「エレン、もう起きてたのか」
「おはようございます、リヴァイさん」
 誘拐事件の翌日。リヴァイは寝間着姿のままバルコニーに出ているエレンを見つけてその隣に並んだ。
「傷は大丈夫か?」
「問題ありません。しばらくは挨拶回りみたいな取引先と顔を合わせる仕事は控えることになるでしょうが」
 エレンは苦笑しながら左頬に貼られたガーゼの縁を指で掻く。真っ白なそれの下は青黒く変色しており、見るたびにリヴァイの腹は煮えくり返りそうになる。
 リヴァイの目つきが剣呑になったのを察してエレンは苦笑の度合いを深めた。それからこちらに向き直り、「リヴァイさん」と呼びかける。
「ん?」
「あの、今回はすみませんでした」
「……なんでてめぇが謝る」
「オレの不注意であなたに要らぬ手間をかけさせ、尚且つ危険にも晒しました。それ以前に、何の断りも無くあなたをオレの……オレの、」
 目元に朱を刷き、視線を逸らしてエレンは告白した。
「恋人役に、してしまった」
 大きな罪を白状するかのごとくそう言い切ったエレンは自信なさげに目を伏せる。その所為でエレンは気付かなかっただろうが、リヴァイの肩が僅かに揺れた。
「申し訳ありません。気持ち悪かったでしょう?」
 背けられた顔には自嘲が浮かび、それでも耐え切れないとばかりに口からは思いが零れ落ちる。
「あの時、本当は別の人間が同席するはずだったんです。アルミンが用意してくれる予定で……。でもオレはそれを断った」
「……どういうことだ?」
 エレンの表情に、エレンの言葉に、リヴァイの心臓が徐々に拍動のスピードを上げていく。この青年はレイス卿との会食でリヴァイに愛の告白をしたわけではない。つまりエレンのあの言葉は偽りだった。そう理解しているのに、リヴァイはエレンがこれから言おうとしている言葉を期待せずにはいられない。
 リヴァイは胸中で何度も「落ち着け」と繰り返す。確かにエレンはリヴァイに対して好意を抱いているだろう。しかしそれはリヴァイが一週間にも満たない期間で育んでしまった感情とは異なるものだ。だからこそエレンはあのように申し訳なさそうな顔をしてみせた。自分も、またリヴァイも、そういった感情を互いに抱いていないと思っているからこそ、リヴァイを突然恋人役に仕立て上げたことに対して申し訳なさそうな顔をしたはずで――。

「嘘でもオレの隣はあなたのものだと言いたかったんです」

「……」
 正直なところ、己の浅ましい想いが幻聴を生んだのだろうとリヴァイは思った。
 だが逸らされていた金色の双眸は再びしっかりとリヴァイを見つめ、更に顔どころか首筋まで真っ赤に染めてエレンは決定打を放つ。
「一目見た時からあなたが好きでした。あの夜、車の窓をノックしてきたリヴァイさんを見て、他のことなんか考えられなくなりました。あなたを引き留めるために無茶をした自覚はあります。それでも」
 エレンの言葉はそこで止まる。
 理由は明白だ。
 リヴァイがエレンの胸倉を掴み、そのまま己の唇でエレンの口を塞いだから。
 ピントが合わずぼやけるほどの至近距離で金色がこれ以上なく見開かれている。それを愉快に思いながらリヴァイは触れ合わせるだけのキスを止め、それでもまだ唇が触れてしまいそうな距離で囁いた。
「それ以上はいい」
「リヴァ、イ、さん」
 目の前のエレンは信じられないという表情をしていた。どうやらこの青年は自分ばかりがリヴァイを好いていて、リヴァイがそうだとは思っていなかったらしい。まさか互いにそんな勘違いをしていたなんて、分かった瞬間に馬鹿らしくなる。だが悪い気はしない。リヴァイと同じようにエレンも頭の中を相手でいっぱいにしてぐるぐると悩んでいたのかと思うと、胸に秘めた愛おしさが今にも溢れそうになった。
 だからそれ以上の言葉は要らないと言ったのに、
「あなたが好きです」
「おい、エレン」
 きらきらと輝く美しい黄金が真っ直ぐにリヴァイを見つめている。
「あなたと数日過ごして、オレはもっとリヴァイさんが好きになりました。あなた以上の人なんてきっとこの世界のどこにもいない。『運命』なんてものはあるはずないと思っていたのに、あなたと出会ってその考えすら変わったんです。リヴァイさんはオレの運命の――」
「だから余計だっつってんだよ」
 再び唇を触れ合せ、息継ぎの合間にリヴァイは告げる。
「俺も同じ気持ちなんだからな」


 空が徐々に明るさを増していく。遠くのビルの向こうから顔を出した太陽に照らされ、リヴァイは目を細めた。隣を見れば、エレンが同じ表情をしている。
 空は雲一つない快晴で、透き通るような美しい青色だった。
「なぁエレン」
「はい」
「空が綺麗だな」
「はい。今こそ鳥になって飛ぶ時ですね」
「はっ、本当に飛ぼうとするなよ、死ぬから」
「やりませんよ。折角リヴァイさんに守ってもらった……そして、受け入れてもらった命ですし」
 薄く頬を染めてエレンは微笑んだ。
 それを眺めていたリヴァイは、エレンから視線を外して空を見上げる。
「俺はお前を自由にしてやることなんてできねぇ。お前が入っている鳥籠から出してやるのは、今の俺の力じゃ無理だ」
「……」
「だがな」
 一旦言葉を切り、リヴァイは深呼吸をした。
 言葉の通り、ただのゴロツキでしかない自分は巨大組織のトップであるエレンに大きな影響を及ぼすことはできない。またエレンがその窮屈な座に収まっているのは彼自身の意志でもある。ゆえに自由な鳥に憧れるエレンをリヴァイが勝手に手を引いて組織から引っ張り出すのも不可能だ。
 リヴァイはエレンに何もできない。……否。できることはある。
 空を見上げたままリヴァイはぽつりと告げた。
「お前とこうして空を見上げてやることはできる。お前の傍にいて、お前の手を握って」
「……っ」
 隣に並ぶエレンの手を握ると、息を呑む気配。そっと視線を向ければ、リヴァイと同じように空を見上げているエレンの双眸から透明な雫が零れ、朝日を反射して輝いていた。
「泣くなよ」
「こんな時くらい泣かせてくださいよ」
 涙を拭うことなく、真っ直ぐに前を見つめてエレンは笑う。
「泣いたって良いじゃないですか。嬉し涙なんですから」


 エレンが傷だらけということもあり、誘拐事件の翌日であるリヴァイの勤務五日目は、二人ともホテルの室内でごろごろしながら仕事をこなすことになった。
 ベランダから屋内へと戻り、早めの朝食を摂った後は仕事の時間だ。ノートパソコンに送られてくる書類の決裁依頼をエレンは次々と処理し、時折リヴァイが淹れた紅茶で休憩を取る。リヴァイは歓楽街に住むゴロツキであるが、紅茶を好んで飲んでいたのでこればかりは作法を教えられずとも上手にできた。
 この日もエレンや他の人間が紅茶を用意することはない。リヴァイだけがエレンのための紅茶を用意している。
 昼食を終えた頃にはもう、ソファに座り液晶の画面を睨むエレンの横顔には早朝の泣き顔の気配など微塵もなかった。だがその代わりに、リヴァイが隣に腰掛けただけでエレンのキーを打つ指がぴくりと震える。
 当然ながら、その震えを警戒や不快の表れだと思うような愚考はしない。そもそもエレンはライティングデスクやダイニングテーブルではなく、パソコンと向き合って行う仕事には非常に不向きなソファとローテーブルの組み合わせを使用している。前者はリヴァイとエレンが別々の椅子に座ることになるが、後者は――そのつもりがあれば――ぴったりと寄り添って座れるものだ。エレンの気持ちを知ったリヴァイがその意味を取り違えることはなかった。
 青年の無言の希望通りにエレンの右隣に腰を下ろしたリヴァイは、左手を伸ばしエレンの腰を抱く。
「あっ」
 驚いたエレンが指を滑らせ、まだ査読中だった書類に対し『承認』のボタンを押してしまった。エレンの手元に届くまでに有能な部下が目を通しているので余程のことが無ければ承認しても大丈夫なのだが、目を通しきっていないことに変わりはない。が、エレンの意識は書類ではなく隣のリヴァイに全て持って行かれる。
 金色の双眸は未だにパソコンの画面へと向けられているものの、エレンが全身でリヴァイを意識していることに腕を回した本人は満足げに口の端を持ち上げた。おまけで耳元に唇を寄せ、とびきり甘く「エレン」と囁いてやれば、眼前に晒された肌が瞬時に赤く染まる。
 リヴァイに一目惚れをして少しでも長く傍にいたいとやや強引に事を進めてきたエレン。その様は常に余裕を持っていたはずなのに、今はまるで初心な生娘のよう。それが面映ゆくて、愛おしい。
(リンゴみてぇに真っ赤だな)
 胸中で呟きながらリヴァイは思う。部屋に用意されていたあの美味なリンゴのように肌を染めたエレンは一体どれほど甘いのだろう、と。
 その色に誘われるようにリヴァイはエレンの頬をべろりと舌で舐め上げた。「ひゃ!」とエレンの肩が跳ねる。驚きに見開かれた金眼がリヴァイを正面から捉え、こちらを向いた唇にリヴァイは噛みついた。
「ん、んん……っ」
 開いた口に舌を滑り込ませれば、エレンから鼻に抜けるような声が漏れ出る。リヴァイは逃げる舌を追って更に奥へ進み、強引に絡め取った。
 引っ張り出し、擦り合せ、甘噛みを施す。ぴちゃぴちゃという水音が羞恥を掻き立てるのか、エレンはきつく目を瞑ってリヴァイから与えられる小さな快楽を甘受し続けた。その手はいつしかパソコンの上から離れ、リヴァイの服を掴んでいる。気付いたリヴァイの笑みが深まった。
 腰に回した腕に力を入れて促せば、エレンの尻がソファを離れてリヴァイの腿に乗り上げる。ほんの少し隙間が空くのも惜しいとばかりに唇を擦り合せ舌を絡めたまま、エレンとリヴァイは正面から向き合う形になった。
「っ、ふ……、ぁ」
 鼻での呼吸を知っていても酸素が足りなくなってきたエレンに合わせて一度唇を離す。二人の間を銀糸が繋ぎ、ふつりと切れた。
 見上げた先の金色はゆらゆらと潤み、極上の蜂蜜のよう。ぽってりと赤く腫れた唇がまだ足りないとリヴァイを誘う。
「エレン」
 朱を刷いた目元に指を這わせてそのまま頬を撫で、リヴァイはこの先の行為へと進む前に尋ねた。
「セックスの経験は?」
「女性相手なら人並みに。男とはありません。リヴァイさんは?」
「お前と同じだが、男の抱き方は知っている」
「じゃあ、あなたに全てお任せします」
 リヴァイの手にすり寄りながらエレンが答える。
「受け手側は辛いと聞くが、いいのか?」
「あなたから与えられるなら何だって嬉しいですよ」
「……悪くない答えだ」
 目の前の唇へ噛みつくようにキスをして、リヴァイはエレンを己の寝室へといざなった。

* * *

 共に過ごす最後の一日はエレンの呻き声から始まった。
「〜〜〜〜〜〜ッたぁ……こし……腰が、あらぬところが痛い」
 起き上がった途端、エレンはベッドの上でうずくまる。それまでひっそりと愛しい青年の寝顔を横で堪能していたリヴァイは、色気の欠片もない呻き声を上げるエレンに苦笑を浮かべ、己もまた身を起こした。
「すまん、やりすぎた」
「リヴァイさんが謝ることじゃありませんよ。……それに、その、気持ち良かったですし」
 照れながら顔を伏せてぼそりと付け足された最後の一言に思わず息子が元気を取り戻しそうになり、リヴァイは慌てて視線を下げる。が、その先にあったのは一糸まとわぬエレンの身体であり、これでもかと散らされた鬱血痕が視界に飛び込んできた。
「……ッ」
 自分がしたこととは言え――否、自分がつけたものだからこそ、ごくりと喉が鳴る。息を呑んだリヴァイは無意識に手を伸ばし、エレンの肩を抱いた。
「? リヴァ、ぅん……ん」
 こちらを振り向いたエレンにすかさずくちづける。名を呼ぶため開いていた口に舌を入れればエレンもそれに応えた。
 舌を絡ませ、歯列をなぞり、上顎を舐める。そのたびにエレンは快楽に震え、その様子にリヴァイは目を細めた。
 エレンの腕が上がり、リヴァイの首の後ろに回される。リヴァイはその肩をそっと押し、エレンをベッドの上に仰向けにしてキスを続けた。水音が大きくなり、飲み切れなかった唾液がエレンの口から、つう、と零れて顎を伝う。
「……エレン、シたい」
「オレも、リヴァイさんとシたいです」
 真っ白なシーツに隠れたリヴァイの下半身はしっかりと反応を示しており、エレンも同じく。キスだけで立ち上がった互いのものに二人は小さく苦笑しながら揃ってシーツの海に沈んだ。
 結局、二人がベッドを抜け出して活動を開始したのは正午前のことである。


 朝から情を交わした所為で遅めの昼食となった二人は、その後どちらから言い出すでもなく残りの時間をゆっくりと過ごすことにした。
 今日が共に過ごせる最後の一日であることをリヴァイもエレンも最初から承知している。この雇用契約はそういう契約で始まった。明日の朝、エレンのチェックアウトと共に二人の道は分かたれる。
 離れがたい、という気持ちはどちらにもあった。しかしエレンにはリヴァイを連れて行く理由が無く、リヴァイにはエレンについて行く理由が無い。この出会いさえ偶然の産物であり、あの日、エレンが知人宅からの帰りに無謀な近道を選ばなければ、またリヴァイが散歩に出かけなければ、知り合うことすらなかった関係だ。
 住んでいる世界が違う。にもかかわらず、出会えただけではなく想いを交わすことまでできたのは、まさに奇跡。これ以上など望むべくもない。――と、無理矢理に己を納得させた。
「エレンよ。お前、明日はどうするんだ?」
「朝からローゼ地区のうちのビルで会議がありますね。だからここを出るのは七時半くらいになります。あ、でもリヴァイさんはゆっくりしてくださって大丈夫ですよ。昼まで使えるようになってますから」
「そうか」
「はい」
 紅茶を淹れたリヴァイはソファに座るエレンにソーサーごと差し出し、己は青年の斜め横の席に座る。左手側にいるエレンへ視線を向ければ、ゆらゆらと揺れる琥珀色の水面を見つめる横顔がリヴァイの視界と意識を埋めた。
「今夜この国を発ちます。イーストシーナ空港から」
「しばらくはこっちに来ないのか?」
 未練がましいと思いながらもついつい口を突いて出てしまった問いかけに、リヴァイは言った後で顔をしかめた。相変わらず水面を眺めるエレンはその変化に気付かず、「そうですね。次は一年後か……二年後か……そうすぐには来られないと思います」と小さな声で答えた。
 そうすぐには来られない、イコール、おそらくもう会うことはないだろう、という意味だ。エレンも決して暇ではない。そして偶然が作用して始まったこの恋は、違う世界に生きる二人が互いに相手の世界を捻じ曲げてまで会うべきものではないのだと思う。
「そう、か」
 納得いかないと叫ぶもう一人の自分を抑えつけ、リヴァイはカップに口をつけた。いつも通りに淹れたはずの紅茶がイヤに不味い。
「あの、リヴァイさん」
「なんだ?」
 同じように紅茶を一口飲んだエレンがカップをソーサーに戻し、テーブルに置く。リヴァイもまたカップをテーブルに置き、エレンに顔を向けた。
「これを」
 そう言ってエレンが差し出したのは彼がつけていた腕時計。出会った日にリヴァイが何気なく手に取ったあの高そうな時計だ。
 エレンは金色の目でリヴァイを真っ直ぐに見据えると、あの時とは異なる声音で静かに、そして厳かに告げる。
「受け取っていただけませんか」
「……これも給料の一部ってことか?」
「いいえ」
 エレンは首を横に振った。
「オレと別れた後、一秒でも長くリヴァイさんがオレのことを覚えていてくれるように、オレが勝手にあなたへ残していくものです。……女々しくてすみません」
「馬鹿が」
 くしゃりと歪んだ金眼を目の当たりにし、リヴァイは立ち上がってその頭を抱き込んだ。
「誰が忘れるものか」
「リヴァイさん……」
 エレンの腕がリヴァイの背中に回る。きつくきつく抱きしめ合いながら、時間よ止まれ、と二人は思った。


 翌日、エレンは予定通りの時間にホテルを後にした。リヴァイはロビーまで降りてその姿を見送ったが、エレンに勧められたように部屋へ戻ることはない。元々身体一つでここに来たので荷物もあるはずがなく、このままここを出て行くつもりだ。
 隣には共にエレンを見送った支配人のコールマンが立っている。さあ自分も去ろうと思った矢先、その彼がリヴァイに声をかけてきた。
「その腕時計、イェーガー様から贈られたものですね」
「……高級ホテルの支配人ってのはそういうもんにも気付くんだな」
「持ち物も、表情も、纏っておられる空気も……それらを含め、お客様に対し全神経を傾けてご奉仕するのがこの仕事ですから」
「そうか。世話になった」
「とんでもございません」
 にこりと微笑み、初老の支配人は深く腰を折る。
「リヴァイ様、またのお越しをお待ちしております」
「はっ、俺みたいなのが二度もこんな所に来られるかよ」
 それこそエレンと一緒でもない限り。
 苦く笑ってそう言い捨て、リヴァイは歩き出す。その姿が完全にホテルを去るまで、支配人の顔が上がることはなかった。
 だがリヴァイの姿が完全に見えなくなった後――
「さて、もう一仕事……ですね」
 薄青の目を細め、コールマンは白い手袋をきゅっと嵌め直した。


 夜――この街がネオンを輝かせ目覚め始める時間。
 カタン、と郵便受けから音がして、自宅ソファに寝転がっていたリヴァイが視線を向けた。が、起き上がるまでには至らない。エレンにもう二度と会えないだろうという考えは、本人の想像以上に深いダメージとなってリヴァイを襲っていた。
 無力感とでも言うのか。とにかく身体を動かしたくない。そんなリヴァイの代わりにイザベルが郵便受けへと向かう。こういう所に届く郵便物などろくなものではないだろうが。
「珍しいな、ここに何か届くなんて」
「だよなー」
 ファーランが奥から顔を出し、イザベルがそれに応える。
 そして赤髪の少女は投げ込まれた郵便物を手に取ってしげしげと眺めた。
「あにきー、なんか兄貴宛に手紙が来てるけど。ありゃ? 切手が無い……」
「俺宛だ? んな怪しいもん受け取れるか。捨てておけ」
「シーナエンパイアホテルって書いてるぜ?」
「……捨てろ」
「開けていい?」
「だからさっさと捨て――」
「あん? 飛行機のチケットじゃん」
「おい、開けずに捨てろと言って……なんだと?」
 リヴァイは起き上がってイザベルから封筒を受け取った。しっかりとした白い紙でできた封筒の表には「親愛なるリヴァイ様」の文字。引っくり返せば、金色でシーナエンパイアホテルの名が箔押しされている。そのホテル名の下には支配人の名前が美しい筆記体で書かれていた。
 チケットをよく見ると、イーストシーナ空港からの出発で日時は本日21:40。時間帯から察するに最終便だろう。
「この時間帯だと……今から行けば間に合いそうだな」
 横からチケットを覗き込んだファーランがぼそりと告げる。
「意味が解らん」
 コールマンはこのチケットで何をしろと言うのか。リヴァイは眉間に皺を寄せ、不快そうに呟いた。
「兄貴兄貴、封筒にまだ何か入ってねぇの?」
「あ?」
 イザベルに言われ、リヴァイは封筒を逆さにして振る。すると中から一枚のメッセージカードが出てきた。床に落ちたそれを拾ったリヴァイはカードに書かれていた文字を読んで息を呑む。

『イェーガー様が搭乗される便です。どうか悔いのない選択を』

「兄貴」
「リヴァイ」
 カードから視線を上げると、イザベルとファーランがこちらを見ていた。二人にはまだエレンとの関係を正しく話していない。だが感じるところはあったのだろう。二人は互いを一瞥し、その顔に笑みを刻む。
「行きなよ、会いたいんだろ?」
「俺達のことは気にするな」
「イザベル……ファーラン……」
 リヴァイは瞠目し、それから二人と同じ表情を浮かべた。
「戻らなかったら上手くいったと思ってくれ」
「「了解!」」


 エレンにはリヴァイを連れて行く理由が無い。
 リヴァイにはエレンについて行く理由が無い。
 元々二人は住む世界が違うのだ。たまたま出会い、そして一週間を共に過ごしただけ。ゆえに二人は別の道を進んだ。けれど――
「理由が何だ。理由なんざ無くても会いに行けばいいじゃねぇか」
 空港内を進みながらリヴァイは独りごちる。
 それにどうしても共にいる理由が必要なら作ってしまえば良いのだ。
 とにかくリヴァイはエレンに会いたい。あの青年と離れたくない。今はそれだけを胸にリヴァイは進む。
 保安検査場のゲートを通過した時点で出発まであと三十分。ギリギリではないが、決して余裕があるわけでもなかった。きっとエレンはすでにゲートを通過して出発ロビーにいるはずだ。
 出発ロビーをきょろきょろと見渡してリヴァイはエレンの姿を探す。
「! いた……ッ」
 ずらりと椅子が並んだ出発ロビーの一角にエレンの後姿を見つけ、リヴァイはたまらず走り出す。
「エレンッ!」
 大声で名を呼べば、同じロビーにいる客達の視線が一斉に突き刺さった。だが構うことなくリヴァイは一点のみを見つめ続ける。
 びくりと身体を震わせた青年がゆっくりと振り返る。金色の目が真ん丸に見開かれ、彼は椅子から立ち上がった。
「な、んで……」
「決まってる」
「ッ」
 息を呑むエレン。
 それも当然だ。公衆の面前であるにもかかわらず、エレンの元に辿り着いたリヴァイはそのまま愛しい相手を掻き抱いたのだから。
「リ、リヴァ」
「お節介なジジイに諭されてな、俺は自分が後悔しない道を選ぶことにした」
「後悔しない、道?」
「ああ、そうだ。このまま終わっちまったら俺は絶対に後悔する。どれだけ嘘を重ねて自分を誤魔化しても駄目だ。そんなもん、できるわけがない。……お前だってそうじゃねぇのか」
「ッ、リヴァイさん」
「だからな」
 僅かに身体を離してリヴァイは真正面からエレンに視線を合わせた。
「もう一度俺を雇え、エレン」
「え?」
「たった一週間じゃ足りねぇ。今度はもっと長く……そうだな、十年でも二十年でもねぇ、一生だ。一生、お前の隣にいさせろよ。住む世界の違いが何だ。一緒にいる理由が無い? だったら作るまでだろう?」
「……ッ!」
「エレン、お前の答えを教えてくれ」
「リヴァイ、さん」
 金色の双眸がみるみるうちに涙で潤む。
 それが決壊した瞬間、エレンは一度だけ大きく頷いた。
「勿論よろこんで! 末永くよろしくお願いします」






END







2014.04.23〜2014.05.10 Privatter(フォロワー限定公開)にて初出