メキシコ合衆国)」2015.07.06時点





【1】


 北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家、メキシコ合衆国。首都はメキシコシティ。
 この国では人の集まる首都、またそれ以外の地域においても失業者の増加と社会的・経済的不安定要素が治安情勢の一層の悪化を招いており、強盗、窃盗、誘拐、レイプ、薬物などの犯罪は昼夜を問わず発生している。
 メキシコ・シティ国際空港(ベニート・フアレス国際空港)に降り立ったレオナルドはさっそく空港内に設置されたATMで強盗事件が発生したと思しき痕跡を見かけ、「うげぇ」と顔をしかめた。KEEP OUTと書かれたテープの向こうに見える血痕が生々しい。
 ここよりもずっと緯度が高く水と空気が綺麗な土地で育ったレオナルドが何故このような所にいるのかというと、それは彼の職業に由来する。
 レオナルドは最近『見習い』という形容が取れ始めた記者だった。今回は、宗主国であるスペインの要人カレロ・ブランコ前首相の暗殺に関わったとしてこの国の活動家五人がフランシスコ・フランコ政権によって処刑された事件の取材のため、危険を承知でこの地を踏んだのである。
 なお、所属している自国の新聞社から事前にかなりの危険手当が支給されており、更には受取人を両親にした上で保険もかけられていた。前途多難どころか前途全難である。
 一人息子でありまだまだ若いレオナルドを単身で危険な国に行かせることを両親はひどく嫌がったが、これも仕事。自分で選んだ記者という道を引き返すような真似はしたくないと、レオナルドは上司からの指示に従った。
 が、実際に治安の悪さを目にするとまたちょっと違った気持ちになってくる。早まったかもしれない……と内心冷や汗ダラダラの状態でタクシー乗り場へ。間違って無認可タクシーに乗車しないよう気を付けつつ、宿泊予定のホテルを目指した。


 乗車したタクシーの運転手はかなり人好きのする性格らしく、レオナルドが行き先を告げるとさっそく「兄ちゃん、観光客かい?」と話しかけてきた。
「一人ってことはツアー旅行じゃねぇんだよなぁ。だとしたら気を付けなよ。興味本位で反政府ゲリラとかそういう類の集団が居付いてる地域に一人で行くなんて、それこそ自殺行為だからな」
「ははっ。それがですね、僕、これでも記者でして。必要とあらばそういう所にも行かなきゃいけないんです」
「はー! 記者さんか! そりゃあまぁ……」
 タクシー運転手はバックミラーでレオナルドを一瞥し、実年齢よりも幼く見られがちな容姿に眉根を寄せた。
「でも兄ちゃんみたいな人のよさそうな奴はカモにもされやすいからな。本当に気を付けろよ?」
「はい。ありがとうございます」
 運転手はへらりと笑って答えたレオナルドに危機感が足りないと感じたのだろう。脅しの意も込めて注意と世間話を続ける。
「最近は街中でも猟奇的な殺人が増えてんだぜ。まぁここいらじゃレイプした女の四肢をもいで道端に放置したり、麻薬組織同士が衝突して敵グループのメンバーの首を切り落としたりしてるんだがな」
「あ、それはうちの会社でも聞かされましたねぇ。マジなんすか」
「マジもマジ、大マジだ。どうやってんのかは知らねぇが、血が抜き取られた死体ってのも出始めてな。つい三週間前も夫婦が血抜き事件の被害に遭ったとか何とか。そいつら、顔とか腹とかに大穴があけられてんだよ。でも地面に広がった血液の量がどうしたって足らない。現場の状況から穴をあけられたのはその場所に違いないって言うのにだ」
「うわぁ……なんか吸血鬼みたいっすね」
 血がなくなっていると言えば吸血鬼、という安直な思い付きで口にする。運転手もさすがにフィクションの世界の化物の仕業ではあるまいと、カラカラ笑った。
「化物の仕業かぁ。だとしたらヴァンパイアハンター様も登場しねぇとな! ついでに言うとオレはこれを肌身離さず持ってるぜ」
 そう言って運転手はジャケットの内ポケットに入れていた物を取り出す。コバルトブルーの珠が連なったロザリオだ。
 レオナルドは近くで見せてもらうため座席越しにそれを受け取ってまじまじと観察する。
「運転手さん、カトリック教徒なんですか?」
「おうよ。聖母マリア様への祈りは毎日かかさねぇ」
 メキシコにおけるカトリック教徒の数は多い。土着信仰と結びついてヨーロッパのそれとは若干趣が異なっている場合もあるが、銀色の十字架とコバルトブルーの珠で作られたロザリオは長い間丁寧に扱われている様子が窺えた。
「きれいなロザリオですね」
「ありがとな。おっと、兄ちゃんの目の色と似てんなぁ」
 バックミラーに映るレオナルドのコバルトブルーの瞳を見て運転手がにこにこと目元を和らげる。
「いやいや、こっちのロザリオの方がずっと綺麗っすよ。大事にされてるってのがすごく分かります」
「へへっ。実はそれ、オレのばあさんからもらったやつで、一番の宝物なんだ」
「え! そんな大切なもの、僕に見せちゃってよかったんですか!?」
 場合によってはそのまま盗ってしまう人がいないわけでもないだろうに。元々大きな目を更に大きく見開いて、慌てて運転手にロザリオを返そうとする。
 が、それがなされることはなかった。
 運転手が語った通り、この国は首都であっても治安が良いとは言えない。拳銃の携帯には国防省の許可が必要だが、許可を得ずに所持している国民が多く、この国の犯罪のほとんどには拳銃が使用されている。犯罪組織は言わずもがな。
 そして不幸なことに、白昼堂々、大通りの一角で二つの犯罪組織が銃撃戦を開始した。
 パンッという乾いた音を認識するよりも前にレオナルドの目の前で運転手の頭が揺れる。透明な窓ガラスに飛び散る赤。レオナルドの顔にもその赤が付着した。
 運転手は頭を殴られたようにビクリと震え、そのままハンドルに額を打ち付けた。ブーーーーーとクラクションが派手な音を立てる。
「運転手さん!?」
 操縦者を失った車はブレーキなどかかるはずもなくかなりのスピードで道路脇の消火栓にぶち当たった。それだけでは止まらずに激しく横転する。
 視界と脳みそがシェイクされ、レオナルドは死期を悟りながら気絶した。

* * *

 痛い怖い寂しい怖い痛い痛い寒い怖いひもじい怖い痛い悲しい痛いつらいお腹空いた痛い痛い怖い怖い怖い悲しい痛い寒い痛い怖い痛い痛い痛い怖い怖いこわいこわいこわい、こわい。
 死にたくない。

 幼い少年は暗がりで膝を抱え込み、目をカッと恐怖に見開いて、大通り側から聞こえる銃声と悲鳴に身体を震わせていた。薄汚れたズボンの右足側には血が滲み、少年が銃撃戦の流れ弾で負傷したことを示している。股間部分はすでに濡れて変色しており、周囲には失禁の臭いが漂っていた。
 つい三週間前まで、少年は一般家庭よりも少し裕福な環境で何不自由なく笑っているような子供だった。しかし仲睦まじい両親が突然蒸発。幼い少年は一人、家で彼らの帰宅を待ち続けることになった。
 両親が帰って来なくなってから五日後、今度は見知らぬ男達が勝手に住居に侵入し、堂々と家の中の物を盗み始めた。少年は彼らをただ『怖い大人』と認識したが、正体は家主がいなくなったと耳にして集まった窃盗犯である。
 聞こえてきたのは泥棒達の「ガキはいねぇのか? 捕まえて売り払えば金になるだろう?」という話し声。犯罪者らが家に入って来た際に咄嵯の判断で身を隠していた少年はそれを耳にした途端、急いで家から飛び出した。小さな身体は彼らに見つかることなく、街中へと紛れ込むことに成功する。
 しかし両親の庇護も家も金もない。そんな子供がまともな生活を送れるはずもなく、その日から今日まで二週間と少し、少年は極度の空腹に襲われながら街をさまよい続けた。極め付けはこの銃撃戦だ。流れ弾が脚の肉を抉ってもう動けない。傷口からは血が流れ続け、寒さと恐怖で身体が震える。
 生存本能がなせる業か、辛うじて大きな悲鳴を上げることはなかったが、それは大声を出すだけの気力が少年にはもう無かったからかもしれない。
「マードレ(おかあさん)、パードレ(おとうさん)、たすけて……かみさま、てんしさま」
 姿を消した母と父に、姿の見えない神と天使に、少年は助けてくれと祈る。
「ぼくは、スティーブンは、ここにいるよ」
 しかしその手を掴む者は未だ現れず。


【2】


 人々の悲鳴と、それを掻き消さんばかりの激しい発砲音が聞こえる。
 レオナルドが目を開けると世界の上下が反転していた。目覚めと共に急速に意識が回復する。
 全身が痛みを訴えてきた。しかし動けないわけではない。指先の感覚までしっかりあることを確認して、レオナルドは横転したタクシーから抜け出そうと身体を捻った。
 ちゃり、と指に絡み付いていたコバルトブルーとシルバーのロザリオが揺れる。その持ち主である運転手は即死。レオナルドは唇を噛み締め、ロザリオを手に持ったまま割れたフロントガラスから這い出る。
「……こういうの、悪運が強いって言うのかな」
 至る所に打撲や切り傷、擦り傷があったが、骨折や致命的な出血はない。横転した車が火事になることもなく――。否、レオナルドは車から漏れ出すガソリンの存在に気付いて血の気が下がった。気付くと同時に路地裏へ飛び込む。
 直後。
 ドォンッ!!!!!! と激しい爆発音。車の電気系統から散った火花がガソリンに引火したのだ。当然、タクシーは炎上。中にいた運転手の死体もろとも業火が全てを舐め尽くす。
「っああ……」
 もうそんな呻き声しか出せなかった。
 レオナルドは手の中に残っていたロザリオを握り締め、逃げるために視線を路地の奥へと向ける。
 そして、見つけた。
 自分から数メートル離れた所にうずくまる小さな影。足元から血を流す幼子の姿に大きく目を開く。
(たすけなきゃ)
 たった今目の前で自分によくしてくれた人間が死んでしまったからか、それとも大人としての矜持か、はたまた人間という同族からの使命感か。とにかく、助けなければと思った。
 レオナルドは手にロザリオを絡めたまま幼い少年へと駆け寄る。出血のせいで意識が朦朧としているのか、レオナルドが近付いても反応が薄い。しかし片手にキラリと光る十字架を目にした少年がふっと焦点をレオナルドに合わせた。
「……ぁ、っけ、て」
 たすけて、と。こちらに手を伸ばす少年。
 レオナルドは躊躇うことなく薄汚れた小さな身体を抱き上げ、路地裏を走り出した。


 少年を無事病院に運び込み、手当てが終わった小さな身体を見下ろして、レオナルドはほっと息を吐き出す。
 出血量は身体の割にかなりのものだったが、なんとか大丈夫だったらしい。傷口の縫合を終え、今は真っ白なベッドの上で点滴を受けている。意識を失ったのは出血だけでなく栄養失調も原因だったようで、点滴はそれを補うためのものだ。
 あとは安静にするだけ。しかし治療費ならばなんとか支払えたレオナルドだったが、今後の入院費までは難しい。医者もそれが分かっているのか、安静にできるなら別に病院じゃなくてもいいとまで言ってきた。
「つまりこの子を僕が泊まるホテルに連れて行くってこと……?」
 どこの誰かも分からない、ついでに見た目から判断すると親の庇護を失くしたストリートチルドレンと思しき子供。彼を救えるのは今のところレオナルドだけだ。
 これでまだ健康体ならば、少年が目覚めた後で「さようなら」と別れても良かっただろう。彼らには彼らの生き方がある。しかしベッドに眠る少年は右足を負傷し、まともに動くことも難しい。そんな状態で放り出せば、この街で幼子がどうなるかなど深く考えなくても分かった。
 ベッド脇に置いた椅子に座り、レオナルドは頭を掻いた。ふわふわとした癖毛が指に絡む。先程までここに絡み付いていたロザリオは現在レオナルドの首にかかっている。咄嗟に持ってきてしまったこれも窃盗になるんだろうなぁと考えつつ、せめて大事にさせてもらおうと思った。
 鳩尾の辺りできらめく銀色の十字架。それを見つめ、レオナルドは決心する。
「君が動けるようになるまで、僕が面倒見るよ。これも神のお導きってやつかもしれないしね」
 取材もそれくらい時間がかかるだろうし、と付け足して、レオナルドは昏々と眠り続ける幼い少年の頭を撫でた。

* * *

 天使が現れた、とスティーブンは思った。
 神が傷ついた自分を救うために天使を遣わしてくれたのだと。
 目の前に現れた救い主は頭上に輝く輪も背中に白い翼もなかったけれど、事実、スティーブンを助けてくれた。
 ほんの少しスティーブンに似たふわふわの黒髪と、紅茶色をしたスティーブンのそれとは対照的な美しいコバルトブルーの瞳を持つ天使。運び込まれた病室で一度スティーブンが目を覚ました時、その天使は「僕はレオナルド。レオって呼んで」と名乗った。
「君の名前は?」
「ぼくは、スティーブン」
「そう。あのさ、スティーブン。もし君に帰る所や会わなきゃいけない人が無いなら、脚の傷が治るまで僕と一緒に住まない? って言っても僕はこの国の人間じゃないし、今もホテルに泊まってるんだけどね」
 ベッド脇の椅子に腰かけたままレオナルドが優しげな笑みを浮かべる。
 久しく縁のなかった他人の温かさに触れ、スティーブンは喉が引きつるのを感じた。ひく、と小さく震える。目頭が熱くなり、我慢ができる年頃でもない幼い少年は感情の赴くままポロリと目尻から雫を落とした。
 一度決壊した涙腺は遠慮なく体内の水分を外に溢れさせ、ついでに引きつった喉からは声が漏れる。
「ああああっ! やっぱ嫌だよな!? ごめんな、なんかワケわかんねー奴にこういうこと言われたら困るよな。ってか怖いよな!?」
 泣き出したスティーブンにレオナルドが慌てて椅子から立ち上がった。しかしその態度すら幼子の目には恐怖に映ると思ったのか、中腰になって不格好な姿勢のままオロオロとしている。
 ちがうそうじゃない、とスティーブンは嗚咽に紛れてほとんど意味不明となった言葉を吐き出す。無論それがレオナルドに通じるはずもなく、当の恩人は「こんな時どうすりゃいいんだ。施設か? 里親か? でもドクターにはそんなもの頼っても意味無いぞって言われたし……!?」と慌てふためくばかり。
 スティーブンは力の抜けた腕を必死に伸ばしてレオナルドの服の裾を掴んだ。
「い、く」
「え?」
「レオと、いっしょが、いい」
「いいのか?」
 こくりと頷けば、ようやくレオナルドが椅子に座り直した。服を掴んでいたスティーブンの手を取り、大きな両手でそっと握り締めてくれる。
「えっと。じゃあよろしくな、スティーブン」
 微笑んだレオナルドにはやっぱり輝く輪も白い翼もなかったけれど、この人はぼくにとってのてんしさまだ、とスティーブンは強く思った。


「取材に行ってくるから、スティーブンは大人しく寝てるんだぞ」
 レオナルドが記者と呼ばれる仕事についていることを、スティーブンは彼がしばらく滞在する予定のホテルに来てから知った。どういう仕事をしているのか詳しくは分からないが、色々なところに行ったり調べものをしたり人から話を聞いたりして、それを文章にまとめているのだという。
 あっちこっちへ赴くことが仕事であるレオナルドは安静が必要なスティーブンに四六時中付き添っていられるはずもなく、またスティーブンがレオナルドについて行くこともできない。したがって一日の大半をスティーブンは一人で過ごさなくてはならなかった。
 それでも初日から三日目まではスティーブンが怪我のせいで熱を出したため、レオナルドが付きっ切りで看病してくれた。しかし四日目からレオナルドは仕事を再開し、スティーブンはホテルの部屋にひとりきり。温かなベッドと十分な食事はあったが、心の拠り所になるものが不足していた。
 実のところ四日目と五日目はほとんど寝て過ごしていたので、寂しいだとか悲しいだとか感じている暇もない。問題は六日目。レオナルドが仕事に行ってすぐ眠りに落ちたスティーブンだったが、その数時間後にぱちりと目が覚めてしまった。当然のことながらレオナルドの姿はない。彼が帰って来るのは陽が落ちてからだ。
「……っ」
 言いようのない寂寥感がスティーブンを襲う。
 もしかしたらレオナルドは帰って来てくれないかもしれない。こんな何の役にも立たない、お荷物なだけの子供など放って、どこかへ行ってしまうかもしれない。両親だってスティーブンを捨てたのだから、赤の他人であるレオナルドがそうしない理由はないのだ。
 じわりと目頭が熱くなって、涙がほろり。レオナルドと出会ったその日から壊れやすくなっていた涙腺がこれでもかと仕事をしてしまったせいで、レオナルドが帰って来た時には、スティーブンの両目は真っ赤に腫れ上がっていた。
 帰って来たレオナルドは大慌てである。スティーブンが拙い言葉で泣いた理由を話せば、「そんなことねぇよ」と笑って抱き締めてくれた。
 そして、七日目の朝。
「僕は仕事をしなきゃいけない。でもスティーブンが寂しいって思ってるのも解る。だからさ、スティーブン。これを預かってて」
 そう言ってレオナルドが手渡したのは彼がいつも身に着けていたコバルトブルーの珠とシルバーの十字架が組み合わされたロザリオ。
「これは大切なものなんだ。スティーブンがこれを持っていれば、僕は絶対に帰って来る。な、これでひとりでお留守番できるだろ?」
 初めて間近に見たロザリオは年代物の気配がした。しかし丁寧に扱われてきたのだろうそれは、時代を感じさせながらもまだまだ美しい。おまけに珠の部分はレオナルドの瞳と同じ色をしている。
(これがあれば、レオはぜったいにかえってくる。ぼくをおいていったりしない)
 手渡されたロザリオをぎゅっと握り締めてスティーブンは頷いた。
「わかった。ちゃんとかえってきて」
「うん。良い子にしてな」
 ぽんぽん、とレオナルドは軽く叩くようにしてスティーブンの頭を撫で、いつもと同じく部屋を出て行った。
 ひとり残されたスティーブンだが、昨日のようにどうしようもない寂しさと不安に襲われることはない。寂しいのは寂しいのだが、レオナルドが必ず帰って来ると思えれば、その寂しさに耐えることは可能だった。


【3】


「スティーブン、写真撮らないか!」
 レオナルドはふと思いつき、世話をしている子供に提案した。
 特に必要ないことであり、そもそも仕事用のカメラを私用に使うのは褒められたことではなかったが、これには理由がある。
 会社から命じられた仕事は初期のドタバタが嘘のようにスムーズに進んでいる。初日に銃撃戦および他人の死に遭遇したためか、変に度胸がついてしまってぐいぐいと取材を進めることができたのだ。
 仕事の方には終わりが見えてきて、ついでにスティーブンの怪我も随分回復した。これが示すのは、レオナルドがもうすぐメキシコを離れるという現実。まだスティーブンには話していないが、彼との別れは目に見える所まで近付いていた。
 だからだろう。少し、寂しくなった。写真を撮って思い出を残そうとしてしまうくらいに。
 そんなレオナルドの心情など知らない幼子は「いいよ」と言ってベッドから降りる。片足でぴょんぴょんと跳ねて移動するか、もしくは何かに掴まって移動することができるくらいには小さな身体も回復していた。
 しかし自分の我が儘で彼に負担をかけるのも忍びなく、レオナルドは「動かなくていいから、そのまま座ってて」と声をかける。
 まずは椅子を移動させ、ベッドの正面に。その辺の物で嵩上げして高さを調節し、タイマーセット。スティーブンが腰かけているベッドへ移動して隣に座った。
「ほら、スティーブン。カメラのレンズを見て」
「……」
「スティーブン?」
 少年はカメラではなくレオナルドを見上げていた。名前を呼んで首を傾げると、スティーブンが少し考え込んだ後、レオナルドの膝によじ登り始めた。
「す、スティーブン……?」
「こっちのほうがいい」
 膝に乗り、ふにゃりと笑った顔。それを見せられてしまえばレオナルドも強くは出られない。もともと顔立ちの整った子供だとは思っていたが、好意全開の笑顔の威力は強烈だ。
 レオナルドは小さな身体を抱きかかえて座り直し、今度こそ二人揃ってカメラのレンズに視線を向ける。
 フラッシュが光り、同時にパシャリとシャッターを切る音。目と耳でそれを感じながらレオナルドは自分の太腿の上で幸せそうに微笑む少年のことを思った。
(この子、たぶん大きくなったら人たらしになるタイプだ)
 少なくともレオナルドはすでに随分と絆されてしまっている。


 それから数日は今までと変わらず穏やかな日々が過ぎた。
 ただレオナルドの内心はいささか落ち着かない。スティーブンに別れのことを話さなければならないのに、彼の嬉しそうな微笑みを見るたび決意が揺らぐ。
 レオナルドは屋台で購入したトルティーヤを齧りつつ、現像した写真をポケットから出して印画紙の中で笑う自分とスティーブンを眺めて溜息を吐いた。
 写真の中のスティーブンの首にはレオナルドがあのタクシー運転手から(勝手に)もらってしまったロザリオがかけられている。レオナルドが帰って来ないのではないかと不安がる彼を宥めるために嘘を織り交ぜて渡したものだが、そのおかげでスティーブンの精神的負担は随分と軽減されたらしい。
 自分もかなりあの子に絆されてしまったが、あの子もレオナルドを頼りにしているのだというのがありありと分かってしまう。そんな子供を放って自分はこの国を出て行くのか。本当にそれでいいのか。レオナルドは写真を現像してからこちらずっと悩み続けていた。
 撮影した時にはまだごく当然のようにスティーブンをこの国に残して自分は帰国するつもりでいたのに。しかし今はどうか。
「うああああー。もう、とりあえずさっさと食ってさっさと仕事片付けて帰る!」
 ひとまずレオナルドは考えることを放棄した。別れを告げるにはまだ少しだけ余裕がある。それまでに決心を付けようと誓いつつ、トルティーヤの最後のひとかけらを口に放り込んだ。
 カスがついた手をバンパンと叩いて払う。その足は次の目的地へ。

* * *

「ああ……みつけた。みつけたわ。忌々しいあの血の気配」
 人の姿をした化物が影の中で密やかに告げる。
 その人型の何者かは左腕の肘から先を欠損していた。元々は乳房の一部と肩から腕一本まるまる失われていたのだが、一ヶ月近くかけてここまで回復させたのだ。
 彼女の主(マスター)ならば、たとえ全身をすり潰されようとも一瞬で元に戻るのだが、生憎マスターよりも低級の彼女は完全回復までそこそこ時間がかかっていた。
 ああ忌々しいと舌打ちをする。しかし彼女に傷を負わせた二人の男女はすでに殺害し、その血はマスターが大方啜ってしまった。あの者達の血は特殊で、彼女やマスターの身体には毒なのだが、同種の中でも殊更優れたマスターは毒ですら嬉々として受け入れ、壊れた細胞をすぐに修復してみせた。
 マスターのことを思い出し少しばかり機嫌を直した女の化物はうっそりと唇を歪め、ようやく見つけた最後の復讐相手の気配を追いかける。己が完全なる強者であると知っている彼女は獲物を狙う狩人の目をして唇をねっとりと舌で舐め上げた。

* * *

 スティーブンは自分の両親がどんな仕事をしていたのか全く知らない。子供が生まれてからはそうでもないが、以前は夫婦で世界各地を転々としていたらしい。難しそうな表情で誰かと電話している姿を見かけたこともある。
 また両親はどちらも特別な靴を持っていた。基本的におおらかな性格の人達だったが、スティーブンがその靴に触れようとすると神の天罰もかくやと言わんばかりの剣幕で怒ったのだ。一度それを体験して以降、スティーブンは絶対にあの靴底まで美しい靴に触れないようにした。
 ただし父親が出かける際、その特別な靴を履く時につま先をとんとんと床に打ち付ける姿を後ろから観察し、十字架が埋め込まれたデザインに見惚れていたことは許してもらいたい。なお、母親はハイヒールだったので、靴底をきちんと見る機会には恵まれなかった。
「――っ」
 何日かぶりに両親のことを思い出し、スティーブンは胸を圧迫するような感覚に唇を噛み締める。
 窓の外は赤く染まり始めているが、レオナルドが帰って来るまでもう少し時間がかかることを示していた。ここで泣いたらレオナルドに心配されてしまう。迷惑をかけてしまう。その矜持だけで幼い子供は嗚咽を堪えた。随分脆くなっていた涙腺も穏やかな日々の中で回復してきたらしい。なんとか涙を流さないよう我慢しつつ、スティーブンは天井を見上げた。
 しばらくそうしていると、カチャリとドアの鍵を開ける音が室内に響き、
「スティーブン、戻ったよ」
「っ! レオ!!」
 予想以上に早いレオナルドの帰還にスティーブンは玄関へと駆け寄る。ただし右足を庇っているのでその速度は大したものではないのだが。
 よたよたと歩くスティーブンより中に入ってくるレオナルドの方が速い。防犯のためきちんとドアに施錠をしたレオナルドはベッドから降りて近付いてくるスティーブンを抱きかかえようと両手を広げた。が、次の瞬間、その顔色が変わる。
「レオ?」
 首を傾げるスティーブン。
 しかしレオナルドの視線はスティーブンを通り越し、その向こうの窓を見ていた。窓からは夕日が差し込んでいる。その光によって生み出された『それ』の影がスティーブンに重なった。
 ここは地上三階。普通なら人間の影がそこに映し出されるはずがない。しかし現にスティーブンと重なる他人の影は片腕の肘から先を欠損した人間の形をしており、そしてレオナルドの両目には窓の向こうに浮かぶ左腕を欠損した女性の姿が映っていた。
 スティーブンが訝しんで背後を振り返るより早く、レオナルドが駆け出す。
「っ、スティーブン!」
 窓が割れる。爆風が吹き荒れる。レオナルドに覆い被さられる格好でスティーブンは身体を丸めた。
 割れたガラスを踏みしめ、人の形をした化物が血のように赤い唇を歪めてニタリと笑う。
「みつけた。忌々しいエスメラルダの血……。まだガキのようだけど、あいつら二人に負わされたこの傷の代償、お前にも支払わせてあげる」
 通常の眼では捉えられない緋色の羽が化物の背中で揺らめいていた。


【4】


 背中が燃えるように熱い。痛い。咄嗟の行動は功を奏したらしく、抱え込んだ小さな身体が痛みを訴えることはなかった。しかしその代わりにいくつものガラスの破片がレオナルドの背中に突き刺さっている。
「スティー、ブン。だいじょうぶ、か?」
「れお……? レオっ、もしかして!」
 腕の中の幼子も庇ってくれた大人の状態に気付いたのだろう。顔を青くして声を裏返らせる。
 レオナルドはそんな少年に大丈夫だと笑ってやりたかった。しかしそんなことは現状が許さない。パキン、パキン、と割れたガラスを踏みしめて人の形をした化物が近付いてくる。
「ふぅん? やっぱりそんなナリじゃまだあの力は使えないのね?」
 まぁ使えたとしても無駄だけど、と化物は嗤う。
 意味が分からないながらも狙われているのがスティーブンだと悟ったレオナルドは、小さな身体を抱いて今すぐここから逃げ出すべきだと思った。だがスティーブンの身体を抱き上げて走り出す前に背後から不可視の何かがレオナルドのふくらはぎを貫く。
「――ッ、ガァ!!!!」
 脚を貫き、床にまで穴をあける何か。それを放ったのが化物だということだけが解る。しかしその形状もどういう原理で放たれたのかも一切解らない。ただ脚にはぽっかりと穴が開いて真っ赤な断面を晒し、透明な何かを伝うように血が流れ出している。
 レオナルドに抱えられたままそれを目にしたスティーブンが「レオ!?」と悲痛な声で叫んだ。
 脚を床に縫い止められたレオナルドはもう逃げることができない。今にも泣きそうな呼び声に答える代わりとして、レオナルドは腕を緩めてスティーブンを下ろし、そのまま「逃げろ!」と叫び返した。
「れっ、」
「いいから早く!」
 でなければこの小さな命が失われてしまう。
 何かに縫い止められて動かない脚を引き千切ってでも構わない勢いでレオナルドはスティーブンの身体をドアの方へ押しやった。
「行け! 行ってくれ!! 頼む、スティー「なぁに? 邪魔しちゃう気なの?」
 化物のねっとりとした声と共に、どん、と不可視の何かがレオナルドの肺を貫いた。大きく見開いたスティーブンの双眸にもその光景が映り込む。
 喉の奥からせり上がってくる鮮やかな赤はレオナルドの口内を満たし、そして動きを止めてしまった少年と床へ飛び散った。
「ぁ――」
 痛みはもう痛みとして受容することを脳が拒絶していた。ただ唖然としてレオナルドは目の前の光景を網膜に映す。
 不可視のそれはレオナルドの肺を貫通するだけでなく、スティーブンの左頬からこめかみに向けて深い傷を刻みつけていた。顔を貫かれずに済んで良かったと安堵すべきなのか、それとも決して軽くはない傷に恐怖すればいいのか。本来ならばまず自分の心配をすべきところだったが、痛みを痛みとして認識できなくなりつつある――つまり実はとても危険な状態にある――レオナルドは、目の前の整った顔立ちについた傷を見てひたすら「にげろ」と唇を開閉させる。ただし肺を貫かれたためまともな言葉が出ることはない。
(早く逃げろ、スティーブン……!)
 逃げられるかどうか分からなくても、とにかく早く。この危険な化物から離れてくれと願うのに、当の本人は脚と肺を貫かれたレオナルドの前で恐怖に目を見開き、身体を硬直させてしまっている。自分の顔についた傷の痛みすら分からないのか、ただひたすら両目の焦点をレオナルドに当てて「やだ」「れお」とその二言だけを繰り返した。
 化物の方も目当てのスティーブンが逃げるという選択肢を失っていることに気付いており、そのためレオナルドの背後からは「あらあら大変ねぇ」と嘲笑う声が聞こえてくる。圧倒的強者が弱者をどういたぶって遊ぼうか考えている声そのものであり、状況はひたすら絶望的。
 このまま二人揃って化物になぶり殺しにされるのか。せめてスティーブンだけでも助からないのか。誰か。誰かこの子を助けてくれ。そうレオナルドが願った瞬間――。

「ブレングリード流血闘術 111式 十字型殲滅槍(クロイツヴェルニクトランツェ)」

 天地を引っくり返すような轟音と激震が部屋を襲い、錆色の巨大な物体が天井を破壊しながら化物を押し潰す。その衝撃でレオナルドとスティーブンの身体は吹っ飛び、部屋の隅へと追いやられた。
 吹っ飛んだ結果、脚と胸を貫く不可視の物体が抜けたことでレオナルドの傷口からおびただしい量の血液が噴き出す。
 最早それは人間が生きていられるような状態ではなく、何が起こったのか正確に理解する余裕もないままレオナルドの意識は闇に沈んだ。

* * *

 大切な人の身体から溢れ出す赤。それに全身を浸してスティーブンは目を瞠る。
 天井を突き破って現れたのは錆色の巨大な十字架だった。先端は下の階にまで貫通し、自分達を襲っていた女の化物の姿は見えない。
 何が起こったのか全く分からなかった。しかし破壊された天井から見知らぬ人影が降って来て、
「ショッッッボ! ショボイなぁ。こんなザコに殺られたわけか? あの夫婦」
 とん、と軽く床の無事だった部分に降り立つ。
「よしよし、スターフェイズのガキは生きてるな。これで本部からの命令も無事完遂っと」
 スティーブンを一瞥してそう言った人物はスリーピース・スーツに身を包んだ青年の姿をしていた。大柄と言うほどではないがしっかりした体格の持ち主だ。服の仕立ては立派だが、口調は軽く、揶揄に満ちている。後ろで一つに括られた長い髪は赤茶色。目の色は薄い黄緑。髪や肌の色艶は先日まで街をさまよっていたスティーブンとは比べ物にならないほど良く、青年が高貴な――そしてそれゆえにひどく傲慢な――人間であると予想させた。
 あまり好きになれそうなタイプではないと直感したが、その青年が化物を倒したのだと理解したスティーブンは生温かい血潮に指を浸しながら「お願いです!」と叫んだ。
「この人を、レオを、助けて!」
 化物から自分達を救ってくれた人なのだから、きっとレオナルドを助けてくれるはず。祈りにも似た思いで告げるスティーブンに、しかしそちらを向いた青年は「あ?」と目を眇める。
「なんで?」
「え……」
 赤毛の青年は言った。
「どうせもうそいつ死ぬだろ? ってかもう死んでんじゃねぇの? そもそもボクの仕事はスターフェイズが殺りそこねた吸血鬼の滅殺と夫婦のガキを回収すること。それ以外は管轄外だ」
「え、でも、レオが」
「ただの不幸な一般人に割いてる暇はねーよ」
 心底くだらないとでも言いたげな表情で青年は床に転がるレオナルドを見下ろす。
「ほら、さっさと立てクソガキ。たとえ今はただのクソガキでも、お前はスターフェイズの血筋だ。本部はお前に、いや、お前の血に期待している」
「なに……なんで。わけが、わからな「分からなくて結構。ぐちゃぐちゃうるせーガキの戯言に付き合ってられる程こっちも暇じゃないんだよ」
 赤毛の青年は無造作にスティーブンへと近付き、そして拳を振りかぶった。
「後片づけ≠ヘ後続の専門部隊の仕事だ。もちろんそこの兄ちゃんもいっしょにな。だからお前はしばらく寝とけ」


 再び目が覚めた時、そこはスティーブンが生まれ育った国ではなかった。
 病院とは全く違うどこかの屋敷と思しき建物の一室で、親戚を名乗る大人達と『牙狩り』という組織からやってきた者達に囲まれ、自分の両親が何をやっている人達だったのか、そして自分を襲った化物が何だったのか、淡々と説明される。
 両親を含むスターフェイズの名を持つ者――正確にはその中でも『エスメラルダ式血凍道』という技を使える者――は化物狩りを生業としていた。『牙狩り』は両親と同じような仕事をする者達が集まる組織。そして彼らが目下最大の敵としている存在こそ、スティーブン達を襲った化物、吸血鬼もしくは血界の眷属(ブラッドブリード)と呼ばれる異界の住人。
 しかしスティーブンの頭には話の半分も届いていなかった。ただ小さな胸を占めていたのはコバルトブルーの瞳をした優しい青年のこと。大人達の話が一段落したところでスティーブンは「レオはどこ」と尋ねた。
「レオ、とは?」
「確か派遣したラインヘルツ氏の報告には他の犠牲者のことなど無かったが」
「しかしあの彼のことだからなぁ」
「報告を怠ったか」
「おそらく。しかしさほど重要ではないと判断したのでしょう。要所要所は守る男ですし」
「なるほどな。では一般人が一名、巻き込まれたと」
「でしょうね」
 牙狩りからやってきた大人達が言葉を交わし、最初に「レオ、とは?」と聞いた人物がスティーブンに向き直る。
「スティーブン・A・スターフェイズ君」
「……は、い」
 どくりと心臓がひときわ大きく脈打つ。こちらを見下ろす大人の顔は酷く凪いだものだったのに、彼から告げられる言葉がとても恐ろしいものであるという予感があった。
 その予感を必死に否定するスティーブンだったが、まるで昨日の天気を告げるかのような簡単さで大人は子供の問いに答える。
「君以外の生存者はいない。そのレオという人物は我々の敵である血界の眷属によって殺害されたのだ」
「うそだ」
「嘘ではない。レオは吸血鬼に殺されたんだよ。もうこの世にはいない」
「……ッ!」
 否定したかった。叫んで、泣いて、そんなはずはないと主張したかった。
 しかしスティーブンの脳裏に浮かんでいたのは血を流して倒れるレオナルドの姿。どんどん溢れてくる血液に触れた時の生温かさは今も体中に染みついている。
 あの赤毛の青年が助けてくれなかったからレオナルドは死んでしまったのか。
 違う。彼が現れた時にはもう手遅れだった。だから悪いのはあの化物。吸血鬼、ブラッドブリードと呼ばれる化物が全ての原因。そいつがスティーブンからレオナルドを奪った張本人。
 震えるほど力が籠もった指先でスティーブンは己の服を掴んだ。
「……ぃて、やる」
 自分からあの人を奪った化物を。その同族達を。一匹残らず。
「ぼくが、この手で。ブラッドブリードをころしてやる!」
 幼い少年がするには苛烈で重すぎる決意だった。
 しかしそれを眺める周囲の大人達はにこりと満足そうに笑う。彼らの中の一人が一歩前に出てスティーブンに視線を合わせた。
「喜ぶといい、スティーブン。君にはそれを成すための素質(血)がある」
 その人物はとてもきれいな革靴を履いていた。つやつやした表面。靴底まで芸術品のように美しかった父のそれに似ている。その靴底をカツリと打ち鳴らせば、床面に薄く氷が張った。
「あの忌々しい化物をこの世から抹殺する方法を私達が教えてあげよう、次代のスターフェイズ。その憎しみで全ての敵を凍てつかせなさい」

* * *

「もう死んじゃってます? ……いや、まだギリギリ息があるようですね」
 赤毛の青年が幼子を連れて姿を消したその場所に一つの影が降り立った。たった十数分前まではそれなりに整ったホテルの一室であったそこは、今や上の階と下の階もろとも破壊し尽くされて散々な有様になっている。
 部屋の片隅に転がっているのは真っ赤な血を流す黒髪の青年。ふわふわと柔らかそうな髪も今は半分以上が血に濡れて重そうだ。
 それを眺めていたプラチナブロンドの男性は整った面立ちに薄い笑みを刻んで、倒れている青年――レオナルドに近付くと、無造作にその身体を抱き上げた。大量の失血で意識を失っているレオナルドはされるがまま、呻き声一つ上げない。
 標準的な体格である男性は姿に見合わず軽々とレオナルドを抱え、ふと視線を下の階に向ける。
「折角眷属に迎え入れたレディもあれではしばらく復活できませんし」視線を戻して、今度は抱き上げたレオナルドへ。「代わりに君を私の新たな『子』にしましょう。君は生き永らえることができて、私も新しい遊び相手ができる。まさにWin-Winですね」
 人間であるレオナルドを自分と同じ『化物』にすることを勝手に決めて、プラチナブロンドの化物は血脈門を開く。そうしてレオナルドを抱えたまま、門の向こうへと姿を消した。







2015.07.05 pixivにて初出

ご注意。
エスメラルダ式血凍道に関して捏造あり。この他にもごく普通にオリキャラや嘘設定が紛れ込んでおります。メキシコついてはウィキペディアさんを参考にしてみましたが、弄りすぎて人界版HLのような世界になってしまいました。また時代考証をすると恐ろしく破綻があるのでやってはいけません。国名やら人物名やらがガッツリ出てくるので、念のため冒頭に例の文言を記載させていただいております。
実は1975年(フランシスコ・フランコ政権によって〜云々が本当に起こった年)時点でちびステブンさん5〜6歳のイメージで書いております。原作連載開始時期を2004年だと勘違いしていて(本当は2009年)、その時点で番頭さん35歳と仮定していたのです…。原作ステブンさん39歳設定ならなんとかなりますかね。あ、ハイ。ならないですね。