エレン・イェーガーは運命の相手を探している。
　それが彼に関わる人間の認識であり、またエレンに向ける揶揄でもあった。揶揄、と表現せざるを得ないのはエレンの振る舞いに原因がある。
　彼は運命の相手を探すためならば、まさに��手当たり次第�≠ｾったのだ。


「昨夜の相手は外れか」
「はい。普通のオメガでした」
　肩を落としてリヴァイの問いに答えたのは、運命の相手を探すため手当たり次第にオメガと寝ている男、エレン・イェーガー。
　絹糸のような黒い髪、シミ一つないキメ細かな白い肌、そして黄金を融かし入れたような美しい瞳、すらりと伸びた手足は、ただ単に歩くだけで人目を引く。加えて今は昨夜の��お楽しみ�≠ﾉよる身体のだるさも手伝って、物憂げな雰囲気を醸し出していた。今もすれ違う人間の視線を男女構わず集めている。
　この見た目で、しかもエレンは仕事ができ地位もある『アルファ』だ。同じアルファであるリヴァイでなければ、隣を歩くことすら憚られただろう。
　この世界には男女の性別以外にアルファ・ベータ・オメガという性の分類が存在する。人口の多くを占める��一般人�≠ﾌベータ、類稀なるカリスマや才能を備え集団のトップに立つことが多いアルファ、そして男女に関係なくアルファやベータの子を孕むことができてしまうオメガ。
　アルファとオメガには惹かれ合うたった一人の存在がおり、その二人が結ばれると番（つがい）になる。つまりそれが運命の相手だ。
　運命の相手は出会った瞬間に分かるというが、リヴァイは出会ったこともないし、そもそも出会いたいとすら思わない。嫌悪にも似たその考えは、十代の初め、検査で自分がアルファであると知った時から抱え続けているものだ。
　オメガという存在はただ単に子供を孕む器官を有しているだけでなく、その身からアルファを、時にはベータすら誘引するフェロモンを発する。彼らは日常的に微量のフェロモンを出しているようだが、三ヶ月に一度、約一週間訪れる発情期には、アルファの理性を粉々に砕く威力となる。まるで虫を誘い込む食虫植物のように彼または彼女らはリヴァイ達のようなアルファをその身に咥え込むのだ。
　自身の感情を完全に無視された上で、本能だけで相手と繋がってしまう。それがリヴァイには恐ろしく、またおぞましく感じる。ただのオメガでさえ誘引する力はかなりのものだと言うのに、運命の相手と呼ばれる番の候補に出会ってしまったらどうなるのか。自分が自分でなくなることを想像するだけで言い知れぬ怒りと吐き気がした。
　しかしそんなリヴァイとは対照的に、エレンは運命の相手探しにとても積極的だ。今もまた――昨夜は余程濃厚な夜を過ごしたのか――相手だったオメガのフェロモンらしき残り香をまとってリヴァイの隣を歩いている。
　その香りにリヴァイの脳がくらりと揺れるが、元々強靭な理性を持ち、またフェロモンも本人からではなく残り香ということで、リヴァイに異常な行動を起こさせるには至らない。時折、香りが強かったのか、それともリヴァイと波長が合ったのか、普段より強く惹かれるフェロモンをエレンがまとっている時もあったが、金色の目でこちらを見つめて「どうかしました？」と小首を傾げられると、本能を抑え付けるのに苦労などいらなかった。
　むしろリヴァイはエレンがまとう残り香にムラムラと性欲を刺激されると言うよりは、ムカムカと腹立たしく感じる方だ。
　ただその感情は節操ないエレンに対するものではない。彼の相手たるオメガに向けられたものである。
　リヴァイは、エレンが好きだ。
　この会社にエレンが入社してきた時から、ずっと。
　強い意志を秘めて輝く黄金の双眸にリヴァイは魅せられ、今もずっとエレンだけを想い続けている。一時は、エレンと番えるならば自分があの忌々しいオメガであっても良いと思い詰めるほどに。（無論、その後エレンを組み敷く夢を見てから、自身が完全にタチを望んでいることを自覚したが。）
　そこまで好いている相手がアルファの自分では絶対になり得ない運命の相手（オメガ）を探して毎夜身体を重ねているのだから、腹が立つのは当たり前だろう。しかし同時に安堵もしていた。エレンが肩を落として「外れでした」と愚痴を零すたびに、彼はまだ誰も選んでいないのだとリヴァイに教えてくれるのだから。
　この地球上に存在する人間の数を考えれば、そう簡単に運命の相手と出会えるはずもないのだが、やはり心配なものは心配だった。もしエレンが彼の運命を見つけ、あの黄金の双眸がその相手だけを見つめるようになってしまったら――。そんなことは考えたくもない。しかしもし本当にそんな事態が起こってしまったら、リヴァイには自分が何を仕出かすか分からないという自覚があった。


　そして、その自覚は正しかった。


　昼食を一緒に取ろうということになり、昼休みに会社のビルから出たエレンとリヴァイ。しかし正面ゲートの自動ドアをくぐった途端、エレンの身体がふらりと傾いだ。
「おい、エレンっ」
「ッ、すみません」
　眩暈がするのか、リヴァイに支えられたエレンが額を押さえて呻くように答える。だが金色の双眸はしっかりとある一点を見つめていた。
　目が逸らせない。まさしくそんな表情で唖然とエレンが見つめる先、そこには道行く群衆の一人でしかないはずの平凡そうな人間が立ち止まっている。あちらもエレンから目を逸らせないようで、他の通行人が邪魔そうに顔をしかめても気にした様子はない。
「鳴呼……」
　感嘆の吐息を零すエレン。その呼気には熱が宿り、触れたところからリヴァイに伝わる鼓動は急激にスピードを増していた。
　嫌な予感がする。
　リヴァイの背中を震えるような悪寒が走った。
　こちらに縋るエレンの手は強張り、指の関節が白くなっている。ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。それにすらリヴァイは欲を煽られるというのに、エレンの目はリヴァイを見ていない。
「エレ、」
「リヴァイさん、どうしよう」
　立ち止まったただ一人の人間から目を逸らせずに、エレンは告げる。
「オレのオメガが、いた」
　その一言に全身の血が凍りついたような心地だった。


　突然の遭遇の後、リヴァイはエレンが自身のオメガだと判じた人物から連絡先を聞き出し、エレンと半ば無理やり別れさせた。真っ昼間にこれ以上番候補のアルファとオメガを一緒にしておくわけにはいかない、と。
　後程連絡を取ると約束したことで相手もそれを了承し、リヴァイはエレンを屋内に連れ帰った。
「くっ……話には聞いていましたけど、強烈ですね……」
　リヴァイが手近な会議室に避難させたエレンは、額に汗を浮かべて辛そうな表情をしている。椅子に座った彼の股間は不自然なふくらみを持っており、たった数十秒の邂逅がエレンにどれほど強い影響を及ぼしたのかを物語る。これが番となるべきオメガの効果。忌々しいことだ。
　ずっと探していた運命の相手に出会えて良かったな、などとは口が裂けても言えない。
　リヴァイは僅かに黙した後、「今日はもう休め」とエレンに告げる。
「これじゃ仕事になんねぇだろ」
「そうですね……」
　よほど辛いのか、エレンが素直に従う。
　幸いにも有休は山ほど溜まっている。エレンも、そしてリヴァイも。リヴァイは社用携帯で自分とエレンの有休を一緒に申請し、それが承認されると、「動けるか？」と声をかけた。
「今日は俺の家に来い。この状態のお前を一人で帰らせられねぇよ」
「いいんですか……？」
「ああ、遠慮すんな」
　ただし、とリヴァイは続けた。
「連れて帰るのは構わんが、その前に……それ、どうにかするぞ」
「……ああ。確かに、これは格好悪い」
　苦笑するエレンの視線が向けられたのは自身の股間。オメガのフェロモンに当てられた結果である。
「トイレ行ってきます」
「一人で処理するのか？」
「そりゃもちろん……って、まさかリヴァイさんが手伝ってくださるんですか？」
　エレンは冗談でそう言ったのだろう。オメガのフェロモンに当てられ身体に力が入らない状態ではあるが、強制的に立ち上がってしまった息子を鎮めるくらい一人でできるはずだから。
　しかしリヴァイは「ああ」と首肯した。
「お前が構わないなら手伝う」
「リ、ヴァ」
「いいか？」
　金色がゆれる。
　零れる吐息は熱く、触れた身体はリヴァイを拒まなかった。


　熱を収めてぐったりとしたエレンを自分が住んでいるマンションに運び込んだリヴァイは、その後すぐ件のオメガに連絡を取った。
　エレンが会社を早退して今すぐ会いたがっていると伝えれば、相手は二つ返事でこちらが指示した待ち合わせの場所へ向かうと答えた。リヴァイは通話を終え、ベッドに寝かせたエレンを見つめる。
「エレン……」
　寝息を立てるエレンの目は閉じたまま。その様子を愛しさに溢れた表情で眺めた後、リヴァイはそろりと準備を始める。
「エレン、俺は」
　独り言が相手に届くことはない。
「お前が慕ってくれるような良い先輩じゃなかった」
　リヴァイが相手のオメガに待ち合わせ場所として指定したのは、交通量が多いことで有名な大通り。そこでは頻繁に人と車の交通事故が発生している。
「エレン」
　指紋を残さないための皮の手袋をクローゼットから取り出し、リヴァイはベッドの上を振り返った。
「愛に狂う男とは、なんとも馬鹿な生き物だな」


　同日、とある大通りで人と車の衝突事故が発生した。
　赤信号であるにもかかわらず車道に飛び出し命を失ったのは、オメガ性を持つ人間だった。


「そうですか。交通事故なら仕方ないですね……」
　オレの運命は諦めます、と呟いたのは、エレン・イェーガー。大事を取って今日もリヴァイ宅にいる。一緒に有休を取得したリヴァイは、たった今、事の顛末をエレンに話して聞かせたところだ。
　昨日エレンが出会った彼の運命の相手は、不幸にも交通事故で死亡した。しかもその人物がオメガで、車の運転手がアルファだったため、警察の捜査はあまり熱心に行われず、さっさとオメガの飛び出しによるものだと片付けられた。ニュースの報道ですら流れない。
　世界とは、こういうものなのだ。アルファが優遇され、オメガが卑下される。不平等の塊のようなもの。
　おかげでリヴァイのやったことが世間にバレることはない。
「エレン、もう少し寝ていろ。色々疲れているだろう」
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
　リヴァイが頬を撫でると、無意識なのか、エレンがすりっとすり寄ってきた。金色の双眸は瞼に隠され、やがて穏やかな寝息が聞こえ始める。
　エレンの前髪を手で梳きながらリヴァイはただ黙して微笑んだ。

*　*　*
　あの人を運命の相手と出会わせるわけにはいかない。だってそうなったら、あの人がオレを見なくなってしまう。それは嫌だ。絶対に嫌だ。だから、オレが取る行動はただ一つ――。


　彼の周囲にいるオメガを手当たり次第ひっかけて、その残り香をまとって彼の前に立つ。反応しなかったらセーフ。反応したらアウト。アウトの場合、彼の運命の相手である可能性が高いと判断し、前日に相手をしたそのオメガには消えてもらう。
　消える方法は様々だ。遠くの地へ飛ばすこともあれば、命そのものをもらうことも。なんにせよ、絶対に彼の前に現れないようにするだけ。しかもオメガだから、警察の捜査はまともに行われず、多少不自然なことがあっても見逃される。
「本当にこの世は不平等だ」
　金色の目を眇めて青年は笑う。
「でも、どう足掻いたってオレがリヴァイさんの運命の相手になれない世界なんだから、あれくらいやったって構わないよな」
　この部屋の本当の主は買い物で先程出かけたばかり。すぐ戻るとは言ったが、十分やそこらでは戻って来ないだろう。
「つーか、あのオメガ、死んだんだ」
　金色の瞳の青年、エレン・イェーガーのその声は、誰が聞いても嬉しそうだと判断するもの。
　事実、エレンはこう続ける。
「よかった」
　本当に嬉しそうに、黄金を細めて。
「アルファの性（さが）とは言え、番候補のオメガには抗い辛いからなぁ。でもリヴァイさん以外の人間に惹かれるなんて絶対お断りだ」
　エレンはリヴァイが好きだった。
　自分が今の会社に入社してリヴァイと出会ったその時から。
　ベッドに寝転んだままシーツを手繰り寄せ、エレンは息を吸い込む。恍惚とした表情は番のオメガに出会った時など比べ物にならない喜びを表していた。
「ああ、リヴァイさんの匂いだ」

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2014.07.02　pixivにて初出

オメガバースに関してはpixivやgoogle等で検索していただければと思います。