「あ……」
絶叫の始まりは幼子が途方に暮れた時に出すような声。 「ああっ」 それが絶望をまとって喉を裂かんと迸る。 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! エレンっ!!!!!!」 ミカサが放ったナイフの白刃はエレンの胸部に深々と突き刺さっていた。 リヴァイを守るように押しのけたエレンはそのままどうと倒れ込む。床にぶつかった衝撃で口から赤いものがごぽりと溢れた。 不可抗力とは言え最愛の人に自ら刃を突き刺してしまったミカサは掻き毟るように頭を抱えてくずおれる。黒い瞳には涙が浮かび、拭いもせずひたすらエレンに焦点を合わせていた。しかしショックが大きすぎるのか、その場から動くことができない。うわ言のように「エレン、エレン」と繰り返すのみだ。 「エレン……?」 壊れた玩具のように名を呼ぶミカサの声をバックミュージックに、リヴァイもまたその名を口にする。エレンの仕出かしたことが信じられず、呼びかけは疑問を含むものになってしまった。 今のエレンがリヴァイを助けるはずがない。にもかかわらず、ミカサに加勢するどころか彼女に殺されかけたリヴァイを庇ってみせた。身体に衝撃が走る直前に聞こえた「ダメだ」という声もエレンのものに間違いはない。 「おい、エレン……」 突き飛ばされた衝撃でナイフを手放し、床に尻餅をついていたリヴァイは四つん這いのような格好で仰向けに倒れたエレンに這い寄る。抱き起せば、閉ざされていた瞼がゆっくりと開き、リヴァイを見上げた。 「なぜ俺を助けた」 はく、とエレンの口が動く。リヴァイに焦点を合わせようとしているのだろうが、合ったと思った瞬間にふっと虚空を見つめるエレン。その身体からは刻一刻と命が流れ出している。致命傷のそれはもう止めようがなく、残された時間を使ってエレンはリヴァイに告げた。 「だって」 金色の双眸に宿っているのは共に過ごした半年間で憎悪の陰に見え隠れしていた感情。一方でそんな感情を胸に抱いたことを悔しがるように顔をしかめてエレンは続ける。 「あんたは、オレの……」 口から溢れた血液が顎を伝い、首筋に流れ、白い翼の刺青を汚して地面に落ちた。 「……片翼……だから」 生まれる前から決まっていた比するもののないベターハーフ。対の翼。 たとえ自国の敵であっても、父の仇であっても、エレンにとってリヴァイは血の繋がった兄であり絶対的な片翼だった。その命が目の前で散らされようとした瞬間、身体が動いてしまっていたのだ。その行動に洗脳も何も関係ない。エレン・イェーガーにとってリヴァイ・イェーガーという存在は心を弄られる前から――否、弄繰り回されても、なお特別な人だった。認めたくは、ないけれど。 エレンの告白をリヴァイは静かに聞く。だがその表情は刻々と険しくなり、血が出んばかりに唇を噛み締めた。 抱きかかえたエレンの両目はすでにどこにも焦点を結んでいない。 言いたいことを全て言い切ったからか、それとも限界がきたのか、その身体からかくんと力が抜ける。二度と肺が膨らむことはないし、もう心臓も動かない。瞳孔は開き切り、黄金の双眸が意志を持つこともない。 「えれ、ん」 その両目と無理やり視線を合わせるようにリヴァイは顔を覗き込む。 ごっそりと胸を抉られたような虚無が押し寄せてきた。今まで体験したことのない喪失感にリヴァイは身体を震わせる。寒くて寒くて仕方がない。 喪失。……そう、これは喪失だ。 リヴァイはエレンを失った。実の父すら躊躇いなくその手にかけたのに身体が殺すことを拒絶した特別な『翼』を今、リヴァイは目の前で失ったのだ。 「えれん」 殺そうと思っても殺せない相手。傍にいるだけで、相手のことを考えただけで、満たされるような存在。エレンにとってのリヴァイがそうであるように、リヴァイにとってもまたエレンはそういう存在だった。 エレンにとってリヴァイは片翼。 ならば、リヴァイにとってのエレンも片翼ではないのか。 「エレン」 血で汚れた刺青にリヴァイは指を這わせる。 「俺の弟。俺の白い翼。俺のベターハーフ…………だった、のに」 リヴァイはエレンの胸に突き刺さっていたナイフを抜いた。血がまともに顔にかかったが拭うこともせず、その刃を己の首筋に添える。間違って黒い片翼を切り裂いたりしないよう、刺青があるのとは反対側に。 「鳥は片翼じゃ飛べない。お前を失った俺はもう飛べない」 だから。 今度は躊躇いなく手に力を込め、リヴァイは自らの血でエレンと己を真っ赤に染め上げた。 bad end 2014.04.05 pixivにて初出 |