出会った瞬間に分かったとその青年は言う。
彼が自分にとってとても大切な人であったと。だからこそ彼のために何かをしたいと思ったのだと。 青年が起こした行動は純粋な思慕によるものだった。決して悪意を含んでいたわけではない。……ただ少し、相手への配慮が足りなかっただけなのである。 「えれんっ!」 幼稚園まで迎えに来てくれた大学生の兄を見つけ、幼い少年は全速力で走りだした。エレンと呼ばれた青年は片膝を地面につけ、胸に飛び込んできた小さな身体を優しく抱き留める。 「お迎えに来ましたよ、兵長。いい子にしていましたか?」 「へいちょ、いいこしてました!」 「さすがです兵長!」 兄に褒められ、少年は頬を薔薇色に染めながら喜びをあらわにする。 生まれつき鋭い目つきもふわりと緩み、青灰色の瞳はきらきらと輝いていた。 幼子の笑みを見つめる青年も微笑みを浮かべている。青年は少年と同じ黒髪だが髪質は少し異なり、瞳の色ももっと銀色が濃い鋼色。顔つきも全く異なっているため、二人に血の繋がりが無いことは容易に察せられる。 青年の名はエレン・イェーガー。 幼い少年の名はリヴァイ・イェーガー。 リヴァイは元々イェーガー家の一人息子だったエレンが校外学習で訪れた孤児院にいた子供で、エレンの強い希望によリイェーガー家の養子(エレンの弟)に迎えられた。とは言っても、幼すぎてリヴァイの中にその頃の記憶はほとんど残っていないのだが。 たとえ血は繋がっていなくても、年が大きく離れていても、二人は仲の良い兄弟である。しかし普通の兄弟とはちょっとばかり接し方が違うのもまた事実。 エレンは最初からずっとリヴァイのことを「兵長」と呼び、また目上の者に接するかのように丁寧語や敬語を使った。更に自分のことは「兄さん」や「兄ちゃん」などではなく名前で呼ばせる。 おかげでリヴァイはエレンを「えれん」、自分のことを「へいちょ(兵長)」と呼び、また兄の喋り方を真似て可愛らしい言葉遣いをするようになってしまった。 「えれん、へいちょはおなかすきましたです」 「そうですね。お腹空きましたね。帰ったらおやつ作りますか!」 「つくりゅすか!」 「じゃあ急いで帰りましょう。先生にさよならの挨拶しましょうか」 エレンは立ち上がり、リヴァイの手を握って幼稚園の校舎の出入口でこちらを眺めていた教師に頭を下げる。「リヴァイ君、また明日ー!」という先生の声にリヴァイは大きく手を振ってから、「これでいいですか」とエレンを見上げた。 「ばっちりです」 「えれん、だっこしてください」 「了解しました」 ぱっと両腕を挙げたリヴァイの脇に手を差し込んでエレンが小さな身体を抱き上げる。 「兵長、たくさん食べて大きくなりましょうね。あ、でもオレの身長は越せないのかな……。最大160センチ?」 「ん? えれん?」 「なんでもありませんよ」 エレンはにこりと笑い、幼稚園の前に留めていたママチャリヘと向かう。リヴァイを自転車の後部につけた専用の座席に降ろし、自分もまた自転車に跨ってペダルに足を掛けた。 「しゅっぱーつ!」 「しゅぱー!」 まだ上手く発音できないリヴァイの号令に合わせて自転車が走り出す。 リヴァイ、三歳。エレン、二十歳。そんなある日の午後の出来事。 時は流れて十二年後。 リヴァイは十五歳、エレンは三十二歳になっていた。 兄、エレンの手にはブルーレイレコーダーのリモコン。それによって画面に映し出されたのは、ビデオカメラの録画データをブルーレイディスクにダビングした在りし日の記録。タイトルは『リヴァイ 三歳 冬』。 画面の中では兄を「えれん」と呼び――滑舌は格段に良くなったがこれは今も変わらない――、自分を「へいちょ」と呼び――小学校に上がるまで治ることはなかった――、兄を真似ておかしな口調で話す幼いリヴァイの姿があった。 学校から帰ってきたリヴァイは今年買ったばかりの通学用鞄をドスンとフローリングの床に落とし、先日の休日出勤で本日は振替休日を満喫している年の離れた兄と彼の前の画面を交互に見詰めた。 リヴァイはやがてわなわなと震えだし、地獄の底から這い出てきたような低い声で「エレン……?」と名を呼ぶ。 「てめぇ、何を観ていやがる」 「あっ兵長お帰りなさい。懐かしいですよね、これ!」 リヴァイの低い声などなんのその。遠い昔ならば飛び上がって震えただろう声音も、慣れてしまえばなんてことはない。かつて二人の年齢が今と正反対だったあの頃とはもう違うのだ。 しかし変わらないものもある。 それこそ、エレンがリヴァイに向ける思慕であり、また敬意を示すための呼称と口調であった。 五年前にようやく『昔の記憶』を思い出したリヴァイは、思い出すまで最も身近な存在であるエレンの全てを真似ていたため、画面の中にいる幼子のような日々を過ごしていた。 記憶を思い出し、何故自分が「兵長」と呼ばれたり敬語を使われたりしているのか理解した途端、この手のデータはあらかた捨てたはずだったのだが、重要なものはどこかに隠されていたらしい。そして複製されてしまえばもう、完全にこの世から消し去るのは不可能と見ていいだろう。エレンとその両親ならそれくらいやってしまう。 「最初から記憶が戻っていれば……!」 そう悔やむが、叶うはずもない願いだ。 かつて人類最強と呼ばれた少年は力なくその場に項垂れる。しかしやがてのろのろと動きだし、ソファに座ってブルーレイ鑑賞に勤しむ兄の前に立った。 「兵長?」 「選べ、エレン」 その眼光は昔のような鋭さを宿し、真っ直ぐにエレンを見つめる。 「今すぐこの俺にとっての差恥プレイを中止するか、それとも今夜お前がベッドの上で俺に差恥プレイを強要されるか」 記憶を思い出したリヴァイは、当然その時代に自分達がどんな関係でナニをしていたのかも思い出していた。兄弟ではなく恋人として触れ合うようになったのはリヴァイが十五歳になってからだが――それまではエレンが了承しなかった――、所謂『前世』という経験の蓄積がある分、同じ年頃の者達より何歩も先に進んだ関係であることに違いはない。 リヴァイの提案と言う名の命令を理解したエレンは慌ててリモコンを操作し、ブルーレイの再生を停止させる。 しかし、 「エレン」 「はい」 「再生を止めるのが少し遅かった。ということで、差恥プレイは止めておくが、お前、明日は腰痛で会社休みだからな」 「……え」 「今夜、楽しみにしていろ」 ニヤリと笑い、リヴァイは鞄を拾い上げて自室へと向かう。 残されたエレンは顔を真っ赤にしてその場で頭を抱える羽目になった。 幼少ブラックヒストリィ
2014.11.08 pixivにて初出 |