「ああ、お前がリヴァイだな。オレはエレン。エレン・イェーガーだ。そして今日、たった今からお前の雇い主になる」
 にこりと笑った青年は金色の大きな目でリヴァイを見下ろし、「さぁ、行こうか」と手を差し出した。
 そんなものに手を引かれて歩くような年ではないと答えるつもりでパチンと叩き落とせば、エレンは不快感を示すどころか更に楽しそうに笑って「結構!」と頷いた。
「ついて来いよ。お前の仲間を紹介する」
 そう言ってエレンはリヴァイに背を向ける。そのまま振り返りもせず歩くものだから、リヴァイは慌てて後を追った。こいつに雇われるのはリヴァイの本意ではない。しかし彼を雇い主とし、彼に従い、彼を守ることがリヴァイの今の義務だった。ならば十歳は確実に違うはずながらもリヴァイよりずっと間抜けに見える男を追いかけない以外の選択肢は無い。
 リヴァイ達が歩くのは東欧のとある都市。それなりに大きく、治安もいい。そんな中ですれ違う住人は誰もエレンの正体やリヴァイの業務内容など想像だにしないだろう。
 エレンがリヴァイを連れて入ったのは星が五つもつく有名ホテル。ロビーを顔パスで通り過ぎ、一般客とは違う特設のエレベーターへ乗り込む。
 エレベーターには一階と最上階の二つしか停止位置がなく、一階から乗り込んだエレンとリヴァイを一気に最上階まで連れて行く。ポーン、という耳に優しい音がして、ドアが開いた。
 ワインレッドの絨毯が伸び、その先にあるのはたった一枚の扉だけ。エレンはエレベーターから降りると、その長い脚に見合った速度で――つまりリヴァイが小走りせねばならない速さで――扉に辿り着き、ノックもなしに押し開いた。
「ただいまー! 新しい仲間を連れてきたぜ!」
 バタンッゴン! と明らかに扉が当たってはいけないものに当たった音を添えながらエレンが開いた扉の向こうには広々とした部屋が広がっている。正面は大きな窓。その窓を背にしてこちらを向いているのは五人……と言いたいのだが、おそらく思い切り扉がぶつかった所にもう一人いる。つまりこの部屋の先客は六人。
「ってーなエレン! 扉はもっとそっと開けろ!」
「こいつリヴァイって言うんだ。今日からオレ達の仲間。よろしくしてやってくれ」
 扉の陰から額を押さえて出てきた馬面の青年の台詞はサラッと無視してエレンはリヴァイを己の前に立たせ、五人を見渡した。
 リヴァイの少年らしからぬ鋭い視線を受けた五人(と一人)は一瞬言葉を詰まらせる。きっと子供らしくないだとか人相が悪いだとか思っているのだろうと、リヴァイはこれまでの経験から察した。
 しかしリヴァイを紹介した当のエレンは仲間の反応などなんのその。何がそんなに楽しいのかニコニコとリヴァイの両肩にポンと手を置き、
「自己紹介の後は早速仕事だ。手早く行こう」
 と告げる。
 それが戦地へ赴く宣言などと思えぬような、底抜けに明るい声で。


 エレン・イェーガー。
 イェーガーのYGLI社と言えば、その業界では知らぬ者のいない超有名な『武器商人(商社)』である。会社の創設者は彼の父であるグリシャ・イェーガー。医師免許を持ちながらも人を殺す武器を売るグリシャの狂気が遺伝したのか、息子のエレンもまた、父親とは違う意味で変わり者だった。
 彼は決して泣かない、怒らない。常に笑みを浮かべて世界中の武器を求める人間と交渉する。それがたとえ命を狙われていても、だ。
 武器商人というのは何かと厄介な仕事であり、武器をもっとと望みながらも諸々の事情によりこちらからは売れない者、これ以上敵方に武器を渡らせたくない者、自国に武器を入れたくない者、単純にライバル商社の者等、様々な人間に様々な理由でこの世から排除されそうになる。そんなエレンを守るために結成されたのが、今回リヴァイが引き入れられたチームである。
 ミカサ・アッカーマン、アルミン・アルレルト、ジャン・キルシュタイン、ミケ・ザカリアス、コニー・スプリンガー、サシャ・ブラウス。この六人とリヴァイを含めた計七人のチームは、エレンの私兵として時に一緒に行動し、時に各地へ散らばり、彼の守護をしつつその仕事の補助も行っていた。
 そんなチームの一員になるのだから、当然、リヴァイにもそれ相応の能力がある。――リヴァイを一言で表すならば、『少年兵』だ。
 リヴァイはかつて山岳地帯の少年兵だった。故郷を戦争で失い、孤児となり、同じ境遇の子供達と共に軍で飼われていたのである。そこでは強さを身につけて少年兵となるか、そうなれない者は地雷原を歩かされて使い捨ての探査機になるか、それくらいしか選択肢がない。そしてどちらになっても、能無しの軍人共にただ飯喰らいと怒鳴られて蔑まれるのだ。
 しかしリヴァイはここにいる。武器商人という、リヴァイの故郷を焼き払った武器を世界中に売り捌く人間の傍に。それは仕事であり、契約であるからだ。リヴァイがエレンを守ることで、リヴァイと共に暮らしていた孤児達の生活が現在進行形で保障されている。
「リヴァイは今回、オレの弟役な。あ、銃の弾は抜いていけよ」
「は?」
 そんなことをしては何かあった時にエレンを守れない。と思っても、雇い主の言葉は絶対。エレンが「いいから抜いとけ」と重ねて言うが早いか否か、リヴァイは彼の命令に従い、ズボンのベルトに挟み込んでいたFN Model HiPower Mk3から弾倉を抜き取った。これでリヴァイの武器は鉛玉を飛ばすのではなく、単なる鈍器の一種にまで成り下がったことになる。
 これからエレンはリヴァイを伴ってライバル商社の代表者と会談を行う。このライバル社はエレンが武器を売り込もうとしていた某国の軍事関係者と繋がりがあり、その所為で性能的に勝っているはずのエレン側の武器が――弾丸一発ですら――売れないのだと言う。
 これで「ハイそうですか」と引き下がるという選択肢はない。「買ってくれない? だったら買いたくなるようにすればいい」というエレンの鶴の一声の下、今回の計画は発動した。
 エレンがライバル社との会談に赴くと同時進行で、交渉役としてアルミン・アルレルト、その護衛としてミカサ・アッカーマンが某国の国軍大佐へのプレゼンテーションに向かっている。他のメンバーは……リヴァイには知らされていないが、たぶんどこかにいるのだろう。
「いいか、リヴァイ。オレが相手に何をされても絶対に動くなよ。その銃は持っていていいが、抜くのは禁止だ」
「……わかった」
 渋々頷くリヴァイの心情にはエレンも気付いているのだろう。これでは護衛としての義務が全うできないと分かっているのに、どうして彼は頑なにリヴァイに武器の携帯を許さないのか。リヴァイは強いが、その身体はまだ子供だ。身長もエレンの胸に到達しておらず、体術は奇襲でもしない限り敵に通じない。今回のように正面から敵に突っ込んで行く場合など最悪の条件だった。
 エレンはリヴァイを伴って、会談の場として設けられたビルの一室へと足を運ぶ。応接室に通されるまでに何かあると思っていたが、拍子抜けするほどあっさりと、二人は迎え入れられた。
「ようこそミスター・イェーガー。YGLI社の若き実力者にお会いできて光栄です」
「はじめまして、ミスター・ベネット。今日はお話の場を設けて頂き誠にありがとうございます」
 壮年の男が差し出してきた手を握り返しながらエレンは常日頃刻んでいる笑みを深いものにする。ライバル社の代表である男に「そちらの少年は?」とリヴァイの方を見て問われれば、あっけらかんと「オレの弟です」と答えてみせた。
 相手はそれが事実だと全く思うことなく、目つきの悪いリヴァイの顔を一瞥してから、エレンに負けず劣らずにっこりと笑みを浮かべて「しっかりしていそうな弟さんだ」と、こちらも白々しく言ってのけた。
 それから着席を促され、エレンとリヴァイは窓を背にするソファへ。ベネットは出口に近い一人用のソファに腰掛ける。両者の間にはガラス製のローテーブル。紅茶の入ったカップが三つ運ばれてきてそれを一口啜ってようよう、エレンは口を開いた。
「大切なお時間を無駄に使うのも忍びない。早々に本題へ入りましょう」
「そうしてくれるとありがたい。私の方もこれから大切な商談の締めが待っているからね」
 ベネットが言う『大切な商談の締め』とは、当然のことながらエレン達を突っぱねる某国との契約のことだ。わざとそういう物言いをする相手にエレンが顔色を変えることはなく、ただ笑みのまま「ありがとうございます」と告げた。
 そんなエレンを見上げて、それから背後の窓を一瞥し、またエレンを見上げて、リヴァイは内心そわそわと落ち着かない。窓を背にするなど、スナイパーに射殺してくれと言っているようなものだ。なのにエレンは警戒した様子もなく、「某国のことですが……」と話を切り出す。
 エレンは丁寧な言葉を使いつつも、言っているのはつまり「某国への武器売買は安心と信頼の国際的武器運送会社たるYGLI社がやるから、たかがフリー武器商でちょっとばかり某国の国軍とツテがある程度の小者がしゃしゃり出てくるな」というような内容だった。相手はそれを正確に読み取り、しかし契約は締結目前ということで余裕の表情だ。……と思っていたのだが、どうやら少しは頭にキていたらしい。
 ベネットはおもむろに立ち上がり、テーブルを迂回してリヴァイに近付いた。リヴァイは瞬時に警戒し、反射的にベルトから銃を抜き取って構える。弾倉が空というのはその後で思い出した。
「こちらを小者と称しておきながら、その小者との会談に銃を携帯した私兵を連れてくる……。貴様の方がよほど小者じゃないのかね、ああ? 小僧」
「リヴァイ、引き金は引くなよ」
 引き金を引くも何も、この銃には弾が入っていない。が、とりあえずリヴァイは頷いた。次いでエレンから「何もするな」という一言も飛んで来たので、ベネットがリヴァイの銃――しつこく言うが弾倉数ゼロである――を取り上げても、そのままにする。
 銃は敵の手に渡った。しかしエレンは口元に綺麗な弧を描いたまま、懐からスマートフォンを取り出し、どこかへ繋がる番号を表示させてベネットに差し出す。
「なんのつもりだ?」
「勿論、今回の会談であなたにお願いしたい行為です。これは某国国軍大佐への直通番号となっています。こちらにかけて、あなたの会社は手を引くと仰ってください。大丈夫。違約金が発生する場合は弊社にて負担しますから」
「はっ……! 貴様は馬鹿か」
 愚直に我を通すエレンを見据えてベネットは隠すことなく嘲る。その横でリヴァイはひたすら相手を挑発するエレンに頭が痛くなってきた。死にたいなら勝手に死んでくれと言いたいが、エレンの死によって契約不履行となり困るのはリヴァイの方なのだ。
 しかし思わずベネットと同じようにエレンを罵倒しかけるリヴァイだったが、
「はい、どうぞ」
 通話ボタンを親指でタッチしたエレンにベネットが動いた。彼はテーブルの上のカップを持ち上げてエレンの前に立ち、冷めた紅茶を彼の黒髪の上からばしゃりと零す。エレンが持っていたスマートフォンも当然のように水に濡れ、エレンは場違いに「あーあ」と呟いた。
「酷いじゃないですかベネットさん。オレはただお話をしに来ただけなのに、こうやってお茶をぶっかけられるなんて」
 テーブルの上にスマートフォンを置き、エレンはポケットから取り出したハンカチでスーツに染みた紅茶を拭おうとする。その軽い様子を挑発の続きと取ったベネットは声に苛立ちを含ませながら「真正の馬鹿だな」と罵った。
「お話だぁ? これは私が貴様に客を譲ってやるための会談じゃない。私が馬鹿なクソガキの顔を見てやろうという、そのためだけの席だ。んなことも分からずぐちゃぐちゃ私の金蔓を譲れだ何だ言ってんじゃねーよ。某国国軍大佐殿は私の金蔓だ。たとえ貴様の方が良い武器を用意できようが何しようが関係ねーんだよ。わきまえろ、小僧」
「おや。ようやく本音が出ましたか。にしても大切なお客様を金蔓だなんて酷い言い方をしますね。しかもやっぱりあなただってウチの方が良い商品を提供できるって分かってる。なんと言うか……」
 その時、ピピピと小さな電子音が鳴り響いた。何事かとベネットは思ったようだが、これはエレンが所有しているもう一つの電話の着信音だ。水に濡れたのとはまた別のそれを取り出したエレンはベネットに「失礼」と一言断ってから通話を開始する。
「ああ、アルミン? そう、わかった。ありがとう」
 通話はたったそれだけで終了。が、二台目のスマートフォンをジャケットのポケットに直したエレンの笑みは先程までのが無表情だと例えても良いくらいに深く笑みを刻んでいた。
「なぁ、ベネットさん」
 水に濡れたスマートフォンを持ち上げて画面をタッチながらエレンは言う。
「最近のこういう機器ってスゲーのな。防水なんて当たり前で、水がかかったくらいじゃビクともしない」
 それだけで何か察したらしいベネットが顔色を変える。
 エレンが手にしているスマートフォンはすでに通話が終了しているが、ローテーブルの上にあった時はまだ話中状態だった。水を被ってもビクともしない小型の最新機器は、エレンとベネットの会話もといベネットの本音をしっかり電波の向こうの人物――商談相手たる某国国軍大佐に伝えたことだろう。
 青くなったベネットの顔をソファに座ったまま見上げてエレンは「そうそう」と軽く告げた。
「大佐殿がさ、あんたとの契約はやっぱり結べないって。代わりにウチから派遣した担当者が契約をもぎ取って来たよ。サインもばっちり。いやー、よかったよかった。ここまで足を運んだ甲斐があったってもんだ」
「貴様ぁ……!」
 エレンが何のためにここへ来たのか。その正確な意図を知ったベネットは青かった顔を憤怒の赤に変えて懐からトランシーバーを取り出す。その電波が届く距離――おそらく背後の窓からエレンの頭を狙える位置に待機しているだろうスナイパーに向かって「撃ち殺せ!」と叫んだ。
 が、反応なし。いつまで経っても凶弾はエレンの後頭部を撃ち抜かない。事態を大体読み取れたリヴァイもまた不安や心配などドブに捨て、三白眼の双眸をやや半目にして成り行きを見つめる。
「あー……ベネットさん、言い忘れていたんですが、あんたが用意したスナイパーはオレの私兵が処理済みですよ。潜入と近接戦闘が大得意な二人組がいましてね」
 それはおそらくサシャ・ブラウスとコニー・スプリンガーのコンビのことだろう。いつもはぎゃあぎゃあと馬鹿騒ぎしかしない二人だが、彼らもエレンの私兵に選ばれるだけの実力は持っている。
 銃弾が貫くことのないガラス窓を睨みつけていたベネットはその台詞にエレンへと視線を戻し、ならばと自分がリヴァイから奪ったFN Model HiPower Mk3を構える。リヴァイは動かない。何度も言うが、あれには弾が入っていないのだ。
 当然、リヴァイにそれを指示していたエレンも動じることなどない。それどころか泰然たる態度で脚を組む。
「たかが小僧に……っ!」
「その小僧に負けたのはあんただ、ベネット」
 エレンが放った一言がベネットの中にあった最後の一線を引き千切り、逆上した男が引き金を引く。
 それ見つめながらエレンは黄金の双眸を細めた。
「じゃあな、おっさん」

 ばん。

 それはベネットによる発砲音ではなく。
 エレンが片手を銃の形にしてベネットに向け、口で発した効果音。しかしそれと同時に部屋の外から一発の銃弾がガラス窓を貫き、そのままベネットの額の真ん中を撃ち抜いた。
 血を流して絶命した男を見下ろし、エレンは囁く。
「今回もよくできました、オレの大事な私兵達」
 お前も言いつけを守ってくれてありがとう、と言いながらエレンはリヴァイの頭を撫でる。先程まで銃の形にしてベネットに向けていた方の手だ。
「……外道だな」
「武器商なんてこういうもんさ。むしろオレはまだまだ礼儀正しく優しい方」
 頭を撫でる手をリヴァイに叩き落とされたエレンは肩を竦め、ゆっくりとソファから腰を上げた。窓ガラスのずっと向こうにいるであろう狙撃手に軽く手を振って部屋を出る。
「はーい、これで今月の売り上げ目標たっせーい! おめでとうオレ、ありがとうみんな」
 そんな軽い労わりの声を聞きながら、リヴァイもその後に続いた。


 ――エレン達がいた一室が見える某ビルの屋上にて。
「ミケさん、対象にヒットしました。任務完了です」
 ジャン・キルシュタインが双眼鏡から視線を外して傍らのミケ・ザカリアスに告げる。ミケはその報告を聞く前からさっさと片付けの準備に入っていたが。
「つーかエレンの野郎、呑気に手なんざ振りやがって」
「計画通りに進んで機嫌がいいんだろう」
 愚痴るジャンを宥めつつ、ミケは遠距離狙撃用の道具一式をバッグにまとめて立ち上がった。
「俺達も行くぞ。エレンの機嫌がいいなら今日のディナーには期待できる」
「そうっすね」
 純粋にそのことは嬉しいのだろう。ジャンが口元を緩ませてミケの後に続く。そしてビルの屋上からは誰もいなくなった。







2014.02.24 pixivにて初出

【参考】ヨルムンガンド「ガンメタル・キャリコロード」