「調査兵団には入ってやる。だが845年のこちらが指定する一日だけ俺を自由にしろ。たとえどんな任務があってもだ。やらなきゃいけねぇことがある」
 地下街での逃走劇の末、見事調査兵団の精鋭を返り討ちにした小柄な男がリーダー格と思しき金髪碧眼の偉丈夫を跪かせてそう言い放った。
 跪かされた当人こと調査兵団で分隊長を務めるエルヴィン・スミスや、彼が人質に取られたため身動きできない他の仲間達は、自分達が敗北した側だと言うのに当初の予定通り小柄なこの男を兵団に引き入れることができるらしいという話の流れに目を瞠る。
「どういうことだ……。お前に言うことを聞かせるにはこちらが優勢であると示さなければならないと思っていたんだが」
 地下街の住人は地上よりも弱肉強食の傾向が強い。そしてエルヴィンは今、敗者(弱者)の側に立っている。リヴァイとそのチームを追いかけていたエルヴィン達だったが、リヴァイはまるで未来でも知っているかのように、死角からの襲撃を華麗に退けてエルヴィンの首筋に刃を突きつけたのだ。
「嫌なら他を当たれ。さあ、どうする」
 エルヴィンの首筋に当てたままの半刃刀身をクイと動かし、リヴァイは強者として弱者に問う。皮膚が僅かに裂け、赤い珠がぷくりと盛り上がった。
 リヴァイの攻撃的な仕草を目にして共に逃走劇を繰り広げていた仲間である銀髪の青年と赤髪の少女もはっとするが、雰囲気に呑まれて何も言えない。
「……わかった」
 エルヴィンは細く息を吐きながら答えた。
「約束を守ろう。だから調査兵団で戦ってほしい」
 返答を聞き、リヴァイが口の端を持ち上げる。「これで誰にも邪魔されず堂々と地下街の外に出られる」と、一番近くにいたエルヴィンにすら聞こえない音量で呟いた。
 その声には巨人への恐怖も何もない。ただ外へ出られること、そして出た先で自身が行うべきことを思い、胸を躍らせる。
 突きつけていた刃を降ろし、リヴァイは虚空を見上げてうっそりと微笑んだ。

「待ってろよ、エレン。今度こそ俺がお前を救ってやる」

 それが、844年のこと。

* * *

 845年、シガンシナ区の壁の外側に高さ六十メートルはあろうかという巨人が出現した。しかし突如として現れたその巨人が何かを仕出かす前に、一人の兵士がうなじを削ぎ、超大型の巨人を排除してしまう。
 直後、今度は全身を鎧のような硬い物質で覆った巨人と女性のような体つきの巨人も現れたが、兵士は狼狽えることなくどちらも難なく屠り、未曾有の被害を事前に防いで見せた。
 当日午前に出発した壁外調査の一団から離れてシガンシナ区に留まっていたその兵士の名は、リヴァイ。かつてエルヴィンに誓わせた通り、この一日だけ完全な自由を与えられていた男は、その手で町を救ってみせたのだ。
 リヴァイの名は一躍有名になり、調査兵団の名声も一緒に高まる。……ことになるのだが、その前に。リヴァイは三体の巨人を瞬く間に削いだ後、とある家へと急いだ。
「エレンッ!」
「へ……い、ちょう……?」
 急いで家に帰って来ましたという体の少年が、完全武装したリヴァイを見て目を見開く。その小さな唇を割って紡がれた役職名は、まだリヴァイに与えられていないものだ。しかし少年はそれを口にした。
 この事実が示すことにリヴァイは歓喜で身を震わせる。
「お前も覚えているのか」
「っ! はい! お久しぶりです、兵長!」
 大きな目に涙をいっぱい溜めながらエレンは公に心臓を捧げる敬礼を取る。リヴァイはその上から覆いかぶさるようにエレンを抱き締めた。自分より背の高いエレンしか知らなかったからか、己の身体で簡単に包み込めてしまったことにリヴァイは少し可笑しくなって笑う。
「ああ……触ってもどこも壊れねぇな」
 エレンの身体はどこもかしこも柔らかい。結晶化し、触れば崩れてしまうようなものではなかった。きちんと『人間』の身体だ。
 じわりと目頭が熱くなる。敬礼を解いたエレンがおずおずとリヴァイの背に短い腕を回した。
「巨人が攻めてくるってオレが言っても、誰も本気にしませんでした。もう、どうしたら良いか分からなくて……っ! でも兵長のおかげでこの町は、母さんは、救われました!」
「もうあんな結末は見たくねぇからな」
 痛いくらいにエレンを抱き締めながらリヴァイは言う。
 ――そうだ。もうあんな結末を迎えるのはこりごりだ。今度こそエレンに自由を与えてみせる。叶うなら、その隣に自分が立って。
 家の外が騒がしいことに気付いて出てきたカルラが、エレンとリヴァイを目にして困惑している。だが今だけは事情説明の時間も何もかも省いて、エレンと語り合いたかった。触れ合っていたかった。
 ようやく迎えた歓喜の瞬間なのだから。

「やるぞ、エレン。今度こそ俺達の手で望む未来を掴んでやる」
「はい! やりましょう、リヴァイ兵長!」






開幕のベルが鳴る







2015.04.23 pixivにて初出

実はこの兵長(かなり)病んでいるんです、と言って一体どれくらいの方に信じて頂けるでしょうか。エレンしか見えていないへいちょー。