「必要悪ですよ、兵長」
少年はいつもと変わらぬ表情と声音で言った。 だがそれはあまりにも異常な光景だった。 平然とその台詞を言い放った少年は地面に膝をつき、無抵抗を示すように両手を後ろに回し、首筋には巨人を狩るための刃が添えられている。あと少しでも彼に兵長と呼ばれた男が手を動かせば、まだ成熟しきっていない体躯の少年は容易く首を刎ねられてしまうだろう。 男を見上げる少年の双眸は凪いでいて、怒りも、悲しみも、全て――彼の生き様を象徴するような激情らしい激情は浮かんでいない。穏やかなものだった。 「必要悪、だ……?」 男はオウム返しに問う。少年の言っている意味が分からなかった。少年の言葉は男の疑問に対する答えだったというのに。 何のためにこんなことをした。と、先程男は尋ねた。 少し離れたところでは二人を取り囲むように、もしくは男にいつでも加勢できるように、半刃刀身を構えた兵士らが立っている。しかし彼らはお世辞にも綺麗な格好とは言えず、皆一様にボロボロだった。一角獣や薔薇や翼の紋章がついた制服は破れ、一部には血が滲んでいる。頭や腕、脚などに包帯を巻いている者もいた。おそらくそれより酷い傷を負った人間は、ここではない場所で治療を受けているのだろう。 そんな彼らが立つ場所は、元々美しい街並みが広がっていた。 ここは、王都。 三つの壁に囲まれた人類の活動領域の中央。 しかし最も栄えていたはずのこの場所は、今や石畳はめくれ、家屋は倒壊し、遠くからは人の苦しみと悲しみにまみれた怨嗟が聞こえてくる。まさに地獄だ。 そしてその地獄を作り出したのが、首筋に刃を添えられている少年――エレン・イェーガーだった。 「ご存じですか、兵長。人に人は裁けない」 男――リヴァイ兵士長が己の言葉を理解できていないと察した少年は淡々と、それでいて朗々と、周囲の人間にも聞こえるよう言葉を続ける。 「人を裁くのは法です。でも今の法はシーナのゴミクズ共を肥え太らせるためのものでしかない。じゃあどうするか」 その『ゴミクズ共』を王都での暴挙で真っ先に殺害した少年は、はっとするような光を瞳に宿して言った。 「人じゃないモノが裁けばいい」 ニヤリ、と口元が歪に歪む。 「だから化け物のオレがアイツらを殺したんですよ。逃げようとしたから被害が広がっちゃいましたけど」 首筋に刃が当てられているというのに、少年はそう言って恐れることなく肩を竦めるジェスチャーをしてみせた。 自らを化け物であるといっそ誇らしげに告げ、あまつさえ数多の人の死や街の崩壊に関して欠片も悔いた様子がない。その態度に、周囲にいた兵士らが殺気立つ。 しかしその一方で、リヴァイは少年を厳しい目つきで見据えたまま、今の発言はこの少年らしくない物言いだと思った。 彼は私利私欲に走る施政者を「人」などと称するような性格だっただろうか? むしろそんな者こそ「害獣」と蔑むような子供ではなかったのか。 疑問はそれだけではない。 少年の夢は巨人を駆逐して壁の外の世界へ出て行くことだ。だと言うのに、このような罪を犯してしまえば、もう少年がその夢を叶えられる可能性はゼロになってしまう。彼はそれが分からない馬鹿ではない。また別段、巨人化できる兵士として少年の最後の役割が『人類解放の仕上げとして処刑されること』でもなく、大人しくしていればいずれは皆に認められる形で壁の外の世界を探検できるはずだったのに。 己の夢を全て足蹴りにする形で少年はこの惨状を生み出した。 何故だ。何故こんなことをしたのか。疑問は尽きることなく、リヴァイの眉間の皺を深めていく。 しかし疑問を解決するだけの時間は無かった。 少年が犯した罪は明確で、周囲の誰もがそれを許しはしない。唯一受け入れそうな少女と少年はどういう理由かここにはおらず、誰もが少年をこの場で処刑することを望んでいた。 今更リヴァイが刃を退くことはできない。 「どうしたんですか、兵長。化け物のうなじを削ぐのがあなたの仕事でしょう? だったら最後までそれをやり通してくださいよ」 言って、少年はわざとうなじが見えるよう俯いた。途中、リヴァイの握る刃が掠って血を流したが、それに構う様子はない。 周囲からは「兵長」「リヴァイ」「リヴァイ兵長」と、次の一手を望む声がさざ波のように押し寄せてくる。それは徐々に強く大きくなり、やがて誰かがこう叫んだ。 「化け物を殺してください! 兵長!!」 瞬間、わっと周囲の殺気が膨れ上がった。誰もが叫ぶ。殺せ、化け物を殺せ、と。ビリビリと空気が震えているようだった。 俯いたままの少年の顔は見えない。黒い襟足の向こうに白いうなじが覗いている。 化け物を殺すのはリヴァイの仕事だ。少年が人類を裏切った時にそのうなじを削ぐことが義務として課せられていた。ゆえに、今こそそうしなくてはならない。 グリップを握る手にぐっと力がこもる。そして、リヴァイは刃を振り上げた。 同時刻。巨人の駆逐を終えたばかりでまだ住民が戻って来ていないシガンシナ区のとある壊れた一軒家の庭先で、黒髪の少女と金髪の少年が堅く目を瞑り、二人にとって大切な人の名を口にした。 「エレン」 「エレン……僕らは君の意志を優先すると決めたから」 同時刻。化け物と呼ばれた少年は、俯いたままそっと微笑を浮かべる。 (最後の化け物(オレ)を殺せば兵長は英雄になる。憲兵(ひと)殺しの汚名も何もかも、その誉れによって全て覆い隠される。口うるさい王都のゴミ共は全部オレが処理したから、何やかんやと難癖つけて兵長を貶めようとするヤツらが現れることもない。生きているのは何の意見も言えないヤツか、兵長に好意的な人間ばかり。――……だから) 「幸せになってくださいね、兵長」 最後にそれだけ囁いて、少年の首は斬り落とされた。 「……エレン、今、なんて」 血まみれのブレードを握ったままリヴァイは呟く。 しかし応える声は無かった。 化け物Eの献身
2014.10.04 pixivにて初出 本当は無自覚のリヴァ→エレでもあったのですが、本文中に上手く入りませんでした。バッドエンドなのかメリーバッドエンドなのか、いまいち区別が曖昧です…。なお、兵長はこのあと発狂します。 |