「レオー。昼飯行くぞ」
「あ、すんませんザップさん。俺、今日は作って来たんで」
「は?」
 いつもの如く後輩を外食に誘ったザップ・レンフロはその返答に目を点にする。しかし振り向いて声がした方を見れば、ナプキンに包まれた箱型のものを持つ後輩の姿があった。
「なのでお昼はツェッドさんとお二人でどうぞ」
「ああ!?」
 なんで俺があんな魚類と! と声を荒らげるザップ。しかし問題はそこではない。注目すべきは気に食わない弟弟子に関してではなく、このチンチクリンな糸目陰毛頭君がランチを持参したことだ。
 くるりと踵を返したザップはチンチクリンもといレオナルド・ウォッチの首に腕を回してソファの所まで引き摺ると、そのまま小柄な身体を投げるように座らせた。その横に自分もどかりと腰かける。なお、レオナルドが持っていた包みはいつの間にやらザップの手の内に移動していた。
「ああー! 返してくださいよザップさん!!」
「後輩の物は先輩の物。先輩の物は先輩の物だ」
「なにそのジャイアニズム!!」
 返せ! と手を伸ばす後輩の顔面を左手で鷲掴んで押さえ込みながら、ザップは器用に右手だけでナプキンを解いていく。淡いブルーの包みの中には紙製のランチボックス。そのフタを開けるとサンドウィッチが顔を出した。
 グリーンとサーモンピンクはレタスたっぷりのサーモンサンド、優しいイエローはタマゴサンドだろう。
「はあ!? お前がこれ作ったのか?」
「だからそうだって言ってんでしょうが!」
 未だじたばたと無駄な抵抗を続けながらレオナルドが叫ぶ。
「ザップさん! もうこれちょっとどけてくださいよ! あと俺の弁当返せ!!」
「ほほぅ? レオナルド君はいつもお世話になってる先輩にそんな口をきいちゃうのかなぁ?」
「誰が世話になってるってんだこのSS先輩! って、ああー!」
 ザップがサンドウィッチを摘まんでぱくりと噛みついた。褐色の指の隙間からその光景を見ていたレオナルドが悲鳴を上げる。
「んお? なんだこれフツーにうめぇじゃねーか」
「う、ううううるさい返せー! 足の不自由な妹と長年暮らしてた兄ちゃんナメんなよ! ってかホントに返せよー! あんたに食われちゃ何のために自炊したのかわかんねぇだろうが! 外食したら高くつくから作ってきたのに……ッ!」
 泣き崩れる後輩。それを尻目に二個目のサンドウィッチに手を出す先輩。ここにツェッドがいれば阻止してくれたかもしれないが、生憎真面目な魚人は専用の水槽で休憩中である。またK・Kはクラウスの付き添いで二人揃って不在にしており、チェインの姿も見えない。もしチェインがいるならザップの顔面を踏みつけつつ現れてくれるはずなのだが、そうならないということは不可視状態になっているのではなく本当にどこかへ行っているのだろう。
 ザップの「タマゴもうめー」という呟きとレオナルドの「うっうっうっ」という泣き声が響く室内。
 だが部屋の中にいるのは彼ら二人だけではなかった。
「へぇ。そんなに美味いのかい?」
「スターフェイズさん……」
 部屋の一角に設置された机で書類を捌いていたスティーブン・A・スターフェイズがいつの間にかレオナルド達のすぐ傍に来ていた。彼の視線はレオナルドが作ってきたサンドウィッチに向けられている。
 そう言えば、朝から出勤していたザップもレオナルドも、本日ずっとスティーブンがコーヒー以外の飲食物を口にする姿を見ていない。そして人間、コーヒーだけで空腹は満たせない。
「ザップ」
「は、はい」
 怒られているわけでもないのにザップの背筋が伸びた。
 スティーブンは隈の浮いた眼差しをにこりと微笑ませる。
「後輩の物は先輩の物だったね?」
「は………………は、い」
 勝負は決まった。ザップは両手でランチボックスを捧げ持ち、スティーブンへと手渡す。
 補足になるが、朝から出勤していたザップもレオナルドも、自分達が来る前からスティーブンが書類捌きをしていたことを知っている。しかしながら一体いつからこの番頭様が机に貼り付いていたのかまでは知らない。今日の早朝か、昨夜か、それとも……。
 レオナルドですら今度は声を上げなかった。
 店の物に比べればまだ少し素人感のある――しかしどこか温かみを感じられる――サンドウィッチがスティーブンの口の中に消える。しばらく咀嚼し、やがて寝不足で半分程度しか開いていなかった目がゆっくりと開かれていった。
 ごくりと口の中の物を飲み込んだ後、スティーブンがぽつりと零す。
「意外といける」
「意外とって何ですか」
 うっかりつっこんでしまったレオナルドがばっと口を手で押さえた。しかしスティーブンが気分を損ねた様子はない。
「いや、すまない。美味いなこれ」
 それどころか素朴な昼食を褒め、残りのサンドウィッチもぽいと口の中に放り込んだ。
 まさか褒めてもらえるとは思わなかったレオナルドはポカンと口を開けてその様子を見守った。スティーブンは立ったまま、箱に入った残りも全て平らげて、満足そうにコーヒーを啜る。
 腹がいっぱいになった彼はそこでようやく自分を見上げるレオナルド達の視線に気付いたのか、「あ」と目を丸くする。
「すまない。全部食べてしまったな」
「い、いえ……お口に合いましたら幸いデス」
「おいこら陰毛頭! 俺には返せって言っときながらスターフェイズさんはいいのかよ!」
「日頃お世話になってる度合いが違うでしょーが!」
 満腹になったライオンは無闇に動物を狩らない方式と言うべきか、上司を前にしつつザップとレオナルドの言い合いが再開される。それを見守る羽目になったスティーブンは、はたと気付いて己の財布を取り出した。
「少年」
「まったくザップさん、あんたって人は……って、はい?」
 スティーブンに呼ばれてレオナルドが顔を上げる。そのまま自分に差し出された紙幣を反射的に受け取って目を丸くした。
「え?」
「昼食代だ」
「は? いや、でも」
「いいんだよ。受け取りなさい」
「神は実在した……ッ!」
 スティーブンに手渡された高額紙幣を両手で掲げて涙を流すレオナルド。その姿がなんだか可愛いなぁと頬を緩めつつ、スティーブンはレオナルドの背後から紙幣を奪おうと狙っていたザップをひと睨みで黙らせた。「あれは少年のものだよ」「すんません」という無言の会話が二人の間でなされたとか、なされなかったとか。
「でもこんなにもらっちゃ悪いです」
 ひとしきり感涙した後、レオナルドが眉尻を下げながらそう言った。だが生憎、スティーブンの財布にはこの紙幣より小さな単位の金が入っていない。それを告げるとレオナルドは一瞬、日本にある「JIZOU」とやらに良く似た表情になったが、少し考えてから紙幣をスティーブンに差し出した。
「これお返しします。過剰な金額は受け取れません」
「うーん、でも君のランチを食べてしまったことは事実だし」
 突き返された紙幣を眺めながらスティーブンは唸る。しかしすぐに別の解決策を思いついて、ぽんと手を打った。
「じゃあこうしよう。少年、そのお金は受け取ってくれ。そしてその金額分だけ、これから俺に君が昼飯を作ってくれるということでどうだろうか」
 ちょうど外食にも飽きてきたところだった。しかし自分で作るのは億劫。かと言って家政婦のヴェデッドに新しい仕事を頼むのも申し訳ない(彼女なら快く引き受けてくれるだろうが)。そして少年の作る料理は意外と口に合うことが分かった。ならば頼もう、という思考の流れにより、スティーブンはその案に思い至ったのだった。
「もちろん手間賃は支払う。どうかな」
「まぁ一人分作るも二人分作るも、ぶっちゃけ手間は一緒ですしねぇ……」
 レオナルドはそう呟き、こくりと頷いた。
「分かりました。お引き受けします」
「ありがとう」
 こうして紙幣はきちんとレオナルドの財布に納まり、それを未だ狙うザップにスティーブンが笑顔で牽制し、この件はひとまず決着した。
 後日。レオナルドがランチボックスを持参して出勤する途中、ヘルサレムズ・ロット特有の厄介事に巻き込まれて二人分の食事が無残な姿に成り果て、それを知った徹夜明けのスティーブンが厄介事の原因に特攻を仕掛けることになるのだが……。それはまた、別のお話。






ランチ!







2015.05.20 pixivにて初出