「あんたみたいな人間がただの歩兵だなんて……信じらんねぇ」
 シーナは人を見る目がないな、と続けたのは、まだ二十歳にもなっていないだろう黒髪の少年。衛兵達によって床に組み伏せられたリヴァイは、己を見下ろすその銀色の瞳を強く睨み返した。
「てめぇ……一体何者だ」
 執務室と思しき落ち着いた――しかしどの調度品も全て高価な――部屋の中、リヴァイを見下ろす少年の左右にいるのは、現在シーナと戦争中の民主国家・ローゼの大統領エルヴィン・スミスとその補佐ハンジ・ゾエだ。この国のトップとナンバー2を侍らせる少年はそれが当然という雰囲気を纏っており、リヴァイの問いを聞いてふっと小さく笑みをこぼした。
「ふぅん。シーナはまだオレの顔、知らないんだ」
「我々がそう易々と君の情報を漏らすはずがないだろう?」
「そうだよ。私達にとってあなたはとても大切な人だからね」
 少年の左右に侍るエルヴィンとハンジが口々にそう告げる。少年に向けられた目には敬意が溢れており、ともすれば恋慕にすら感じられた。
 大人二人からのそんな視線を少年はごく自然に受けながら、エルヴィンを見て「さすが、オレのキングと」次いでハンジを見て「オレのルーク」と、二人を褒める。
 その一言だけで大人達は表情をとろけさせ、それぞれ黒い革に覆われた少年の手を取って指先にキスを贈った。
「光栄です、我がマスター」
「全てはあなたのために」
 恍惚とした表情で告げる大人とそれを聞く子供。そして、黙ったまま侵入者を押さえ続ける衛兵達。
 この状況にリヴァイは苦虫を噛み潰したように表情を歪める。訳が分からない。異常だ。この国は一体どうなっているのか。
 たった一人の子供相手に国の代表者らが骨抜きにされている。
 確かに少年の見目は美しく、少し吊り上がり気味の銀色の大きな双眸は殊更人目を引いた。またダークグレーのシャツと身体の細さを強調するかのような黒いベスト、黒いパンツと革のブーツは、大人でも子供でもない年頃の少年の危うい美しさを更に強調している。袖に腕を通さず肩に引っかけたままの黒いコートは丁寧な金糸の刺繍が施され、威厳と華の両方を添えていた。
 美しい子供だ。
 美しいだけの℃q供だ。
 そのはずだ。
 しかし少年が、コートが汚れるのも気にせずリヴァイの前に片膝をついた途端、――否、手袋に包まれたままの指でリヴァイの顎をそっと持ち上げ、視線を合わせた途端、リヴァイの背骨にビリビリと強烈な電流が走り抜けた。
「――ッ、ぁ」
「あんたの名前、リヴァイ・アッカーマンだったよな。アッカーマンってことは、シーナ最強と言われてるミカサ・アッカーマンの血筋の人間か? いいな。実にいい」
 不思議なことに、じわり、と銀色に黄金が混じる。
 リヴァイは視線を逸らすことができない。それはただ単に顎を固定されているからではなく、瞬きすら惜しいと思わせる何かが少年の瞳に存在していたからだ。
 もっと見つめたい。もっと見つめてほしい。
 その声で名を呼ばれ、その指で触れてほしい。
 餓鬼がパンを欲するかのごとく、まるで生命の根元から湧き出る欲求のようにリヴァイは少年を欲した。
 銀色だったはずの双眸が金色に染まりきると、リヴァイの変化をじっと眺めていた少年が再び口を開く。

「オレは、あんたがほしい」

「ッ!」
 心臓を鷲掴みにされるような心地がした。
「この国にはキングもルークもビショップもナイトも、勿論ポーンもいる。でも足りない。最強の駒が――クイーンが足りない。圧倒的戦力、圧倒的忠誠。それを兼ね備えたオレの駒が足りない。たとえクイーンがいなくても、それくらいのハンデならシーナと戦ってやれる。けど、やっぱり勝負は早めの決着をつけたいだろ? これはチェスゲームじゃなく国同士の戦争なんだから。だからオレはクイーンを欲する」
 リヴァイは息すら忘れてその言葉に聞き入っていた。
 少年は何も深いことなど言っていない。ただ現状をチェスの駒にたとえて表現しているだけだ。その上で、シーナでは犯罪者の親を持つことが原因で暗殺者などという実力以下の地位――むしろ軍では最低の役割だ――しか与えられてこなかったリヴァイに寝返れと要望している。
 求められている。認められている。
 そう認識した途端、リヴァイの心臓がどくりどくりと鼓動を速めた。じっと見つめ続ける黄金の目は魔眼だ。魅入られる。逸らせない。
 まるで生まれながらの王者だった。否、『王』など生ぬるい。それすら手駒にする彼は、まさにプレイヤー。王(キング)をはじめとする駒達の指し手(マスター)。
 駒はマスターに逆らわない。何故ならそれが存在の意味であり意義であるからだ。駒はマスターに魅了され、マスターの為に動き、マスターに求められその指先に触れられるだけで至上の幸福を感じる。エルヴィンもハンジも、ここにはいない他の誰かもそうなのだろう。
 そこに加われと少年は告げる。
 頷くだけでリヴァイはこの少年から与えられる駒としての至上の幸福をその身に受けることができるのだ。
「さあ」
 革手袋に包まれてもなお細い指先がすっとリヴァイの顎と頬を撫でた。
「どうしたい?」
 とろりとした黄金がリヴァイを捕らえて離さない。
「オレならあんたに《最高の一手(ブリリアント・ムーブ)》を与えてやれる。エルヴィンもハンジもそうだった。役不足もいいところの酷い立場に押し込められていたから、オレが拾った。あんたもどうだ? オレなら、オレの愛しい駒達に最高の舞台を与えてやれるよ」
 目の前に手が差し出される。
 リヴァイの身体を押さえつけていた衛兵達がすっと身を引いた。
 自由になったリヴァイはごくりと唾を飲み込み、そして――……手を、のばす。
 少年が笑った。
「ルール破りのプロモーションだ」

 プロモーション(昇格)
 ――ただの歩兵が敵地の最奥で最強(クイーン)へと姿を変える。ただし今度は母国に牙剥く唯一無二の駒として。






Promotion







2014.08.27 pixivにて初出

【補足】
プロモーション(昇格)…チェスボード上で、ポーン(歩兵)が相手側の最終ランク(敵地の一番奥の列)まで辿り着いた際、キングとポーン以外のどれでも好きな駒に昇格することができる。基本的には最も強力な駒であるクイーンに昇格するが、戦況によっては例外もあり。※敵の駒にはなりません(笑)