「あれ……? 見える」
 カメラのレンズ越しに妹が不思議そうに目を瞬かせるのが見えた。レオナルド・ウォッチは顔の前に持ち上げていたカメラを降ろし、彼女と同じく唖然とした表情を晒す。
 どうしたの、と妹の傍らに立っていた両親が尋ねた。彼らの右手側、レオナルドの左手側には川を越えた先に霧烟る街『ヘルサレムズ・ロット』が存在している。ウォッチ兄妹は揃って異形の都市を見やり、それから二人、顔を見合わせた。
「お兄ちゃん、私達あそこにいたはずじゃ」
「だよな……何でここにいるんだ。いや、その前にここは『いつ』だ?」
 レオナルドはどこにも治療の痕跡がない己の身体を見下ろし、再度まだ視力を失っていない青い瞳の妹を見つめる。その姿は記憶にあるものより少し幼く、また彼女の目に映るレオナルドもおそらく幾分か若返った容姿をしていた。
 まさか、という思いが二人の脳裏をよぎる。
 レオナルドは己の目に指を近付ける。いくら意識しても義眼が発動する様子はなかった。
 Dr.ガミモヅとの戦いで傷ついたからではない。『神々の義眼』と呼ばれる特殊な眼球そのものが存在していなかったのだ。
 驚愕に見開かれたレオナルドの双眸はあの青白い光を放つことなく、彼本来の瞳に妹を映す。じわり、と目頭が熱くなり、視界が滲んだ。
 そうしてレオナルドは妹に向かって手を伸ばし――
「ミシェーラ、俺達……」
 直後、ふっと重い闇が圧し掛かる。
「「!」」
 レオナルド・ウォッチとミシェーラ・ウォッチはかつて一度経験したのと同じ闇の中で自分達とあと一つ、異形の存在を知覚した。
 いくつもの眼球でこちらを見据える異形の名はリガ=エル=メヌヒュト。現実との差異がある記憶を信じるなら、またウォッチ兄妹を苦しめたあのDr.ガミモヅの言ったことが真実なら、異界の上位存在のお抱え眼科技師。そしてこれから兄妹のどちらかに神々の義眼を移植し、上位存在が下界を観察するための『目』とする忌々しい化物だ。
 自分と人間二人だけの闇の中で異形は問う。見届けるのはどちらか、と。
 やはりウォッチ兄妹は言葉にされない部分も正確に感じ取っており、この選択によって片方の視力が奪われることを理解していた。
 二人は顔を見合わせる。そして深く頷き合った。
 自分達の頭に存在する記憶が正しいなら、その記憶とは別の道を歩むことも可能ではないかと。そして今こそその一歩を踏み出すべき最大唯一のチャンスであると。
 沈黙する兄妹に異形は返答を求めた。
 あの時は震えて声も出なかったレオナルドがまず口を開く。
「俺の左目の視力を奪え。代わりに右の義眼を求める」
 間髪入れず、次はミシェーラが告げた。
「私は右目の視力を差し出します。代わりに左の義眼を与えなさい」
 護る側の辛さも、護られる側の辛さも、今の二人は十分に知っている。だからこそどちらか一方がそうなることをもう望みはしなかった。
 二人は異形に告げる。同じ道を歩ませろ、と。義眼は二つ、奪われる本来の眼球も二つ、これで等価である、と。
 異形はしばし黙り込んだ。しかしやがて僅かに身を震わせる。
 それが笑みだと分かったのは、異形が「是」と答えた後だ。
「よかろう。契約は成立した」
 そして、闇は晴れる。
 燐光を放つ義眼を右目に宿したレオナルド・ウォッチと、同じく義眼を左目に宿したミシェーラ・ウォッチは、眼を通して流れ込んでくる情報量に気絶しそうになりながらも晴れやかに笑い合った。


 Dr.ガミモヅがそうであったように、神々の義眼は片方だけであっても圧倒的な力を発揮する。その力でもって大切な人々の力になるためにレオナルドはヘルサレムズ・ロットへ。またミシェーラはいずれ現れるDr.ガミモヅに対抗するため盲目を装って故郷に残った。
「それにここにいなきゃトビーと出会えないっしょ」
 にこり、と輝く青色と艶のない闇色のオッドアイで微笑む妹に兄としてちょっぴり微妙な気持ちになりながら――やはり最愛の妹が誰かの妻になってしまうのは寂しいのである――、レオナルドもまた笑顔で彼女の見送りを背に受けて旅立った。
 そして足を踏み入れた異形の都市で、レオナルドは彼ら≠ニ再び出会う。
 秘密結社ライブラ。異界と人界が交わる霧の街で世界を救うために暗躍するかけがえのない人達と。

* * *

「ミシェーラ」
 待ち合わせ場所であるホテルのロビーでレオナルドは入ってきた妹の名を呼び、手を差し出す。準備はすでに完了していた。あとは自分達が最悪の敵の力を奪ってしまえばいい。そうすれば、レオナルドの仲間達が敵を屠ってくれる。
「お兄ちゃん」
 ミシェーラも手を伸ばし、差し出された右手を左手で強く握り込む。これまでずっと閉じられていた双眸がゆっくりと開き、愛らしい顔(かんばせ)に埋まる二つの眼孔のうち左側からのみ燐光が零れ落ちた。
 レオナルドの右目からも同じ光が姿を現し、そうして二人はトビー・マクラクランの身体を乗っ取っている異形、Dr.ガミモヅを睨み付ける。
「「よくも俺の妹の(私の)婚約者を人質にとってくれたな(ね)」」
 ぎゅっと二人がひときわ強く手を握り合った。
「「でもこれで終わりだ(よ)」」
 ヴォン、と二人の義眼の前に魔法陣のような光が現れ、Dr.ガミモヅが周囲に見せていた幻を吹き飛ばす。
 トビー・マクラクランの位置に存在していたのは彼の身体に憑りついた異界人であり、それが目視できるようになるのと同時に、ロビー各所に散らばっていたライブラのメンバーが床を蹴って跳び出した。
 ミシェーラも片方とはいえ義眼保有者であったことに加え、何よりウォッチ兄妹がまるで事前に全て知っていたかのように一片の躊躇いなく行動を起こした事実に、Dr.ガミモヅの反応が遅れた。致命的なその隙にレオナルドの仲間達の拳が届く。

「「グッバイ、下種野郎」」

 ウォッチ兄妹のその囁きが、Dr.ガミモヅの聞いた最後の言葉だった。






ツイン・ブルー







2015.05.26 pixivにて初出