【初めましてではないかもしれない始まり】



 父親が医者と言う経済的に恵まれた家庭に生まれるも、十歳の時に母が事故死。その後すぐ父親も蒸発し、遺産は血の繋がりさえ怪しい自称親戚連中に全て奪われた。残ったのは自分の身体一つだけ。家も失い後見人になる者もおらず、エレン・イェーガーは孤児院の世話になることとなる。
 ……はず、だったのだが。

「何故か分からんがこの出会いはきっと運命に違いない。お前のことは俺が全て面倒見てやるから、安心して好きなように生きろ」

 朝早くから車に乗せられ、自宅――競売にかけられたため今日からそうではなくなるのだが――から孤児院へとやって来たエレン。しかし院の門をくぐる前に、前の道を通勤路にしているらしき小柄で強面なサラリーマンがカッと瞠目してエレンに近寄り、目の前で膝をついた。
 男はピシッとスーツを着こなし、いかにも『デキる』気配がする。しかし今は二十近く年下の少年の両肩をしっかりと握り、その姿はともすれば犯罪者そのものである。
 そして先程の台詞。
 エレンは突然の事態に目を白黒させる。しかも本人すら理由を解していないのに運命の出会いなどと言われ、あまつさえ将来の保障までされてしまった。
 唖然として立ち尽くすエレンをどう思ったのか知らないが、男は次いでエレンの付き添いとして傍らにいた弁護士を見上げる。弁護士もまた戸惑っていたようだが、男がぺらぺらと何やら小難しい話を始め、最終的には笑顔で握手を交わしていた。
「では、エレン君との養子縁組の件、お任せください」
「ああ頼んだ」
 その台詞と共に大人同士の小難しい会話が終わり、エレンは男に手を握られる。「さぁ、うちに帰るぞ」と言われて引っ張られた方向は、イェーガーの家でも目の前の孤児院でもなく、男が歩いてきた方角だった。
「え?」
「今日から俺達は家族だ。心配するな。お前に必要なものは俺が全て揃えてやる」
「……え?」
 いつの間にか父親が消えていたり、いつの間にか自称親戚がエレンの物を全て奪っていったり、いつの間にか弁護士を名乗る人物がエレンを孤児院へ連れて来たり。
 そしていつの間にか、エレンに新しい家族ができていたり。
 世の中はよく分からない。
 と、幼いエレンは思った。


 男の名前はリヴァイと言う。リヴァイ・アッカーマン。大手商社に勤め、出世街道を突っ走るエリートである。部長という地位がどのようなものかエレンは理解していなかったが、「部下がたくさんいる」と説明されて、何となくイメージを掴むことはできた。
 連れて来られたのは広い、綺麗、高い(階数的な意味で)、高い(値段的な意味で)というタワーマンションの一室。昨年購入したと言うリヴァイの自宅であり、購入当時は何故このようなファミリー向けマンションを買ったのかよく分かっていなかったらしい本人が「なるほど今日のためだったのか」としきりに納得していた。
 家を衝動買いする思考回路もその納得具合も、エレンにはよく分からない。
「エレン、学校はどうする。ここからなら転校せずに済みそうだが」
 自身と家の中の説明をあらかた終えてリヴァイがそう言った。彼の自宅はちょうど学校を挟んだイェーガー家の反対側にあり、学校が変わらないどころか通学距離もほぼ一緒である。
「お前が望むなら学校を辞めても良いし、別のところを探しても構わん」
 この大人一体何言ってんの? と思ったが、エレンはまだこの大人のことがよく分かっていなかったので、下手なことは言わずに「今のままで」とだけ答える。
「了解した。幸いにも明日は土曜日だから学校もないし、この休み中に通学路を確認しておこう。それからお前にケータイを持たせなきゃな。俺の連絡先を短縮に入れておくから、何かあればすぐに連絡して来い。些細なことでも、単なる夕飯の希望でも。まぁするか否かはお前の自由だが」
 リヴァイは口癖のようにエレンの自由を大切にする。強制的だったのはここに連れて来る時だけだ。しかしそれすらエレンが「否」と言ったわけでは無いので、結果的にはエレンの意思を尊重したことになるのだろう。
「ともあれまずは昼飯か。何か食いたいものはあるか?」
 帰宅する途中で会社に連絡を入れたリヴァイは、本日まるっと一日休みを取得したらしい。手作りする気満々で昼食のメニューを尋ねてくる。
 エレンはしばらく逡巡し、それからぼそりと答えた。
「チーハン」
「チーズハンバーグか。肉だな。美味いチーハンをたらふく食わせてやる」
 エレンが肉を食いたいと言ったことがそんなに嬉しかったのか、リヴァイは気合を入れるように「よし」と口に出す。「甘い物も用意しよう」と当然のように付け足したのだが、彼はいつエレンが甘味好きだと知ったのだろうか。それとも勘なのか。おそらくは勘なのだろう。このマンションを衝動買いしたのと同じように。
「他に欲しい物も出てくるかもしれねぇから、一緒に買い物に行ってくれるか? 疲れているならここで休んでくれても良いんだが」
「いく」
「じゃあ行くぞ」
 手を差し出されて、反射的にそれを掴む。リヴァイが嬉しそうに頬の筋肉を緩めた。
 マンションの地下に降りてリヴァイの車に乗る。助手席に座らされ、シートベルトを締めると、両手にタブレットを持たされた。
「好きな服を選んで購入しておいてくれ。金のことは気にするな。とりあえず『良いな』と思った物は全部注文しておくといい。全て今日中に届くよう手配しよう」
「……はい」
 タブレットの画面には一枚数百円のTシャツから云万円のブランド子供服まで表示されている。それをぽんと渡す男の神経を疑いつつ、今着ている服しか持っていなかったエレンは、無駄遣いしないよう慎重に商品を見定めることにした。
 リヴァイが運転する車は静かに発進する。
 エレンは途中で気付くのだが、車が向かった先はこの地域で最も有名な高級食材ばかり扱う店だった。
 そこで購入した和牛ミンチ他諸々の食材を用いてリヴァイがプロ並みのスキルを発揮し作られたチーズハンバーグは頬が落ちるほど美味かったことを追記しておく。
「いつか必要になる気がして料理教室に通っていた甲斐があった」
 と、リヴァイが呟いたとか呟かなかったとか。
 よく分からない大人である。




【掃除を頑張る土曜日】



 リヴァイ宅に来てから一夜明け、土曜日。
 エレンが自室として家主に与えられた部屋から出てリビングにやって来ると、頭に三角巾をつけ口をマスクでガードした小柄な男がせかせかと掃除に勤しんでいた。
 言うまでもなく、小柄な男とはリヴァイである。
 昨日はピシッとスーツを着こなしていた男が、今朝は完全なお掃除スタイル。そのギャップにエレンはさして衝撃を受けない。なんとなく、彼はこの姿も普通であると思ったのだ。
「おはようございます」
「おう」
 リヴァイは起床してきたエレンに挨拶を返し、それから壁にかかった時計を見て、もう一度エレンを見た。
「エレン、もう少し寝ていてもいいんだぞ?」
「もう目が覚めちゃったので」
「そうか。朝飯を用意する。お前は顔を洗って来い」
「はい」
 言われた通り洗面所に向かいながらエレンは時計を一瞥する。現在の時刻は午前八時。決して起床するのに早い時間ではない。むしろ日曜日であったなら、同世代の少年少女らが大好きなテレビ番組がすでに始まってしまっている時間帯だ。
 いっそのこと――
「そうじするなら起こしてくれてもよかったのに……」
 エレンはそう独りごちる。
 リヴァイの掃除姿に違和感を抱かなかったのと同じく、特に理由も無く自分自身が彼と掃除に精を出すのは当然のことだと思えた。
 今からでも遅くない。素早くかつしっかり朝食をとってから――どうやらリヴァイはエレンにきちんと食事をさせたいらしいので掃除をするために朝食を疎かにすることは許されないと思われる――、彼の手伝いをしようとエレンは決意する。
 ただの勘だが、リヴァイがあと三十分や一時間でこの家の掃除を終わらせてしまうとは思えないのだ。そうであるならば、エレンが手伝う余地も十分にあるはず。
 顔を洗い終わったエレンはタオルでしっかりと水気を取り、リヴァイが待つであろうリビングヘと踵を返した。


(母さんはこんな感じでOKだったけど、たぶんリヴァイさんはこれじゃダメなんだろうなぁ)
 朝食を済ませ、掃除を手伝うとリヴァイに進言したところ、エレンはまず自分の部屋を掃除するよう指示された。その指示に従い、与えられた掃除用具を駆使して一通り掃除をし終えたエレンは、部屋の中を見渡して胸中でそう呟いた。尚、リヴァイは大した説明もなくエレンに掃除用具を渡し、エレンも特に何かを聞くことなくそれを受け取っていた。たかが十歳の子供を相手にするにはいささか不自然な行動だったが、双方共に疑問を抱くことはなかった。
 エレンの母カルラが生きていた頃、家の中は今目の前に広がる空間程度の清潔さを保っていた。父親が医者であることから一般家庭よりも清潔さは上であったと自負しているのだが、その程度ではまだリヴァイに合格をもらうことはできないだろうとエレンの直感が告げる。
 たとえば窓のサッシだとか、家具と家具の僅かな隙間だとか。
 まだ埃がとりきれていない所に自然と目が行き、エレンはそこを掃除するのに適した道具を誰に教わるでもなく手に取った。
 両手に棒状の掃除用具を持ってエレンは気合を入れる。
「戦闘開始!」


「ほぅ……見事なもんだな」
 納得いくまで自室の掃除を終え、エレンはリヴァイに報告した。様子を見に来たリヴァイは部屋の中を見渡してそう呟く。一発合格にエレンは「よっしゃ」と小さくガッツポーズをした。
 そんなエレンの様子にリヴァイは目を細める。
 突然リヴァイの手が伸びてぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられ、エレンはびっくりして「わあ!」と声を上げた。だがリヴァイに頭を撫でられているのだと知ると、驚きは去り、心に温かいものが生まれて口元が自然と緩んでくる。
 しばらく頭を撫でられているとその温かいものが胸を満たし、溢れてくるようになる。するとまるで目から零れ出そうとでも言うように目頭が熱くなった。
(うれしいのに泣きたいだなんて、変な感じだ)
 不思議だなぁ、とエレンは思う。
 けれど嫌な感じはしなかった。




【朝からテレビを見る日曜日】



 『アタック・オン・ティターン』
 日曜日の朝に放送されている子供向けヒーローアニメの一つである。舞台は人類が巨大な壁に囲まれて暮らす世界。壁の外には人類の天敵である巨大な人型の生き物『ティターン』がおり、人々は自由を求めてティターンと戦いを繰り広げている。ロボットも特別な変身スーツも出てこない、朝の番組だと言うのに人が死ぬ、なんとも常軌を逸した作品だが、作り込まれたストーリーに大人子供問わずファンは多い。ちなみにロボットは出ないが、今後、人類に味方する巨大な何かが登場するという噂があったり無かったりする。
「でもやっぱりチャレンジャーすぎる番組だろ、これ」
「オレもそう思います」
 朝の八時二十五分。いわゆる『ヒーロータイム』に、リヴァイとエレンは揃ってリビングのテレビを見ていた。
 大きな液晶画面に映し出されているのは『アタック・オン・ティターン』のエンディング。ティターンを狩る兵士になるため訓練に励んでいた主人公達が、とうとうティターンと遭遇してしまったところで今週の番組は終了した。
 スタッフロールが流れていくのを眺めながらリヴァイもエレンも衝撃的な展開に開いた口が塞がらない。人類を守るはずの壁が破られ、あまりにも人が死に過ぎていた。
 『監督 エルヴィン・スミス』の字幕が画面上方に消え去った後、制作会社のロゴが表示されて画面が暗転する。そしてコマーシャルヘ。
「お前、毎週朝からこんなの見てたのか」
「学校のみんなが見てますよ」
「最近のガキはすさまじいな……」
 初めて『アタック・オン・ティターン』を視聴したリヴァイはしみじみと呟く。ただ、初めて視聴したものの、ストーリーや世界観はすぐに理解することができた。さして詳しい説明が作中でなされたわけでもないのに、だ。
 エレンは自分が見ているという理由だけで今回一緒に見てくれた大人を振り仰ぎ、「いやでしたか?」と尋ねる。
「……そうでもないな。不思議なことだが、あんな悲惨な物語のくせにどうにも絶望の気配がない」
「オレのクラスのヤツらも言ってました。絶対、この後すげえヤツが出てきて人類を救ってくれるはずだって」
「ああ、そうだな」
 同意するリヴァイの双眸はそっと細められ、微笑んでいることが読み取れる。しかしその笑みを見つめ返したエレンは、胸にチクリとした痛みを覚えた。
(あれ?)
 笑っているはずのリヴァイが少し寂しそうに見えたのだ。
 エレンは小首を傾げ、その動作を見たリヴァイが「どうした?」と尋ねる。
「リヴァイさん、寂しい? それとも悲しい?」
「うん?」
 リヴァイがエレンを真似るようにして小首を傾げる。本人に自分の表情に関する自覚はないらしい。もしくはエレンの勘違いなのか。
「そんな顔……してたか?」
「んー。なんとなくですけど」
「そうか……」
 リヴァイはエレンを見つめたまま考え込むように指で己の顎を撫でる。と同時に反対側の手を伸ばし、エレンの後頭部にそっと触れた。
「あ、あのっ、リヴァイさん?」
 大きな手のひらは後頭部を通り過ぎ、そのまま下へ。うなじを擽るように動く指先に、エレンは思わず肩を竦めた。
「……傷一つない。きれいなもんだな」
「?」
 ぼそりと呟くリヴァイに、そんな台詞を吐いた自覚はあるのか無いのか。
 大人はよく分からない、とエレンは思った。




【送り迎えをされる月曜日】



「エレン、迎えに来た」
 本日の授業を終えて校門を出ると見知った車が止まっている。その運転席側の窓から顔を出したのは、やはりエレンの見知った顔だった。
「リヴァイさん……」
 仕事はどうした社会人。
 現在、時刻は午後三時半を少し回ったところ。一般的なサラリーマンならばまだ仕事をしている時間帯だろう。
 ひとまずエレンは車を回り込み助手席側のドアを開ける。シートに腰を下ろしてシートベルトを締めてから隣の大人を見上げた。
「ゆうきゅうきゅうかですか?」
「いや、今日のはフレックスだ」
「ふれ……?」
 どうやら会社というものにはまだエレンの知らない時間調整の方法があるらしい。
 本日は月曜日。新しい家から学校へ始めて通うこととなったのだが、朝もリヴァイに送ってもらったので、こうなることは半ば予想していたとも言える。ので、驚きはない。
 ただこの大人ちょっと休みすぎじゃないのか、と毎日遅刻も早退もなく学校に通う子供としては思うわけである。さすがに両親のあれこれと施設への移動の際には何日間か学校を休んだりもしたが。
 リヴァイはエレンのシートベルトがきっちり締められているのを確認し、車を発進させる。相変わらず滑らかなスタートに、彼の技量の高さとこの車の性能の良さを感じた。
「学校はどうだった。誰かに何か言われたりしなかったか?」
 運転中、リヴァイがぽつりと問う。
「?」
 エレンは小首を傾げた。
「いや……その、人とは違う……とか、そんなような、感じの、ことを」
「言われてませんよ?」
 突然何を言い出すのだろうという疑問とリヴァイの妙な歯切れの悪さに、エレンは目を瞬かせる。リヴァイも自分で何を言っているのか分かっていないのか、「そうだよな……化け物になったとか、そんなんじゃねぇのに」とぶつぶつ呟いていた。
「すまん。何となくお前が今まで通りにやっているかどうか確認したくなっただけだ」
「大丈夫です。みんな、イイヤツだから」
「そうか。そりゃ良かった」
 ハンドルを握っていたリヴァイの肩から力が抜けるのが見て取れた。彼はそんなにもエレンの周囲の反応を気にしていたのだろうか。
 と、考えたところで、エレンは会社にいる時間を削ってこちらの世話をしようとするリヴァイに言っておかなければならないことがあるのを思い出した。
「それよりリヴァイさん」
「ん?」
 前を向いたままリヴァイが応える。
 エレンはその横顔を眺めながら言った。
「送り迎えのことなんですけど、明日からはしてもらわなくていいですから」
「え」
「リヴァイさん前見てください、前」
「ッ、すまん」
 ぎょっと目を見開いてこちらを見たリヴァイに素早く注意すれば、大人は慌てて再度前を向く。しかし気はそぞろで、エレンの送迎を止めてしまうことに大きな不安を抱いているようだった。
 心配性な大人の様子にエレンはちょっとばかり罪悪感を抱きながらも、リヴァイのためを思えばこそだと気を奮い立たせる。
「そんなに心配しなくても、オレは十歳です。一人で学校に行くことくらいできて当たり前なんですから。……リヴァイさん、これからはちゃんと帰って来るので心配しないでください」
 と、そこまで言ってエレンは、はて、と小首を傾げた。
 リヴァイに送迎不要を告げるのは最初から決めていたことだ。しかし後半の台詞は突然口を突いて出たものだった。
(あれ? オレはなんでこんなことを言ってるんだ?)
 『これから』とは言うけれど、リヴァイの所から出掛けたのは今日が初めてだ。それなのにまるで以前もリヴァイから離れ、そのまま彼の元へ帰って来なかったかのような言い方だった。
 一方、エレンの不思議な物言いにリヴァイは違和感を覚えなかったらしい。前を見つめたまま眉間に皺をくっきりと刻み、黙考すること数分。信号が赤になり車を停止させたところで、リヴァイがエレンを見た。眉間に刻まれた皺は解かれている。
「わかった。ただし前にも言った通り、何かあればすぐ連絡して来いよ」
「はい」
 返事と同時に何故か右の拳を握ってしまい、エレンは信号が青になり発進した車内で己の手を不思議そうに見やる羽目になった。






リヴァイさんちのエレンくん







2014.11.09〜2014.11.10 pixivにて初出