「兵長、申し訳ありません」
「気にすんな。お前は被害者だろうが」
 そう返しながらリヴァイは手を動かす。ぬるま湯につけて硬く絞ったタオルを適当な大きさに折り畳み、それで拭うのは巨人化能力を持つ新兵の背中。上半身裸の少年――エレンは、気分が沈んで背が丸くなるたびにリヴァイから「拭きにくい」と注意を受け、背筋を伸ばすという動作を繰り返していた。
 背中が拭き終われば、次は胸部と腹部。ベッドの上でこちらに背を向ける格好で胡坐をかいていたエレンヘ、リヴァイは「次はこっち向け」と指示する。意図を悟ったエレンが「それなら自分で」と告げるが、リヴァイは首を横に振った。
「いいから、大人しくしてろ」
「……はい」
 エレンはのろのろと首肯し、ベッドの縁に腰かける格好で前を向く。自分と比べて随分薄いその身体をリヴァイは黙々と清めていった。
 床に膝をついてエレンの身体を拭っている最中、ふと視線を上げれば、エレンの顔がどことも知れぬ方向に向けられている。ただ確実なのは、エレンの双眸には何も見えていない、ということ。
 現在、エレンの両目は包帯でしっかりと覆われている。その下にあるはずの銀色の瞳はある理由により薬剤で完全に視力を奪われていた。
 盲目となっている期間は一週間。この古城で一緒に生活している四人のメンバーが戻ってくるまで。
 ペトラ、オルオ、エルド、グンタの四人は憲兵団の要請により、王都へと出かけていた。目的はエレンの監視を行うのに彼ら四人が適切な人材であるかどうかの査問である。調査兵団側にとってはあまりにも馬鹿馬鹿しく、無駄以外の何ものでもなかったが、王政府がバックに控えているため容易く逆らえるものではなく、仕方なく召喚に応じていた。
 四人が不在の間、エレンの監視が薄くなる。調査兵団としてはリヴァイ一人でも十分だと主張したものの、憲兵団は聞き入れなかった。彼らは四人が古城を離れて王都にいる間、エレンの自由をこれまで以上に奪うよう指示してきたのだ。
 その方法が、エレンの視界を奪うというもの。一日一回、超回復によりエレンが視力を取り戻す前に憲兵団から渡された薬品を点眼し、目の機能をマヒさせる。幸いにも激しい痛みなどは伴わないが、頭の固い憲兵団の所為でエレンの視界は一週間、闇に閉ざされることとなってしまった。
 当初、エレンは目が見えずとも自分の世話は自分でするつもりであった。しかし実際に視覚が奪われると、エレンは歩くことすらままならず、唯一古城に残ったリヴァイがこの哀れな少年のサポートをすることになったのである。
 リヴァイに手間を掛けさせることに対しエレンは非常に申し訳なく感じるらしく、盲目生活二日目の時点で、このように情けなく背中を丸める始末。謝罪の言葉も幾度となく口にした。リヴァイはそのたびにエレンには非がないことを告げ、それでも態度を改めない新兵に軽い叱責を繰り返した。
 なお、現在二人がいるのはエレンの部屋とされている古城の地下ではなく、最上部に近いリヴァイの部屋である。どうせ世話をするなら近い方が都合も良いだろうということで、半ば無理やりリヴァイが連れてきた。無論エレンは渋ったが、リヴァイの手助けが無ければ飯もまともに食えないのは本人が一番よく分かっているはずなので、結果は最初から決まっているようなものだ。
 窓からは燦々と陽光が降り注ぎ、部屋を明るく照らしている。しかし盲目となった今のエレンには、日の暖かさは感じられても、目の前には終わりのない闇が広がっているのだろう。
(クソッたれ)
 エレンに見えていないのをいいことに、リヴァイは思い切り顔をしかめた。
 リヴァイがエレンの身柄を引き取ると決めた理由でもある強い光を宿した瞳。それがクソ野郎共のクソな我侭の所為で穢され、布ですっかり隠されてしまっているという事実がやけに腹立たしかった。気を抜けばすぐに舌打ちをしてしまいそうになる。
 ただし本当に舌打ちをした場合、エレンは自分に原因があると思い込んで更に萎縮してしまうだろう。それはいただけない。確かに今のエレンはリヴァイがいなければまともな生活を送れない状態ではあるが、リヴァイは決してそれ自体を厭うているわけではないのだから。
 そう、意外にもエレンの世話をすることはリヴァイにとって全く負担にならなかった。
 むしろ――
「……っ」
 へその辺りを拭われてエレンがぴくりと震える。薄い腹が微かに動いたのを目にすると、リヴァイが憲兵団に関して感じていた苛立ちが僅かに緩和されたような気がした。
「くすぐったかったか?」
「い、いえ。大丈夫です」
 きっとくすぐったかっただろうに、リヴァイにこれ以上負担を掛けまいとしてエレンは分かりやすい嘘を吐く。無意識にリヴァイの口角が小さく上がった。
 十歳で巨人に故郷を奪われ、その後二年間は開拓地での辛い生活。訓練兵団に入り心身ともに鍛え、紆余曲折はあれども希望通りに調査兵団の兵士となったエレン。自分のことはほぼ自分でできるようになった十五歳の少年。しかし今、たった一つの感覚を奪われたことで、エレンは幼い子供のように多くの助けを必要とする存在になっていた。
 あの強い光を持つ少年が、今、リヴァイ失くしてはまともに生活が送れないのである。
「……あの、兵長?」
「なんでもない」
 手を止めてしまったリヴァイにエレンが訝る。しかしリヴァイはそう返して、エレンの身体を清める動作を再開させた。
 リヴァイ失くしてエレンはまともな生活を送れない。そう自覚した途端、リヴァイの背骨を走り抜けたのは、まぎれもない愉悦だった。
 陶然とした気分でリヴァイはエレンの身体を清め終え、タオルを桶に沈めると代わりにシャツを手に取る。エレンに一声かけて服を着せると、乱れた黒髪を手で丁寧に直してやった。
「わっ! な、なんですか!?」
「髪がぐしゃぐしゃなんだよ。今のお前には見えねぇだろうが」
「え? う、あ、はい。ありがとうございます」
 綺麗好きで身だしなみにも気を配るリヴァイを前に、現在自分の容姿を鏡で確認することもままならないエレンは強くそれを拒否することができない。身体のことも、服のことも、髪のことも。
 長らく盲目の者であれば、身だしなみも自力で十分に整えられたかもしれない。しかしエレンはまだ目が見えなくなってからたった二日だ。リヴァイに合格をもらうには、そのリヴァイ本人の手助けが必須。それをリヴァイに気付かされるたび、エレンは大人しくされるがままになっていった。
 エレンはリヴァイがいなければ身体をきちんと清めることができない。
 エレンはリヴァイがいなければ服を着て髪を梳かすこともできない。
 エレンはリヴァイがいなければ廊下を真っ直ぐ歩くこともできない。
 エレンはリヴァイがいなければ料理を作ることも、それを食べることもできない。
 あの強い光を持つ子供が、化け物のような意志を持つエレン・イェーガーが、リヴァイに全てを頼っている。リヴァイにだけ、全てを任せている。
 ああ、それは、なんて。

(愛おしいのだろう)






盲目に







2014.12.25 pixivにて初出