(ッ! あの女……)
 リヴァイ・アッカーマンは少し離れた席に座る男女の片割れを目視し、息を呑む。
 取引先からディナーに誘われ、本日リヴァイはとあるレストランを訪れていた。有名ホテルの最上階に位置するレストランは、今回同様出張で幾度かこの街に来たことがあるリヴァイですら初めて足を踏み入れる場所だ。
 動きを止めたリヴァイに同席者達の一人が「どうかされましたか?」と声をかける。それに何でもないと返しながら表情を取り繕い、リヴァイは離れた所にいる女をこっそりと窺った。
 窓際のテーブルに陣取るその女はウエーブがかった長いブルネットの髪を片方の耳の後ろでひとまとめにし、身体の前に垂らしている。身を包むドレスは清楚ながら女性の色気を惜しみなく引き出すもので、現に周囲の男の何割かの視線を奪っていた。
 食事する仕草一つ取っても丁寧で美しい。ひそめられた会話をリヴァイの位置で聞き取ることはできないが、言葉選びも話題も教養の高さが滲み出るもので、しかしそれをひけらかすのではなく男を立てる術を知っているものなのだろう。
 リヴァイは表情に出さぬよう気を付けながら胸中で舌打ちをする。
(あの女、また誰かを食いものにする気か)
 声にならない呟きは苛立ちに満ちていた。
 リヴァイは女の正面に座る男へ視線を移す。こちらに背中を向けているためその顔を見ることは叶わないが、美醜はどうあれ可哀想な輩だ。きっとあの男は目の前の女との結婚を思い描いて今は幸せの絶頂にいることだろう。しかしそれはもう間もなく崩れ去る。
 ――リヴァイの友人がそうであったように。
 取引先との食事にも気を配りながらリヴァイは数年前の出来事を思い返した。
 リヴァイの交友関係はあまり広くないが、その分どいつも『イイヤツ』である。一癖二癖ある者もいるが、それはさておき。友人の一人にリヴァイと同い年の青年がいた。
 その青年は旅行先で知り合った女性に惚れ込み、アプローチを重ねて恋人になった。女性はブルネットの美しい髪を持ち、その青年本人が自分には勿体無いと苦笑するほどできた女性だった。青年がその女性に貢ぐ金品の合計金額にリヴァイは思う所が若干あったものの、青年はリヴァイ同様仕事のできる男でそれなりに収入はあったし、何より当人達が納得しているなら他人は口を挟むまいと思っていた。
 彼らの交際は順調に進み、やがて結婚が視野に入ってくる。そんな時、女性の母親が病気で倒れたと言う知らせがその女性本人から青年へともたらされた。女性の父親はすでに亡くなっており、兄弟もいない。母親が頼れるのはその女性のみという状態。しかし病を治すには手術が必要で、その手術代は簡単に払える金額ではなかった。
 結婚するだろう相手から苦しげに相談を持ちかけられ、青年は手術代を己が立て替えると申し出た。そしてすぐに銀行口座から大金を引き出し、女性に手渡した。女性の母親なら自分の親も同じ、これで早く手術を受けさせてやってくれ、と。
 だがその金は手術に使われなかった。そもそも『病気で倒れた母親』などいなかったのだ。
 それが判明したのは金を受け取った翌日に女性が姿を消したため。青年が教えられていた住所は真っ赤な嘘で、電話をかけてもすでに繋がらなくなっていた。
 女が結婚詐欺師であったと判明し、警察に被害届を出したものの、相手が捕まることもなく。ただ女に騙された馬鹿な男として、その青年が周囲から冷たい視線を向けられ、苦しむ羽目になった。
 そしてリヴァイの友人を貶めたその悪人こそ、このレストランに偶然居合わせたあのブルネットの女だ。
 自分達の街からさほど離れていないこの場所で新たな被害者を生み出そうとしている女に、リヴァイは腸が煮えくり返る思いだった。
 美しい夜景よりもっと素敵だと言いたげに、とろけるような微笑で女は相手の男の顔を見つめている。それもきっと演技なのだろう。リヴァイの友人を騙したように、目の前の男をただの馬鹿な金蔓としか見ていない。金を巻き上げるだけ巻き上げたら、さっさと捨てて消え去るつもりなのだ。
 窓際のその二人組はリヴァイ達より随分先に入店して食事を始めており、今はデザートに差し掛かっていた。一枚の白いプレート上には小さなケーキが二つとカクテルグラスに入ったゼリーが盛り付けられている。
 女の顔は少し暗めに設定されたレストランの照明の中でもふんわりと上気しているのが見て取れた。一見すれば女の方が男にぞっこんであるようにも感じられる。しかし女の悪行を知る身としては白々しいとしか思えない。
 リヴァイは自分が女を注視していることを取引先にも女にもバレないよう気を付けつつ、二人の動向を観察する。やがてデザートが終わると、男が小さな箱を取り出した。何が入っているかなど考える必要もない。蓋を開けた状態で目の前にそれを出された女はハッと息を呑み、両手で口を覆った。そして男が何事かを言うと、うんうんと何度も頷く。綺麗に化粧された顔を涙が伝った。
 男が小箱から大粒のダイヤがあしらわれたリングを取り出し、女の薬指に通す。二人の感動的なシーンであるはずだが、リヴァイは「やっちまったな」と胸中で呟いた。あの男はもう間もなく捨てられる。女に財産を削り取られて。
 しばらくして女が落ち着くと、男は席を立った。おそらく店を出る前に用を足しに行くのだろう。それを見てリヴァイも少し席を外すと同席者達に告げる。向かうのはあのプロポーズしたばかりの男の元だ。
 老婆心で忠告しても、騙されている当人はそれを聞き入れない可能性が高い。しかしそれを理解していてもなお、黙って見過ごすことは嫌だった。男を追いかけた先はやはりトイレで、リヴァイも後を追って一旦そこに入る。幸いにも洗面台の付近には自分達以外誰もいない。リヴァイはトイレの入り口付近に戻って男が用を足して出てくるのを待ち、やがて当人の姿が見えるとその背中に「おい」と声をかけた。
「はい? オレですか?」
 振り返ったのはまだ二十代半ばと思しき青年。ちょうどリヴァイの友人が騙された時と同じ年頃だ。それがまた老婆心を騒がせ、リヴァイは周囲の気配に注意しつつ口を開いた。
「いきなり呼び止めてすまない。だがお前に教えておきたいことがあってな」
「あなたとは初対面ですよね……? そんなあなたがオレに教えたいこと?」
 金色の大きな目を瞬かせ、青年は小首を傾げる。意中の相手にプロポーズしたばかりとは思えない落ち着き具合にいささか違和感を抱くものの、リヴァイはそれよりもまず伝えなければならないことがあると、その違和感を押し潰した。
「確かにお前とは初対面だが、俺はあの女を知っている。だからこそお前に忠告をしておきてぇんだ」
 リヴァイの言い分に青年がふっと口の端を持ち上げる。
「……まさか彼女は自分の恋人だから手を出すな、的なやつですか?」
「んなワケあるか!」
「しぃー。声が大きいですよ。冗談です」
 目を細め、肩を小さく揺らして青年が笑う。やはりプロポーズしたばかりの男とは思えない態度だ。しかしリヴァイは己が伝えるべきことを最後まで言い切った。
「あの女は結婚詐欺師だ。お前は騙されてるんだよ」
 さあ、青年はどう反応する?
 ふざけるなと怒鳴るか、また笑って「オレの次はあなたが冗談を?」と言うのか。
 しかしリヴァイの予想に反し、青年はきょとんと目を見開いた。そして、
「あなた『も』被害者ですか?」
「は?」
 一瞬、思考が空白になる。しかし青年の言葉の意味を理解してリヴァイはぎょっと目を剥いた。
「てめぇ、まさかあの女が結婚詐欺師だって……」
「ええ、気付いていますよ」
 にっこり、と笑う。
「だがあの指輪は」
「そこまで盗み見ていたんですか? ああ、そんな怖い顔しないでください。分かってますよ、オレのこと心配してくださったんですよね。自分と同じ被害者を生まないために」
「俺は被害者じゃねぇよ。やられたのは俺の知人だ」
「そうでしたか、失礼しました。それとご心配いただきありがとうございます。大丈夫ですよ。今、騙してるのはあっちじゃなくてオレの方ですから」
「……はあ!?」
 いけしゃあしゃあと告げる青年にリヴァイは思わず声を裏返した。一応音量は控えめだが、青年の苦笑を誘うには十分だったようだ。
 青年は左手の親指と人差し指で輪を作ると、それを振りながら口を開く。
「プラチナにダイヤの指輪なんて金がかかるじゃないですか。あれはステンレスとガラスで作った偽物ですよ。ま、一応それっぼく見えるよう加工してありますし、更に店の雰囲気や照明のおかげで簡単には気付かれませんけど」
「お、まえ……まさか結婚詐欺を」
「いざ自分が騙されるとなると、人って案外気付かないものなんですよねぇ」
 くくく、と喉を震わせて青年は笑った。リヴァイと話す中で、綺麗な化けの皮がはがれるように、青年の金色の双眸が妖しくギラギラと輝き始める。
「いい気味でしょう? これまで沢山の人を騙してきた害獣が今度はオレに、しかも同じ手段で、駆逐されるんですから」
 青年がしていることは公序良俗に反する行いだった。良識ある一般市民が見逃して良いことではない。しかしリヴァイは身近に被害者を抱える身で、そしてそれ以上にまだ名前すら知らない青年の双眸に囚われてしまっていた。
 ギラつく瞳のなんと美しいことか。「あいつらは人間の皮を被ったケダモノなんですから、どうなったって仕方ないんですよ」と呟く青年。彼が持っているのは行き過ぎた正義だ。しかし、だからこそ、苛烈な意志を抱くその青年は美しい。
 リヴァイの様子から自分の行いを責める人間ではないと感じ取ったのだろう。青年はふっと口元に笑みを刻み、リヴァイに一歩近付く。
「この茶番もそろそろ終わりますから、どうぞ最後まで見ていってください。連絡先はこちらです。騙す相手用に作った名刺なので書いている中身はほとんど嘘ですけど、もうしばらくこの番号は通じますから」
 そう言って青年はケータイ番号が記載された名刺をリヴァイの胸ポケットに差し込み、その場から去って行った。本気で自分に惚れ込んでしまった女詐欺師を相手に、最後の仕上げといくのだろう。本心を綺麗な顔の下に全て隠し、女が詐欺で集めた金を甘くて優しい言葉で毟り取るために。
 リヴァイはその背を見送ってからポケットの名刺を取り出した。さらさらとした手触りの白い紙には確かに11ケタの番号が記載されている。
「エレン・スミス……か」
 その名が本名であるのか偽名であるのかすら分からない。だがリヴァイは宝物の名を呟くように、大事に大事にその名をもう一度口にした。
「エレン」

* * *

 その女はこれまで幾人もの男を手玉に取り、彼らから多額の金品を騙し取って来た。しかしそんな彼女もついに運命の相手と思える男と巡り合う。
 男の名はエレン・スミス。経営コンサルタントとして一般にも名の知られた企業といくつも契約を結ぶやり手である。年齢は女より少し若いが、落ち着いた振る舞いのできる素敵な紳士だった。
 普段なら女が詐欺を仕掛ける絶好の相手と捉えるはずだったが、あの金色の目で微笑まれてしまうと体中に電流が走った心地になり、触れられればそれだけで腰砕けになってしまう。これは騙すための相手ではなく、運命の相手に違いない、と女は処女のように夢見がちな考えに至った。
 出会った瞬間から好意を抱いてしまい、また想いが通じ合って交際を重ねれば重ねるほど、エレンの全てに女は惹かれていった。そして先日、高価な指輪と共にプロポーズされ、女はそれを喜んで受けた。今まで騙してきた男達のことなどすでに頭から消え去り、女は幸せの絶頂に到る。
 そんな女にエレンがある一つの話を持ってきた。経営コンサルタントとして辣腕を振るうエレンが持ってきたその話とは、投資に関するもの。企業の運営を左右する立場にあるエレンが他者に打ち明けて良い話かどうか判断しかねるものだったが、エレンの言うことならばと、女は素直にその話に乗った。
 これまでの結婚詐欺行為で貯めた金の多くをエレンに預け、「これでエレンとの結婚生活が更に豊かになるわ」と胸を弾ませる。
 しかしそれから三日間、エレンとの連絡が途絶えた。三日目、不安になって女がエレンの住んでいたマンションを訪ねると、そこはすでにもぬけの殻で、エレンと会う代わりにマンションのコンシェルジュから一枚のメモを渡された。
 そこに書かれていたメッセージを読んで女はその場にくずおれる。
 メモには、女が結婚詐欺を何件も働いていたことをエレンが知っていたという内容が書かれていた。当然、この婚約も破棄となる。また、そもそも最初から結婚する気などなかった、と。
 女は床に両手をつき、うなだれる。美しいはずのブルネットからは艶が失われ、惨めな姿をさらしていた。


 その様子をリヴァイはエレンに招待されたとあるマンションの一室で眺めていた。画面に映し出されているのは、このマンションのホールに設置された監視カメラの映像だ。
 どういう人脈によるものか、エレンは広いこの部屋――女に教えていたのとは別の階の部屋だ――にて、残酷な鑑賞会を催していた。
 残酷、とは称したが、それを眺めるリヴァイは爽快な気分で「いい気味だ」と呟く。詐欺で稼いだ金を毟り取って何が悪い。あの女には当然の罰だ。自分の罪があるために女は今回のことを警察に届けることはできない。まさに自業自得である。
 テレビの真正面のソファに座っているリヴァイの隣では、エレンが同じように画面へと視線を注いでいる。だがその耳にはスマートフォンが当てられており、先程から誰かと話していた。
「ええ、ミスター・スミス。今回も無事終了です。ご協力感謝します。……はい……はい。じゃあ、また」
 通話を終え、エレンがリヴァイを見た。リヴァイもまたエレンを見つめて「スミス?」と首を傾げる。
「協力者の一人ですよ。それから名前も貸してもらっています」
「じゃあお前の本名はエレンでもスミスでもねぇのか」
「あ、いえ。ファミリーネームは借り物ですが、ファーストネームは本物ですよ」
 至極あっさりと個人情報を開示するエレン。「俺にそれを言っちまって良いのか?」とリヴァイが尋ねると、エレンは「今オレが言ったことが本当かどうか、あなたには分かりませんからね」と肩を竦めてみせた。
「嘘かもしれないってことか」
「嘘かもしれないことを言われた割には楽しそうですね?」
 エレンにそう言われ、リヴァイは自分の顔に手をやった。すると唇の辺りが僅かに弧を描いている。
「俺は……嬉しいのか?」
「騙されるのが嬉しいのだとしたら……あんた、とんだ変態野郎じゃねぇか」
 砕けた口調でエレンは笑った。そしてリヴァイに手を伸ばす。リヴァイがそのままになっていると、エレンは両手でリヴァイの頬を包み込むようにし、顔を近付ける。
「だったら」
 嘘か本当か分からない、けれども魅力的な笑みを浮かべてエレンは両目を輝かせた。

「あんたもオレに騙されてみる?」






XX

-ダブルエックス-







2015.04.22 pixivにて初出