エレン・イェーガー少尉はリヴァイ中佐を殺せない。
同じ国の軍属だから、ではない。エレンがリヴァイの副官だから、でもない。そんな規律や上辺だけの感情に起因するものなどドブに捨てても構わないレベルの無価値な代物だった。 エレンがリヴァイを害せないのは、そういう風に作り変えられてしまったからだ。どれだけエレンがリヴァイを憎もうとも嫌おうとも殺したいと思ったとしても、エレンの身体はそんな本人の願いを叶える前に拒絶反応を起こす。『お前に残されたただ一つのものをその手で失くすのか?』と。 しかもただ殺せない≠セけではなかった。リヴァイを憎みながらも失えない存在として認識しているエレンは、かの人物が他者に害されそうになった時にも特有の反応を示すようになっていたのである。 「そのお茶、オレが淹れ直しますから絶対に飲まないでくださいね」 昇格に伴う式典やら何やらの関係で前線基地から首都の軍本部へとやって来ていたリヴァイとエレンは、宛がわれた執務室で書類捌きに没頭していた。戦場での活躍が主に期待されている二人であるが、一時的とは言えそこから離れれば別の仕事も発生する。 紙に書かれた内容を確認し、カリカリと書類にサインをしていく。そんな最中、本部に常駐する女性兵士の一人が紅茶を淹れて持ってきた。仕事中の人間の邪魔になるのを避けるためか、その女性は短い挨拶だけで去ってしまい、もうこの部屋にはいない。あるのは上品な香りの紅茶だけ。 女性兵士が退室してからリヴァイに冒頭の台詞を投げかけたのは、当然のことながら同室にいるエレンである。金色の双眸は紙の上に落とされており、一瞬リヴァイは己の空耳だったかと疑ってしまった。しかしカップに向けていた視線をエレンに向けたと同時に彼が立ち上がったので、空耳や聞き違いではなかったらしいと知る。 「何故だ?」 問いかけつつもリヴァイは思う。やきもちの類では、まずない。絶対にない。エレンはそういう精神構造をしていない。 また、そもそも潔癖症の気があるリヴァイは顔も知らない他者が淹れた茶など普通は口にしない。今も机の端にあるカップには口を付けるどころか触れる気すら起こっていないのだ。エレンもそれは知っているはずだが、何故この場面において念押しのようにわざわざその忠告を口にするのか。 椅子から腰を上げたエレンは自分の机の上に置かれたカップとリヴァイのそれを手にして「大変遺憾ながら」と前置きをした後、 「毒入りですよ、これ」 ちなみにこの場合、「遺憾」という言葉は『リヴァイに毒を盛ろうとした人物がいる』という事実に対してではなく、『エレンがうっかりそれに気付いてしまった』ことに対するものである。 エレンがリヴァイの元に強制的に下った後、その感覚はリヴァイの身の危険に対して異様なまでの感度を示すようになっていた。エレンとしては何となく≠サういうことに気付くらしい。 第六感という言葉があるが、これは一説によると人間が無意識に周囲の様々な事象を感知・考察し、『虫の知らせ』や『嫌な予感』という言葉で表されるものとして反応した結果なのだとか。リヴァイを殺せない(失えない)<Gレンは、リヴァイに関してのみその第六感が異常発達してしまった。ゆえに常人では気付けない僅かな変異に気付き、正確にその異常を割り出してリヴァイに警告することができる。 エレンはその事実が非常に気に入らないし、むしろ全力で厭っている。だが何もせずにはいられない。だから余計に不機嫌度が増す。そしてそのままリヴァイの危機を回避する。 今回は香りか、はたまた持ってきた女性兵士の動作か、それとももっとずっと前からの大勢の人間の行動からか。ともかくエレンはリヴァイが毒殺されるのを未然に防ぎ、今にも舌打ちしそうな顔で――ただし副官としての言葉使いだけはギリギリ保ちつつ――リヴァイに是非を問うことなくさっさと紅茶を下げた。 パタンと軽い音を立てて扉が閉まる。エレンが本当に茶を淹れ直すため退室したので部屋に残っているのはリヴァイ一人。 リヴァイを毒殺しようとしたのはスラム街出身の人間にこれ以上昇格して欲しくないと思っている連中の一部だろう。親等の後ろ盾がない人間は往々にしてこういう事態に遭遇する。何も驚くべきことではない。が、面倒なことにも変わりはなく、リヴァイは溜息を一つ零す。 「……とりあえずハンジがエルヴィンに上の連中のリストでも用意させるか」 それをエレンに見せて怪しい奴らをピックアップさせればいい。軽い経歴だけでも載っていれば、今のエレンにはそれができる。きっと思い切り顔をしかめつつやってくれるはずだ。 古くからの知人である人物の顔を思い浮かべつつ、さぁどちらに内線電話をかけようかとリヴァイは思案する。こういうことならエルヴィンの方が得意だろうか。ついでにエレンにそのリストを取りに行かせて、エルヴィンと顔合わせをさせておくのも良いかもしれない。ハンジとの顔合わせは先日済ませたので。 さて。 リヴァイの中ではその案がごく自然に出てきたのだが、まだ『どうしてそんな風に考えたのか』という理解には至っていなかった。 本人よりも先に気付いたのは――。 「エレン・イェーガー少尉ですが、ハンジさんの次はスミス大佐にもお会いしたそうですよ。リヴァイ中佐宛ての書類を受け取りに行ったそうで」 「へぇ……リヴァイがわざと行かせたんだろうね」 副官のモブリット中尉から雑談半分でもたらされた情報に、ハンジ・ゾエ中佐は笑みの形に目を細めた。 「リヴァイがイェーガー少尉を連れ歩くのは……まぁアレだ。ただ自慢したいだけなんだろう」 「自慢ですか?」 「そう、自慢だよ。手に入れた宝物を見せびらかしたくてしょうがないのさ。そういうのを初めて手に入れたからね」 「リヴァイ中佐が初めて手に入れた宝物……」 「よっぽど大好きなんだろうねぇ。本人は少尉に必要以上に構ってる現状も理由も自覚してるだろうけど、事実はきっとそれ以上だよ。つまり自覚しきれていない。……どうしてかな。確かに有能だし、見た目も悪くないけど」 見目がよく、働きも素晴らしい部下など、今までリヴァイの下にはそれなりに存在していた。しかしそんな彼らに対するリヴァイの態度とエレンへのそれは一線を画す。 「調べますか?」 エレンの素性を。 モブリットが目的語を省いて告げるが、ハンジは首を横に振った。 「それはまだ良いよ。イェーガー少尉がリヴァイの味方であることは確かだから。それが怪しくなったら手札として調べておくのもありだね。まぁそんな事態も起こらないだろうけど。今、下手に手を出すときっとリヴァイの機嫌を損ねる」 「承知しました」 敬礼するモブリットにハンジは「ありがとね」と告げる。 これで、雑談はおしまい。同時に休憩も終了だ。 モブリットはハンジがまだ処理していない書類の種類を瞬時に頭の中に思い浮かべ、それを告げていく。ハンジの表情がげんなりとしたものになっていくが、構わず優秀な副官はつらつらと言葉を並べていった。 ゆえに、まだ誰も気付けない。 エレンにとってリヴァイはただ一人残された肉親だが、つまりそれは、リヴァイにとってもエレンが唯一の肉親であるということに。 2014.03.20 pixivにて初出 |