「貴方が俺の相手をしてくれるのは、俺が神々の義眼保有者だからでしょう?」
それ以外、ライブラにとってレオナルド・ウォッチという人間に価値はない。リーダーのクラウスは義眼など関係なくレオナルドを仲間と認めていると言ってくれたが、目の前にいる男まで同じ意見ということはないだろう。 異界と現世が交わる霧の都市ヘルサレムズ・ロット。その街の中で世界の均衡を保つために日夜暗躍する秘密結社ライブラ。 ライブラのリーダーであるクラウスの影として采配を揮う副官スティーブン・A・スターフェイズを前にし、レオナルドはきっぱりとそう告げた。 「ふむ」 スティーブンはレオナルドの主張を聞き、左手に持っていたマグカップを傍らの机に置いた。 現在、二人が対峙しているのはライブラの執務室。他の皆は全員何らかの理由で外出しており、このピリピリとした空気に晒されているのはレオナルドとスティーブンのみである。 つい先刻まで二人はここまで緊張した状態になどなっていなかった。レオナルドは事務処理に励むスティーブンの手伝いとして細々とした仕事を任されながら執務室内を行ったり来たり。スティーブンが口をつけていたコーヒーも、クラウスと共に外出してしまったギルベルトの代わりにレオナルドが淹れたものだ。 上司と部下としては可もなく不可もない状態だっただろう。しかしスティーブンの仕事が一段落ついた時、事態は急変する。 それまで椅子に腰かけていたスティーブンが立ち上がり、マグカップを持ったまま何気ない様子で口を開いた。 「少年、良かったら今夜一緒に食事でもどうだい。こうして仕事も手伝ってもらったしね、そのお礼になればいいんだけど」 応接セットの方で郵送する書類の宛名書きを終え、それを上司の机まで持ってきたレオナルドは、紙の束を手にしたままはたと動きを止める。糸目で相手を見上げれば、大きな傷があってもなお美しい伊達男の微笑が返された。 仲間の血弾格闘技使いからは腹黒と称される彼の笑みの裏側など容易に見通せるはずもなく、レオナルドには彼の考えが読めない。神々の義眼は視界に関してかなりの汎用性を持っているが、人の心までは教えてくれないのだ。 しかし読めなくても推測はできる。また推測するのに必要な材料もレオナルドの手の中にあった。 持っていた紙の束を机の隅に置いたレオナルドは眉尻を下げ、へにゃりと笑う。 「別にそこまで気を遣ってもらわなくても大丈夫っすよ。今月はまだザップさんにたかられる回数も少ないですし、財布には余裕ありますから」 正直なところ、スティーブンの誘いは嬉しかった。 レオナルドは彼に憧れている。スティーブンは頭が切れて、戦闘もでき、また大人の男として実に素晴らしい容姿や立ち居振る舞いをしている。これで憧れずにいられようか。そんな彼からのお誘いなのだから、本当ならば一も二もなく頷きたい。 しかしその誘いに裏があると知ってしまえば、純粋な心で頷くのは無理な話だ。 スティーブンは頭が切れる。そしてライブラの、ひいては世界のためになるならばいくらでも心を殺して最適な$Uる舞いをすることができる。その辺りがK・Kをして腹黒やら冷血漢やらと呼ばれる理由になるのだが、それはさておき。彼のそんな振る舞いは、レオナルドに対しても遺憾無く発揮されるのだ。むしろ発揮されない方がおかしい。他のメンバーと違い、レオナルドには戦う力も長年積み上げてきた信頼もなく、ただただ『目が良い』ことしか価値がないのだから。 憧れの人から打算と策略だけで親切にされるこの苦しみをスティーブンは理解しているのだろうか。いや、いないだろう。 今もスティーブンがレオナルドを構うのは、神々の義眼を持つ子供がライブラを裏切らないようにするための手段の一つでしかない。おそらくレオナルドがスティーブンを尊敬している気持ちは、早々に当人にばれてしまっている。ゆえに食事に誘うといった方法で更に親しみを感じさせようとしているのだ。 繰り返すが、誘われるのは嬉しい。親切にされると笑みが零れ、褒められれば心が跳ねる。だがそれと同時に、自身の価値を理解しているがゆえに裏があると気付いてしまったレオナルドの胸はチクチクと痛んだ。 「まぁそう言わずに。上司としての僕の顔も立ててくれないか。それに僕個人としても君とはもっと親交を深めておきたいしね」 これがスティーブンの本心ならばどれほど良かったことか。しかし彼が求めているのは義眼であり、レオナルド自身ではない。レオナルドに優しくするのは貴重な神々の義眼をライブラの外に出さないためで、スティーブンはやりたくもない子供のご機嫌取りまで進んでやる羽目になっている。 「どうかな。イタリアン、フレンチ、中華、和食、好きなものをご馳走するよ。なんなら僕の家に来るかい? これでも料理は得意なんだ」 「……ははっ」 その台詞を聞いてレオナルドはついに笑ってしまった。 店で食べるならまだしも、プライベートな空間であるはずの自宅に招いても良い、だと? そんなことをこの人が本当に望んでいるはずないだろう。であるにもかかわらず、心にもないことをいとも簡単に告げてしまうなんて――。 「そこまでしてもらわなくていいっす」 文字にすれば軽かったが、実際に口から出た声はいやに低く、またかすれていた。 そんな声が出た時点で元々さして大きくもない許容範囲の外に出てしまったのは明白。レオナルドはジクジクと胸が痛むのを自覚しながら、薄く両目を開いた。 青白い燐光が双眸から零れ出す。 そして、レオナルドは言った。 「貴方が俺の相手をしてくれるのは、俺が神々の義眼保有者だからでしょう?」 と。 左手に持っていたマグカップを傍らの机に置いたスティーブンはレオナルドが放ったその一言で彼がどう考えているのかを正確に理解した。これくらい人心掌握を得意とする人間が悟れなくて何とする。否、むしろ言われるまでレオナルドの気持ちを正確に測れていなかった自分に笑いが込み上げていた。 「スティーブンさんが無理をする必要はありません。俺はちゃんとここにいます。ライブラのためにしか眼を使いません。ここに入れてもらう時クラウスさんとした約束は絶対に破りませんから」 目を逸らさないこちらの視線に耐えかねたのか、レオナルドは俯きながらそう続けた。スティーブンは奔放に跳ねた黒髪の中のつむじを見下ろしつつ、静かに両手を伸ばす。 「だから――」 「レオナルド」 少年の言葉を遮るように名を呼んだ。しかも常に用いる呼称ではなく、きちんと名前の方で。 「こっちを見ろ」 言うと同時に、ぐい、と両手で耳の辺りを包み込むようにして顔を上げさせる。これまであまり乱暴なことをしたことがなかったから、レオナルドは酷く驚き、青白く輝く目を見開いていた。 「ス、ティ」 「どうやら俺は相当君に信頼されていなかったようだ」 「そっ、そんな、ことは」 「ないと言うつもりかい? 僕の言葉を全く信じていなかったくせに。……いや、ライブラの番頭役としては信じていたのか。でも俺自身の言葉についてはずっと偽りだと考えていたようだね」 レオナルドの頭をがっちりと固定したまま徐々に顔を近付けていく。 目は絶対に逸らさないし、また相手にも逸らさせない。 「レオナルド、君が妹さんのことで自分を卑下しているのは知っている。『僕なんか』という言葉を使ったのは一度や二度のことじゃないだろう? 君は自分自身に価値が無く、大切なのは義眼だけだと思っている。確かにそうかもしれない。ライブラという組織にとって重要なのは君自身ではなくその眼だ。しかし何故それを俺にまで当て嵌めようとする」 「っ、だって」 「俺が番頭役だから? クラウスの副官だから? それってつまり、君は俺のことを個人としてではなくそんな役割を持った人形か何かだと思っていたってことじゃないのか」 「ちが」 「違わないよ。君は俺のことを見ていなかった。そんな良い目があるのに、俺の気持ちなんてちっとも見通してくれない」 「すてぃ、ぶん、さん……?」 こつり、と額を合わせる。至近距離から覗いた神々の義眼は至上の芸術品と言われるに相応しい精緻さと美しさを持っていた。まさにライブラにとって重要な代物。だがスティーブン・A・スターフェイズという個人にとってその眼は何の意味もない。 「レオナルド・ウォッチ」 唇が触れ合うほどの距離で囁く。 「もし君が俺の言葉も行動も信じてくれないと言うのなら、信じてもらえるようにしないとな」 「え……」 何をするつもりだとその目が語る。 スティーブンはうっそりと笑い、親指でレオナルドの目の下部をぎゅっと押し込んだ。 「この眼じゃなく、君自身を大切に思っているんだと証明するのさ」 その日、レオナルド・ウォッチは己の視力を失った。 代わりにとある男の愛情と信頼を一身に受けることになるのだが……それが幸せだったのか不幸だったのか、誰も知らない。 「愛しているよ、レオナルド」 ただ、男からもたらされるその言葉が嘘でないことは十分すぎるほど明らかであり、 「はい、スティーブンさん」 レオナルドの胸からあの痛みが消えたことは、まぎれもない事実だった。 愛を乞うなら穴ふたつ
2015.06.02 pixivにて初出 |