[白銀と青灰]


「リヴァイ、いいもの見せてやるよ」
 そう言ってリヴァイをそこ≠ゥら連れ出した化け物は瞬きの間に二つの壁を越え、最も外側に位置するウォール・マリアの壁上に降り立った。
 眼下に広がるのは果てしなく続く大地とそこを闊歩する巨人達。人間を喰うそれらは高い壁に阻まれてこちら側には入り込めない。しかし生理的な嫌悪感や恐怖といったものを見た者に容赦なく与える。
 ごくり、と幼いリヴァイは唾を飲み込んだ。だが隣の化け物は臆した様子もなく、「いいか、見てろよ」と言ってその繊手を眼下の巨人達に向けて軽く振る。
 その直後、
「な、にを……やってるんだ、あれは」
 先程まで人間を求めて壁に縋っていた巨人が急にそちらへの興味を無くし、互いの肉を貪り合い始めたのだ。突然の共食いにリヴァイの頭は理解が追いつかない。
「こういうのもできるぜ」
 化け物は人差し指を立ててある一体の巨人を示した。そしてただ一言「襲え」と呟く。
 彼の声が聞こえるような距離ではないのに、巨人達はその命令に従って攻撃の目標を変える。化け物に指差された一体めがけて巨人らは殺到し、襲われたその一体はしゅうしゅうと湯気を上げながら消滅してしまった。
「リヴァイ」
 化け物が眼下の巨人ではなくリヴァイを見ていた。
「オレが必要になったら呼ぶといい」
「あんたが必要になったら?」
「そうだ。ただしオレの力のことは誰にも知られちゃいけない。もしバレたらもうお前には二度と会えなくなると思ってくれ」
 リヴァイは半ば無意識に頷く。そうしなければ目の前の化け物は姿を消したまま本当に二度と現れてくれない予感がしたからだ。
 化け物はリヴァイの答えに対し満足そうに両目を細め、来た時と同じように小さな子供の身体を抱き上げた。
「戻るのか? あんなところに俺を戻すのか?」
「……今はまだそうした方がいいからな」
 化け物は少しだけ躊躇いを見せた後、そう答えて大きく跳躍した。ウォール・マリアがぐんぐん遠ざかり、ローゼが近付く。それすら飛び越えてシーナの中央へ。
 そうして化け物はリヴァイを元いた場所に帰した。化け物本人は「じゃあまた」と一言残して去ってしまい、リヴァイに残ったのは記憶だけ。少年のような澄んだテノールの声と、それから。

 肌も髪も瞳からも色が抜けた、まるで化け物のような銀と白だけで構成された華奢な青年の容姿のみ。

* * *

 ファーラン・チャーチ
 イザベル・マグノリア
 おそらくこの二人こそリヴァイがその人生で初めて得た友人≠ナあるだろう。二人は自分のことをリヴァイの部下だと言うが、リヴァイは彼らを己より下に見たことはない。三人は対等な関係だった。
 ウォール・シーナの都の地下街で最大勢力と言える武装集団のトップ、リヴァイ。その傍らにいつも立っているファーランとイザベル。彼らは地下世界を自由に飛び回っていたが、それで満足などしていなかった。
 彼らの夢は三人揃って地上に出ること。その権利を手にするため、リヴァイ達は彼らを利用しようとした貴族を逆に利用してやろうと作戦を立てた。
 貴族の名はニコラス・ロヴォフ。王都の貴族議員である彼は調査兵団の活動に反対する保守派の代表であり、貴族院の重鎮でもある。その彼がここ最近強く調査兵団の活動中止を訴えていたため、それを案じたとある男がロヴォフに脅しをかけた。おかげで貴族院は調査兵団の活動続行を認めることになったのだが、脅されたロヴォフ本人が大人しくしているはずもなく。ある男≠アと調査兵団のエルヴィン・スミス分隊長が握っているロヴォフの秘密に関して書かれた書類を奪取してくれと、リヴァイ達に依頼したのである。
 腐りきった中央の貴族が地下街のごろつき相手に約束を守るはずはない。きっとリヴァイ達が素直にエルヴィンから書類を奪ったところで、ロヴォフはそれを手に入れた途端、ごろつきの命など簡単に消してしまうだろう。ならばリヴァイ達にも考えがある。エルヴィンから奪った秘密≠使って、今度は自分達がロヴォフを脅せばいいのだ。そして大貴族の力により地上で暮らす権利を得る。
 そういうわけで、三人はロヴォフからの間者が事前に教えた通り自分達を調査兵団にスカウトしにきた兵士らの話に乗った。その際、リヴァイは初めて顔を合わせたエルヴィンに泥水の味を知るという屈辱を味わわされ、書類の奪取だけで済ませてなるものかと誓ったのだが――。

 その怒りがリヴァイから正しい判断≠奪い、大事な二人を危機に陥れることとなる。

 雨が降っていた。
 初めて参加した壁外調査の二日目。命に直結するため天候の予測には最大限の注意が払われるはずだが、調査兵団の面々は現在進行形で激しい雨の中にあった。
 視界は最悪。どこに敵がいて、どこに味方がいるのか分からない。
 この雨に乗じてリヴァイはエルヴィンを殺すと仲間二人に告げた。巨人がどこから襲ってくるか分からない状況で、地下街での恨みを優先するのはどうかというところだったが、リヴァイはこの機に忌々しい男の息の根を止めてやると決めたのだ。
 リヴァイは躊躇う二人を置いて、先行しているだろうエルヴィンを追う。あまりにも突出したリヴァイの実力とは比較にならないが、それでもファーランとイザベルはかなりの実力者であり、二人セットでいれば多少の困難など問題にならないだろうという甘い予測もあった。が、そもそもリヴァイはエルヴィンを殺すという怒りに目がくらんで、壁外での豪雨という状況の恐ろしさをきちんと考えていなかったのだ。
 結果、二人はリヴァイがその場を離れている間に数多の巨人の襲撃に遭った。途中で異変に気付いたリヴァイが引き返すも、あと一歩間に合わない。リヴァイは己の判断の甘さを悔いる間もなくただ二人が喰われようとしているのを見ていることしかできない。
 ――否。
「……!」
 リヴァイはそれ≠思い出し、息を呑む。
 それはもう遠い過去の記憶だ。幼い時にほんの短い時間を共に過ごした『化け物』のこと。
 あれはリヴァイに何と言い残して姿を消した?
 考えるよりも早く、リヴァイは叫んだ。

「おい化け物! 約束通り俺を助けろ! 俺を……俺の友を、助けてくれっ!!」

 聞こえるはずがない。
 現れるはずがない。
 そもそも、そんな存在がいたことすら定かではないのだから。
 しかし遠い記憶に引っかかっていただけの約束はその時、確かに果たされた。
「……ああ」
 泥に足を取られた馬から落馬したリヴァイは、地面に座り込んでその光景を目にする。
 雨のカーテンの向こうで兵士を襲っていた巨人らはぴたりと動きを止め、どこかへと去っていく。イザベルとファーランが巨人の奇行に目を丸くしているのが見えた。
「よか、った……」
「まさかお前にトモダチなんて存在ができるとはなぁ」
 巨人に襲われた兵士らの血で汚れた地面に降り立つのは、穢れを知らぬ白と銀。そして耳をくすぐるのは記憶の中で薄れつつあった澄んだテノール。
 傍らを見上げたリヴァイの視界に真っ白な髪の化け物が映り込む。猫のようなアーモンド・アイを笑みの形に歪めて、化け物は昔と変わらぬ容姿のままそこに立っていた。
「久しぶりだな、リヴァイ」
 調査兵団の兵士が背負う翼の片方よりもなお白く、化け物は凛としてその場に存在する。リヴァイは化け物を見上げ、縋るように、安堵するように、その名を呼んだ。



「エレン」



 白と銀の化け物、エレン。
 肌も髪も白く、瞳の色は銀。人の姿をしているくせに内包する力は化け物そのものであり、また巨人を意のままに操ることさえできる正体不明の――リヴァイの味方
 差し出された手にリヴァイは触れる。十五年以上会っていなかった化け物は未だ当時と同じ容姿であり、今ではリヴァイの方が年上に見える。しかし化け物は特に力んだ様子もなく成長したリヴァイの手を引っ張って立たせ、銀色に輝く瞳を笑みの形に細めた。
「約束を果たしにきたぜ」








[化け物のプロローグ]


 繰り返すたびに何かが一つずつ欠けていくことに気付いたのは、あまり昔のことでもない。
 チャンスを得る対価とでも言うように、それらはぽろぽろとエレンから欠けていった。
 それまでも何か無くなっていたのかもしれないが、初めて自覚したのは瞳の色。母親譲りの金色は、両親とのつながりを感じさせない銀色へと変じた。
 次は肌の色。どれだけ陽の光を浴びても焼けることを知らない皮膚は死ぬまでずっと真っ白であり続けた。
 続いて欠けたのは髪の色。黒かった髪は白髪となり、瞳や肌よりもずっと他者との違いがはっきりしたものになった。プラチナブロンドよりもなお白く、睫毛も何もかも、体毛は全て純白だった。
 それでもエレンの胸に秘めた願いが変わることはない。
 求めるのは自由。
 自由の証明とは壁の外に出て世界を見ること。炎の水、氷の大地、砂の雪原、海。そのどれでもいい。何でもいい。とにかくそれを見た者こそ世界で一番の自由を手にした人間なのだ。
 だが三つの色を失ったその次の世界にて、エレンは己から欠けたものの存在に愕然とした。
 エレンはいつの間にか調査兵団の一兵卒としての立場を持っていたのだが、彼はイェーガー≠ナはなかったのだ。
 白い髪と白い肌と銀の瞳のエレン=@姓はない。
 彼はシガンシナ区出身のエレン・イェーガー≠ナはなくなっていたのである。つまり欠けてしまったのは己の出自。後で確認したところ、グリシャとカルラ夫妻の間には子が無く、巨人化の力だけがすでにエレンの身の内にあった。
 エレン・イェーガーが生まれなかった世界ではミカサが人攫いから救われることも無く、エレンが気付いた時には、姉であり妹であった少女の行方は分からなくなっていた。
 その次の世界ではまた更に早く生まれていたようで、エレンは地下街で生きていた。調査兵団には属しておらず、そもそも戸籍もなく、「この世界にはいないもの」という人種の一人だった。
 ここでようやく気付いたのだが、エレンの身体は成長しない物に変わり果てていた。
 飲まず食わずで何日も過ごすのは当たり前。睡眠も不要。かろうじて拍動と呼吸はあったが、エレンはそれをただの人間の真似事だと認識した。エレンは肉体の人間性を失っていたのである。
「本格的に化け物だなぁ……」
 見た目も、機能も。
 ぽつりと呟いたエレンは地上へ出る。
 そうして、まだ幼いこの世界の彼≠ニ出会った。







2014.04.21 pixivにて初出