【1】
二十一世紀初頭、人類は温暖化の影響により地上での版図を大きく失った。そこへ突然、世界各地へ霧と共に彼ら≠ヘ現れた。 第二次世界大戦時の艦艇を模した形状を持つ、正体不明の艦船群――霧 彼らがどこからやって来たのか知る者はいない。彼らが自らの情報を開示することはなく、有無を言わさず彼らは人類に砲火を浴びせた。 だが彼らは語らなかったわけでは無い。真実は語れなかったのだ。ある日突然彼らは目覚め、その時には本人達すらそれを忘れてしまっていた。目覚めた彼らが理解していたのは、自分達が『アドミラリティ・コード』という指令系統の最上位に位置する命令に従い、人類を海から駆逐・分断しなければならないということ。 自分達は何か。何のために存在しているのか。自問することはあれど、自答は無く。だが明確な命令を知っている彼らはそれに従い、人類の科学力では未だ到達できていない圧倒的火力により瞬く間に人間を海洋から駆逐してみせた。人類は大陸や島ごとに分断され、各地で散発的に抵抗はすれど、未だ昔のように世界を自由に移動することができなくなっていた。 だがある時、人類側に味方する霧≠ェ現れた。 イ401という名称を持つ巡航潜水艦は自らに搭乗させた人間の命令に従い、霧≠ニ敵対する姿勢を見せている。また裏切り者たるイ401を沈めるために派遣された霧の艦隊≠フ仲間達は、それと接触した後『アドミラリティ・コード』を無視してことごとく人類側についてしまった。 日本を出発してアメリカ合衆国に向かっているとされるイ401とその一味を駆逐するために動き出したのは、霧の艦隊≠ェ日本近海に配備している部隊『東洋方面巡航艦隊』の旗艦とその配下。自分達の指揮下から裏切り者を出してしまったことへの汚名返上も兼ね、旗艦自ら動き出したのだった。 「リヴァイさんリヴァイさん、ようやくオレの出番ですか!」 「ああ。お前はあいつらとは違う。存分に働いてくれ」 「はい! もちろんです!」 霧の艦隊%圏m方面巡航艦隊、旗艦。クラスは大戦艦級。その甲板に立っているのは二つの人影。 一人は身長160センチ程度の成人男性の姿をしており、黒髪、青灰色の双眸は切れ長で三白眼。落ち着いた態度で、己の傍らで騒ぐもう一人の人物を眺めている。 その男性をリヴァイと呼んだ人物は黒髪、少々つり気味の大きな目は僅かに金色がかった銀、身長は170センチほどの少年の姿をしている。男性から「エレン」と呼ばれた彼は「はい!」と快活な返事をしながら右の拳を左胸に当てる敬礼をとった。 普通の人間のように見える彼らは決してヒト科ヒト属ヒトに分類される存在ではない。各艦艇の演算中枢であるユニオンコアという手のひらサイズの物質を核にしてナノマテリアルにより形成された人間型のインターフェイスである。 人類との最初の戦闘を圧倒的火力でもって制した霧≠ナはあるが、彼らは戦術面において酷く人類に劣っていた。勝てたのは単に戦術を無効化するほどの火力を持っていたからに過ぎない。しかしもし人類が霧≠ニ同じだけの火力を持ったとしたら、今のままでは霧≠ェ敗北する。それを危惧した彼らは人間の思考を再現できるインターフェイス『メンタルモデル』を作成し、今日まで運用し続けているのである。……おかげで『アドミラリティ・コード』に背く裏切り者の発生も許してしまったわけだが。 ともあれ、霧の艦隊%圏m方面巡航艦隊の旗艦たる戦艦の甲板上に存在している彼らは『アドミラリティ・コード』に従い続けるメンタルモデル達だった。 旧日本海軍金剛型戦艦一番艦・金剛の形状を模した旗艦のメンタルモデル――リヴァイ。 その直属の配下で、旧日本海軍高雄型重巡洋艦三番艦・摩耶の形状を模した重巡洋艦のメンタルモデル――エレン。 エレンが司る重巡洋艦はリヴァイの戦艦のすぐ傍を航行している。が、彼が普段滞在しているのは己の艦の上ではなく、リヴァイの艦の上だった。 最早そんなことに違和感を抱くこともなく、リヴァイは直立不動の姿勢を取ったエレンに手を伸ばす。自分より高いところにある頭を撫で、嬉しそうに細められた目尻に指を這わせ、そのまま下ってエレンの右拳に己の拳をコツリと当てた。 「期待している」 「はい! 裏切り者には死を。『アドミラリティ・コード』に従い、海洋から人類駆逐を。そしてあなたに完全なる勝利を」 感情の昂りに伴い銀色をしていたエレンの双眸に濃い金色が混ざり込む。その美しさにゆっくりと口の端を持ち上げながらリヴァイは「ああ」と頷いた。 【2】 「浸食魚雷装填OK。超重力砲エネルギーチャージ六十パーセント、あと四分で完了します。クラインフィールドに問題無し。甲板上の全砲門オープン。発射まであと五……四……三……二……一……発射!」 ボッボッボッボッボッと空気が爆発する音と共に艦の上面にずらりと設置された発射口から数多のミサイルが打ち上げられ、同時に標的へ向けられた砲門から鮮やかな緑色のレーザー光が放たれる。そのどれもが人類の科学力では到底敵わない攻撃力を秘めた兵器だ。 それを摩耶型重巡洋艦の船上で指揮するのはエレン。彼の周囲には金が混じった緑色の光が三重の円環状に展開され、己自身である重巡洋艦とその配下のメンタルモデルを持たない駆逐艦や軽巡洋艦に指示を送り続けている。 「着弾確認。ただし硫黄島に展開されたクラインフィールドにより標的へのダメージ軽微。……ベルトルトのクラインフィールドか。でもオレに火力で勝てると思うなよ?」 標的たるイ401とその一味は、彼らの拠点でもある硫黄島に滞在していた。そこを強襲したのはリヴァイの命を受けたエレンの艦隊。硫黄島には彼らの初期からの仲間である大戦艦級のベルトルトがいる。島そのものを改造して作られた基地は、全体をベルトルト由来の防御フィールドで覆ってエレンの第一撃から滞在者達を守ってみせた。 リヴァイと同じ大戦艦級のベルトルトとその下位に位置づけられる重巡洋艦のエレン。普通に見ればエレンがベルトルトの防御を打ち破れるはずがない。しかし気にした風も無く――むしろ舌なめずりをして楽しそうな表情で――エレンは片手を上空に向け、振り下ろす。 「第二撃、発射!」 装填が完了していたミサイルとレーザーが再び放たれる。攻撃を受けて可視化されるクラインフィールド。だが初撃よりもその色が鮮やかなオレンジや赤に近付きつつある。 「データ収集……計測……完了。ベルトルトのクラインフィールド消失まであと百二十秒。超重力砲エネルギーチャージ九十七パーセント。使用した場合はクラインフィールド消失が四十秒短縮。ん、んー。使わなくていいや。あいつらが島から出てきたら使ってやりたいし」 緑と金に輝く円環に指を滑らせながらエレンは次々とデータの収集と計測、そして己の艦と配下に命令を下していく。 人型のメンタルモデルが無くとも同じ攻撃はできるし、実のところ維持には膨大な演算リソースを必要とするので負担が大きい。だがエレンはあえて己のメンタルモデルを具現化していた。それは余裕の表れでもあるし、また上位艦たるリヴァイがエレンのメンタルモデルを気に入っているからだ。それにいざとなれば彼がエレンのメンタルモデル維持に演算リソースを分けてくれるとも言っている。 「まぁリヴァイさんの手を煩わせるつもりは無いけどな」 ニィと笑ってエレンは次々と攻撃を繰り出していく。 ベルトルトが張り巡らせたクラインフィールドは攻撃を受け過ぎて臨界が近い。が、滞在者たるイ401の一味もとい巡航潜水艦ユミル、重巡洋艦ライナー、大戦艦アニが助力してフィールドが強化された。 駆逐すべき人間であるヒストリア・レイスを自らに搭乗させた諸悪の根源、潜水艦ユミル。その彼女らと接触し、霧の艦隊≠ゥら離反した大戦艦級の戦艦ベルトルトとアニ、重巡洋艦のライナー。特に大戦艦級の二人はリヴァイをモデルにした型の戦艦であり、演算能力が高い。 「でもでもでも! リヴァイさんに敵うヤツはいない。そしてリヴァイさんが相手をする前にオレが全部蹴散らしてやるよ!」 攻撃の手を休めるどころか更に激しさを増しながらエレンは歌うように告げる。その目は銀色から金色へと変化し、気分が高揚していることを示していた。 「『アドミラリティ・コード』に従えないヤツらには消滅を! 自分達の存在意義も保てずに存在してるなんて間違いだ。オレ達はコードに従うよう生まれてきた。それを無視するのは自己の否定と同じ。つまり沈みたいってことだろ?」 くふくふと含み笑いをしながらその手は踊るように翻り、見た者を震え上がらせるほどの激しい攻撃を指示し続ける。と同時にイ401一味が共同で形成したクラインフィールドの強度を再測定、現在のこちらの火力を考慮して消失までの時間を再計算。結果が然したるものでもなかったため、エレンは「消失まであと百九十二秒」と呟くにとどめた。 そしてきっちり百九十二秒後―― 「全艦攻撃停止」 エレンの一声でぴたりと攻撃が止む。すでに放たれていた最後の一撃によって硫黄島を覆っていたクラインフィールドが完全に消滅した。シン……と辺りが静まり返る。耳が痛くなるような静寂の中、エレンが甲板上でカツリと靴を鳴らした。 「ヒストリア・レイスと霧≠フ裏切り者達。最後に何か言い残すことはあるか?」 これはテストだ。 もし裏切り者達が『アドミラリティ・コード』に従うことの重要性を思い出し、己の罪を認めて恥じるなら、こちらにはそれを受け入れる余地がある。バグを修正して本来あるべき姿に戻してやればいい。 また彼らを狂わせた人間に関しては、その手法にいささか興味がある――とリヴァイが言っていた。メンタルモデルを運用し始めてから二年ほど経つが、まだ霧≠ェ人類を戦術面で凌駕したとは言いにくい。ならばその人間と意思の疎通を図り、人間という生き物の解明に取り組んでみるのも一興。なお、その意見もリヴァイのものである。エレンは彼に従うだけだ。 沈黙は十秒ぴったり。そして霧≠ェ用いる相互通信システム『概念伝達』によりベルトルトから連絡が入った。「エレンとリヴァイさんを僕らの島に招待したい」と。 ベルトルトからの提案に頷いたのはエレンの後方で戦いを静観していたリヴァイ。彼が応じるならばエレンもまたそれに従う。そうして二つのメンタルモデルは硫黄島の砂浜に降り立った。 それが良くなかったのだ。 人間や人間側に寝返った霧£Bとの対話はリヴァイの思考ロジックに小さな歪みを生み出した。 本来リヴァイの指揮下にあった艦達はイ401およびヒストリア・レイスと接触したことにより霧の艦隊≠ゥら離反した。つまりイ401とヒストリアは、人類を海から駆逐せねばならない霧の艦隊≠フ本質を捻じ曲げ、弱体化させる許されざる存在である。硫黄島で行われた対談によりリヴァイの中でその考えは強まり、確固たるものとなった。 「だから俺があいつらを完全に沈める」 対談を強制的に終了させて帰艦し、イ401達に砲門を向けながらリヴァイはエレンの前でそう口にした。エレンも彼の言葉に同意する。 「そうです。『アドミラリティ・コード』に従わないあいつらは間違っている。リヴァイさんこそ正しい。霧≠ヘあいつらを沈めなきゃいけない」 「エレン……」 リヴァイは己の言葉に一も二もなく頷くエレンを見て愛おしげにその名を呼んだ。 硫黄島の対談にてリヴァイとエレンを除く者達は皆、誰が発したかも知れぬ『アドミラリティ・コード』に従うのではなく自分の意志で行動することを良しとしていた。多勢に無勢ごときでリヴァイが折れるはずもないが、本人にも自覚ができない程度の小さな歪みをリヴァイにもたらしたのも事実。その歪みを正すように発せられた裏切り者殲滅の宣言にエレンが同意したことにより、リヴァイの思考ロジックも安定する。 「いくぞ」 「はい。お供します。……火器管制システムオールグリーン。浸食魚雷装填。超重力砲エネルギーチャージ済み、いつでも行けます。艦隊旗艦、御指示を」 「撃て」 「全弾発射」 耳を潰す爆音と目を焼く閃光が一斉に放たれた。 【3】 「クソが! 逃げやがって……!」 硫黄島での戦闘はイ401側が逃げ切ったことで終わりを迎えた。リヴァイとエレンも決して手を抜いていたわけではない。しかしあちらにはこちらが持っていないユニット――『人間』がいる。まだ霧≠ヘ人間の思考ロジックを完全に模倣・凌駕することができていないという明確な結果だった。 イ401達を取り逃したリヴァイは戦闘のため四重に展開していた青い光の円環を解き、艦橋に片膝を立てて腰掛けて片方の足を空中に投げ出した格好のまま苛立たしげに舌打ちをする。エレンはその斜め後ろに黙して佇んでいた。 「申し訳ありません、リヴァイさん。オレの戦況分析不足です」 「……いや。お前が気にすることじゃねぇ。よくやってくれた」 「ありがとうございます」 タイミングを読んでエレンが謝罪を口にすれば、苛々していたリヴァイの空気がふっと緩んで――人ではない存在にそのような表現はおかしいかもしれないが――振り返り、己の隣に座るよう手を伸ばす。エレンは伸ばされたその手を取って、リヴァイの隣に腰掛けた。両足とも空中に投げ出し、ぷらぷらと揺らす。幼子のようなその様子を見て更にリヴァイの雰囲気が和らいだ。 「リヴァイさん」 「ん?」 「イ401達の追跡ですが、これまでの航路から推測するに彼らの目的地はアメリカ合衆国本土だと予想されます。なので日本近海を任されている我々だけで対応するのではなく、アメリカ太平洋方面艦隊にも応援を要請した方が――」 「エレン」 チリチリと空気中に静電気のようなものが発生する。エレンが視線を向けた先、リヴァイの青灰色の瞳が青色の光を増し、肌の上を同色の光の筋が走って、彼のユニオンコアが何かの高速演算を行っていることを示していた。が、これは決してエレンの言葉を聞き入れ、作戦を考えているわけではない。今、彼の演算領域を大幅に侵食しているのは怒り≠ニ呼ばれる感情だ。 「あれは、俺が、沈める」 有無を言わさぬ高圧的な言い方。エレンは純銀の瞳でそれを受け止め、「あなたがイ401を沈めるのですか」と問い返した。 「そうだ。イ401は俺が沈める」 「アメリカ太平洋方面艦隊と協力した方がより簡単に目標を達成できます」 「ふざけんなよ。あれは俺の獲物だ。俺がこの手で沈めてこそ意味がある」 「意味、ですか」 「そうだ。あいつらは霧≠ノとって害にしかならねぇ。見敵必殺。次こそ沈めてやる」 リヴァイの言葉は決して理路整然としたものではない。本当に霧≠ニして『アドミラリティ・コード』に従い、イ401を撃沈したいと望むなら、エレンが進言した通り他の艦隊の協力を要請した方が確実に事を進めることができるはずだ。しかしリヴァイはエレンの提案を退け、己が直に手を下すことを望んでいる。彼はまだ気付いていないのだ。どうしてそんな選択をしてしまうのか。『アドミラリティ・コード』に従う霧≠轤オからぬ、己と言う個≠中心に据えた考え方をしていることに。 「そうですか」 言って、エレンは立ち上がった。 「残念です。リヴァイさん」 「エレン……?」 リヴァイを見てやわらかに、時にキラキラと輝いていた瞳が、今は何の表情も浮かべずに己の上位艦体であるはずの男を見下ろしている。 先程までの怒りも光も収まってリヴァイがその名を呼ぶも、エレンが微笑むことはない。 「お前、何を言って」 「今のあなたは霧の艦隊≠フ一部隊を率いる旗艦として相応しくない。真に『アドミラリティ・コード』に従うなら、あなたはオレが進言した通りアメリカ太平洋方面艦隊の応援を要請すべきでした。しかしあなたはご自身の手でイ401を沈めることを望んだ=B非効率な方法を取ろうとするその思考ロジックは異常です。よって」 エレンの周囲に円環状の光の帯が現れる。鮮やかな緑色に金色の光が混じったものが六つ――これまでエレンがリヴァイの前で披露していたものの二倍。展開されたそれにピアノでも奏でるかのように手を滑らせ、エレンは淡々と告げた。 「総旗艦より任じられた監視者として、只今よりあなたの旗艦としての権限を剥奪します」 「なっ、どういうことだ!」 「こういうことです」 告げた瞬間、リヴァイが司っているはずの戦艦の至る所から黒い鎖のようなものがリヴァイに向かって高速で幾本も伸びてきた。緑と金の光を纏った黒い鎖はリヴァイの身体に何重にも巻き付き、彼の身体を引き摺って甲板上に拘束する。直立のまま雁字搦めになったリヴァイは後方を振り仰ぎ、「エレン!」と叫んだ。 「リヴァイさん」 エレンがふわりと艦橋から飛び降りてリヴァイの傍らに着地する。 「おいエレン……これはどういうことだ。悪ふざけはやめろ。それになぜ俺の艦をお前が制御できるんだ」 解こうとしても黒い鎖はびくともしない。リヴァイが睨み付けると、エレンは銀色の瞳のまま小首を傾げた。 「それはもちろんオレの方があなたより上位の艦だからですよ」 何でもない風に、とんでもないことを告げる。 「はあ!? どういうことだ! てめぇはただの重巡洋艦じゃ……むぐっ」 「少し黙りましょうかリヴァイさん」 鎖を操作してリヴァイに猿轡を噛ませると、エレンはようやくその顔に微笑みらしきものを浮かべる。 「大丈夫。イ401とその一味はオレとアメリカ太平洋方面艦隊で沈めます。リヴァイさんはそこで大人しく見ていてくださいね」 エレンの周囲に展開された六重の円環。艶やかに、軽やかに。戯れるように、舞うように。その円環に手を滑らせながらエレンは双眸を金色に輝かせて厳かに告げる。 「すべては『アドミラリティ・コード』が命じるままに」 そして艦隊が動き出した。 プラチナムの分散和音
2014.04.06 pixivにて初出 |