貨物船に積んだ商品の引き渡し後は北半球の反対側まで移動して人工衛星を搭載したロケット発射の見学。それから更に飛行機で大西洋を横断して赤道も華麗に跨いだ先の目的地は南アフリカ共和国の某所、ドイツ企業の玩具メーカー『フリューゲル社』が所有する南アフリカ工場だった。
 長い船旅と空の旅を終えたエレンは疲れる様子を見せるどころかますます気合が漲っているようで、工場の敷地内に入り徒歩で移動中、横目でその様子を見ていたリヴァイは「よっぽど楽しみなんだな……」と胸中で呟いた。なお、己に金眼が向けられないことに関して嫉妬などしていない。していないと言ったらしていない。断じてだ。
「いやー久々だから腕が鳴るなぁ」
「エレン、楽しそう……」
「うーん、まぁ楽しそうと言えば楽しそうなのかな」
 にこにこ笑顔のエレンの横(リヴァイの反対側)で、彼の幸せが私の幸せですと言わんばかりの表情を浮かべるミカサ。更にその隣で苦笑するアルミン。ミケは前髪で目を隠して何を考えているのか分からないし、サシャとコニーは通常のお馬鹿モードを発動して騒いでいるので何も考えていないように見える。ジャンはアルミン寄りの思考といったところか。
 これからエレンとその私兵達が向かう施設にはフリューゲル社のみならず世界中の軍事・科学系の人間から非常に特別視されている科学者がいるのだと言う。名前はハンジ・ゾエ。ロボット技術のスペシャリストである彼女は玩具会社に所属しているものの、その研究の成果はことごとく軍事転用されるという奇特な頭の持ち主だった。
 エレンが所属するYGLI社もその頭脳の恩恵にあやかっており、主要なスポンサーの一つとなっている。またエレン個人とも親交が深いらしい。「つまりハンジさんも変人ってことだ」とは、自称『エレン・イェーガーの私兵の中で一番の常識人』ジャンの台詞である。
 しばらく工場の敷地内を歩いていると、小さなコンクリート壁の建物が見えてきた。あそこにゾエ博士が住んでいるらしい。
 扉まであと十数メートル。そこまで近付いた時、建物内から誰かが出てきた。その出てきた何者かを視界に捉えた瞬間、エレンが走り出す。
「おい、エレン!」
 伸ばしたリヴァイの手を擦り抜けてエレンが駆けて行った――否、飛びかかったのは、果たして『人』と称して良いものなのか。二メートルを遥かに超える身長のそれは全身が肌色、つまり全裸で、餓鬼のように異様に膨れた腹の下には生殖器に相当するものが見当たらない。まるで人形のような身体に乗っている頭は呆けたような表情で固定され、ふらふらと左右に揺れながらゆっくりこちらに向かって歩いているようだった。
 それが何のために建物内から出てきてこちらにやって来たのか、理由など知らない。何故ならリヴァイが知る前に、
「死ねやクソ巨人がぁぁああああああ!!!!!!」
 我らがか弱い護衛対象様であらせられるはずのエレン・イェーガー二十五歳男性が黄金の右ストレートを繰り出して撃沈させてしまったからである。
「…………………………………………は?」
 目を点にしたリヴァイを一体誰が責められよう。背後ではサシャとコニーの馬鹿コンビが「エレンすごいですね!」「本当だな!」と騒ぎ立てているし、ミカサは「エレン生き生きしてる」と嬉しそうだし、アルミンは相変わらず苦笑を浮かべているし、ミケはやっぱり何を考えているのか分からない。隣に並んだジャンが片手で額を抑えながら無言でリヴァイの肩を叩いた。同情されているのだろうか。
 その間にもエレンは巨人(仮称)に攻撃を続け、とうとう胴体から頭部をねじ切ってしまった。ここまで素手と言うのが恐ろしい。ちなみに巨人の傷口からは血が出る代わりにネジやらカラフルなコードやらが飛び出していたので、エレンが殺人罪に問われることはなさそうだ。世界中でもっと色々やらかして(私兵にやらせて)はいるが。
 巨人が頭部をもがれ完全に沈黙したことでようやく満足したのか、エレンの唐突な駆逐モードが終了する。ちなみに『駆逐モード』という呼称はこっそりと隣に並んだジャンが教えてくれた。
「……ふう、いい仕事をした」
「あー! エレン、あなたねぇ! また私の大事な巨人ちゃんをこんなに……っ!」
 実に爽やかに汗をぬぐう仕草をするエレンを怒鳴りつける格好で、第三者は巨人が出てきたのと同じ建物内から現れた。ユニセックスな私服の上に白衣をまとったその人物は縁の太い眼鏡の位置を直しながらエレンを睨み付ける。ただし睨み付けるとは言っても、気心の知れた者に向ける冗談半分のものだったが。
「ハンジさん、お久しぶりです!」
「そんなキラキラした笑顔で言われてもね、エレン。まずその手に持ったウチのソニーの頭を放してくれるかい。……ってコラ! だからって投げ捨てない!」
「オレが巨人嫌いだって知っててコイツを先に出してくるハンジさんが悪いんですよ」
「冗談の通じない子に育っちゃって……」
「巨人に関することのみです。しかもその巨人嫌いを植え付けたのはハンジさん本人ですけどね?」
 壊れた巨人の頭部を大事そうに拾い上げるハンジを目で追いながらエレンはにこりと笑った。しかし目が冷たいままだ。どうやらエレンにも色々あるらしい。
 ハンジとエレンのやりとりを眺めながらリヴァイがジャンに「で、なんでエレンはあんななんだ?」と尋ねてみたものの、ジャンは詳細を知らなかった。彼がこのチームに加わった時にはすでにエレンはこういう人間だったらしい。ちなみにあの巨人はゾエ博士が開発したお気に入りの人形――と言う名の人工知能を搭載したロボット――で、巨人シリーズの一体であるとのこと。シリーズと言うことはきっと他にもあの醜悪な形をしたものが沢山あるのだろう。
 ジャンが詳細を知らないならば、次は私兵達の中で古株に分類されるアルミンだ。リヴァイは斜め後ろにいた金髪の青年に視線を向ける。
「アルミン、エレンは……」
 リヴァイに問われ、アルミンの青い目がこちらを向く。横では「どうせ昔あのデカブツに小突かれたとかじゃねーのか?」とジャンが呆れ顔をしていた。
 そんなジャンの推測も耳に入れつつアルミンはやっぱり苦笑を浮かべたまま、

「             」

「え……」
 リヴァイの周囲から音が無くなった。そう勘違いするほどにアルミンの言葉が信じられなかった。
 ジャンも息を呑んでいる。距離的に声が聞こえたはずのミカサはこちらの会話など気にした様子もなくエレンにだけ集中しているし、ミケは360度どこから見ても何を考えているのか分からないし、馬鹿コンビは馬鹿騒ぎをしていた。
 ハンジと言葉を交わしていたエレンはやがて彼女に促されるまま屋内に入る。ハンジの方が年上ではあるようだが、その姿は気のおけない友人のように見えた。二人の間に酷い確執があるとは思えない。
「エレンは馬鹿なのか。それとも……化け物、なのか?」
 リヴァイは呟く。アルミンは否定も肯定もしない。ただ困ったように笑うだけ。ただ少し間を置いて「誰よりも人間らしいけど、その所為で誰よりも化け物なのかもしれない」と言った。
「なんだそれ」
 リヴァイは呻く。まだエレンの半分しか生きていない子供には彼を理解することなどできないと言うのだろうか。



『エレンのお母さんはね、八年前、ハンジさんが作った巨人型ロボットの試作機が暴走してそれに殺されてしまったんだ』



「おーい、みんなー! 早く来いって!」
 屋内から顔を出したエレンがリヴァイ達に呼びかける。
 その場に膝を折ることなく呼ばれるまま反射的に足が動いたのは奇跡に近かった。

* * *

 ハンジ・ゾエという人間を一言で表すなら『天才』である。
 ロボット技術のスペシャリストとして名を馳せているが、同時に彼女は物理博士で量子工学の権威であり、量子物理学博士でもあった。街中に住まずこんな辺鄙な施設内にわざわざ居住スペースを設けているのも、彼女の通勤がどうこうという問題ではなく、あまりにも人間離れした頭脳の持ち主の安全を守るためという意味合いが強い。
 エレンが彼女の元を訪れたのは、そんな天才に任せている開発計画の視察と、『友人』への挨拶なのだそうだ。
 事実、ハンジと談笑するエレンはアルミンから聞かされたことが真っ赤な嘘だと言われても納得できるくらいに普通である。またエレンもおかしいが、彼と普通に喋っているハンジも相当だろう。いくら事故とは言え、エレンの母親が死んでいるのだ。八年という月日がその傷を無かったことにできるとは考えられない。
「ドクター! 本社からお電話です!」
 エレン達が談笑している最中、奥の部屋から一人の男性が顔を出した。ドクターということはゾエ博士≠オかこの場には該当者がいない。
「げぇ……モブリットぉ、どうせ次の試作品を早く出せってせっつきにきただけだし、テキトーに誤魔化しといてよ」
「ダメですよ! ちゃんとあなたが相手してください!」
「……はいはい」
 奥から顔を出したモブリットという男性はきっとハンジの助手なのだろう。ハンジは重そうに腰を上げ、「ごめんねエレン。長くなるかもしれないから自由にしてて。あ、この部屋の物なら好きにいじってくれていいよー」と言い残して奥へ消えた。直後、コニーが「マジで! やった!」と喜び勇んでディスプレイされていた模型に手を伸ばす。更に奥の部屋から「モブリット、サシャ用に何か食べるものー!」と聞こえてきた辺り、ハンジはエレンの私兵達の扱い方を心得ていた。
 話し相手を失ったエレンは己の私兵達をぐるりと見渡す。黙して椅子に座っていたミカサの腰が僅かに浮いたが、それには反応せず金の双眸が固定されたのはリヴァイだった。
 エレンに向けるリヴァイの表情に思うところがあったのだろう。彼はアルミンに一瞥をくれた後、「リヴァイ、散歩でもしようか」と右手を差し出した。その手を取ってリヴァイ達は屋外へ。ちょうどサシャ用に軽食を持ってきたモブリットと会ったので、しばらく外にいることを伝えておく。
 巨人型ロボットのものであろう小さな部品を踏みつけつつ建物の外に出たエレンは、そのままリヴァイの手を引いて歩き出した。
 わざわざ皆から離れたのはリヴァイがエレンと話をしやすい状況を作るため。ならばその好意に甘えて、リヴァイは口を開く。
「お前はハンジを恨んでいないのか」
 エレンの母親を殺したのがハンジの手で生み出されたものならば、エレンの憎悪はハンジに向くはずではないのか。
 遠回しな表現も何も一切なく尋ねるリヴァイに対し、エレンは首を横に振った。
「恨むも何も、人型の対人用武器≠作れるかって言ったのはオレだったからな。たとえ冗談半分だったとしても、ハンジさんにはそれを実現できる力があった」
 そしてまだ試作品でお披露目する時期じゃないというハンジの意見を遮って母親と共に見学することを決めたのはエレン自身。
 先程のようにロボットを見かけるたび過剰反応してしまうのは、それが事件を起こした試作機と同じ不格好な巨人を模した形であるからだが――そもそもハンジは余程あの巨人というデザインがツボだったらしく、開発が成功した後はシリーズ化までしてしまった――、巨人に反応するようになった根本の理由について、エレンは自分の責任だと思っている。
 と、エレンは説明した。しかしリヴァイはそれでも納得できない。たとえエレンが自分の言い出したことが原因で母親を死なせたとしても、それに関わることになったハンジに欠片も負の感情を抱かずにいられるはずがないのだ。それが人間という生き物だろう。
 じっと疑いの目を向ければ、エレンはリヴァイと繋いでいない方の手で頬を掻いた。
「あー……正直なところを申しますと」
「おう」
「顔を合わせる前にあの巨人型のロボットをぶっ壊すことでハンジさんに八つ当たりしないようにしてる節は、ある」
「じゃあ最初にロボットが出て来たのはハンジがお前と示し合わせてわざとやったってことか」
「面と向かってこうしようって決めたわけじゃねぇけど、暗黙の了解みたいにはなってるかな。だからここに来ると毎回あれをぶっ壊してる」
「難儀なもんだな」
「リヴァイ、難儀って言葉知ってたんだ」
「茶化すなクソが」
 握った左手に力を込めれば、横から「痛い痛い!」と悲鳴が上がった。
 それでも手を放すことなくエレンは続ける。
「でもホント、ハンジさんは嫌いじゃないよ。年は離れてて性別も違うけど、友達だと思ってる。それにオレは彼女を手放すわけにはいかないから」
「金の卵を産む鶏ってやつだからか?」
「YGLI社としてはそうだろうな。父さんもフリューゲル社のスポンサーを降りようとは言わなかったし。でもオレ個人としてはちょっと違う。まぁハンジさんの頭脳を重要視してる点では同じかもしれないけど」
「あいつの頭の使用目的が違うってことか」
「正解」
 暗い話をしているとは思えない軽い調子でエレンは告げた。
「リヴァイ。オレは以前、お前に武器が嫌いだって言ったよな」
「……ああ」
「オレがそう考えるようになったキッカケは母さんの死だった」
 リヴァイが隣を見上げると、エレンは過去を思い出すように金色の目を瞼の裏に隠していた。そしてリヴァイの手を握る力が少しだけ強くなる。
「父さんや兄さんの手伝いは小さな頃からしてたけど、オレが一人で武器商人を名乗るようになったのは十五歳からだ。そこから二年間はどうやって沢山の武器を沢山の人に売りつけようか考えることで頭がいっぱいだった。でも八年前、母さんが武器で死んだ。それでようやくオレは気付いたんだ」

「オレが今まで売ってきた武器で一体何人の人間が死んだんだろうって」

 金色の瞳が再び瞼の奥から現れる。
「ぞっとしたよ。オレが売った武器で人が死ぬんだ。何人も何十人も何百人も何千人も何万人も!」
 さっきまで冗談交じりに手が痛いとほざいていた人間が、今度はリヴァイの手を握り潰さんばかりに力を込めてくる。しかし当人はそのことに気付いていない。ギリギリと子供ながらに銃を扱い過ぎて固くなった小さな手を握り締め、エレンはその目でリヴァイを捉えた。
「だったらオレには何ができる? 何をすればその罪を贖うことができる?」
「エレン」
「そこでオレは考えた。オレが売った武器で流れた血に贖うために、オレは世界平和を実現させる」
 普段の笑みなど完全に消し去り、金色の目をギラギラさせてエレンは語る。
 その目を正面から受けてリヴァイは身体が震えるのを感じた。急変したエレンの様子に恐れたのかとも思ったが、そうではない。船上で青色を背景にして見たキラキラ輝く金の双眸から受けた衝撃をそのまま何倍にも増幅させたような、身体の芯が熱くてたまらないことからくる震えだった。
「どう、やって……」
 右手で心臓の上あたりの服をぐしゃりと掴みながらリヴァイは興奮に掠れた声で問う。
 そう、リヴァイは確かに興奮していた。ギラギラと光るエレンの双眸に全身の血を滾らせ、尋ねる声には熱が混じる。
 僅かに紅潮したリヴァイの顔を見返してエレンは目をギラつかせたまま笑みを形作った。その妖艶なことと言ったら! 真意を語りながら気分を高揚させたエレンもまた吐息に熱を込めつつ、しかしそこは年の功なのか、瞬き一つで沈めてみせた。そして、すっと口元に立てた人差し指を当てる。
「それは、まだ内緒」
「なん、で」
「お披露目するにはまだ早いからな。完成したら真っ先にリヴァイに教えてやるよ」
 だから、とエレンはリヴァイの前で膝を折る。
「その時はオレの隣で話を聞いて。そしてその先もずっとオレの隣にいてくれ」
「……ああ。必ずお前の隣にいる」
 船上で乞われた時とは違い、今度こそリヴァイはエレンの願いに確かな肯定を返した。

* * *

 ――七年前。ドイツ国内某所、昼下がりのカフェテラス。
「量子コンピュータ?」
「そ。現在私達が使っているコンピュータは1ビットにつき0か1どちらかの値を1個しか持てないよね。でも量子コンピュータは1ビットにつき0と1を任意の割合で重ね合せて保持することができる。するとどうなるか。現代のコンピュータでは実現し得ない規模の並列処理が可能になるんだ」
 母親を事故で失ってから一年後。そんな過去があったなど微塵も感じさせない笑顔のエレン・イェーガーに、彼の母親を殺した兵器の生みの親であるハンジ・ゾエ博士はそう説明した。
 彼女もまた過去に何があったのか全く感じさせない普段通りの飄々とした様子で、笑顔のまま頭上に疑問符を浮かべる『友人』を眺め、「つまりね」と言葉を続けた。
「分かりやすく言えば、スパコンが数千年かかっても解けないような計算でさえ、量子コンピュータを用いればたった数十秒でこなせちゃうってこと。それだけ能力が高ければ、米軍のシステムなんかにハッキングしても捕まるどころかその事実を相手に気付かせないことすら可能だ。とにかく性能の次元が違うんだよ!」
 そこまで噛み砕けば、エレンも「へぇ」と黄金の双眸に理解の色を示す。
 そして、
「じゃあもしそれが完成すれば、オレの望みも叶うのかな」
「きっとね……。いや、必ず完成させて、叶えてみせる」
 あえてそう言い直しながらハンジは眼鏡の奥の目を眇めた。
「みーんな今まで散々私の発明を人殺しの道具に変えてきたんだ。だったら私自身がそろそろそれに対抗する術を持ったっていいじゃない、ねえ?」
「ああ。オレも自分が何も知らずにやってきたことの償いをしたい」
 一人は母親の死をキッカケにある大きな目的を持った。
 もう一人は妄想を実現にできるだけの頭脳を持ち合わせてその目的に賛同した。
 それは、黒髪の少年兵が金眼の武器商人と出会う七年前の出来事。ある意味では『始まり』と位置付けられる日のこと。
 エレン・イェーガーとハンジ・ゾエは道行く人々の誰にも悟られることなく、なんてことはない日常の中で密やかに、そしてきっと他人から見れば酷く異常な誓いを立てた。
「「オレ(私)達で、世界平和を実現させよう」」







2014.03.01 pixivにて初出

【参考】ヨルムンガンド「African Golden Butterflies」